« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月30日 (木)

華やぎの秋

 収穫の秋から華やぎの秋に、季節は刻々と移ろっていく。Cimg2371

 モミジは、その木一本でも限りなく華やかな風情を醸し出す。

 その姿は、満開の桜に決して劣ることはない。

 それに時々刻々と、その色合いが変わっていく様は、自然の化身と対峙しているようですらある。

 私の勤務している事務所の銀杏並木が、落ち葉折しく銀色の道を作っている。Cimg2397_1

 ついこの間までのうっそうとした並木が、やけに明るくなってキラキラと輝いている。

 四季の移ろうこの国に生まれて良かった。

 つい、そう思ってしまう。Cimg2398

 その紅葉を求めて、多くの人々が出かけるようになった。

 晩秋は、本来うらぶれた季節のようにも思える。

 でも人々は、紅葉の有終の美を求めてあるく。

 この週末、紅葉の名所は車の大変な渋滞が続いた。

 あるいは、この時代の成熟の表れなのかもしれない。Cimg2338

 落ち葉のはらはらと散る隣に、リュウゼツランの花が咲いていたりする。

 だけどその花が、何故か場違いな寂しさを感じさせたりする。

 そう! 人は皆、季節に同化しようとしているのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月29日 (水)

斉藤農園

 駿河湾を一望に望む足鷹山のすそ野に、その農場はあった。

 浮島沼からせり上がった高台に、あの機能的なハウスが凛と並んでいた。

 斎藤さん若夫婦が、命をかけて取り組んでいる農場だ。Cimg2403

 彼らは、アメーラクラブの一員として、高糖度トマトの生産に取り組んでいる。

 高い糖度トマトとは、糖度7度以上のトマトを言う。

 普通のトマトが3~4度だから、色々な工夫をしなくてはそんなトマトは生産できない。

 それを彼らは、夏は糖度7度以上、冬は9度以上のトマトをコンスタントに生産している。

 実は、この高糖度トマトの生産システムを開発したのが、私の所属する研究所なのだ。

 システム開発から、ほぼ10年と少しになる。Cimg2400

 高糖度トマトは、新しい商品として完全な市民権を得るまでに成長した。

 システム開発が、新しい市場を造り上げたのだ。

 高糖度トマトは、極めてシビアーな水分管理によって生まれる。

 斎藤さん夫婦は、その技術に挑戦して8年になる。

 そして今、若い彼らが語る一言一言が自信に満ちている。

 もちろん、苦労は多い。Cimg2402

 でも夢中で、この新しいトマトの世界に挑戦している。

 そして来年は、農場を株式会社化して、より一層機能化させようと意気込んでいる。

 間違いなく彼らの若い力が、新しい産業を作っていくのだ。

 12月2日、静岡市の商工会議所大ホールで「食と農を語るシンポジューム」が開催される。

 奥様の『みさ江』さんは、そのシンポジュームにパネラーとして登場する。

 若い力に、みんなでエールを贈りたい。 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月28日 (火)

メダカと農薬

 いつ頃からか、メダカがいなくなった。

 同様にタニシもカラス貝も見られなくなった。

 ♪「誰が生徒か先生か、みんなで仲良く遊んでる」♪

 そんなメダカの群れを、ついぞ見かけなくなった。

 何故だろう? 

 そりゃ~、農薬のせいだよ!

 誰もが、それで納得してきた。

 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」以降のこの40年、

 農薬の規制は、大変もなく厳しいものになっている。

 毒性だけではなくて、分解の早さや効き目の選択性も農薬登録の条件になっている。

 魚への影響(魚毒)も厳しくチェックされる。

 今日の田んぼへの農薬で、メダカが死ぬ訳はない。

 では何故、メダカがいないのか。Cimg2399

 それは、メダカの住める所が無くなってしまったのです。

 この40年、田んぼの耕地整理がされて、用水と排水が分離され、

 それに、水路はみんなコンクリートになってしまいました。

 それで田んぼには、必要な時しか水は流れてきません。

 普段は、からからに干上がっているのです。

 その用水に流れてくる水だって、ダムから取水されて長いトンネルを流れて、

 パイプライン(水道)で送られてきたりするのです。

 メダカの住むところなんて、有るはずがありません。

 水が無くては、メダカは生きられないのです。

 と言う訳で、メダカがいなくなったのは、農薬のためではなかったのです。

 根拠の無い嘘に、これまで私達は得心していたのです。

 嘘だと思ったら、年中水の有る場所を探してみてください。

 そこには、きっとメダカがいますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月27日 (月)

