« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006年6月30日 (金)

ヘソの周り

 江戸城の外堀は、総延長26kmもあった。しかし今はかなりの部分が埋め立てられて、JR線や地下鉄、道路、繁華街になっている。そして私達に最もなじみ深いのは、皇居を囲む内堀である。この内堀は、南側の外苑部分を除いても5kmに亘って続いている。Cimg0162

 その内堀を、朝も昼も、夕方も多くの市民が走っている。おそらくは、千人は軽く超えるのではないか。都心部で、信号に邪魔されないで走れる最長のランニングコースかもしれない。距離も、ジョギングとして全く手ごろだ。それに羨ましい限りなのは、この周回コースそのものが生きた歴史めぐりに他ならないことだ。事実、桜田門外の変以降の近世の歴史は、この堀の周りを舞台にして展開してきた。

 私は長年、静岡の駿府公園の内堀を走ってきた。駿府城の内堀は1.7kmに過ぎないが、堀を左に見ながらの周回は実に快適だった。桜の花や青葉の繁み、木枯らしと落葉、カルガモの成長など、一年中その季節感を楽しむことが出来た。桜の花弁が水に落ちて堀一面が桜色に染まる頃など、こんな贅沢をして良いのだろうかと思いながら走ったものだ。

 ところで人は普通、左を内側にして動くのだそうだ。皇居の周りを走る人たちも、多くが左回りに走っている。まれに、時計回りに走る人がいる。恐らくは、特別な目立ちたがりか心臓が右側にある人だろう。ともあれ皇居の内堀は、駿府と比べるべくも無く稀有壮大である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月29日 (木)

この国のヘソ

 東京での会議の後、皇居の東御苑に立ち寄った。喧騒の表通りから堀を渡ると、そこはなう静寂の世界である。観光客が押しかける訳でもなく、思いを江戸の昔にゆったりと歩くことが出来る。整然と狂いの無い石垣に、300諸侯の複雑な思いを感じたりもする。Cimg0159

 東御苑には、大手門、平川門それに北桔橋門から入ることが出来る。大手門を入ると、いきなり百人番所がある。江戸期にはここに、甲賀組、根来組、伊賀組、甘五騎組の同心が交代で控えていた。掘割から都心を臨むと、この時代のコントラストが絵になって現われる。広々と静まり返った御苑と、そんな空間の存在すらも知らぬげに、激しく動き続ける都市空間。そんなギャップのゆえに、「ここはこの国のヘソ(中心)だ」と妙に実感してしまう。

 天皇をこの国の統治の中心にすえたのは、明示の太政官政府、とりわけ大久保利通である。九州から北海道まで、余りにも国情の異なるこの国を、このヘソで統治しようとしたのだ。

 ところで江戸城の天守は、あまり知られていない。実は、三代将軍家光の時代に焼失して以来再建されていない。太平の世に、天守など必要ないと言うことであったろうか。現在は天守台だけが残っていて、焦げた石垣が400年前の火災の名残を今に伝えている。Cimg0160

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月28日 (水)

趣味に遊ぶ

 仕事や家庭と同じように、人は趣味を大切に育てるべきだ。だから趣味のための投資は、惜しんじゃいけない。40歳を過ぎたあたりから、そんなことを考えるようになった。50歳を過ぎても、趣味が七つ数えられないようでは、その人生は危ういと思ってきた。

 私の二十代や三十代を振り返ってみると、高度経済成長の只中である。毎日が、すべて仕事でしか無かったような気がする。とにかく、夢中で過ごしてきた。その頃趣味を問われれば、マージャンにパチンコとしか答えようがなかっただろう。趣味の意味すら、考えることも無く過ごしていた。

 履歴書に、趣味を記載する蘭がある。趣味を尋ねれば、どんな人間がおおよそ見当がつくからだ。今の私ならその蘭に、マラソン、ブドウの栽培、書き表して発表すること、そして司馬遼太郎と書くだろう。その他にも、色々な所に出かけたりして何でもやってみることにしている。だけど心底楽しんでいるのは、その四つだろうと思う。Cimg0156

 趣味にのめりこむと、毎日わくわくして過ごすことが出来る。その趣味によって、人は人生観を変えてしまうのだ。もっと趣味を育てたい。望むらくはこれからも、自らの好奇心に忠実に生きて見ようと思っている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月27日 (火)

酪農発祥の地

 下田の玉泉寺は、日本の酪農発祥の地とされている。アメリカ領事のハリスに、牛乳を飲ませたのである。それまでこの国に、牛の乳を飲むなどと言う「奇習」は無かった。ところがハリスのたっての要望であり、奉行所は止む無く和牛の乳を搾って提供した。記録によると、その値段が法外なものだった。約一升の牛乳に、壱両三分が払われたと言う。なんと、当時の米二表にも相当する。

 実はハリスは、安政三年の下田着任早々牛乳を求めている。しかしむべも無く拒絶され、それではと母牛を要求している。自分で搾乳しようとしたのである。これも、奉行所は拒絶している。当時の役人にすれば、牛の乳を飲むなどと言うことは、信じ難いことだったのだろう。

 ところが、ハリスが江戸城での将軍家定との対面と演説の後、体をこわして寝込んでしまう。幕府の蘭法医派遣によつて事なきを得たのだが、ハリスはこの時薬として牛乳を求めたのである。その和牛の乳が、我国における牛乳販売の始まりという訳だ。Cimg0152

