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2006年8月 7日 (月)

美術館とお茶

 単にお茶を喫することを、芸術の域にまで高めた男達がいた。それは室町の貴族達であり、貿易都市堺の豪商たちであった。利休や宗久たちは、唐渡りの茶碗や茶花、軸などにこだわり、そしてその装置としての茶室をしつらえた。ついに茶道楽を、道にまで育てたのだ。

 素材は何であれ、思い入れしだいで人々は粋を創り出してしまう。秀吉の粋は、絢爛豪華な権力であり、彼ら茶人の心根とはとうてい相容れられないものだったはずだ。

 本来お茶も芸術も、人々の生活の中にあってこそ、その良さを味わうことが出来るものだと思う。気に入った一幅の絵の前で、ゆっくりと茶を味わう。それこそが、生活の醍醐味ではなかろうか。

 ところが絵や彫刻は、美術館の展示品に過ぎなくなった。ゆっくりとくつろぎながら眺めるなど、思いもよらなくなってしまった。

 以前、ロダンの彫刻の前でお茶が飲めないだろうか。しかも日本茶インストラクターが、最高のお茶を飲ませる。そんな企画が出来ないかと、美術館に提案したことがある。結果は案の定、学芸員の総すかんを食らった。「たとえお茶であれ、芸術の前で物を口にするとはけしからん。もしもお茶が、彫刻にかかったらどうするのか。」と言うものであった。ブロンズは、本来野外に展示されているものだと思うのだが、そんなご見解であった。Cimg0220 

 今、美術館の運営はどこも大変なようだ。予算も削られるし、入館者も少なくなっている。芸術のための芸術にしてしまった結果だろうと思う。芸術はマニアのためのものではなく、人々を元気付けたり慰めたりするもののはずだ。 

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コメント

私達は美術館とお茶、これ今大きな課題を与えられています。
共通のフレーズ・・・キーワード・・・

記事を読んで少し参考になりました。
ありがとうございました。

投稿: 生産者 | 2008年7月20日 (日) 22時12分

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