さつまいも祭り

 四十数年前に、こんな祭りが考えられただろうか。

 さつまいもは、学校から帰って唯一腹を満たす食い物だった。Cimg2390

 浜野(海岸の開畑地)に出かける時は、5km余りの道のりを牛に車を牽かせて、家族そろって出かけた。

 朝から芋を掘り続けて、昼のお弁当の待ち遠しかったこと・・・。

 畑の傍らで屑芋を焼く。その半分炭になった芋が、なんとも香ばしくて旨かったこと。

 戦時中は、その芋の蔓でさえ食料にしたのだと言う。Cimg2396

 それが、やがて食があふれてくると、薩摩芋は豚の餌になった。

 そして今、薩摩芋は健康食材として脚光を浴び始めている。

 紫芋からクイックスイートまで、品種も多彩だ。

 干芋だって色々ある。Cimg2384

 ケーキに菓子、バラエティー豊かな料理の材料として、アイスクリームにだってなる。

 それに食欲をそそるあの香りが、子供の頃の畑の焼芋を思い出させてくれる。

 芋料理・菓子コンテストを見て、改めて「これは昔の芋じゃない」の感を深くした。Cimg2387

 

芋の団子なんて、どんな味がするか食べてみたいと思いません? Cimg2388  

 それぞれの料理だって「芋が入ってるんです・・」って説明が無かったら、「これ、美味しいけどなに?」って聞くよね。きっと!

 焼芋のコーナーに大勢の人が並んで、みんな懐かしそうでしたよ。Cimg2392

 芋、きっとこれ将来性あるよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月26日 (日)

柿と町並み

 遠州森町は、次郎柿の生まれた所だ。Cimg2382

 次郎柿の誕生は、江戸時代末期に治郎吉が太田川の河原で幼木を見つけたことに始まると伝えられている。

 その原木が、県の天然記念物として今も育てられている。

 その森町で、「治郎柿のある風景」をテーマに、第三回目になる町並みと蔵展が開かれた。

 遠州の小京都とも呼ばれた町並みに、再び賑わいをと言うのが目論見である。Cimg2379

 オープンカフェや五平餅、古風なお好み焼き、昔風おでん、盆栽、骨董などで多くの人々が楽しんでいた。

 中には、釜で飯を炊くにわか食堂や柿のテンプラ、創作菓子「柿衣」なども面白い取り組みだ。

 参加した63の家々も、客を呼び込むと言うよりも、それ自体を楽しむ縁日的な雰囲気である。

 自然体でも町がミュージアムになる。Cimg2378

 要するに馬鹿馬鹿しいなどと言っていないで、何事も行動することから始まるのだろう。

 森町には、森の石松の墓所や由緒ある寺社も多い。

 秋の一日を、そんな名跡を巡りながら町並みを楽しむ。Cimg2380

 面白い試みにエールを送りたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月25日 (土)

