私と小笠山

太田川の沖積平野(田んぼの真ん中)に生まれた私は、山と言う物を知らなかった。

それは遙か遠くに南アルプスや富士山が見えるにしても、身近な山は10kほど東に見える小笠山だった。

一度あの山に行ってみたいと思ったのが、多分小学三年生の頃だったと思う。

好奇心に駆られて自転車で冒険に出かけたその山は、荒れ果てた山だった(ガッカリ)と記憶している。Img_3226

当時は燃料が薪炭から石化燃料に変わった頃で、山は廃棄物も含め、荒廃のピークだった。

その後、当時の青年団協議会が小笠山の活用を呼びかけて、遊歩道などが整備された時期があった。

だがそれも経済の高度成長や青年団の衰退と共に忘れ去られ、今日の小笠山になっている。

とは言え、エコパ(運動公園)や道路整備が進み、こくや雨林の多くも開放されて、茶園やみかん園に変わっている。

その山を走るようになったのは、平成の初め頃、偶然ある方に誘われたのがきっかけだった。

以来おおよそ30年、この丘陵(標高264m)と深く深く付き合ってきたのである。Img_3163

もともと(数十万年前)は大井川河口の三角州だったと言われ、その三角州の北側が大きく隆起して生まれた。

だから表面は河原と同じ石の山で、その深層部は泥岩になっている。

だから降った雨は一気に地下に染み込んで、地下ダムとなって南部の地域(大須賀、大東)に湧き出す。

山の謂われは兎も角、今ではその山の中で一日の半分近くを過ごしているのだから、故里のようなものだ。

ともあれ、今夜はその「小笠山を愛する協議会」の役員会があって、、今後の運動方針について議論した。

この数年間だけでも森林管理署による「入山禁止」など色々とあったが、やっと本来の保健保安・自然観察教育に戻りつつある。

小笠山にお世話になっている私達も、精一杯この山の自然保全と活用に協力しようと言うことで一致した。

 

 

 

 

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2019年5月23日 (木)

面魂

面魂とは、広辞苑によると「並々ならぬ強い精神が顔に現れていること」とある。

元より軟弱な精神の私に面魂など宿るはずもなく、せめてそれなりの面構えが備わればと思ってきた。Img_3224

それは「男は、五十を過ぎたら自分の顔に責任を持て」などと言われて、日常が顔に出るとされていたからだ。

しかしどうも、(最近の研究では)顔の造りはDNAの成せる業らしく、あまり努力して変わる物でもないらしい。

それにしても、床屋に行く度に思うのが、「何と力の無い、弛んだ面構えか!」と言うことである。Img_3223

しかも、その顔の弛みには、私のこれまでオタオタと歩んできた事どもが皆織り込まれているような気もする。

「えぇ~い、顔などどうでも良いワイ」と開き直りつつ、これでも「怖い」と言われた時代もあったのだと納得させる。Img_3221

そう・・それは、その人間がどんな立場に在るかであって、そもそも顔など関係なかったのである。

顔が役立つと言えば、近頃の選挙で大抵は「イケメン候補」が当選することになっている。Img_3220

私のような貧乏顔や仁王さんのような厳い顔では、到底選良の気に入ってはもらえないのである。

政治も仕事も「顔」がする訳じゃないけど、どうせなら好きな顔をと選ぶのである。

詰まらぬ事を書いてしまったが、「先生」にも顔があるなぁ~と思ったからである。Img_3219

今日は地元中学校の学校運営委員会があって、まず最初にそれぞれの教室を回って授業参観した。

それは先生方は、それぞれのやり方で熱心にクラスを指導していた。

しかし、同じ事を言っても引き込まれてしまう先生と、そうでない先生もいるのは否めない。Img_3217

それは、信頼感の持てる面構えかどうかって事も一因では無いかと思うのだ。

そして、人の顔立ちを云々言える立場ではないが、面構えは立ち居振る舞いが醸す要素も多いのである。

 

 

 

 

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2019年5月22日 (水)

