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2006年8月31日 (木)

韓国の農業研究と日本人

 「韓国の農業技術は、日本のコピーだ」と考えていた。事実、イチゴやミカンなど栽培されている品種の多くが日本由来のものだし、農法や技術も近似している。果たしてどんなものかと、そんな興味が多分にあった。

 今回、韓国農村振興庁の園芸試験場及び、水原市にある農業科学館などを訪ねて、認識を新たにしたことが二点ある。Cimg0257

 その一つは、農村振興庁(試験場)には約2000人の職員が研究に携わっていて、その相当部分が育種に勢力を使っている。ロイヤリティ(植物特許)問題が、日本への輸出に大きな障害になることを認識してのことだ。固有の遺伝資源を持っていない中で、どのような育種が出来ているのかは不明だが、リンゴやイチゴなどでも研究が進められているようだ。

 二つ目に、韓国の農業研究は、日本人によって始められた。そしてそのことを、この国の研究機関がしっかりと意識していることだ。Cimg0259

 韓国における農業の研究は、朝鮮総督府農事試験場から始まっている。日本がこの半島を支配した時代にルーツがあるのだから、その研究は人的にも底流を流れる血液も、日本の研究機関と深く繫がっているのが当然なのかもしれない。

 今年で、農村振興庁(試験場)は100周年を迎える。その100年を語る時、過去の忌まわしい時代のことを避けて通る訳には行かないはずだ。はたして農業科学館には、日本統治時代の研究について明確に展示゛されていた。それに、相当のスペースを使って、この地で26年間研究に携わった高橋昇氏の研究成果を紹介している。

 靖国問題など、一方的な日本忌避かと考えていた私にとって、意外な側面を見せられた思いがした。評価すべきは評価するという態度は、研究者の良心なのだろうか。Cimg0260

 韓国は今、「環境農業育成法(1997)」のもとで、”親環境農業”を進めている。農薬使用量の50%削減などの目標を設定して、ニームなどの忌避剤に転換を図っているのだ。政策的にも、このための直接支払い制度や品質認証制度を整えてきた。こうした従来農法からの転換に、研究者自身の戸惑っている様子が垣間見られた。

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2006年8月30日 (水)

ベンチャー農業大学

 「韓国の農業は、生産だけに汲々としていたから苦しいのだ。政府に依存するのではなく、経営やマーケティング能力を磨いて個々人の創造力を高めれば、農業を産業として発展させることが出来る。」とミン教授は言う。

 そして彼は、経営能力を鍛えるために、アグリベンチャー農業大学を設立して活動してきた。政府の支援も無い無手勝流の学校は、今年で第六期生を迎えている。

 この大学では、各種カリキュラム終了後に将来の経営計画をそれぞれ発表し、審査にパスしないと卒業したことにならない。これがなかなか厳しくて、晴れて卒業できるのは50%位だそうである。それでも既に、400人近い卒業生がいることになる。

 その卒業生が、ミン教授が言うような具合に、スター農民として成長しているのだろうか。大いに、気になるところだ。その卒業生が一堂に集まって、毎年、アグリベンチャ・フェスティバルを開いている。このフェスティバルに、私達も参加することが出来た。Cimg0281

 卒業生は、自分の農産物を展示したり、産物をテーマにしたファッションショーなどで、夜中まで家族ぐるみで楽しんでいた。もちろん我々も、静岡の産物PRコーナーを設けたし、ファッションショーにも臆面もなく参加した。そして、海外からの参加ということで、すっかり彼らの注目を浴びることとなった。

 フェスティバルは、プロのファッションモデルや著名人、取引業者の参加、そしてKBSの番組化などもあって、かなり本格的なものである。Cimg0278

 では、肝心のスター農民は育っているのだろうか。確かに、30億円を取り扱う米販売業者や梅の観光農園、人参チョコの開発販売など、一部に突出した卒業生が生まれている。

 だが多くの卒業生にとっての現実は、そんなに甘いものではないだろう。資本の確保や販売網の構築は、容易なことではない。だからこそ、このベンチャー農業大学関連のネットワークに多くを期待しているのだろう。Cimg0282

 韓国の農業環境は、通信販売や観光農業、生産構造、消費行動など、その熟度は日本と比べるとまだかなり遅れている。ミン教授の試みは、実態よりもかなり先を進んでいるようだ。だからこそ彼は、卒業生に日本のそうした時代の流れや農業の変化を学ばせたいのだろう。

 いずれにしても、農業の未来への挑戦が続いている。Cimg0276

 

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2006年8月29日 (火)

ミン・スンギュ教授

 巨大な企業に発展したサムスングループ。その傘下に、サムスン経済研究所というシンクタンクがある。ミン・スンギュ氏は、その研究所の研究員に過ぎない。年齢は、40代の半ばである。その男が今、韓国で農業の救世主としてカリスマ的存在になっている。

 経済成長から、置いてきぼりにされた韓国の農業。その農業に「企業の持つ経営とマーケティング感覚を注入することで、農業がビジネスになる」それが、彼の信念のようだ。Cimg0244

 ミン教授は、「農業・農村の発展なしには、先進国にはなれない」と、サムスンの人脈やマスコミを総動員して、農業者の啓発活動を進めている。アグリ・ベンチャー大学を主催して、先駆的な農業人を育てることに熱中しているのだ。