家族と食卓

 マイホームを考えるとき、誰も一家団欒の食卓をイメージする。Cimg2377

 かつて農業が中心だった頃は、食事時にちゃぶ台を囲むのは必須の風景だった。

 親にしかられて、『飯抜き』となった時の辛さは、今では分からないだろうな~。

 今、昔のようなシンプルな生活様式ではなくなって、家族がそろうことなど稀になった。

 夜勤や塾は当たり前だが、個室に閉じこもって一人で食事する風潮まである。

 場合によれば、同居していても何ヶ月も顔を合わせない事だって有る。

 家族とは、果たしてそんなものだったのかどうか。Cimg2345

 「生みの母より、育ての母」との言葉のように、食を共にしてこそ家族の絆が深まるのだ。

 昨年7月に食育基本法が制定されて、学校でも食についての教育がされるようになった。

 しかし調査によれば、毎日家族で夕食を共にするのは、25%の家庭に過ぎないと言う。

 英語の「ファミリー」は家族の意だが、「食事を共にする人」と言う意味もあるのだそうだ。

 とすると、食事を共にしないのは、家族ではないのかもしれない。Cimg2357

 この国では、家族でない家族が増えていることになるのだが・・・・

 皆さんは、どのように思われます?  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月24日 (金)

風の又三郎

 人は誰も、子供の頃の何でもないような出来事を懐かしく思い出すことがある。Cimg2376

 冒険心や好奇心、いじめや恥ずかしさ、いたずら心、未知の世界への畏怖などを、私達は遊びの中から学んできた。

 時を忘れて暗くなるまで駆け回って、何も考えることなく夢中で遊んでいた。

 テレビもゲーム機も無かったあの頃、Cimg2358

 お寺の境内も縁の下や墓石も、田んぼも竹薮も、木の葉でさえ、みい~んな子供達の夢の世界だった。

 どっどど どどどうど ・・・・・・で始まる賢治の「風の又三郎」は、そんな子供の心理を今によみがえらせてくれる。

 転校生の三郎への好奇心、裏返しのいじめ心、三郎が現われたことで新しい遊びへの飛躍がうまれる。

 はたまた、大人たちの営みと関わる子供達の心の機微が、童話の世界に実にリアルに描かれていく。

 そうだよ、そうだよ、そうして子供は成長していくんだよ。・・・・と思う。Cimg2362

 でも、近頃の子供達は、自然の怖さややさしさとかけ離れた世界で生きてしまっている。

 それに、人と人のかかわりの中で遊んではいない。

 その代わり、TVの物語に感情移入したりするんだろうが、体そのものは何も味わってはいない。

 バーチャルな、あくまでも仮想の世界に遊ぶほか無くなっている。Cimg2364

 「いじめ」は、いじめる方もいじめられる方も、そんな心底からの原体験が無いから歯止めがなくなるのではないか。

 せめて、「風の又三郎」くらい学校で読ませたい。

 「風の又三郎」は、賢治の発表されなかった未完成の作品なのですが、(現代に翻訳して)是非読ませるべきだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

童話と賢治

 「銀河ステーション、銀河・・・~」Cimg2365

 カンパネルラとジョバンニの二人の銀河への旅の始まりです。

 宮沢賢治は、その37年の生涯を、夢の中に生きた人のような気がします。

 賢治の感性は、環境問題や法華経、自然科学、芸術や農村社会問題、教育とあらゆる角度を向いています。

 そして、宇宙空間にすら目を向けているのです。Cimg2360

 農学校の教師として稲作の改善に奔走する一方、

 彼は、おおよそ百篇の童話を書いています。

 今日の日本の童話作家は、多くが女性です。

 童話を書く男性は、ほとんどいないと言っていいでしょう。Cimg2366

 でも賢治は、有り余る感性を持て余しながら、さまざまな童話を書いているのです。

 「法印の孫娘」「フランドル農学校の豚」「セロ弾きのゴーシュ」そして「銀河鉄道の夜」などですね。

 それに「猫の事務所」にも、私はすごく教えられました。Cimg2368

 彼の童話に登場する人物や不思議な行動には、奥深い暗示のようなものがあります。

 そんな賢治の童話が、今日本の子供達にどの位読まれているでしょうか?

