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2006年6月16日 (金)

東京一極集中のくびき

 久しぶりに、東京に出かけた。東京という所は、猛烈な勢いで様相を変えていくところだ。僅かの期間に忽然と新しいビルが建ち、品川駅や秋葉原駅にしても見違えるようになっている。秋葉原から筑波エキスプレスに乗った。筑波研究学園都市と東京を結ぶ、高速鉄道だ。沿線の駅には、ニョキニョキとビルが立ち上がりつつある。筑波まで、東京が繫がってしまうかのような勢いである。

 何故東京だけが、こんなに膨張していくのだろう。それはこの国の神経中枢が、すべてここに集まっているからだ。筑波だって、首都機能の分散が目的だった。ところが何時の間にか、東京の一角になっているではないか。

 「奈良の都は咲く花の 匂うがごとく今盛りなり」 平安奈良時代は、中国から取り入れた先進文化でこの国をリードした。律令制度は、その文化を背景に一極集中を制度化したものだ。その後の時代は、地方割拠の時代だ。戦国はもとより、江戸時代だって参勤交代はあったにせよ、領国は独自の行政が行われた。文化も学問も地方でこそ発展した。軍隊だって地方ごとに存在したわけで、だからこそ幕末の明治維新という革命が成立したのだ。

 ところが明治以降の政府は、産興業をはじめ遅れた日本の復興のために、遮二無二この国の頭脳を一つにしようとしてきた。政治・行政はもとよりり、産業も教育もすべからく頭脳の部分は東京に集中させてきた。今日、○△協会などの全国レベルの産業組織で、東京以外に本部を置く組織はないだろう。関西が本拠であった繊維関係の団体ですら、日米繊維交渉の際東京に本部を移している。

 神経は、すべて東京に集中した。だから地方で痛いと言っても、それは感じられなくなっている。三位一体改革も、何時の間にか誤魔化されようとしている。だからと言って、手足が頭脳に反乱など起しようもない。手や足が自立する方法は、所詮あるべき筈もない。だが今、私達にはそれが求められている。

 

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