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2006年4月19日 (水)

歴史の常識

 愛知県豊明市に、今川義元の墓がある。永禄三年、「大国今川が、弱小の織田の奇襲攻撃で敗れた」とされているあの桶狭間の地と言われるからだ。しかし、織田信長の勢力は、そんなにも小さなものだったのかどうか疑問が提起されている。

 当時の国力は、米の生産高(石高)で決まっていた。それが人口を養うバロメーターであったからだ。今の静岡県、駿府と遠江には水田になる平坦地は極めて少ない。当時の今川の勢力圏からは、45万石しか取れなかったと言われる。

 これに対し信長の三河は、濃尾平野の穀倉地帯である。当時の領国の石高は、ゆうに40万石はあったと推測される。とすると、石高を比較する限りにおいては、極端なハンディキャップは無かったことになる。

 歴史は常に、勝者によって記述される。「知恵をめぐらせ、窮鼠猫をかむ奇襲で勝利を収めた。」と言うほうが信長の英雄伝説には好都合だったのかも知れない。その証拠にその後の信長は、奇襲のような負けるかもしれない戦はしていない。常識への懐疑、そんな目線を持った方が面白い。

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