 話は少し変わりますが、ベルギーのアントワープを舞台にした童話、 

 「フランダースの犬」を読んだことがありますよね。

 あの貧しいネロ少年と老犬パトラッシュの悲しい物語です。

 子供の頃、この童話を読んで胸がキュンとなったのを今でも覚えています。

 あの童話は、実はその舞台となったベルギーでは、ほとんど知る人が無いんだそうです。

 作者が、英国人の女性作家ウィーダで、ベルギーの人情を冷たく書いているのが理由かもしれません。

 しかし子供の私にとって、アントワープの大聖堂に掲げられたルーベンスの名画の前で死んでいく、

 ネロ少年と老犬の話は大変にショッキングでした。

 ベルギーでフランダースが知られないように、童話とはそんなものだと言うことでしょうか。

 それに、賢治の童話が余り知られないのは、東北弁で書かれていることと、

 今日の私たちの生活が、余りにも自然とかけ離れた所に生活しているからでしょうか。

 それにしても昭和8年、「ああいい気持ちだ・・・・」と言って、37歳でこの世を去った賢治は何者だったのでしょうか。Cimg2367

 ちなみにこの年、日本は国際連盟を脱退、ドイツにはナチス・ヒットラー内閣が誕生しています。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月22日 (水)

新渡戸稲造

 日本の近世における最初の国際人は、新渡戸稲造の他にはいない。

 稲造は、盛岡藩の藩士(勘定奉行)の七番目の末っ子として生まれている。

 ペリー来航から、10年ほど後のことだ。

 その稲造が、フィラディルフィアでメリー婦人と結婚したのは、明治24年のことである。

 当時のことであり、日本の世論が、奇異の眼で見たことは想像に難くない。Cimg2370

 やがて日本に倫理(宗教)教育のないことを咎められた彼は、「武士道」を著してアメリカで出版する。

 その武士道は、日本人の心として、世界中に大きな反響呼び起こす。

 稲造、38歳の時の事だ。

 大正9年、国際連盟が結成されると、稲造は初代事務次長に就任する。

 しかし「願わくは われは太平洋の橋とならん」との彼の思いは、時代の暗雲が掻き消す結果となっていく。

 だが彼は、外交官としても法学者、ジャーナリスト、それに教育者としても大変な活躍をしたのです。

 あっ、それから彼は、日本で最初の農学博士として、農政の原点を語った人でもありました。

 「農は万年を寿ぐ亀の如く 商工は千歳を祝う鶴に類す。即ち農は一定地にありて、堅くかつ永く守り、商工は広くかつ高く翔って、その勢力を示すものなり。故にこの両者は相俟って、初めて完全なる経済の発展を見るべく・・・」とは、彼の言葉だ。

 彼は最晩、下田市に地蔵を建立している。

 初代総領事タウンゼント・ハリスに使え、不遇の生涯を送ったあの「お吉」の地蔵である。

 昭和8年、地蔵の建立を指示したその足で、日米関係修復の交渉に向かったまま、彼は帰らぬ人となった。 Cimg2372

 新渡戸家の父祖の地(花巻)に記念館がある。

その庭に、もみじが物言うかのように見事に色付いていた。

 今、日本人に最も必要なものは、武士道を思い起こすことだとの声が聞こえてくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月21日 (火)