 やがて牛乳が滋養に富むことが知られ、伊豆の田方(函南)地域で 本格的な酪農が始まることになる。日本人が、普通に牛乳を飲むようになるのは戦後になってからだ。たが、牛乳を飲む文化を最初に伝えたのはハリスだったのだ。今、玉泉寺の境内には牛乳の碑が建っていて、ハリスと牛の乳の故事を伝えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

幕末の下田

 仕事で下田に出かけた。帰りの電車に少し間があったので、近くの玉泉寺に立ち寄ることが出来た。玉泉寺は、1856年タウンゼント・ハリスが、日本で最初のアメリカ領事館を開設した所である。ハリスはオランダ語通訳のヒュースケンと共に、麻布に仮公使館のできる1859年までこの地で暮らした。Cimg0148

 ハリスの滞在した3年余の間、この下田の地は幕末動乱の策源地であった。吉田松陰の渡海未遂事件ばかりでなく、日本政府の外交通商部とも言うべき下田奉行所や欠乏所(物資取引所)の建設、安政の大津波で破壊された堰堤の修復など、蜂の巣をつついたような騒ぎであったと言う。その間、ロシアのディアナ号や英国の艦隊が通商を求めて次々と下田に来航している。Cimg0151

 当時の国際情勢は、極めて緊迫したものだった。1858年の英国によるインドのセポイの反乱鎮圧、英仏連合軍による清国の制圧などがあった。シーソーゲームに乗り遅れたロシアは、ニコライ一世の死去もあって相当に焦っていた。そうした背景のもとでハリスは、それでもかなり冷静に動いていた。結果として安政五年(1858)、品川沖のポーハタン号の船上において、日米修好通商条約が締結された。調印が終わると同時に、二十一発の祝砲が江戸湾にとどろいたと言う。

 幾分、歴史家を気取るようなところのあったハリスに、日本は救われたのかもしれない。そのハリスが下田を離れると共に、下田の地は元の静かな寒村に戻った。だが下田の喧騒は、その後の明治維新までの十年の先駆けに過ぎなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月25日 (日)

人生の価値

 どんなに虚勢を張って生きてみたとしても、生きられる時間は所詮限られている。人にはみんな、一日24時間が与えられている。でも、時が走り過ぎて行ってしまう人もいるし、充実して過ごす人もいる。一人ひとり、時の重みがみんな違うのだ。Cimg0076

 人生に、もとより意味なんてない。だから自分の時間を充実させて、自分でその意味を創っていくしかない。そして自分の人生を創るには、とにかくあれもこれもやって見ることだろう。二歩も踏み出すことが出来れば、人生の景色が変わってくる。開けてくる新しい分野、その連続が人生なんだろう。

 立ち止まっていても、仕方がない。とにかく、何でもやってみよう。何でも見てみよう。目をつむってしまっては、君の人生が眠ってしまうだけなのだから。「いのち短し、恋せよ乙女」なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月24日 (土)

初夏の稔り

 梅雨の中休みで、しばしの晴間である。今日は一人、桃の袋掛に精を出した。ブドウの世話に手一杯で、しばらく見ないうちにもう桃色を帯び始めている。この手の作業は、ひたすら黙々と進めるほかない。Cimg0147

 これからの10日間、桃は一気に大きくなって色づく。それを狙って、ドウガネブイブイやカブトムシ、それにヒヨドリが集まってくる。ハクビシンもやってくるが、あの獣は梨とブドウが目当てである。私も含めて、皆初夏の稔りを待っているのだ。

 ところで落葉果樹は、おしなべて季節感にあふれている。それにブドウを除けば、あまり人手を必要としない。だからブドウの他にも、桃や梨(豊水、幸水、二十世紀)、梅、柿、キウイフルーツ、ブルーベリー、サクランボ、クリを育ている。かつて育てていたリンゴとイチジク、それにプラムは、カミキリムシに枯らされてしまった。病虫鳥獣害と戦うことが、毎年の栽培と言ってよい。そんな訳で、袋掛けは必須の作業である。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

役に立たないこと!

 「走ることに、何の意味がある?] とよく言われる。「苦しいだけじゃない。何が楽しいの? 中毒なんじゃない。」と言った調子である。だが、そんな一見無駄に思えるようなことにこそ、実は人生にとって大切な意味があったりするものだ。走ることが無駄なら、ゴルフなどもっと無駄だし、いわんやテニスなど唯の球の打ち合いに過ぎない。何も生産したりはしない。つまり、人間の生存そのものが無駄になりかねない。Cimg0146

 私達は、無理・無駄・ムラを無くすのが、正しいやり方だと教えられてきた。確かに、そのことが生産性を上げるのに大いに役立った。だが、それ以上の発展はない。もともと日本人は、遊び心の先達であった。茶の湯はもとより、俳句や和歌、生け花だってそうだ。そうした遊び心を捨て去って、カネカネとやって来たのが近頃の日本である。でも、無駄がなくなってしまうと、車のハンドルと同じように活力や進歩が失われていく。

 実は、遊びから学ぶことが沢山ある。役に立ちそうもないことに、熱くなってみること。ちょいワルおやじが流行っているらしい。良くは分からないが、偽善者になるよりはましだ。遊び心を楽しむ国でありたい。人間というやつは、意味があるか否かよりも、充実しているかどうかのほうが大切なのだ。ライフスタイルを充実させよう。時には羽目をはずして、役に立たないことを懸命にやってみよう。何かが見えてくるはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月22日 (木)