 アグリベンチャー農業大学は、正規の大学でもなんでもない。卒業したからといって、特別な資格が得られる訳ではない。それに、10万円近い授業料を払うのだが、入学希望者が殺到している。現在、第六期生になっているが、150人の定員に対して毎年4~5倍の競争率になるそうだ。

 ベンチャー農業大学では、経営学やマーケティング、デザイン、消費動向などをテーマに、一流の講師陣から学ぶことが出来る。だがそれに増して、実践的な意識改革活動、ベンチャー大学での交流を通じた様々なネットワークの構築に大きな意味がありそうだ。

 特筆すべきは、大学の講師陣が全てボランティアだということだ。学長の農林大臣を始めとして、優良企業のトップや学者、それに俳優までもが講師陣に名を連ねている。

 KBSを始めとしたマスコミはこの活動を活発に報道し、生徒のみならず講師陣のモチベーションを大きく鼓舞している。つまり、ベンチャー農業大学で学び教えることが、自身の誇りやステイタスになるのだ。Cimg0274

 民間企業のシンクタンクの一私人の取り組みにしては、いかにも大掛かりである。だが、サムスン経済研究所も、今では彼の活動を認めざるを得なくなっているようだ。彼もまた、国や企業の発展のためには、それが必要だと納得させているようだ。

 ソウルのサムスン経済研究所の訪問、それにベンチャー大学の本拠を置いている錦山郡農業技術センター(国の農業試験場)での大会への参加をつうじて、その熱気を大いに感じさせられることになった。

 

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2006年8月28日 (月)

漢江の奇跡と陰

 セントレアから二時間で、仁川(インチョン)国際空港に着く。日本との時差は無い。

 仁川空港は、沖合いの島と海を埋め立てて島ぐるみ空港にした所で、W杯開催の少し前2001年に開港している。現在の滑走路は、4000m級の二本だが、4本にすべく工事が進んでいる。日本の成田とは、比較にならない巨大さである。空港のターミナルの長さも1km余で、名実共に北東アジアのハブ空港になろうとしている。Cimg0242

 ソウルまでは、専用の高速道路を車で1時間と少々。この高速が、何と片道4斜線。

 ソウルの街は、南山の北に盆地状に広がる人口一千万の巨大な街になっていた。漢江の両側には,20階から40階の瀟洒なマンションが林立し、香港を思わせるようなたたずまいが有る。

 三十年近く前に訪れた頃の貧しい生活臭は、微塵も無い。街を行く人々の顔は、自信にあふれている。Cimg0256

 この国は、オリンピック開催、そしてIMF通貨危機・W杯開催を経て、経済も人々の生活態度も、時には風俗すらも様変わりさせてきた。経済の爆発的な成長は、世界の人々に漢江の奇跡と言われた。日本の家電メーカーをはるかに凌ぐサムスン電子やトヨタの後を追う現代自動車などは、世界企業に成長しただけではなく、この国の工業生産を飛躍的に拡大させてきた。

 そして経済の爆発的成長は、都市部への急速な人口集中を惹起させた。都市部と農村部の経済格差が、富を求める人々の農村離脱を起したのだ。農村部の学校の教師すらが、都市へと移り住んでしまった。

 50%もあった農業就業人口は、たったの30年で10%になった。日本の高度経済成長でさえ、農業就業人口が10%になるには60年を要している。その変化が、たったの2~30年で起こってしまったのだ。

 そんな農村の過疎化を追い討ちするように、WTOやFTAなどと物流の国際化が農村を襲う。農産物の価格は低迷し、所得格差はさらに開く。可愛そうな農村の姿が、そこにはあった。

 日本で言えば 、都市近郊の農村までが成長の置いてきぼりを食ったのである。成長のあまりの早さの所以である。

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2006年8月23日 (水)

秋の足音

 今日は、処暑である。ススキが穂をのぞかせ、オーシ~ツクツクとヒグラシが鳴き始めた。四季の移ろいは留まることなく、もうすぐ名月をめでる中秋になる。

 お月見には、ススキを飾る。「すくすく育つ木」を飾って、豊作を祈念する意味合いがあるようだ。考えてみれば私達は、七夕やお盆、月見、秋祭りなどと四季折々に随分と粋な生活をしてきたものだと思う。

 でも、稲作農業への依存が減るにしたがって、そうした四季の風流も年々寂しくなっていくような気がする。あるいは、根無し草になりつつあると言うべきだろうか。Cimg0236

 かつてススキは、日本人にとって無くてはならない植物だった。ケイ酸の多い植物体は、硬くて腐りにくい。だからこのススキを束ねて、屋根材として使ってきた。だから村々では、この屋根材を確保するために茅場を管理していたのだ。さすがに萱葺きの家は減ったが、格式ある神社は今日でもすべからく茅葺きである。

 建物の有様は、その国や地域の風土を色濃く反映したものになっている。日本人が木材と茅(ススキ)を使ったように、レンガや土壁、時にはオンドルやパオのようなものだったりする。