晩秋の東北

 岩手県の花巻を訪れた。

 既に山の木々の落葉はかなり進んで、晩秋の色が濃い。

 仙台以北の晩秋の景色は、東海や西日本とは相当に違った風情を見せる。

 東北の山々は、こぞって紅葉するのだ。

 杉や桧の純林となっている常緑地帯とは、まったくおもむきが違う。Cimg2373

 その景観の異なる原因は、気象条件ばかりではなくて、多分に歴史の所産なのだ。

 明治維新の際、会津を筆頭に多くの東北諸藩は賊軍となった。

 結果として、維新政府に占領されることになった。

 それで占領地の山野は、すべからく政府のもの。つまり国有林になった。

 人々の住む軒先まで国有林と言うのも、決して珍しくない。Cimg2375

 山の頂まで植林の進んだ非占領地の私有林とは対照的に、国有林では雑木林がいまだに多くを占めている。

 つまり東北地方には、日本列島の原風景が残されているのだ。

 その雑木林が、一斉に冬の到来を告げていた。

 山と言う山がすべからく紅葉して、人々に冬支度を催促しているように見える。

 縄文の昔、人間とても一冬を越すのは大変な事だっただろう。Cimg2374

 食料や燃料の貯えだけでなく、雪の中での半年間、家族全員無事などということは稀だったのかもしれない。

 この赤や黄色の山々は、そんな人々の営みの中にあったのだ。

 現代の私たちが、赤や黄色に幾分の緊張感を覚えるのは、そうして生き抜いてきた祖先のDNAの故かもしれない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

茶は養生の仙薬

 先日、全国お茶まつりが静岡県の川根本町で開かれた。

 そのまつりの一環で機会を頂き、少しばかり持論を発表させていただいた。

 たまたまその会場に、川根本町で茶作り名人として知られる「高田恵夫」さんがおられた。

 高田さんはスピーチを終えた私に、「良いお茶が出来たから、送りますよ」とおっしゃった。

 そのお茶が、今日届いた。Cimg2356

 お送り頂いたそのお茶は、「香春の釜炒」だ。

 高田さんは、台湾から釜炒の機械を輸入して、あれこれと新しいお茶製造を試しておられる。

 このお茶は、香りに特徴のある「香春」という品種の釜炒り茶なのだ。

 丸まった茶葉とその香りは、釜炒り茶の特徴でもあるのだが、

 早速、この茶に「熱湯」を注いで頂いた。

 なんとも癒される香気が立ち上り、味にはくっきりとした爽やかさがある。

 試作だとおっしゃっていたが、名人のつくるお茶とはかくなるものと感じ入る。

 しばし、幸福感に満たされていた。

お茶は、美味しいサプリメントだ。

 かつて鎌倉時代の栄西禅師は、「喫茶養生記」で仙薬だといった。

 江戸時代の貝原益軒は、「養生訓」もしかりである。

 その茶の持つ多様な生理活性が、今では科学的に証明されている。

 茶カテキン、カフェイン、テアニン、Γミノ酪酸などの作用なのだ。

 そのお茶を、味わいながら頂いている。

 『 名人の 気概香るる 釜炒茶 』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月19日 (日)

ホウレンソウの休日

 今年は暖冬のようで、野菜の生長がすこぶる良い。

 だから値段は軒並み、農家泣かせの水準が続いている。

 立派なダイコンが、一本店頭で50円では生産者の手取りは25円位だ。

 畑から収穫して、水洗いする手間賃にもならないだろう。

 かく言う私も、休日には野菜作りに精を出している。 

 毎週末には、必ずホウレンソウを蒔くのだ。Cimg2354

 蒔くだけではない。

 蒔き床の調整や施肥、間引き、害虫の捕殺などなど、随分とやることはある。

 そんな訳で、私の週末の5時間位はホウレンソウのために提供している。

 農薬はテデトール(手で捕る)のみ。

 手間隙かけて育てている、そのホウレンソウが安いのだ。

 癪だから朝市なぞに出したくは無いのだが、楽しみにしている人もあると言う・・・・。

 だから今日もせっせと、種を蒔いている。Cimg2355  

 早く、痺れるような寒さが来ないかな~。

 『 空っ風 野菜の安さ 吹き飛ばし 』

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月18日 (土)

アテモヤを商品に!

