風は同じく

私の育てているブドウの、早生の一本が芽を出し始めている。
8品種を栽培しているのだが、芽の出る時期は勿論、葉の形、芽の伸び方、果実の形や色もみんなそれぞれ違う。Img_2722
個性と言うんだろうか、だからこそそれぞれの品種が可愛いし尊重されもする。
今日は雨だったが、やはり春がそこまでやってきていて、南風が吹いて温かな一日だった。Img_2724
昔(子供の頃)、もっと大きくて強かったらとか、もっと頭脳明晰に産まれたらと無い物ねだりをした時期があった。Img_2725
いじめられっ子で、多分端とか仕返しをしてやれない物かと夢想していたのかも知れない。
ともあれ人も人それぞれで、そしてこの人生の風も同じように吹いている。Img_2726
そうして70年、今ではすっかりあきらめて、否あきらめるとは止めることではなく、その風の吹き様を理解したって意味だ。Img_2727
そうして、常に自分なりの花を咲かせようと歩き続けている。
今日はお彼岸のお中日だから、例によって遠州三山(可睡斎、油山寺、法多山)を走ってきた。Img_2728
雨のためか参加者は少なかった(9人)が、このコースはアクセントもあるし、丁度手頃なのである。Img_2729
ニュージーランドの後遺症は実はまだ続いていて、それても明後日の房総ウルトラを控え、何とかならしをと思ったのである。
二十数キロを走り終え、ゆっくりと湯に浸かって我が足を労ったのである。Img_2730
あさっては、きっと上手くゆくに違いない。そう信じて・・・。

| | コメント (1)

2019年3月22日 (金)

この程度の私

かつて子供の頃、自分ってヤツが一体どうゆう代物なのか分からなくって、随分戸惑っていたような気がする。
自分に何が出来て、何が出来ないのか・・・、将来はどうなっちゃうのか、結婚なんて出来るだろうか・・・などと。Img_2696
それが「あぁ、こうすりゃ良いんだ」って、人生が少し楽しくなり出したのは、就職してからだったと思う。
それでも、自分に対する不安はちょくちょく顔を出してきて、夢中で生きることでそいつを振り払ってきた。Img_2694
それが40歳を過ぎる辺りから、少しずつ自分を肯定できるようになったのだと思う。
それで受動的に生きるのではなく、自分の出来る範囲で少しずつ自分の世界を広げるよう努力するようになった。Img_2692
それは、外むけに文章を書くこと、走ること、作物を育てること、そして新たな出会いの場を求めることなどだった。
そうした主体的な行動が私の体のシンコになって、何時の間にか心の落ち着き先になってきたのだろう。Img_2691
そうして、自分はこの程度で良いのではないかと思うようになっている。
既に70歳を越えてしまった訳だが、勿論のこと手放しで自分を肯定することなど出来やしない。Img_2684_1
だけど自分を殊更不幸だとも、えらく幸福だとも、或いはもう少し裕福ならなんてことは考えなくなった。Img_2685
当然諦めだって含まれているが、人生に対する達観というのか、頑張ってきた自分を自分で認めてやろうって気になっている。
私も、少しおとなになったって事かな。


| | コメント (0)

2019年3月20日 (水)