 明日訪れる韓国では、日本と同様に耕地の六割が水田である。そうして日本列島に稲作文明を伝えたのも、朝鮮半島に住む人々だった。韓国の稲作は今、高関税によってかろうじて維持されている。WTOの圧力の高まりの中で、韓国の農業はどこに向かうのか。農村のたたずまいは、どのように変化しているのか? 韓国の風土の片鱗を、垣間見てきたいと思っている。

 恐らく私の力では、韓国からの投稿は無理だ。従って、明日から4日間のブログはお休みします。

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2006年8月22日 (火)

東京マラソン

 ニューヨーク、ロンドン、ボストン、パリ、ベルリン、ローマなど、世界の主要な都市には、その都市の顔のようなマラソン大会がある。いずれも数万人が走る巨大な大会で、世界中のランナーが参加するお祭りのようなものだ。

 巨大都市で開催されるマラソン大会は、長時間にわたる交通規制が必要だから、よほどの市民のスポーツに対する理解がないと、大会は迷惑そのものになってしまう。都市のインフラ整備や市民のスポーツに対する熟度が、開催の成否を決めることになる。

 石原都知事の肝いりで、やっと東京でも来年の2月18日に第一回東京マラソンが開催されることになった。東京都庁をスタートして、皇居、東京タワー、品川、浅草、銀座を経由して東京ビックサイトにゴールするコースである。まさに都心を縦横に走る訳で、サミットを上回るような交通規制が必要になるのかもしれない。

 その東京マラソンに、7万6千人ものエントリーが集まった。募集人員は2万5千人だから、三倍にもなってしまった。都は、やむなく抽選で参加者を決めるようだ。それにしてもビックな大会では、2.5万人もCimg0223_1 のトイレの心配や荷物の運搬も大仕事である。一台のトラックに500個のリックサックを積んだとしても50台は必要になる。

 もちろん私もエントリーしている。だがこの大会は、ランナーの受付を前日に済ませなくてはいけない。つまり都内に一泊しなければ、参加できない仕掛けになっている。都内に一泊させて、ホテル業界を潤わせようという魂胆なのかもしれない。参加費1万円、交通費宿泊費3万円を払っても、是非この大会を走りたい。何とか抽選に漏れることの無いよう祈っている。それが大方の市民ランナーの気持ちだろう。石原さん、何とかお願いしますョ。

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2006年8月21日 (月)

スポーツと年齢

 昨日の大菩薩登山競争で、華やかな女性の皆さんとお会いした。チアリーダーのコスチュームをまとって過酷な登山レースを楽しむ姿は、参加者の注目の的であった。私も、伊賀上野では忍者の格好をして走ったが、スポーツには人それぞれの楽しみ方があって良いと思う。Cimg0237

 昨日のレース中に、かなりの数の登山者とすれ違った。熟年の夫婦や5~6人のグループなどが、彼らも生き生きと汗をかきながら登っていた。だがその年齢は、いずれも60歳代以降と思しき方々ばかりであった。若い人がいない。

 各地で開催されるマラソン大会にしても同様だ。どこでも50歳代の壮年が中心になっている。女性に関してしはその傾向が一層強く、若手のランナーは極めて少ない。高橋尚子を始めとして世界で女子ランナーが活躍しているのに。市民レベルでは依然として低調なのだ。

 こうした傾向は、ほとんど全てのスポーツに共通している。若い世代が汗をかかなくなっているのだ。一生懸命がかっこ悪いとする風潮。差別をはき違えて、順位を競わない運動会。「走って何になるのよ」と金々主義に毒された親世代。近年の風潮は、何処かがおかしいと思う。

 スポーツは本来、人々の健康や体力づくりのためにある。プロスポーツは、その本の一部でしかない。ゴルフであれテニスであれ、スポーツは自らプレーしてこそ楽しくなる。スポーツ教育は、心身の健康教育なのだ。肥満児の差別になるから順位をつけないという考えが、果たして本当の教育なのだろうか? 

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2006年8月20日 (日)

大菩薩峠登山競争

 海抜2000mの峠まで、標高差1300mを一気に駆け上る。それが今年で42回目になるこのレースだ。この少々過酷なレースへの参加は、今回で既に10回ほどになる。最初の頃は、八ヶ岳100kmレースの訓練のため、そのうちこの時期の塩山の桃の味が忘れなくなった。Cimg0238

 スタートを待つ間も汗がにじむ。そんな炎暑の中を山頂に向かう。500mほど登ると、それでも空気が涼しくなってかなり走り易くなる。しかし2000m近い山頂までには、急な斜面がづっと続くし、ガラ場の石に足を取られながらの2時間余の登山レースはかなりきつい。

それに、やっとの思いで頂上に立っても、すぐに麓を目指して駆け下りなくてはならない。Cimg0240

 大菩薩峠は、中里介山の小説『対菩薩峠』で全国に知られるようになった。山梨から埼玉・長野にわたり、日本百名山の一つになっている。登山者も多く、夏山もさることながら雪の冬山が有名でもある。

 来年のNHKの大河ドラマは、風林火山だそうである。大菩薩峠の麓には、雲峰寺には武田の軍旗や日本最古の日の丸旗などがある。レースは、雲峰寺の脇を登るあたりが一番苦しい。

 

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2006年8月19日 (土)