 三重県の公立研究機関は、すべて科学技術振興センターに一本化されている。

 その農業研究部、紀南果樹研究室を訪れた。

 そこで、7年ほど前に食べた珍しい果物と再会した。

 アテモヤである。別名、森のアイスクリームとも言われる。

 実は以前、某試験場で試食した際にはあまり美味くなかった。

 そのアテモヤが、試食用に出てきたのだ。

 どうせ・・・と思って口にしたのだが、???? 何と、糖度は17から20度はあろうか。

 それに、実に美味しいのだ。Cimg2351

 お話を伺うと、かつて私が試食したその某試験場から、苗木を分けてもらったのだと言う。

 某試験場では、既に実用化の可能性なしとして放棄してしまっている。

 ところがここでは、葡萄のように棚仕立てにして、たわわに稔っている。

 某試験場のような鉢植えの一本仕立てでは、極めて収量が少なくて採算性が悪い。

 だから、棚仕立てにして人口受粉で十分な収穫が出来るようにした。Cimg2349

 それに、後熟が必要なこの果実は、食べ時の見極めが肝心だと言う。

 それを的確に見極めて、冷凍してしまう。

 冷凍して流通させ、消費者には完熟を提供したらどうか。

 そうすれば、文字通りアイスクリームになる。

 研究員の熱意が、一つの特産物を生み出そうとしている。

 可愛そうなのは、新しいもの好きの某試験場である。Cimg2350

 「物にしてやる」という熱意が足りなかったのだろうか? 

 折角の素材を、生かすことなく見事に逃してしまった。

 一方の研究員は、「何とか業績を上げなければ生き残れない」と事を成し遂げようとしている。

 この試験場は公立とは言え、工業などと研究部門が一本化され、予算もその中で競争的になっているのだ。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月17日 (金)

熊野という所

 初めて熊野の町に降り立った。

 熊野は、伊勢神宮から本宮に向かう伊勢路の途中にある。

 山が折り重なって海に迫り出し、その山ひだに分け入って田を開き、

 営々と人々の暮らしを広げてきたような所だ。Cimg2341_1

 丸山の千枚田は、そんな人々の累代の積み重ねを形にして残している。

 400年前に2,200枚の田があったと言う。

 今でも復田されたりして、1,340枚が生きて使われている。

 人間の暮らしの執念のようなものを感じてしまう。Cimg2353_1

 そんな土地柄が、熊野水軍や根来衆、そしてまた一向宗を育てたのだろう。

 熊野は、鉱山の街でもあった。Cimg2343_1

 古くは奈良時代、大仏鋳造のための銅を供給したと言う。

 鉱山は昭和53年まで続いて、今でも鉱山資料館やトロッコが残されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月16日 (木)

風土が育てた作物

 私の育てている葡萄には、ヨーロッパ系とアメリカ系がある。

 欧州種は、マスカットに代表されるように香りが良くて、実もシャキシャキとしまっている。

 日本のように高温多湿なところでは病気が多くて、極めて栽培の難しい品種だ。

 一方の米国種は、デラウェアのように、病気にも強くて日本でも立派に育つ。

 このため日本では、欧州種と米国種の特性を生かしつつ、欧米雑種を育成して来た。

 それが「巨峰」や「ピオーネ」「水峰」、それから最近の「オリエンタルスター」などの品種だ。

 日本では色々な品種が育てられて、生食用100品種、ワイン用70品種が栽培されている。

 ともあれ、欧米・米国種の形質の違いを生み出したのは何なのか。

 アメリカは、雨が少なくて乾燥しているため、植物の病気が極めて少ない。

 だから防除はもっぱら害虫と雑草対策をすればよいのだが、品種そのものが病気に強いのだ。

 この点欧州は、低温で雑草や害虫が少ない代わりに病気が多い。

 それにもかかわらず、病気に弱い品種を作り続けている。

 それぞれ風土が育てた葡萄なのに、欧州では病気に弱い欧州種をもっぱら栽培し、

 米国では、病気に強い米国種を栽培している。

 本来、逆であってしかるべきと思うのだが、何故なのだろうか。

 植物の生き方を決めるような、不思議な風土の力が、そこに有るのだろうか。

 考えてみれば人間だって、生まれ育った場所によって、随分と性格の違った人種になるよね。

 過保護にすればするほど、弱い体質になって行ったりして・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月15日 (水)