ニュージランド余話

ニュージは、物価の高さを我慢できるなら、景色は良いし落ち着いた住み易いところだ。
その国であんなテロが起きるなんて・・・誰もが思うところだろう。Img_2686
その落ち着いたたたずまいは、国土が日本の本州位(37%)の所に、人口478万人(日本の3.8%)に過ぎなことからきている。
キャプテンクック上陸以来、広々とした土地に羊を飼ってゆったりと生活してきたと言える。Img_2688
しかし近世に入って羊(羊毛)はさっぱり売れなくなった訳で、国は総力を挙げて羊毛に代わる産業を育てている。Img_2690
それが富裕層の移民受け入れや観光業(主にアウトドアスポーツ)、そして日本向けの木材産業だったりする。Img_2693
観光に関しては、白人と羊が数百年に渡って造り上げた景観は(二次的自然であるにせよ)見事な物で、当然ながらその自然を舞台にしたアウトドアレジャーは無尽蔵とも言える。
私達の走ったコースも、堪能した自然もそのほんの一部だった訳である。Img_2694
それでレースの終わった翌日(ほんの一日だったが)、クイーンズランドで細やかな(IさんやOさんは、4,500mからのスカイダイビングなどを楽しんだようだが)観光気分を味わったのである。Img_2695
先ずはワカティプ湖に注ぐショットオーバー川に向かい、そこであのジェット・ボートに乗ったのである。Img_2700
何とこのボートは、巨岩のゴツゴツとむき出した川幅の狭い渓流を、時速85kものスピードで縫って走り、時に360度の回転スピンなどスリル満点なのである。Img_2702
心臓の弱い私などは、前のバーにしがみついたまま終わってしまったが、白人はどうもこのスリルが堪らないらしく、歓声を上げっぱなしだった。Img_2705
やれやれと街に帰って、名物だからと行列に並んで巨大ハンバーガーを買って、湖畔に座ってこれを完食。
次は、君子危うきに近寄らずとばかりに、今度は自転車を借りてワカティプ湖畔をサイクリングすることにした。Img_2706
ぐるっと回れば77kだが、その1/3程を巡ってこのクイーズタウンの全貌を眺めようとの試みだ。Img_2707
そして、空気は爽やかで、対岸から眺める観光の街も全体が見渡せ、これは結果として良かった。Img_2708
前日のでの筋肉疲労を幾分ほぐすことも出来たしね。Img_2710
夕方になって街のあちこちをブラつきながら、生のライブ演奏をしているオープンガーデンに入った。Img_2711
音楽を聴きながら、この土地のご馳走を頂こうということだが、そのビーフやチキンが何と巨大だったことか。
午後7時、まだ陽が高くて西日に照らされながら、この一週間あまりの余韻に浸っていた。Img_2713
私の、今回の非日常は、このレストランで終わることになった。


| | コメント (0)

2019年3月19日 (火)

春の日差し

ニュージーランドで非日常を堪能している間に、こちらではもうすっかり春の日差しが満ちていた。
そして春は旅立ちの時でもあって、卒業・入学、そして就職と新たな生活へのスタートの時期でもある。Img_2714
毎年臨席させてもらっているのだが、今日は地元の中学校の卒業式であった。
ヒヨコが若鶏になって飛び立とうとしているって風景かな、中学三年とは言ってもまだまだ子供でしかない。Img_2715Img_2714
旅だった先に何が待っているのか、不安が大部分でほんの少しの期待と言ったところだと思う。
私のあの頃を思うに、何も考えられなかったし、卒業式だってそれ事態が目一杯(100%)だったと思う。Img_2716
そうやって彼らも、一枚一枚脱皮しながら大人になっていくのである。
そう・・・彼らには、様々な不安の分だけ未来があるのだ。
Img_2717
それに引き換え、もうすっかり脱皮することも無くなった我が身には、何が残されているだろうか。
確かに体力の衰えは否定できないが、精神は益々成熟しているし、物を思うことだって鋭敏になっている。Img_2718
今日転任で挨拶に訪れた某署長が、「71歳の老いぼれが、外国の高山を250k走った」と聞いて目を丸くしていた。
誰もが1年ごとに年を重ねていくのだが、その積み重ねは決して無駄な物では無いと思っている。Img_2719
いや漫然と年月を費やすのは無駄かも知れないが、「まだ、これなら自分に出来る」ことを追い求めていくなら、それは結構良い老いに繋がるのではないか。
この中学生達に「老い」なんて言葉は無縁だが、若さに関係なく、人は誰も一年一年と老いていくのである。Img_2720
そして肝心なのは、それぞれのやり方で自負を持って生きることだと思う。

| | コメント (0)