甘草屋敷

  山梨県の甲州市に来ている。この町は、塩山市と勝沼町、それに大和村が合併して、昨年11月誕生した町だ。樋口一葉や中里介山のゆかりの地でもある。もちろん、ブドウやワイン、桃の大産地である。

 それに武田信玄公にまつわる名所旧跡も多いのだが、塩山駅の北側に残されている甘草屋敷も、一見の価値が有る。江戸時代の薬種問屋の建物だが、切妻づくりの三階建てになっていて、甲州豪商の暮らしぶりを今に伝える建物である。Cimg0233 Cimg0231

 今夜、この屋敷で「甲州弁で語る民話の会」が開かれた。

 屋敷の座敷を舞台に語られる民話は、江戸言葉さながらの甲州弁で、実に味わい深いものだった。嫁と姑などの話題が、時代の気分とともに伝わってくる。 旅に出て、その土地の民話を古民家で味わう。そんなゆったりとした時間の流れを、心地良く楽しむひとときであった。200年前にも、同じ座敷でひっとしたらこんな民話が語られていたのではないかと・・・・

 明日は、大菩薩峠登山競争である。チチンプイプイ ぼんのクボ(甲州の言葉で、おしまいの意)

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2006年8月18日 (金)

国を愛すること

 「竹島」の記念切手を北朝鮮が発行する。その切手の予約が、韓国で進められている。切手を2シート買うと、北朝鮮製作の竹島をテーマにしたDVDがもれなく付いてくるそうだ。激しく対立してきたはずの敵の記念切手を、何故買うのかと思うのだが、それがこの国のナショナリズムなのだろう。

 4年前のW杯では、ソウルの市庁舎前広場は数万の赤い軍団で埋め尽くされた。あの異常なほどの熱気は、記憶に新しいだろう。彼らはサッカーはもとより、「国」を心を一つにして応援していた。Cimg0226

 韓国では、『国』と言ったとたんに一致団結できるのだ。最近では、97年のIMF金融恐慌の際の国民の行動がそうだ。乗用車に乗ることを控えただけでなく、手持ちの金製品の供出まで行なった。国の危機の前に、信じられないほどの結束力を発揮する。過去の不幸な歴史によるところが多分に有るのだろうが、平和ボケの私達にはとても理解できないことだ。

 日本海という万里の長城によって、日本人は国を意識することなく過ごしてきた。だが、東ヨーロッパや中東、アイルランドなど、民族の不幸は極普通に存在している。この日本にはいたずらな熱狂は要らないけれど、深く郷土を愛する心を育てなくてはいけない。この国を、自己中の蔓延する国にしてはいけないと思う。

 

 

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2006年8月17日 (木)

韓国人と日本人

 「冬のソナタ」以降の韓流ブームで、韓国人に対するイメージは様変わりした。それに経済力の躍進も、目覚しい。オリンピックの開催、そして4年前のワールドカップと、その度に国のイメージもチェンジしてきた。

 サムスン電子は、日本の家電各社をはるかに凌駕する世界の企業に成長した。現代自動車だって、日本を含め世界中に輸出する世界の現代だ。

 一見日本人と変わらない風貌に加え、言葉だって日本語に極めて近い。だからこの国の人々とは、もっと相互理解が進んでもよさそうなものだ。だが現実は、文化や考え方に相当の隔たりがある。

 そもそも李氏朝鮮の500年が、この国を儒教の国にした。儒教は、近世においてこの国を著しく停滞させる原因となったが、今日では美質として語られることが多い。長幼の序を始めとして、既に日本人が失ってしまったものを持ち続けているからだ。Cimg0225

 それに韓国の青年は、ほとんど全員が26ヶ月の兵役を経験している。人の殺し方だって訓練されているし、現実に戦場体験者も多い。大陸的な気質が強く、しっかりとした自己主張をする。腹芸の得意な島国の日本人と違って、彼らは大陸人なのだ。それに同じ自己主張でも、日本人の自己中とは中身がかなり違うようだ。

 キムチと汁物の食文化も、極めて特徴的だ。日本の食文化とは、趣として山葵と辛子の違いと言えるのだろうか。それに箸よりも匙を使う文化なのだ。この食文化の背景も含めて、とっくりと味わってきたいと思っている。

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2006年8月16日 (水)

朝鮮半島と日本列島

 来週、少々の夏休みを頂いて、韓国の農村を訪ねることにした。

 韓国の農業は、急激な経済発展の中で、日本と良く似た趨勢にあって、問題の在り様も共通点が多い。だが、WTOによる国際化の進展への対応には、異なった動きが出ている。キムチやパプリカなどの日本への積極的な輸出を始めとした、ベンチャー農業の成長である。是非、この実態を見ておきたいと思っている。Cimg0221_1

 15日の靖国参拝は少しばかり気になるところだが、韓国との関係となると私達は、あの戦前の36年間にわたる植民地支配だけを考えてしまう。だが、朝鮮半島との間には、切っても切れない深い縁があると思う。

 大陸の先進文化の伝承はもとより、この日本列島の民族成立にも深くかかわっている。

 この日本列島から朝鮮半島に、歴史上三度軍隊を送っている。先の大戦時、豊臣秀吉の遠征、それから奈良の大和朝廷だ。大和朝廷は663年、百済の救援要請に応じて大軍を送り、唐と新羅の連合軍に大敗をきっしている。白村江の戦いである。