初夏の色付き

 早生ブドウに、ほのかな色が見え始めた。ブドウの世話をしていて一番うれしい瞬間が、最初に色付きはじめた房を見つけたときだ。片思いだった彼氏にジッと見詰められて、ポッと顔を赤らめる乙女のような処女性を感じてしまうのだ。Cimg0145

 寒い時期には、剪定に土作り、春になって芽を出せば芽かきに誘引、実が着けば房の整理に摘粒と、随分と熱心に世話をしてきた。特に摘粒は、一房ごとに多すぎる粒を抜き取る根気の要る作業だ。この気の遠くなるような作業が、ほぼ一ヶ月間は続いた。

 摘粒作業が終わったのは、つい一昨日のことだ。それなのに、気がつけばもう早稲品種が色付き始めている。このサマーブラックが熟れ始めると、じきに甲斐美嶺、水峰、ピオーネと続く。

 何故、こんなにも嬉しいのだろう。ブドウは、豊穣のシンボルだ。その豊かな実りを、毎日眺めて独り占めしているからだろうか。それにしても、毎年キチッと沢山の房を稔らせるブドウの樹は立派だ。それに比べ私達は、毎年どれ程の成果を成し遂げているだろうか。九州南部は、もう梅雨明けだそうだ。もうすぐ、本物の夏がやってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月21日 (水)

放射線の利用

 光は、波長の長さによって呼び方が変わってくる。長いほうから、一般のラジオで使う中波。短波放送の短波。FM放送の超短波。テレビUHFや携帯電話で使う極超短波。レーダーのセンチ波。ここまでが電波の仲間である。

 さらに波長が短くなると、サウナ風呂で使う遠赤外線、テレビのリモコンで使っている赤外線。それから殺菌灯で使う紫外線。そして、レントゲンなどで使うX船になります。もっと短くなるとガンマ線になります。このX線とガンマ線を電磁波と言います。

 さらにまだこの先があるのです。波とは言わずに、粒子線と言います。この仲間には、夜光塗料に使うベータ線、塗装の高速乾燥などに使う電子線、PETで使う陽電子線、煙探知機に使うアルファ線、半導体の加工に使うイオンビーム、非破壊検査などで使われる中性子線、オーロラ発生の源になる宇宙線です。

 何が何だか分かりませんが、とにかく放射線にも色々あるのです。それに放射線は普通の自然界にも存在していて、宇宙空間、大地や空気から私達は宇宙線を浴びている。人工的に発生させて、その放射線を利用しているのが人間ですね。Cimg0143

 農業でも使っています。新しい品種を作るために使うのです。ガンマ線やⅩ線,そして最近では加速器でイオンビームを発生させます。これを植物に照射して、突然変異を起させるのです。もともと植物は、太陽からの放射線で突然変異を繰り返してきました。そうして、自然環境に適応できる固体だけが生き残ってきたのです。そうした仕組みを、加速して利用しているのです。

 今日は、良く分からないことを書いてしまいました。でも、光がなくては、私達が生きていけないことだけは確かです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月20日 (火)

中国経済とエネルギー

 中国は、2000年から2020年までの間にGDPを4倍にすることを、国家目標として掲げている。計算上、年率7%の経済成長をすればこの目標に届く。しかし現実には、年率9%もの成長を続けている。13億人もの民衆の物への渇望が、その成長を支えているとしか思えない。

 問題は、成長を続けるために必要なエネルギーの確保である。中国の石油需要は、ものすごいスピードで拡大している。そしてその消費量は、既に日本の石油消費量を超えてしまった。工業だけではなくて、自家用車の爆発的な増加も続いている。いずれ、エネルギーの枯渇が起こりかねない。

 需要拡大の一方、エネルギーの供給は拡大していない。アメリカも英国も、生産量が減っている。ロシアも、ガスの供給で関係国と問題を起している。まさにエネルギー資源は、高度な戦略商品になろうとしている。人類は、成長とかぎられた資源の分配と言う、難しい問題に直面しているのだ。Cimg0142

 当然中国は、国家戦略として資源確保対策を進めている。ロシアやアフリカなどへの資源外交、そとて山峡ダムの完成。日本との間でもめている東シナ海のガス田開発だってその一端だ。日本に出来ることは、省エネ技術の供与くらいしか無いらしい。そして、中国の後には人口10億のインドが続いている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

ある事業所の衛生委員会

 友人から伺ったある職場の話である。従業員50人以上の職場には、労働安全衛生法で「衛生委員会」の設置が義務付けられている。労働環境を改善していくために、産業医による職場巡回や衛生講習会、喫煙や熱中症対策など、なかなか広範囲で有益な活動を進めている。当然のことながら、重要なことだ。

 ところで7月は、労働安全衛生月間である。それで衛生委員会が中心になって、月間推進のためのスローガンを決めることになったそうである。そして委員会の決めたスローガンは、「キッチリ仕事 休みはのんびり」だったと言う。それを聞いて私は、「体が相当きついんだな」と同情する一方で、「・・・、確かにそれは大切なことだが、しかし・・・」と考え込んでしまった。

 私達サラリーマンにとって、休日の過ごし方は大変重要な意味を持っている。人生観にもよるけれど、その人の人生を決めてしまうと言っても良いだろう。「のんびり」の中身しだいかも知れないが、ごろ寝とテレビののんびりで、果たしてリフレッシュ出来るのだろうか。あるいは、気分転換になるのだろうか。Cimg0141