かつての景色

過去など振り返ったって、そこには唯思い出があるだけ、そう決め込んできた。

私の生きた時代がそうであったように、私も前だけを見つめて突き進んできたような気がする。Img_3196

自分に何が出来るか・・常に何かを達成することを目指してきた。

それは仕事であったり、スポーツだったり、家の事だったりもした。Img_3197

その他の諸々のことも含め、目標とした大抵のことを八割方は達成したと思っている。

やり残したこともあるにはあるが、それは人生をやり直すので無い限り不可能なことだ。Img_3199

そして今、自分のこれから目指すべきものは何かと考えても、かつてのような達成点は見いだせない。

地域への自分なりの貢献、より良いブドウを育てること、農園を闊達に面白くすること・・・程度だ。

これは自然体で出来ることで、殊更の目標でも何でも無かろう。Img_3202

ウルトラマラソンにしても、100kレースを年間7レースも走り続けてきた。

しかし、例え年に一レースにしたとしても、それを完遂するには相当の困難を覚悟しなければならない。Img_3205

かつて何の苦もなく出来たことが、今では容易に達成出来なくなっているのだ。

先日の八ヶ岳野辺山だって、60k通過が7時間20分だったから、10年前なら余裕の完走だっただろう。

だけどそこまでが精一杯で、結果として(死ぬ気で)完走を目指さなくて良かったと思っている。Img_3206

そしてむしろ、過去に十六回もこの難路を走り抜いたことを誇りに思うべきだと思った。

今回で23回目になる訳だから、雷雨の中を走り抜けたり、凍える寒さに耐えたり、無数の思い出がある。Img_3210

そして70歳を過ぎて、その思い出の道を71k辿っただけで、それはもう良しとすべきなのだ。

人は前を見て突き進むのも大切だが、時にはかつての景色を思い起こし、それを味わうのも良しとすべきだ。

 

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2019年5月21日 (火)

白州の森

腰の痛みに耐えかねて目が覚めると、外は強い風と雨であった。

その雨の中、やはり街頭に立ったのだが、遂に子供は一人も来なかった。Img_3211

学校が休みになった訳ではなく、親が車でみい~んな送っていったのである。

私は濡れそぼって子供達を待ったのだが・・・長靴に半分ほど水が溜まった頃、その重さに耐えかねて引き揚げた。Img_3212

レースから二日が経過したのに、やはり相当のダメージを残している。(完走していたら、更に重傷だったろう)

だが三日間も留守にしていたのだから、ブドウの管理作業は溜まっているし、ずっと動き続ける他ない。Img_3213

ところで野辺山からの帰り、今回は甲州街道を下って白州町のサントリーウイスキー博物館に寄ってきた。

八ヶ岳山麓の一角に八ヶ岳の花崗岩からしみ出す豊かな水を使って、ウイスキーやミネラルウオーターの工場がある。

この白州では水は無尽蔵の資源だし、それに新緑の自然林も美しくて、暫しの癒やしの時を過ごした。Img_3214

過度な運動をした後は、適宜のならしをしないと体が固まってしまうので、この程度の立ったり歩いたりは心地よいリハビリだ。

ウイスキー博物館なのに、見学したのは天然水の工場で・・・実は近年ではウイスキーは貴重になっている。Img_3215

ハイボールブームに加えて、日本ウイスキーの評価が高まって、慢性的な品薄だという。

ウイスキー工場に来てウイスキーが買えないのかと思ったが、何とか「白州」を一本ゲットした。Img_3216

ともあれ、広大な自然林の中にたたずむ蒸留所を訪れたなら、その味を知りたくなるのも自然というもの。

この白州の森には、そんな雰囲気が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年5月20日 (月)

その時

人は生まれた時からドンドン歳を取っていき、幾つものその時(人生の転換点)を越えていくのである。

これが女性なら、次第に女の情念を失って身もだえするような歓びも苦悩もなくなっていく。Img_3185

化粧も次第に雑になって、やがて歯が悪い、目も耳もと増えていって、いつしか認知症予防に努めたりする。

しかし男の場合、何時からが「その時」なのかが分かり難いのである。Img_3186

排卵(精子のなくなるのは何時だろうか? )も恋心も無くなる訳ではないし、老化を自覚するのは難しい。

確かに脱毛はハゲるに任せるしかないし、抜けた歯は二度と生えてこないが、だからって全てが老化ではない。

私がショックだったのは、先年自分が古稀を迎えた時だった。Img_3189

まさか自分が、そんな歳になるとは思っていなかった(???)のである。

平均余命は十五年前後しかないなんて、それがまさか自分のことだなんて・・・それが理解出来なかった。

それで思わず駆け出したいような気持になったのだが、さて何処に行くのかって又戸惑ったのである。Img_3190

ところで、こんなことを書き出したのは、何時まで100kを走ることが出来るのだろうかと言うことである。

普通に考えれば人間の体は歳と共に衰えて、何時しかヨボヨボになっていく。

「そんなはずはなかろう」と思っても、現実にはスピードは出ないし、関門時間が迫ってくる。Img_3191

トレーニングの方法(筋トレなど)を変えたらどうかという意見もあるが、もっと肝心なのは「その時」なのではないか。

今私は、100kマラソンを通じて、自分の年齢に真正面から向き合おうとしている。Img_3195

果たしてこれは高い壁なのか、這い抜ける隘路があるのかどうか・・・ってな事を考えていた。

 