 白村江の戦いに敗れて百済は滅亡し、朝鮮半島は新羅によって統一される。だが、そもそも中大兄皇子(後の天智天皇)は、なぜ大軍を送らなければならなかったかである。 今日の自衛隊のイラク派遣とは訳が違う。相当な犠牲を払っても、防人を組織して軍隊を派遣する必要があったのだと思う。

 滅びた百済が、この日本列島に流れ込んだのは想像に難くない。やがて天智天皇は、九州に大宰府を置いて守りを固め、大化の改新によって朝廷を磐石なものにしていく。

 

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2006年8月15日 (火)

この国の品格

 数学者の藤原正彦さんが、『国家の品格』を著している。戦後の教育を受けた私なぞは、国に品格もくそも有るものかと思っていた。だがこの本を読んで、改めて考えざるを得なくなった。それに先ず、藤原さんの説得力の有る筆勢に圧倒される思いがした。

 藤原さんは数学者として有名だが、作家新田次郎さんと藤原ていさんの息子さんである。力のある文章は、親譲りかもしれないが、靖国問題で世論も二分されている今日、私達の琴線にれることどもが書かれている。実に中身のある本だと思う。

 藤原さんはこの本の中で、自由や平等を標榜することの欺瞞性を説き、論理優先の限界をうったえている。論理の塊であるはずの数学。その第一人者である数学者の藤原さんが、論理ではこの世がおかしくなると仰っているのだ。

 そうして、慈愛、誠意、忍耐、正義、勇気、惻隠を基礎とした武士道にこそ、この国は立脚すべきだと主張しておられる。虐めや殺人など、理屈抜きで駄目なものは駄目と教育すべきだと。

 さらに今日のグローバリズムを否定し、「市場原理によって、神の見えざる手が全てを解決してくれる」との考えは欺瞞だと論述する。利己的な利潤追求では、ごみ問題一つ解決しないし、必然的に大量の敗者を生み出すだけだと。確かに、アダム・スミスの国富論以降、戦争でしか物事が解決できなかったのも事実だ。是非、読むべき本だと思う。

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2006年8月14日 (月)

農業と工業

 産業統計は、第一次から第三次産業に区分けされてきた。だが第一次と第二次産業は、既に比べるべくもない。農林水産業が衰退の一途を辿り、片や工業は世界に冠たる産業に成長したからだ。何故そうなったのか、まともに考える人は少ない。

 村の鍛冶屋が自動車産業になり、八百屋がメガマートになった。家内薬が製薬メーカーになり、町の食堂が全国ネットの外食産業になった。だが、農業は依然として農家の家業でしかない。

 明治から戦後しばらくまで、国民の大半は農民だった。特に戦後は、少しばかりの農地を分け合って耕し、やっと生活を成り立たせていた。やがて工業の勃興と人口増加が、農地を高騰させて農業を不動産業にしてしまった。

 だから、どんなに能力のある農業者でも、農業で経営を育てるのは至難のことであった。農業の技術だって、小規模を前提にしたものにならざるを得なかった。大規模機械を開発しても、それを使うことができなかったからだ。

 明治32年政府は、府県農事試験場国庫補助法を制定して、日清戦争後の疲弊した農村を農業生産を伸ばすことで復興しようとした。全国に農業試験場が出来たのはこの時である。この頃の生産の増加は、そのまま富の蓄積につながった。その富が蓄積されて、繊維産業などが育っていくのだ。そして工業試験場が各地に整備されるのは、明治39年以降のことである。Cimg0199_1

 戦後の農業は、食糧増産から始まった。そうして、土地と資本と技術集積がされないまま今日に至っている。今起こりつつある農という産業の革命が不首尾に終わるなら、この国の国民はやがて食料で深潭をなめることになるはずだ。

 

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2006年8月13日 (日)

夏の景色

 私の住む地域では、お盆の今日、村内の初盆のお宅に盆供回りをすることになっている。220戸余の戸主が、三々五々初盆のお宅を訪ねるのである。盆飾りをし、これを親戚一同が迎える。儀礼的なもので、取り立てて供養の話とて無いのだが、古くから続く習慣である。

 農耕集落の、人のつながりの深さの名残だ。とは言え今日では、同じ畑仕事をする訳でもなく、村内の付き合いは絶え果てている。だが、遺影に参拝しながら、時に子供の頃の出来事を思い出したりもする。

 梅雨が長かったこともあって、この夏は短く終わりそうな気配がある。裏庭の栗がもう熟し始めているし、秋の虫も鳴き始めている。終戦記念日が近づき、靖国が戦争の古傷を刺激し続けている。そんな夏も、早くも盛りを過ぎようとしている。Cimg0224

 お隣の中国では、大干ばつが起こっている。100万ha余の農地はもとより、多くの人々が飲み水の確保に苦労している様子だ。レバノンの夏は、破壊と殺戮の夏になってしまった。そして、自己中があふれ、平和ボケのこの国の行く末は、果たして如何なることになるのか。

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2006年8月12日 (土)