 私は、逆だと思っている。休日にこそ、普段出来ないアクティブな活動をすべきなのだ。スポーツや観劇、農作物の栽培、○△の会への参加、第九を歌おうでも良い。休日は、平日とは全く異なった過ごし方をすべきなのだ。のんびりしなかったから疲れた、なんてことにはならない。むしろスッキリと気分転換が出来る。犬だって、散歩を待ち望んでいるじゃないですか。皆さん、アクティブな休日を試してみませんか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月18日 (日)

ひと時

 梅雨空が続く。それでも走る仲間達は、山に集まってくる。今日も雨の中、12km余の尾根道を登ったり駆け下りたりと、午前の日課を終えた。走り終えた後は、みんな開放的な気分になって雑談に花が咲く。それも今日は傘をさしてである。今日の話題は、ある仲間のことである。Cimg0139

 礫層でできている小笠山の尾根道は、普段はとても乾燥している。だから、乾燥にきわめて強い姥目樫の林になった。しかしこの梅雨時ばかりは、違った様相を呈する。雨を待っていた雑草、特に笹が一斉に伸びだすのだ。これが走路を覆って、走りづらくなる。その笹を雨の中、一人の仲間が黙々と刈っていた。彼は草刈のためだけに、朝早くから山にやってきたのだ。

 薙ぎ払われた笹は、緑の絨毯を敷き詰めたかのように走路を鮮やかにしている。ササユリが雨にぬれている。山全体に薄霧がたちこめて、白と緑のコントラストは印象派の絵画のようだ。ウグイスやオオルリ、ホトトギス、ジュウビタキなどが、鳴き競っている。一人寂しく、雨に打たれて走ってる訳じゃないのだ。

 みんなで励まし、支えあって走ってきた。この尾根道を、もう既に15年走っている。でも姥目樫の林は、少しも変わることがない。もう15年しても、おそらく変わることはないだろう。私達は、そんな悠久の自然と、仲間の輪の中で生きている。何時もより快適な走りが出来たことを、彼に感謝しよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

庚申様

 今、庚申様から帰った。昔から集落の組ごとに庚申様があって、60日に一度会食する慣わしである。私の子供の頃は、お膳が家々を回ってきて、我が家が当番となると朝から準備に大変だった。油揚げやサトイモを煮付けたりして、当時のご馳走を作るのだ。終戦後間もない頃で、食べるものも満足になかった。でも当番のこの夜だけは、その家の威信をかけて準備をした。集落の結束は、実はそんなところから始まっていた。Cimg0136

 今日の庚申様は、公会堂でやる。かつて回ってきたお膳も朽ち果てて今はない。残っているのは、猿田彦の掛け軸と、足つきの飯盛椀だけである。これで近所衆が集まって、家内安全・五穀豊穣を祈る。と言うことをいい訳にして、親睦を図ろうという次第である。これが江戸時代以来、延々と続いている。Cimg0137

 もとより庚申信仰は、中国の道教に由来している。人間の体内には「三し虫」がすんでいて、この虫が60日に一度庚申の度に天国の神様にその人間の行状を報告に行く。その報告によって、その人の寿命が決まると言うのである。しかもこの虫は、夜眠っている時に体から出て行く。だから庚申の日には、眠ってはいけないし、もちろん同衾してはいけない。仮にこの日の行為によって子供が出来たなら頭の悪い子になると言うのである。

 だから人々は、 この日は集まって夜通し酒を飲むことにした。今も全国に庚申堂があって、庚申待ちのお参りがある。何のことはない。庶民信仰は、助け合いの輪を広げるための会を創造したのだ。あるいはそれが、庶民の知恵だったのかもしれない。今、隣に誰が住んでいるのかも知らない時代だ。成熟社会の到来と共に、あらたな庶民信仰=コミュニティー創造が必要になっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月16日 (金)

東京一極集中のくびき

 久しぶりに、東京に出かけた。東京という所は、猛烈な勢いで様相を変えていくところだ。僅かの期間に忽然と新しいビルが建ち、品川駅や秋葉原駅にしても見違えるようになっている。秋葉原から筑波エキスプレスに乗った。筑波研究学園都市と東京を結ぶ、高速鉄道だ。沿線の駅には、ニョキニョキとビルが立ち上がりつつある。筑波まで、東京が繫がってしまうかのような勢いである。

 何故東京だけが、こんなに膨張していくのだろう。それはこの国の神経中枢が、すべてここに集まっているからだ。筑波だって、首都機能の分散が目的だった。ところが何時の間にか、東京の一角になっているではないか。

 「奈良の都は咲く花の 匂うがごとく今盛りなり」 平安奈良時代は、中国から取り入れた先進文化でこの国をリードした。律令制度は、その文化を背景に一極集中を制度化したものだ。その後の時代は、地方割拠の時代だ。戦国はもとより、江戸時代だって参勤交代はあったにせよ、領国は独自の行政が行われた。文化も学問も地方でこそ発展した。軍隊だって地方ごとに存在したわけで、だからこそ幕末の明治維新という革命が成立したのだ。

 ところが明治以降の政府は、産興業をはじめ遅れた日本の復興のために、遮二無二この国の頭脳を一つにしようとしてきた。政治・行政はもとよりり、産業も教育もすべからく頭脳の部分は東京に集中させてきた。今日、○△協会などの全国レベルの産業組織で、東京以外に本部を置く組織はないだろう。関西が本拠であった繊維関係の団体ですら、日米繊維交渉の際東京に本部を移している。

 神経は、すべて東京に集中した。だから地方で痛いと言っても、それは感じられなくなっている。三位一体改革も、何時の間にか誤魔化されようとしている。だからと言って、手足が頭脳に反乱など起しようもない。手や足が自立する方法は、所詮あるべき筈もない。だが今、私達にはそれが求められている。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月15日 (木)

農工連携って何?