2019年3月18日 (月)

ファイナルステージ

物事の終わりという物は、何時も素っ気ない顔をしてやってくる。
今朝も何時もと同じようにブリーフィングが始まって、距離は15k、近くの景色の良い「丘」を一回りして、出発地点に戻ってくると説明された。

Img_2657

最後の15kであって、もう誰もが気負い込んでダッシュしていく。

Img_2658

荷物は軽くなっているし、何よりも「これで終わり」と思う気持がそうさせている。

Img_2660

コースは、ニュージには珍しい原生林を抜け、やはり沼地や牧草地を越えていく。

Img_2661

やがて登りに入って、どんどん標高を上げていくと、眼下にWanaka湖が広がり始める。

Img_2662

これが「丘」かと思いきや、さらに278mまで登って、そのピークを越えて驚いた。

Img_2663

山の向こう側は、ワナカ湖に流れ込む川に向かって、真っ逆さまに落ち込む急斜面だった。

Img_2664

踏ん張りどころのないズルズル滑る斜面で、うかうかすると200mも滑落して川に飛び込みそうである。

Img_2666

何が丘なもんか、立派な急斜面の山じゃないか・・・やはりコース設計者は、最後だからと手を抜くことは無かったのである。

Img_2667

結局、二時間で走り抜こうと考えていたのに、三時間近くを要してゴールゲートを駆け抜けた。

Img_2668

ゴールの景色は、それはもう敢えて触れる必要も無いが、困難を乗り越えた者達だけに通じる共感に溢れていた。

Img_2669

一週間振りに口にしたアルコールは、スウーッと体中に染み込んでいった。

Img_2670

バスに乗り込んで(車内は異臭で溢れていたが)二時間、クイーンズ・タウンのHに入った。

Img_2674

先ずは真っ白な髭を剃り、一週間振りのシャワーを使った。

Img_2676

レース後のレセプションは、街の中心部にあるホテルで開かれて、ビデオが放映され、各部門の表彰があった。

Img_2677

その中で私の名が呼ばれ、年代別トップ(二位を5時間以上引き離していた)のトロフィーを頂いた。

Img_2678

今回のレースも、全て終わってしまったのである。

Img_2679

帰国してRacing The Planet New Zealand websiteを開くと、その片隅に私の姿があって、「71歳でもこのコースは十分走ることが出来る」云々とコメントされている。

Img_2680

十分なのかどうかは別にして、死にそうになりながらも精一杯走り抜いたことは事実である。

Img_2682

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2019年3月17日 (日)

くつろぎの時

目が覚めてまず最初に思ったのは、今日の天気だった。
リチャードが寝袋から這い出して、テントの外を見ながらIt's cloudy.But it's a fine day.と言った。

Img_2641

起き出して空を見上げると、一面に雲が広がっていたが、どうやら好天に向かっているようだ。

Img_2642

テントサイトの真ん中では、三々五々、何時もと違ってゆったりとした朝食が始まっていた。
昨夜は、冷たい風と雨で低体温症が続出したし、コースを急遽変更したりした影響で、一部のランナーは朝になって帰ってきた。

Img_2643

しかし、その全員が薄日の差し始めたテントサイトに、元気な姿を見せていた。

Img_2644

レース途中の唯一の寛ぎの一日、36カ国のその国籍を超えて、笑い語り合っている。
この何日かの間に、生死を考えることすらあったのに、もうそんなことは打ち忘れているのである。

Img_2646

ぐしょぐしょに濡れた衣服や寝袋を干したりの他は、何もすることのない一日なのだ。

Img_2648

ハッピー(26名のグループ)は、「ダルマさんが転んだ」をやり始めていたし、川辺に椅子を持ち出して語り合うカップルなど、本当にくつろぐとはこんなシーンを言うのだろう。