ブログとコメント

 コメントがほしくて、ブログを書いている訳ではない。日々去来する思いを、つれづれなるままに書き留めているだけだ。そんな独り言を聞いてくださる方が、一人でも二人でもそれはそれで良いと思っている。しかし、コメントを頂くと正直に嬉しい。Cimg0223

 ナベショーさんと言う方が、シニアライフをテーマにブログを書いている。毎日、実に綺麗な映像と共に、感心させられる記述が続いている。長寿時代の人々の生き方を、見事に切り取っていて素晴らしい。シニアライフは、多くの人々の関心を呼ぶこれからのテーマでもあり、色々と考えさせられる。http://nabe-sho.cocolog-tnc.com/fujieda/

 そのナベショーさんのブログに感心しているだけで、私自身コメントを書いたことが無い。もちろん、私がものぐさなだけなのだが。只、見ず知らずの方に意見を申し上げる訳で、どうしても面映さを感じてしまうからだろう。

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2006年8月11日 (金)

今をこそ生きなん蝉時雨

 しばし林間の小道を歩く。林全体が、蝉の声で溢れている。まるで、体の中まで染み込んでしまうかのように、蝉の声が降ってくる。まさに、蝉時雨である。にじむ汗をぬぐいながら、日本人の何とも情緒豊かな表現に感心してしまう。

 彼らが鳴くことのできるのは、一生のうちのほんの二週間程度でしかない。だからこそ、ひたすら懸命に鳴くようにも聞こえる。

 人の一生だって、決して永いものではない。その時その時を懸命に生きたいと思いつつも、何時の間にか弛緩している自分に気付いたりする。少年老い易く、学成り難しである。

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2006年8月10日 (木)

職人芸と産業

 団塊の世代の大量退職で、技の伝承が危惧されている。フライス盤や研磨技術にもマニュアル化されていない技があって、その技が日本の産業を支えていると言うのだ。

 でもそれは、団塊の世代への世辞の様にも聞こえてくる。なぜなら近代工業社会は、職人芸をマニュアル化・機械化することで成長してきたからだ。だから職人の名人芸は、常に抹消させられるべき対象だったはずだ。 その証拠に、指物師や彫金師、それに茶師だって、既に伝統工芸や無形文化財としてして存続しているだけだ。

 その埒外にあったのが、これまでの農業だ。天候と駆け引きをしつつ栽培管理して、コンスタントに良質なものを量産する。この技術は、今日でも優れた観察眼と資質を持つ者だけの技である。マスクメロンを始めとした果菜類はもちろん、水稲だって「米作り日本一」のコンクールがつい20年前まであった。

 そんな農業の技が、徐々にマニュアル化され始めている。トマトの糖度は、普通4~6度くらいである。そして7度以上のトマトを高糖度トマトと呼んでいる。いわゆるルーツトマトである。この濃縮トマトを生産するには、水の管理が極めて難しい。トマトの濃度と生産量が反比例するからだ。糖度が15度もあるトマトが出来ても、収穫量が少なくてとても採算には合わないし、場合によれば枯れてしまったりもする。Cimg0222

 実はこの加減をするのが、経験と感を生かした名人の技であった。ところが一枚の布が、この技を無用にしてしまった。トマトの鉢に差し込んだ不織布が、湿気を敏感に感じてこれを電気信号に変える。この信号を感じたコンピュータが、冠水を始める。原理はそれだけである。それだけで、名人が失業することになった。

 この仕掛けを使えば誰でも高糖度トマトを生産できる訳で、経営の規模も無限に拡大できるようになった。トマト生産で、起業が可能になったのである。

 この国には、世界に冠たる工業技術がある。もちろん、多様なセンサー技術が発達している。その先端部分を農業の分野に生かすことができれば、農業はまだまだ進化する可能性を秘めていると思う。

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2006年8月 9日 (水)

歴史の中の自分

 久しぶりに本屋をのぞいたのですが、読みたくなる本というのはなかなか見つからないものです。思い切って派手なネクタイを締めてみるように、自分の好みとは違った本も探すのですが、なかなかチョイスできないものです。

 ところでこのところ、店頭を飾る本に一つの傾向があります。ポスト小泉首相と関係があるのでしょうか。「日本人の忘れもの」とか「日本人の遺失物」「国家の品格」「男の品性」「靖国問題」など、この国と私達の生き方を扱った本が際立っています。Cimg0221

 経済に幾分の元気が出てきて、自らの礼節を知る余裕が出きたということでしょうか。バブル崩壊から15年。長いトンネルを抜け出てみると、バブル期も含めて戦後の越し方が良く見渡せるようになったのですね。改めて、今後を考えるのは大切なことでしょう。

 ところで「この国の形」を、明治以降の歴史をもとに様々な角度から見詰めたのが司馬遼太郎ですね。『この国の形』には、随分教えられることが沢山ありました。それに比べると店頭に並んでいる沢山の本は、すべからくエッセーといった趣を感じます。でも、そうした著書の助けも借りながら、歴史の流れやその中の自分を見詰めなおす好機なのかもしれません。

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2006年8月 8日 (火)

心のふるさと

 職場を定年退職する知人が増えたためだろうか。最近、自叙伝的な著書をちょくちょく頂くようになった。読ませていただくと、子供の頃の原体験などが心理描写と共に上手く表現されていて感心してしまう。