経済産業省が「地域クラスター」などと、何だか訳が分からないような事を言っている。「東京の官僚主導ではなくて、地域で勝手に工夫して産業(クラスター=房)を起してみろ。」と言うことだが、これが今流行っている。それで何をやっているかと言うと、産学官や異業種が集まって研究会をやる。違った分野が付合う事で、新しいイノベーションが起こるだろうと言う訳である。

 その流れが、農業にも波及している。農工連携研究会とか農工交流会、バイオマス研究会などが盛んに開かれるようになった。昨日もその一つに出席したのだが、熱心な勉強とは裏腹に別の議論もある。今更、一体どうしようと言うのか。トラクターにしろ農薬や肥料・生産資材すべからく農工連携の賜物ではなかったのか? ・・・・・と言う疑問である。Cimg0133

 にわかづくりの農工連携には、幾つかの時代背景がある。一つはも農業の業態が激変していることにある。就業者がどんどん減って、生産構造を変えなくては生産が維持できないところまできている。構造改革には、工業のノウハウが不可欠だろうと言う次第だ。第二には、工業側の野心がある。新たなベンチャーとして農業に参入できないか、はたまたマーケット創造への思惑である。

 そして三番目は、農工業ともに技術開発が行き詰まっていることだ。大学も研究機関も企業の研究者も、次の目標を定めかねて立ち竦んでいる。製造業に関しては、ITやデジタルなどと確かに高度な発展をしているように見える。だが研究者にとって見れば、手の平の上に乗る技術開発は既にやりつくしている。生産性の上で遅れているのは農業だ。だからここに、研究開発の余地を見出そうと言う思惑である。大変結構で、必要なことなのだが・・・・思いは複雑である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月14日 (水)

思いでのワールドカップ

 日韓共催のW杯は、もう四年前になってしまった。静岡で開催されたあの3試合とも、私はエコパスタジアムで過ごした。特別熱烈なサッカーファンだからと言う訳ではない。ボランティアの一人としてである。世界中が熱くなるワールドカップなるものを、身近に見ておきたい。そんな下心からであったが、裏方として得がたい体験をすることが出来た。

 実はボランティアは、エコパ会場だけでも千人近くが参加していた。そうしてその業務も、交通案内やら通訳、観客誘導、インフォーメイション、手荷物チェック、マスコミ対応まで多岐にわたっていた。ボランティアの訓練も前年の9月から始まって、ロシア語やスペイン語の学習、接客マナーなど業務に応じた研修が行われた。Cimg0135

 私は、メインスタンド裏側のインフォーメイションを担当することになった。そうして、事前訓練もJリーグのジュビロ戦を研修の場に繰り返し行われた。気の小さな私などは、この実戦訓練ですっかり落ち込んでしまった。若い女性から「言葉使いがなってない! 。座り方が悪い。顔で威圧するな! 客は金払ってきてんだ・・。」などと、一挙手一投足にわたって厳しい言葉が投げつけられる。自分ではそれなりに紳士のつもりであったのに、これにはすっかり自信を失う羽目になった。

 本番では、怪我人や迷子、落し物、座席をめぐっての苦情処理、チケットをめぐるトラブルなど、ぐっしょりと汗をかきつつも、無事にしのぐことが出来た。何語か不明な言葉でまくし立てられたこともあったが、それとても今では不思議な思いでになった。と言う訳で、ピッチでどんな試合が展開されたかも知ることなく、私のWCはアッと言うまに終わってしまった。でも、何物にも代えがたい喜びもあった。ボランティア仲間達との、心温まる出会いである。

 このW杯が契機となって、静岡国体や浜名湖花博へとボランティアの活動の輪が広がっていく。ともあれ、一生懸命練習したロシア語は使うこともなく終わったが、W杯のボランティアは一生に一度しか出来ないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月13日 (火)

縄文人の悲劇

 この日本列島の先住民は、縄文人のはずですね。でも縄文時代の遺跡は、ほぼ静岡県以北でしか発掘されていません。中四国や九州、近畿には存在しないのです。一体、どうしてなんでしょうか。縄文人は、列島の北側半分にしか住んでいなかったんでしょうか。Cimg0132

 青森の三内丸山遺跡は、今から5500年から4000年前の大集落跡です。縄文時代の人口を想像するなら、大集会場を備えて近郷の集落を従えた都市と言えるかもしれません。しかも、住居はもとより、漆塗りや焼物、編物など高度な文化を持っていたと考えられています。その都市がBC2500年頃に最大規模に達し、その500年後には消えてしまうのです。ポンペイの遺跡はベスビオ火山の大噴火で埋もれてしまうのですが、三内の縄文人は何故消えてしまったのでしょうか。Cimg0122

 縄文時代の晩期には、大陸から渡来人と共に稲作が伝わってきます。否、伝わると言うような生易しさではなかったと思います。照葉樹林を基盤とする縄文人の生活と、森を切り開いて水田にしていく文化とは相容れないものだったからです。当然のことながら、インディアンと白人のような、生活基盤を賭けた戦いが起こったはずです。