 

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2019年5月19日 (日)

天気晴朗なれど風強し

数日前の雨予報は一転、雲一つ無い晴天になった。

体調も良いし、何一つ不足なく、今日こそは完走をとスタート地点に立っていた。

この八ヶ岳山麓も昨年の台風でかなり痛めつけられていて、例年走る林道が使えない。Img_3192

例年のコースは最高地点で2100m程まで登るのだが、土砂崩れで通行できないため大きく迂回するコースとなった。

結果として高い地点まで登らなくて良くなったが、その分山麓の大小のアップダウンを繰り返すことになった。Img_3198

楽なコースになったとの観測は見事に裏切られたのである。

それでも50k地点を6時間15分でクリアーし、後半への貯金を45分残していた。

計算上は完走できる位置に居た訳である。Img_3200

しかし実際には、62,7kを過ぎた辺りから変調を来した。

それは心の変調で、若々しい人達の筋力が羨ましくなったのである。

後ろから追いついてきて、私をドンドン追い抜いていく。

残念ながらかつてのように抜き返す力が無いのである。

何も、死ぬほどの思いをして完走することもないな・・・などと思い始めている。

それに65kから70kは、かなりきつい上り坂が続いていた。

更にその先には、難攻不落で知られる馬越峠が待って居てるのである。Img_3201

気持が萎えてしまうと、体中のあちこちが悲鳴を上げはじめていた。

いやさ、それは暑いとか寒いとか、足が痛いとか、靴が硬いとか・・・みんな言い訳なのである。

結局は惰弱な心に由来していて、「もう、十分走ったよ。良いじゃないか、完走できなくたって」が効いた。

71kのゴールが、今日の私の最終地点となった。勿論メダルはなしである。

 

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2019年5月18日 (土)

八ヶ岳の春

今年も、明日の野辺山100kマラソンのために、八ヶ岳山麓の松原湖に来ている。

流石に標高の高いこの地域の春は遅く、この時期になって一斉に春を主張しているかのようだ。

松原湖の周りを歩けば、カラマツの新緑に加え、カキツバタやチュウリップなどが一斉に咲いて、八ヶ岳に彩りを添えている。Img_3176

もう24年、毎年この時期にここにやってきているのだから、その年数分だけの思い出がある。

いや、ただ単にこの地を訪れたと言うのではなく、言うまでも無く一年に一度の大勝負に来ているのだ。

汗は勿論のこと、涙や苦痛、感激や感動、たかだか14時間のドラマに過ぎないが、それぞれ切実な記憶を残している。

そしてその記憶は、何時の間にか私にとって次第に質が深化し、今日まで積み重なってきている。

今年もここに来て、この四半世紀を思い起こしつつ、そんな感慨を深くしている。Img_3177

そう・・振り返れば、私が48才の時、初めてのこの100kマラソンに挑戦した。

だがその時には、「父危篤、直ぐ帰れ」の報が宿に届いて、急遽夜を徹して帰宅したのだった。

あれから、何と24年もの歳月が流れたのである。Img_3182

かつては若さに任せて、100kなど何のそのと走ることが出来たが、今では経験だけが頼りの苦闘のレースだ。

果たして完走できるものかどうか、(出来る準備は全てしたから)後は自分の気持との闘いである。

その勝負のレースを前にして、今は心静かである。

 

 

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2019年5月17日 (金)