 そもそも自伝を書くなんてことは、自分に相当な自信があって自己を客観視できないと到底かなわないことだ。それに、著者の克明な記録(記憶かもしれない)には圧倒される。人生というドラマの主人公としての自覚がなくては、これほどの記録は出来るはずが無いと思ったりする。

 そういう意味では、時代の中の自分を強く意識して、後世に記録を書き残してきた著名人も多い。タウンゼント・ハリスや特定の政治家は言うに及ばず、昭和天皇の侍従長さんなどもその一人かもしれない。それが今日では、私達庶民でも自らの足跡を記録として残しうるのだ。

 頂いた本に触発されて、自分の子供の頃を思い出してみたりする。そうすると、この50数年の変化の早さに改めて驚く。子供の頃、我が家では農耕用の牛を駆っていた。牛の牽く牛車に揺られて、農作業について行ったりしていた。その牛の顔が、いまだに忘れられないでいる。Cimg0202_1

 ウサギを飼って小遣いを稼いだ。タンポポは、ウサギの好物だった。学校から帰ると、山羊の乳とサツマイモが空腹を満たしてくれた。やがてテーラーと言う小型の耕運機が導入されると、その機械で田起こしの競技会があつた。親父が、えらく頑張っていたっけな。

 ムラの耕地整理の工事には、トロッコが使われていた。そのトロッコに乗って、暗くなるまで遊んだっけ。夕焼けて沈む太陽が、馬鹿でかかったなぁ。そんなあれこれを思い出しながら、そんな事が嘘のような、はるかに遠い遠い昔の時代の出来事であったような気がしてくる。時代の流れが、あまりにも猛烈な速度で移り変わってきたからだろうか。

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2006年8月 7日 (月)

美術館とお茶

 単にお茶を喫することを、芸術の域にまで高めた男達がいた。それは室町の貴族達であり、貿易都市堺の豪商たちであった。利休や宗久たちは、唐渡りの茶碗や茶花、軸などにこだわり、そしてその装置としての茶室をしつらえた。ついに茶道楽を、道にまで育てたのだ。

 素材は何であれ、思い入れしだいで人々は粋を創り出してしまう。秀吉の粋は、絢爛豪華な権力であり、彼ら茶人の心根とはとうてい相容れられないものだったはずだ。

 本来お茶も芸術も、人々の生活の中にあってこそ、その良さを味わうことが出来るものだと思う。気に入った一幅の絵の前で、ゆっくりと茶を味わう。それこそが、生活の醍醐味ではなかろうか。

 ところが絵や彫刻は、美術館の展示品に過ぎなくなった。ゆっくりとくつろぎながら眺めるなど、思いもよらなくなってしまった。

 以前、ロダンの彫刻の前でお茶が飲めないだろうか。しかも日本茶インストラクターが、最高のお茶を飲ませる。そんな企画が出来ないかと、美術館に提案したことがある。結果は案の定、学芸員の総すかんを食らった。「たとえお茶であれ、芸術の前で物を口にするとはけしからん。もしもお茶が、彫刻にかかったらどうするのか。」と言うものであった。ブロンズは、本来野外に展示されているものだと思うのだが、そんなご見解であった。Cimg0220 

 今、美術館の運営はどこも大変なようだ。予算も削られるし、入館者も少なくなっている。芸術のための芸術にしてしまった結果だろうと思う。芸術はマニアのためのものではなく、人々を元気付けたり慰めたりするもののはずだ。 

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2006年8月 6日 (日)

夏本番

 梅雨が明けて一週間。やっとベニー(赤オクラ)の花が咲いた。草丈が一メートルを超えているのに、ずっと葉ばかりながら(花や実が無くて、中身の無いこと)状態が続いていた。Cimg0210

 一節ごとに花が着くはずなのに、みんな葉芽になってしまっていた。原因は日照不足だったのか、夏本番を迎えてこれが一転、一斉に花を着け始めたのだ。

 ツルレイシ(ゴーヤ)も、沢山の実をぶら下げて頑張っている。レイシは短日で花芽を着けるのだが、僅か一週間で見違えるようになった。Cimg0209_1

 それに、人間の体の方も暑さに慣れてきた。日本の四季が樹木の年輪を形成するように、季節ごとに私達の体もリニューアルしていく。冬には冬の、夏には夏の心身に衣替えさせてくれるのだ。

 ゴーヤの繁茂に励まされつつ、この夏を稔り多いものにしよう。「一寸の光陰 軽んずべからず」である。

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2006年8月 5日 (土)

日本一の花火

 今や袋井の花火は、名実共に日本一になった。華麗な火の花の競演が、切れ間無く二時間続く。もちろんスポンサーの援助があってのものだが、しっかりと夏の風物詩になった。Cimg0218

 毎年仲間と共に、この花火を楽しんでいる。花火に照らされた顔の陰影が、皆普段とは違った顔を見せる。何気ないしぐさに、こんな一面もあったのかと思ったりする。Cimg0211

 それにしても、火を求める虫のように実に多くの若いカップルが集まっている。右も左もカップルばかりである。こんなにも多くのカップルが存在したのかと、驚くほどでだ。花火は、夜の二人の営みにも似て、アッと言う間に消え去ってしまう。今夜は少子高齢化は何のその、十月十日後にはきっと花火は実を結ぶだろう。Cimg0219

 それにしても、周りから聞こえてくる言葉は、日本語だけではない。スペイン語、そしてポルトガル語。この国は、何時の間にか多国籍国家になった。

 人生というのは、花火のように瞬間なのだろうと思う。ブラジルに渡った二世が今、隣で花火を見ている。この50年、この国は貧しさの中から今日を築いてきた。その間、様々な時代の不運や悲劇を残しながら、今日に至っている。でも、行く川の流れの中で、人々は性強く生きている。

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2006年8月 4日 (金)

夏のある日

 梅雨が長かったためか、少しすずしい夏のように感じる。今年の夏は、存外短いのかもしれない。蝉も短いこの夏を、一気に鳴きつくさなくてはいけない。今朝は、我が家の網戸にも張り付いて鳴いていた。Cimg0208

 暑さ寒さを感じるセンサーは、実は自らの体温が物差しになっている。だから高熱の病人にとっては、この夏だって寒くなってしまう。同様にテンポの遅速は、脈拍が基準になっている。心地よいテンポ、それは自分の心臓との相談なのだ。

 人には得てして、思い込みと言うことが多い。普通頼りにするのは自分自身しかない訳で、必死に考えた末に一つの結論に達すれば、それで納得してしまう。ところがその結論は、体温や脈拍と同様に、限られた経験や知識から割り出されたものに過ぎない。それでも、それを信じて行動する他ないのだ。

 ところが信頼すべき友人や先輩が身近にいれば、状況は変わってくる。導き出される結論は、はるかに客観的なものになるだろう。あらまほしきものは、人生の友だ。徒然草にも「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」とある。

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2006年8月 3日 (木)

健康チェック~

 自分の健康について、見掛けはともかくとして、私自身相当に自信を持っている。走ったりしていて運動量もかなりだし、体力年齢だってそこらの36歳には負けないと思っている。

 でも年に一度、人間ドックを受けることにしている。色々と数値的にチェックしてもらって、何かと指摘を受けたりする。いつぞやは、脈拍50(標準89)は異常だといわれた。スポーツ心臓なだけなのだが、言われると不安になる。肺気腫の疑いをかけられて、精密検査をさせられたこともある。だがその何れも、医者の勘違いであった。

 病院経営支援のために検診制度があるのかしらん、と考えたりもする。いらざる不安や病を、病院が創造しているのではないかと・・・。しかし私を含めて、健康に関することは別格と納得している。Cimg0207

 検診が全て終わって帰りしなに、ちょっと美人の看護士さんに「なあ~んにも異常なくて、良かったですね。」とニコッと微笑んで言われた。そのニコッが肝心なのだが、もうそれだけて「今日も無駄ではなかった」と納得してしまう。男は、きわめて単純なのだ。 

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2006年8月 2日 (水)

アグリニクス研究会

 農工連携を目指す新しい研究会が発足した。静岡理工科大学と市の肝いりで、農業を元気にしようと言う意図である。人材育成や農業分野でのコンピュータの活用などに取り組もうとしている。

 その研究会の発足に当たって、農業と工業の融合について話をしなくてはならなくなった。実はテーマを頂いてしばらく、そもそも「融合」とは少々大袈裟ではないかと思案していた。核融合なら大きなエネルギーを出すだろうが、細胞融合では大きな成果は期待できないのではないか・・、などと逡巡していたのである。

 それで、一般の株式会社の農業参入を含めて新しい風が吹き始めていること、農業が産業として成長するための環境が整いつつあることなどをお話させて頂いた。Cimg0206

 熱心に頷きながら聴いてくださった方も多く、かなり話し易く感じられた。時代の変わり目には、当事者にとって将来への不安や戸惑いは避けようもない。だから不安の先にある確かなものを、必死になって探そうとする。そいした黎明の中から、着実な歩みが始まっていく。各地で開かれる勉強会は、そうした前進の前触れなのだと思う。「アグリニクス」の新語と共に、この地域の農業が大きく発展することを願って止まない。

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2006年8月 1日 (火)

人生の行間

 人皆同じように幾ばくかの人生を生きるのなら、波乱万丈と言える様な沢山のことをやって見たい。そして「見るべきものは見つ」と言った終わり方が出来るなら、願っても無いことだと思っている。

 しかしながら、一篇のストーリーを書き綴るのだって大変なことだ。仕事に家庭にと、日々の遣り繰りにすらあくせくしているのが現実だからだ。それならば、行間を豊かにすることが出来ないか。そんなことを思い始めたのは、40歳を過ぎたあたりからだ。Cimg0202

 そして、書くこと、走ること、会うこと、作(栽培)ることを始めた。要するに、多かれ少なかれ遊びである。その遊びを続けることが楽しくなった。既に、遊びが道楽になってしまったものもある。でもそのお陰で、私のストーリーの方も幾分骨太になってきたような気がする。

 人一人に与えられた時間は限られているのだが、またまだ遊び足りないと思っている。ともあれ行間が広く開きすぎてしまわないよう自戒しながら、精一杯人生を楽しもうと思っている。

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