 静岡市の東部に『草薙』という地名があります。あの大和武の神話に「クサナギの剣」が出てきます。私はこの神話から、縄文人征伐の最前線を連想してしまいます。何故なら、近くに弥生時代の登呂遺跡がありますし、このあたりから北部が当時の稲作の北限地と想像されるからです。縄文人は、水田農耕の広がりと共に、北へ北へと追われていったのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月12日 (月)

Myブドウ

 毎日、九品種のブドウを可愛がっている。品種によって、それぞれ樹勢や果実がみんな違う。大粒なものや小粒なもの、黒や赤・黄緑と果実の色も違う。人間の顔かたちや性格が異なるように、ブドウもその遺伝子によって自己主張の仕方が違うのだ。Cimg0130

 この時期は、花が終わって結実し、果実の肥大時期である。だから、梅雨空の下でもすごい勢いで粒が膨張している。何時主の水ぶくれなのだが、見掛けはブドウらしくなってきた。早稲品種はもう20日もすると、乙女がポッと顔を赤らめるように着色を始める。

 春先に芽を出して以来、日々新しい成長を遂げて見事な房を付けた。もちろん彼らの成長は、摘芯や摘粒、かん水など、日々の私の働きかけの結果である。否、彼らとの共同作業の成果だろう。そうではあるが、彼らの実を結ぶという確実な表現力と実行力にはかなわない。ブドウという植物の着実な仕事の前では、私は単なる補助者でしかない。

 ともあれ、植物は可愛がればそれに見合った結果で応えてくれる。植物が、芽を出し葉を茂らせ実を稔らせる。そんな営みを、毎年確実にやってのける。私達は、そうした植物の営みに支えられて生きている。勢ぞろいしたブドウの房が、私に「あなたの今年の稔りは、如何ですか?  」と問いかけているようである。私の稔りは、はたしてどんな具合になるのか。彼らに遅れをとってはなるまいと思うのだが・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月11日 (日)

ササユリ

 里山に清楚な姿を見せて、ササユリの花が盛期を迎えている。か細い茎に笹のような葉、体全体に野生的なにおいを感じさせる。その体に、淑やかで可憐な花を咲かせる。少しも派手さのないそんなササユリが、私はことさら好きである。Cimg0129

 ササユリは、人間の営みとのかかわりの中でしか生きられない。荒れた山に、育つことはないのだ。人間が下草刈りをするような、路傍や入会地に生える。だから、人々が足を踏み入れなくなると絶えてしまう。かつて、山と人間は密接にかかわって営まれていた。「お爺さんは山に芝刈りに・・」といった生活はどこにもあふれていた。

 私が毎週末を過ごす小笠山は、かつてユリの山と言われた。江戸時代には十文山と呼ばれ、入山料十文を払って薪炭材を採取したからである。電気もガスも無い時代のことである。薪は、人々の生活の必需品だった。小笠山は、芝刈りの山だったのだ。かくして、この時期には小笠山全山にササユリの花が咲いた。そして秋には、マツタケの山となった。

 今、ササユリの咲くのは、山の尾根道沿いだけになった。送電線の維持のために適度な管理がされているからだ。雨の中、今日もこの尾根道を走った。ササユリが雨に打たれてツヤツヤと、命の輝きを教えてくれているような気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月10日 (土)

時代を創る力

 人は自分の脈拍で速さを感じ、体温で寒暖の尺度を決めている。自然の摂理である。人間の作った組織でも、その中にどっぷり浸かっていると、その組織にとって都合の良いことしか考えなくなる。それに、自分の組織は永遠に続くものだと、錯覚したりもしてしまう。最近のように銀行や市町村の合併が身近にあっても、それが自分のことだとは思いたくはない。

 時代は、一つ所に止まってはいない。一時的な爬行はあったとしても、川下に向かって確実に流れていく。堀江や村上も、泡沫に消えるその一瞬の泡に過ぎない。

 問題は、自分自身だ。自らの存在をどこに見出していくのか。みんな必死になって、自分を探している。諦めや打算では、環境は変わらない。せめて自分が、正義と信ずる道を歩むほかない。

 自分の職場の役割、そしてその置かれた環境を考えている。顧客やニーズ、市場規模も、当然のことながら激しく変わっていく。その変化に応じて自らを変え、新しい時代を創る力になりたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金)

瑞穂の国の日本人

 昨日、日本列島のほとんどが梅雨入りしました。日本人は古の昔から、この時期に田植をしてきました。シトシトと降る雨のお陰で、代掻きや田植が出来ます。それとは逆に、この時期に収穫期を迎える麦にとっては、全く不都合な雨になります。欧米の農業が小麦と牧畜を基本にしてきたのに対し、日本列島の農業は水田稲作を基礎にしてきた。その訳は、この梅雨にあったのです。

 よく考えてみると、この日本の農法は相当に特異なものといえます。何故なら、苦労して水を引いて、土をドロドロにこね回して、そこに稲の苗を手植えする。大変な重労働の連続です。一方、ミレーの絵(種まく人)を思い出してみてください。あの種を蒔く彼らと比べると、日本の農法は特別なものだと感じるでしょう。Cimg0128

 この水田農法は、狭い農地から多くの収穫を得るための民族の知恵だったのです。それに水田には、畑のような嫌地という現象はありませんから連作が出来るのです。だから、作付地を換えていく必要もありません。一ヶ所に定住して、生活を営む基礎が水田だったのです。

