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2006年6月13日 (火)

縄文人の悲劇

 この日本列島の先住民は、縄文人のはずですね。でも縄文時代の遺跡は、ほぼ静岡県以北でしか発掘されていません。中四国や九州、近畿には存在しないのです。一体、どうしてなんでしょうか。縄文人は、列島の北側半分にしか住んでいなかったんでしょうか。Cimg0132

 青森の三内丸山遺跡は、今から5500年から4000年前の大集落跡です。縄文時代の人口を想像するなら、大集会場を備えて近郷の集落を従えた都市と言えるかもしれません。しかも、住居はもとより、漆塗りや焼物、編物など高度な文化を持っていたと考えられています。その都市がBC2500年頃に最大規模に達し、その500年後には消えてしまうのです。ポンペイの遺跡はベスビオ火山の大噴火で埋もれてしまうのですが、三内の縄文人は何故消えてしまったのでしょうか。Cimg0122

 縄文時代の晩期には、大陸から渡来人と共に稲作が伝わってきます。否、伝わると言うような生易しさではなかったと思います。照葉樹林を基盤とする縄文人の生活と、森を切り開いて水田にしていく文化とは相容れないものだったからです。当然のことながら、インディアンと白人のような、生活基盤を賭けた戦いが起こったはずです。

 静岡市の東部に『草薙』という地名があります。あの大和武の神話に「クサナギの剣」が出てきます。私はこの神話から、縄文人征伐の最前線を連想してしまいます。何故なら、近くに弥生時代の登呂遺跡がありますし、このあたりから北部が当時の稲作の北限地と想像されるからです。縄文人は、水田農耕の広がりと共に、北へ北へと追われていったのではないでしょうか。

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