Img_2649

しかしなから、1万メートルを超える総標高差を走る今回のレースは、racing the planet史上最も過酷な大会になったようで、既に34%がリタイアしていたし、当初のルール通りなら半数は失格の筈であった。

Img_2650

それに昨夜の結果はどうなるって心配だが、何しろ人によって走った距離が違っているし、カウントもされていないのだから。

Img_2651

結局、それまでのラップタイムを逆算して順位を決めるらしい、つまりCP5~CP7はノーカウントって事だ。

Img_2653

ともあれ、色々とあって長かったこのレースも、明日の15kを残すだけになった。

Img_2654

過ぎ去ってみれば、日々の人生同様に束の間の出来事になっていくのである。

Img_2656

しかし、少なくともこのレースが、非日常の最たるものであることは間違いない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2019年3月16日 (土)

第五ステージ(The Long March)

今日は、このレース最大のクライマックスとなるはずのオールナイト76kである。
問題は天候だが、予報ではどうやら午後から雨になるらしい。

Img_2631

肌寒い風の中、雲の多い空を見上げて気をもんでいると、今日はタートが9時とアナウンスがされた。昨夜遅くなってゴールした参加者への配慮らしい。
ともあれ、明日の夜明けまでタップリの時間があるんだから(何が起こるか分からないが)、今日こそはレース終盤をゆっくりと楽しもうと思っていた。
枯れ草を踏み分けて走って行くと、そこには一本の遙かなる道が出来ていく。
その道が、縫うように山裾を辿りながら登っていく。やはり今日も、山登りから始まったのである。

Img_2632

しかし山頂に登り切ることなく下り始め、今度は湿原に踏み込んでいく。
幾つもの羊の群れを囲うゲートを越え、やがてWanaka湖の畔りへ出た。
この国では山と山の間には、氷河が造った大きなカール湖があって、その独特な景観を成している。
しかし今日は、その湖の水が海のように波立って、大きな波音と共に岸に打ち寄せていた。

Img_2634

私達はその湖を眼下に、湖畔の道を上下しながら回り込んでいく。
昼近くなってCP2に着いて空を見上げると、湖の向こうは真っ黒な雲で覆われ始めていた。
そこから標高861mの山越えをしなければならないのだが、その登りが始まる頃から雨と風になった。
慌ててポンチョを被ったが、強風にあおられて何の役にも立たなかった。

Img_2635

防水の上下を装備するよう義務づけられていたのに、どうも甘く見ていたようだ。
やむなく持っていた紐でポンチョぐるみ帯のように縛って、何とか急場をしのいでいた。
濡れながらも先を急がねばならず、どんどん標高を上げていったが、雨は強くなる一方だった。
やがて道はドロドロと泥濘んで、途中の川渡りも冷たさを除けば苦にならなくなった。

Img_2637

もう何てもありである。この刹那を何とか切り抜けるしかない。
CP5(53k地点)では19時を回っていたが、雨の中で軽く食事を済ませ、ヘッドライトを装着して先を急いだ。
残りの距離は25k、何とか午前二時過ぎにはゴールしたいと考えていた。
風と雨は益々強まっていて、手が凍えて寒かったが、何とか耐えられるだろうと自分を叱咤していた。

Img_2638

すると真っ暗な中で、男が大声で怒鳴っている。しかし、何と言っているのか分からない。
この寒さの中で大声で激励しているんだと理解して、ひたすら先を目指していた。
7~8k行った辺りだろうか、反対方向から先行していたランナーが次々と戻ってくる。

コースが折り返しに変更されたんだろうか・・・それにしても変だ。

Img_2639

事情を聞こうにも、真っ暗だし言葉の壁もある。不安なままだが先を急ぐことにした。
大会のトラックが止まっていて、男が「誰かが指示するから、それまで先へ進め」と言っている。

更に2kほど進むと、男が立っていてCPでもないのに「ストップ!! ゴーバック」と叫んでいた。

何が何やら訳が分からなくなっていると、傍らから「ヤッチャン」と呼ぶ声がした。

Img_2640

テントメイトのリチャードだった。彼によると、このままのレース続行は無理と判断され、レースは中断された。5kほどバックして、テントサイトに収容するらしい。
どうやら先行するランナーは、腰まで水に浸かって川を渡ったらしいが、今はもう増水でそれも出来ないらしい。

通ってきたCP5では、低体温症のランナーが続々と出ているとも言っていた。

再び「ヤッチャン。ゴー、バック」リチャードは力を込めて言った。

それから一時間あまり、私達は23時過ぎ、テントサイトの光を目にしていた。

ドロップバック(緊急時のために準備していた)が渡され、直ぐに着替えろという。

流石に寒く、しかし暗闇で自分のテントを探したが分からない。すると「ヤッチャン、こっちだ!!」とリチャードがテントの口を開けて叫んでいた。

テントを強い雨が打ち付けている。「終わった!」と思いつつ、興奮と安堵が代わる代わる
去来していた。

先行していたはずのイカリは、まだ帰ってきていなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月15日 (金)

第四ステージ(Be Persistent)

Difficultが二つ並んでいて、今日は確かに最も大変なPersistent(拘り)の一日になった。
昨夜は雨が降った。テントを打つ雨音で目覚めると、遠くから轟音が響いてきていた。

Img_2596

どうやら、沢山の牛が一斉に鳴きだして、それが轟音の様に響いてくるらしい。

Img_2597

雨の少ないこの時期、あるいは牛にとって、草を育む雨は天恵なのかも知れない。

Img_2598

その雨も一時で止んだ様だが、明日の天気を気にしながらの眠りとなった。

Img_2599

6;00ヘッドライトの光で身支度をし、テントの外に出ると、そこには一面の星が降っていた。

Img_2600

今日のレースの始まりは、雨で濡れた牧草地を抜けて、草原から山に登ることから始まった。

Img_2602

先ずは461mから幾つもの川を越え、1518mまで一気に登るのである。

Img_2603

次第に標高が上がってくると、眼下にWanakaの湖が少しずつ広がって見えてくる。

Img_2604

しかし山は延々と登っていて、遙か彼方のピークに着くには、4時間と少しを要しただろうか。

Img_2605

そのピークを過ぎてやれやれと思った時、目の前の景色は突然一変した。

Img_2608

ピークの先は、奈落の底を覗き込むかのような断崖絶壁で、1000mも下の谷底が真下に見えた。

Img_2609

コースは、何とその断崖絶壁の縁をぶら下がるように続いているのである。

Img_2611

一瞬息を飲んだがここで引き返す訳にはいかない。それに、みんな渡って行ったのだろう。

Img_2612

しかし、降りるにも横に行くにしても足場がないのである。下は、目もくらむような絶壁であった。

Img_2613

これが日本ならロープや鎖が渡してあって、こんな所を人が通る何で決して許されないはずだ。

Img_2614

しかしながら、ここは須く自己責任の国、落ちて死のうが誰の責任でもないのである。

Img_2615

確かチェックインの時、「仮に事故があっても、全て自分の責任とする」にサインさせられていたことを思い出した。
それにしても、こんなにデンジャラスな登山以上の登山があるとは、知る由もなかった。

Img_2617

それに足を置く岩は5cmもない微かなもので、しがみつく岩とて無いのである。
足を滑らせれば間違いなく絶命たが、それを何とか(15分程要して)切り抜けた。

Img_2618

一安心の筈だが、その後もズルズルと滑り落ちる足場が続いて、生きた心地がしなかった。

Img_2621

やがて尾根の登りになって、その尾根を登り切ると、何という凄い景色だろうか、そこにはWanakaの全景をを見渡す絶景が広がっていた。

Img_2622

コース設計者は、これを見せたい為に敢えてこの危険なコースを設定したのだろう。

Img_2623

それにしても、山と谷がコバルト色の湖を抱きかかえ、この地の創造主が思いのままに造り上げたとでも言っているような。

Img_2625

それはどんなに美しい絵画であっても、こんな景色の前には破り捨てられてしまうだろう。

Img_2627

そこにはWanakaからだろうか、ピクニックの男女が何組も登ってきていて、そこは最大のビューポイントだった。

しかし、景色を眺めるのもそこそこに、この山を下らなければならない。

Img_2629

遙かな眼下(8.5k先)にCP3が見えたのだが、そこに辿り着くのには1時間余かかっていた。
さてもこの日は、16:10枯れ草が生い茂る絶景のベースキャンプに入った。

Img_2630

今回のレースは、死にそうに怖い目に遭ったが、これで半ばを消化したのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月14日 (木)

第3ステージ(Be Steadfast !!)

心配していた雨にこそならなかったが、依然として冷たい風が吹き付けている。
昨日の過酷なコースには私自身もかなり参ったが、我がテントの2名を含め、最初の二日間で既に61名(30%)もがリタイアしてしまっていた。

Img_2581

確かに昨日の山や谷は、想像を超えたスケールだった。

とてものこと、ある程度の経験が無ければ決まった時間までにキュンプサイトに到着するのは難しかっただろう。

そのリタイアのあまりの多さに、主催者は朝になって、今日のコースを42kから34kに短縮すると発表した。

Img_2582

昨日の疲れも残っているせいか、誰も文句を言う人はいなかったが、それでもCP2からはDifficultと標記され、標高1,903mまで登らねばならないのだ。
ともあれ、ランナーは120数名に減ったが、クロスカントリーコースに沿って、山に分け入っていく。

Img_2583

CP1を過ぎた辺りから更に急勾配になって、道などはないから、フラッグを追ってひたすら登っていく。
標高が上がってくると、昨夜来の雲が霧となって、下から吹き上がって来るようになった。

Img_2585

やがてその霧が山全体を覆い、行き先を示すフラッグも見えなくなって、先行者の影を必死で追いかけていた。
風と霧は猛烈な突風となって吹きつけ、バックパックごと吹き飛ばされそうになる。

Img_2586

それにタイツを履いてきたのに猛烈に寒く、正に冬山登山状態になってしまっていた。
とにかく防寒対策をしなければと大きな岩の陰に隠れ、ズボンとブレイカーを着込んだが、それすら吹き飛ばされそうである。

Img_2587

これが何処まで続くのか・・・・「遭難」と言う言葉が去来し始めた頃、やっとコースは下りに入った。
下りに入って暫くするとようやく霧ははれ、遙か彼方へと続く山並みが眼下に広がっていた。

Img_2588

そのうねって続く山肌の道を、ランナーが点々と縫うように続いていた。
やがてコースが左側の谷方向に折れると、俄にパノラマの視界が広がった。

Img_2589

それは遙か1000mも下に広がるカールの底で、牧場や植林地、そして幾つかの別荘地が見える。
その谷底の一点に、小さく今日のテントサイトが見えるではないか。

Img_2590

あそこまで降りれば今日のレースは終わるのだ。
しかしその急な下り坂は延々として続き、見えているテントサイトは一向に大きくはなっていかない。

Img_2591

実はランナーにとっては、登りよりも急な下りの方が足への負担がより大きくなるのだ。
それでも下り始めて一時間半、氷河の削った底に広がる牧草地のサイトに入った。

Img_2592

距離を短縮したお陰で、今日こそは陽のある内にみんなゴール出来そうである。

Img_2593

それに嬉しいことに近くに小川が流れていて、川に入って体を洗ったり、暫しの寛ぎとなった。

Img_2594

しかし、私達のテントには3人しか帰ってこなかった。(この日、米国のラッセルがリタイアしたのだ)
テントメイトは、三日目にして三人になってしまった。果たしてこの日が、Steadfast(着実な)日だったかどうか?