 日本人は、この水田を切り開くために大変な努力を続けてきました。その証拠に、新嘗祭を始めとした皇室の主な行事も、この稲作がベースになっています。それにもちろん、全国各地の秋祭りも米の収穫を祝うものでした。でも今日の日本人は、米を一年に60kgも食べません。その代わりに小麦や大麦を一人当たり58kgも輸入して食べているのです。あまりにも不自然な生活ですよね。今日の技術では、米だって立派なパンになるのです。何とか、民族の新たな知恵を編み出す必要がありそうですね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月 8日 (木)

古道をたどれば

 チャリンコの効用は、少しばかり日々の生活臭に近くなることだ。今は余り使われなくなった小道を辿ることで、思いがけない事や物が見えてくる。道端の草花や植込み、古びた橋や火の見やぐら、子供達を見送る親達の顔、小川の流れや建物の移り変わりなどである。

 もともと道は、集落から集落をめぐって町に通じていた。大和から難波に通じていた奈良時代の古道のように、産業通商道として切り開かれた道はむしろ希だった。なぜなら、強大な勢力を持つ豪族や政府の存在がなければ、広域道の整備など不可能だからです。もともと道は、必要に応じて必要な人々の手によって造られてきたのです。

 今日の人々は、そうした汗と歴史によって造られた古道を、区画整理や土地改良によって削り取ってしまった。次々とバイパスが出来る傍ら、ふるさとの古道は消えてきたのです。しかし、集落に沿って続く道や山中を抜ける小道が、各地にまだ少しばかり残っている。そんな古道をチャリンコでのんびりと訪ねてみると、いにしえの人々の生活のリズムに思いが飛んで、今を考える自分がそこにいたりする。

 そうした故郷の古道を探してみませんか。走りすぎるだけが、人生ではない筈ですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 7日 (水)

ママチャリ

 原油価格が、高値を離れない。S48の第一次石油ショックの前は、一バーレル3$だった。それが70$前後で推移している。大不況にでもならない限り、下がらないだろう。原油の供給よりも、需要の伸びのほうが大きいからだ。お隣の中国は、この20年間にGDPを4倍にすることを国是としている。そして、それをはるかに上回るスピードで成長を続けている。

 少しでも、省エネに努めるべきではないか!! そこで試みに、チャリンコで職場に行ってみることにした。埃まみれの年代物のママチャリを引っ張り出して、薫風をきって走るのも心地が良いのではないか。と言う次第で、鼻歌を歌いながらペタルをこぐ。田園を抜ける道は、実に爽やかなものである。Cimg0127

 ところがである。車の多い街中では、歩道を走るほかない。この歩道が、どうにもしようがない。歩道の切れ目がやたら多い。そうして、その切れ目の度に大きくバウンドして、尾骶骨にググッと響くのだ。筋肉豊かな若者ならまだしも、こちとらは骨川筋右衛門なのだ。

 日本の歩道は、とても自転車で走るようには出来ていない。そんなことに改めて気付くことになった。それに沿道の女性の目が気になる。否、注目されるのは良いのだが、「あの人なんなのかしら?」といった目線なのである。オジサンが、自転車に乗って何が悪いのか・・・・!

車が当たり前の時代になって、一家に何台もあって下駄代わりになっている。中国の13億人、さらにはインドの十数億人が、この風景と同じような生活をするとしたら、石油など幾らあっても足りないだろう。皆さん!、勇気を持ってチャリンコに乗ろう。そして、日本の歩道を自転車の走りやすい道に変えよう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月 6日 (火)

通勤時間考

 この四月から、通勤時間がなくなった。車で15分程のところに勤務するようになったからだ。思えばこれまで25年近くに亘って、一日三時間も通勤に費やしてきた。一年では800時間、25年通算では2万時間にもなる。途方もない時間を、電車の中で過ごしてきたことになる。

 知人は「近くなって良かったですね」と言ってくれる。一面では確かにその通りなのだが、これまでの通勤時間が無駄だったかとなると必ずしも当たってはいない。否、むしろ大変貴重な時間だった。かえがえのない時間だったと言っても良い。Cimg0074

 何故なら、毎日自分の自由になる時間が確保されていたのだ。好きな本を読む楽しみなひと時だったし、空想にふける時間でもあった。あの通勤がなかったら、司馬遼太郎を読みつくすことなんて出来なかっただろう。

 私にとって通勤時間は、家庭でもなく職場でもない第三の空間であり、外気を吸って自分探しをする時間でもあった。その空間と時間がなくなって、今回いささか慌ててしまった。そこでおっとり刀で始めたのが、このブログを書くことである。ブログを書くことで、自分自身の気持ちに正直に生きたいと思っている。

 パソコンと向き合っている時間が、ひょっとして私の通勤時間なのかもしれない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月 5日 (月)

県職場対抗マラソン

 静岡の駿府公園の内堀1.7kmを周回する、リレーマラソンが開かれた。県庁の職場対抗として、29年前から開かれている伝統ある大会である。5人で1チームになるのだが、若い人たちが気を使って私も仲間に加えてくれた。とても若い力にはかなわないが、私なりに気持ちよく走ることが出来た。Cimg0108

 箱根駅伝は、正月の伝統レースで多くの国民の注目を集める。若い力の限りのレースが展開されるから、観戦するほうも自然に力が入ってしまう。ともあれ箱根でなくとも、はしる者にとって駅伝は、最も大変なレースだ。Cimg0109