夜は異なもの

子供の頃の夜は今よりずっと暗かったし、寝てしまわなければ怖かった。

子供というのは不思議な物で、寝る子は育つの道理で、眠れないなんて事は(記憶に)無かった。Img_2120

それが三十歳半ばだったか、突然来る日も来る日も眠れなくなったことがある。

ウトウトしたかと思うと汗をびっしょりかいて目が覚め、今度は何事かをグルグルと考えていた。Img_2126

胴回りにはブツブツと赤い斑点が現れて(ヘルペス)、風呂に入るととても痛かった記憶がある。

それは半月ほども続いた(今考えると、鬱病だった)のだが、それでもちゃんと生きていた。

元来私の睡眠時間は短い方で、大抵が7時間前後で、ぐっすりと眠るバターンだった。Img_2128

一日タップリ活動して、(夜が待ち遠しく)バタンキューって感じで、(春眠暁を覚えずで)ほとんど夜を意識したことがなかった。

しかし寄る年波の故か、夜の到来が些か苦痛になり始めている。Img_2131

近年では(やることがないから)俄然就寝時間が早くなって、9時過ぎにはベットに入ることが多くなった。

すると必ず小便のために起きなければならないし、それに夜長になって何本も夢を見る。

それは麗しく甘味な夢なら大歓迎だが、支離滅裂で脈絡のない夢ばかりなのである。Img_2132

しからば起きていようとTVなどを観てもおよそ詰まらない、「しょうが無い、寝るか!」ってことになる。

丑三つ時(二時頃)目が覚めると、階下では未だ電気がついていたりして、何だか昔(子供の頃)の濃い夜が懐かしくなる。

だが起き出すわけにも行かず寝ようとするが、今度は眠れぬ夜が待っているのである。Img_2134

昔なら、仕事のことやら将来のこと、或いは出来もせぬ夢など考えたのだが、昨今では思案するテーマがない。

而して支離滅裂な夢を見るという次第なのである。

こうやって私もだんだん年寄りになるのかなぁ~と思いつつ、若き日々の深々とした眠りを懐かしく思っている。

 

 

 

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2019年5月16日 (木)

人生五十年?

かつて(つい最近まで)人生五十年と言われた。

それが俄に人生100年時代と言うんだから、制度(年金)も心の準備もついていかないのが当然だ。Img_2113

現実に70歳の平均余命をみても、男15.6年女19.9年となっていて、

その余命も一年に0.4年ずつ伸びていて、10年先には4年伸びる勘定で、更に遺伝子治療や臓器移植と際限もない。Img_2114

或いは私の生きている内に、平均余命100歳が実現してしまうのではないかとも思う。

それはさておき、人間は50歳で一端死んだと思うべきではないかと考えている。

動物的に考えれば、二十歳で子供を作って育て、独り立ちするのがその頃で、Img_2115 Img_2115

だから女なら50歳で閉経するし、男だって筋力は激減する。

生き物としての役割は、五十歳までに大抵は終わってしまうのである。

それが昔の様にさっさと死ねば良い物を、役割を終えてもなお50年は生きろと言う時代なんだ。Img_2117

当然ながら、生きる目的だって変わってくるし、これまでの人類史上無かった「人生哲学」が必要になる。

孫やひ孫の面倒を見るのも歓びかも知れないが、果たして人間それで満足し得るのかどうか。

人生後半の五十年は、前半よりも遙かに長い。Img_2118

これは五十歳から新しい人生が始まると考えた方が、分かりが良いのではないかと思う。

現実に私の50歳以降の考え方も随分変わったし、五十歳から新たな青春が始まったのかも知れない。

そうして現在70歳と少し、(決してヨボヨボの爺さんではなく)人生を謳歌している真っ最中なのである。Img_2124

前半の50年の私と現在の私とではまるで違うし、自由奔放に生きているような気がする。

人生100年時代は、50年の(異なった)人生を二度経験することなのかも知れない。

 

 

 

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2019年5月15日 (水)

我意

育ちなのか性分なのか、人はそれぞれに個性を持っていて、その表現形もまちまちだ。

重みのあるひとかどの人物がいるかと思えば、中身のない空鉄砲のような人、遙として得体の知れない人。Img_3024_1

振り返ってみれば、随分様々な人と出会って、その中で揉まれて生きてきたのである。

私はと言えば、人の話を聞く事の方が多く、それで結果として多くを得てきた。

元来が内気だから、自己主張なんて出来る訳もなく、大抵はおとなしい人で通ってきた。Img_3025_1

それでも内面にはいつも秘めた気持があって、「頑張れ、頑張れ」と自分を励ましてきた。

本当のところは、何をどう頑張れば良いのか定かでなかったが「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」ってな気分だったな。Img_3050_1

そうやって70年以上も生きてくると、「まぁ~、これで良かったんじゃない」って思う。

世間には相変わらず虚勢を張って生きている人も居るけれど、無理することないよねぇと同情している。Img_3065_1

ところで「頑張る」とは、「我を張る」が転じた表現で、元々は「我意を張り通す」ほどの意味らしい。

私はいつも「正しいことを言う時には、控えめに」を鉄則にしているから、それは頑張ってこなかったことになる。Img_3072

我を張って生きてこなかった分個性(面白み)に欠けるのかも知れないが、そもそも「我」は相手あってのものだねだ。

ってな訳で、細君にも平身低頭、我意を殺して仕えている。

 

 

 

 

 

 

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