Img_2595

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2019年3月13日 (水)

第二ステージ(Be Willing ??)

Difficultを含むこの日のコースは、そう・・・確かに凄い一日になった。
最初の10kは、ブドウやサクランボの畑を横目に、Kawarau川に沿って登っていく。

Img_2563

早朝の澄んだ空気とも相俟って、独特の河岸段丘の景色が美しく、昨日とは様変わりの快適さだった。
それが11kのチェックポイントを過ぎると一変し、何処までも限りなく続く登りになった。
ハゲ山だから遙か彼方を登っていく仲間の姿が、その峰沿いに点々と見える。Img_2564

「あそこまで行けば、きっとピークだろう。」何度そう思ったことだろうか。

しかしピークと思ったその曲り角に辿り着くと、遙か彼方の向こうに次のピークが続いていた。Img_2565

この日の最高地点は標高1,342mだから、約1,000m登れば良いのだが、それが限りなく遠いのだ。
思えばこの国には、1,000mから2,000mの山は無数にあって、それがみんな連なっているんだから、トレイルコースなど幾らでも出来るのである。Img_2566
それでも二時間ほど登って、やっとCPに到着し谷に向かってコースは続いていた。
やれやれこれで山は終わりとホットしたのも束の間、谷底に降りてみると、コースフラッグは別の山に向かって続いていた。
Img_2567
その山をかなり登って、今度は中腹の道なき道を進んでいく。
ススキの様な草の株が行く手を塞ぎ、棘のある草もあちこちから突き出している。
Img_2568
左側は深い崖になっていて、誰も居ない山中をたった一人で進むだけでも心細い。
「アッ」と叫んだかどうか、草の株に足を取られたのか足首を捻って転んだ。
Img_2569
その瞬間、バックパックの重さに引きずられて、崖にズリ落ちしてしまった。
無意識に枯れ草をつかんでいて、辛うじて体は谷底に滑り落ちずに済んでいた。Img_2570
右足首に猛烈な痛みがあって、草にぶら下がって暫く痛みの引くのを待っていた。
やがてソロリと体を引き上げ、足のかかる岩を探していた。Img_2571

どうやら足は大丈夫で動くようだ。少しずつ這い上って、復帰できたのである。
このコースは設計者の思いのまま、かなりトリッキーに造られているようだ。
Img_2572
いや設計者が意地悪と言うよりも、このありのままの二次的な自然が、設計者をして面白くさせようとするらしい。
コースフラッグを見通して自分の道筋を見極めないと、たちまち行く手を棘の木で遮られたり、湿地に入り込んでしまったりもする。Img_2573

このトリッキーな山のコースは、何時果てるのだろうかと、正に根比べである。
山を下りて湿地帯の端に沿っ進みて、やがて谷に降りた。
Img_2574
道は途中で途切れ、どうやら川を渡る他なさそうである。
氷河の溶け出した冷たい水に靴を濡らして渡りきると、そこには次の山が立ち塞がるように待っていた。
Img_2575
「もう、堪忍してくれよ」と呟きながら、黙々と登る他に選択肢はなかった。

18時近く、山頂のクロカンロッジ近くに設けられたテントサイトに着いた。

ひどく冷たい風が吹いていた。
Img_2576
空は雲で覆われ、夜には雨になるかも知れないという。

着られるもの全てを着て、早々に寝袋に潜り込んだ。

Img_2577


大会事務局は、この日もゴールリミットを21時まで繰り延べした。凄いコースだった。

テントの外では、寒さに震えながらゴールしてくるランナーを出迎えの歓声が続いていた。

Img_2580


目をつぶっても眠れないし、それに、暑いのか寒いのかそれさえも定かでなくなった。

この日、テントメイトのリン(オーストラリア)とリー(中国)がリタイアした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«第一ステージ(Moderate?)