 マラソンは、自分との格闘のレースだ。自ずと妥協がある。だが駅伝は、仲間のために走るレースなのだ。人は一人では生きられない。人に支えられて生きている。だから自然に、仲間のための頑張りにスイッチが入る。不思議なもので、タスキを待つ間に、既に喉はカラカラになる。そして、走り始めてしばらくは無呼吸なのに気づく。そんな具合で、人は人のために走ってしまうものなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 4日 (日)

縄文の人々

 三内丸山に来ることが出来た。是非、訪れたいと思っていた所だ。かつてイタリアのポンペイを訪ねた折、文明の格差に愕然としたことがあった。地中海各地との交易によって高度な都市を作っていたポンペイ。火山の噴火で滅びたのは、紀元前千年のことだ。そのころの日本列島は、・・・と考えてのことだ。

 ところが三内丸山が栄えたのは、紀元全三千年頃のことだ。その頃既にこの丸山では、人々の組織的営みが確立し、しかも千五百年にわたって都市として続いていたのだ。この遺跡の発見は、まさに日本列島の古代史の常識を覆す大事件と言ってよい。Cimg0123

 三内丸山の縄文人は、結構おしゃれだったことが出土品から分かる。耳飾りやペンダント、それにヘアピンとかブレスレット、木の皮で編んだポシェットまである。食生活だって、狩猟だけに甘んじていた訳じゃなさそうだ。クリやクワ、ゴボウ、豆などを栽培していた。それに物資も、かなり広域に流通している。三内丸山からは、北海道内陸部の黒曜石、新潟産のヒスイ、天然アスファルトなどが出土しているからだ。Cimg0121_1

 道も道具も無い時代に、多くの土器や巨大な建造物を作り、共同墓地を営んだ縄文人。この遺跡を前にして、縄文集落に生きた人々の息づかいが聞こえるような気がした。この列島にも古代文明が確実に存在し、古今東西変わらずに人々の生きる姿があったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 3日 (土)

地方都市のうめき声

 何故か、場末のにおいがする。「♪青森駅は雪の中・・・連絡船に乗る~♪」かつて青森は、渡船の地であった。それも20年近く前に53kmものトンネルが完成して、今は八甲丸が博物館として係留されているだけである。それに今では飛行機の時代である。青函トンネルを抜ける乗客は、決して多いとは言えない。Cimg0120

 青森駅そのものが行き止まりなのである。そして、交流人口の失われた今、駅前銀座の寂しさは場末の風情である。飲み屋のばあさんが、所在なげに机にもたれてTVを見ている。県庁所在地だというのに、夜の街もとにかく人がいないのだ。

 都市の活力は、産業の生産力と人の集積によって生まれる。そのいずれもが減衰しているとすれば、都市はさびれる他ない。東京の繁栄をよそに、本州最北端の地は喘いでいた。その薄暗くさびしい街を歩きながら、雪と戦いながらここに生きる人たちのことを考えていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 2日 (金)

北海道のつぶやき

  長沼町の農業者、駒谷信幸さんは語る。明治以来、政府は北海道を植民地にしてきた・・と。石炭にしても、木材、海産物、牛乳、すべからく北海道に原料の供給をさせてきた。少し工夫でもしようものなら、内外格差とか補助金とかで、あれ駄目、これ駄目とやってきた。

 その挙句、石炭が駄目になり、木材も牛乳も、これまでの原料供給ではやっていけなくなった。だからもう、自分達が自立する他ない。自分達の生産物を、それなりに付加価値をつけて、自分で売る算段をするのだと。だから彼は、こだわりの契約生産を進めてきた。Cimg0118

 駒谷さんの経営は、傑出している。栽培面積は180ha、米から野菜、牛肉まで。そのほとんどが、契約取引である。それに、農家民宿まで経営している。その駒谷サンが言う。「もう生産者は止めよう。経営者になろう」と。今長沼町には本土からたくさんの人が訪れる。そしてグリーンツーリズム特区として、長沼町の農家109戸が農家民宿をやっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 1日 (木)

赤煉瓦の志

 札幌に来ている。遠州から、わずか五時間でここまで来てしまう。飛行機による時間距離の短縮を、今更ながら実感する。それに、携帯電話からブログを書けるなんて、ホテルの一室で何故か感動している。

 今日の会議は、北海道庁の赤レンガ庁舎で開催された。それには、意味があった。今日のテーマが、北海道が15年近く進めてきた「クリーン農業」についてなのだ。道は、昨年食の安心安全条例を制定し、全国に注目された。遺伝子組換を排除し、有機農業的な要素を全面に出したのだ。公的機関としては、画期的なことである。Cimg0116_1 その会議を、明治中期に建設されたこの赤レンガ庁舎で開催するのは、象徴的な意味がある。

 近代農業は、肥料や農薬を使って自然をコントロールしてより多くの成果を上げることだった。その考え方や技術を見直そうと言うのである。食料基地としての北海道の、消費者へのPR戦略との見方もある。だが陣頭指揮をしてきた麻田副知事は本気である。

 確かに私達は、お釈迦様の手の平の上でやりすぎてきた事もある。だが有機農業が、人類を支えきれるかと言うとそれは無理だと思う。きちっと安全を限りなく確保した上で、生産力を最大にする。それが科学と言うものだろう。進歩を盲目的に信じるのは間違いだが、進歩を否定するだけでは人類の明日は無い。有機農業を、一つの技術として極めるのは良い。だがそれは、一歩間違うと科学の否定になる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »