田植と日本人
30年ぶりに田植をした。私の勤務する試験場の品種圃の田植である。数多くの品種を作るので、機械植ができない。そこで、人海戦術に駆り出されたという訳である。腰を曲げ一本一本手植えする作業は、想像以上の重労働である。日本人は二千年以上にわたって、この労働に耐えてきた。
中国の長江下流域からこの列島に稲作が伝わったのは、縄文時代だろうか。以来それまでの採集狩猟中心の営みから、土地を耕す文化が広がった。考えてみれば、低地に水を引いて泥田を作って苗を植えるなどは、随分風変わりな農法である。でもその農法が、このモンスーンの地域にあっていた。
何故、ヨーロッパのような畑作や牧畜にならなかったのか。・・・多くの疑問が残るが、田のできる土地は限られていた。限られた土地から、可能な限り収穫を増やす工夫。それが手植えであった。
命の糧を生み出す田。その貴重な財産を、人々は命を懸けて守ってきた。まさに一所懸命である。ほんの少し前まで日本の文化のルーツは、集団的稲作にあると言われていた。しかし今、水田農業は機械力を駆使した大農方式に変わりつつある。そんな日本人の、ルーツに思いをはせながらの田植となった。
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