新しい時代の薩摩芋

 今日は、薩摩芋について書きます。

 江戸時代の享保の頃、飢餓に苦しむ多くの人を救ったと言うあの甘藷のことです。

 その飢餓を救ったサツマイモを普及したのは、青木昆陽ですね。

 昆陽は、長崎でサツマイモという作物を知って、著書などによって全国に知らせたのです。

 でもそのルーツは、北米のメキシコにありました。

 それをコロンブスが、新大陸発見の土産にスペインのイザベル女王に献上したのです。

 でもヨーロッパではジャガイモのようには広がらず、アジアの諸地域で栽培されるようになります。

 日本列島には1600年頃、福建省から沖縄、さらに種子島を経て鹿児島に伝わっています。

 それで、薩摩芋と言うんでしょうね。

 その薩摩芋が、今色々な面から注目されているのです。Cimg2337

 まず、その用途の広がりです。

 不可視芋焼芋はもちろんですが、今では各種のペーストやケーキ、パン、蕎麦、ジュースの材料としても使われるようになりました。Cimg2334

 あの濃い紫の「種子島ムラサキ」や、ピンクがかった黄色の「紅高系」などの色も良いですね。Cimg2335

 よく観察すると薩摩芋は、

 少しの肥料で、沢山採れます。

 それに、植物繊維、セルロースが多くて極めて健康食なのです。

 おまけに、βカロチンの量は人参をはるかに上回ります。

 紫芋には、ポリフェノールがたっぷりで、野菜の中では最も多く含まれています。

 そんな訳で、生産量も徐々に回復しつつあります。Cimg2331

 青果用に50%、澱粉向けに20%、加工食品仕向けに10%、焼酎に10%、その他で10%活用されています。

 最近では、「クイックスイート」なんて品種が出てきて、電子レンジで5分チンとするだけで食べられるんですって。

 やがて、βカロチンたっぷりの「ハマコマチ」が、遠州から出荷されますよ。Cimg2339

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月14日 (火)

米と日本人

 日本人にとって米は、弥生の昔から深く関わってきた相棒だ。

 否、米がこの国の形を作って来たとすら言える。

 じゃあ日本人が、米をちゃんと食ってきたかというと、そうでもない。Cimg2330

 実は、日本人が米を十分に口に出来るようになったのは、つい近年の高度経済成長期になってからのことだ。

 「貧乏人は、麦を食え」と失言した総理大臣がいたけれど、それは本当のことなのだ。

 では何を食っていたのかと言うと、一般の庶民は長い間、アワとかヒエなどの雑穀、それにイモ類を食べていた。

 米を食えるのは、ハレの日(物日)しかなかった。

 日本人にとって、米は力の源泉だった。

 正月の鏡餅のことを、力餅という。

 力うどんと言えば、餅入りのうどんの事だ。

 人が亡くなると、枕元に玄米の飯を備える。三途の川を渡りきる力をと、備えるのだ。

 すし屋では、米の飯をシャリという。

 シャリとは、仏舎利。つまり、お釈迦様の骨のことだ。

 江戸時代には、人一人を養うのに米を一石(150kg)必要とされた。

 日本人の衣食がやっと足りるようになった昭和37年、米を一人当たり平均118kgも食べた。

 しかし最近では、60kgも食べなくなった。

 「食」と言うものは、時代と共に変わる。

 米はかつて、必需物資だった。

 冷蔵・冷凍技術の発達した今日では、肉を含めどんな食材でも長期保存できる。

 それで米も、長期保存できる食料品の一つに過ぎなくなったのだ。

 それでも私達は、米にこだわり続けている。

 かつては、5,000円程で炊飯器が普通に買えた。

 でも今では、内釜が炭釜や土鍋だったり、金の粒子でコーティングしてあったりして、値段も10万円近い。

 そんな炊飯器が、どんどん売れているのだ。

 これから先日本人は、米に何処までこだわっていくのだろうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

光の世紀

 人間には、分からないこと、まだ知らないことが無限にある。

 光と言うものも、その一つかも知れない。

 1905年に、アインシュタイン人が特殊相対性理論を発表しました。

 「エネルギーは、質量に光の速さの二乗を掛けたものだ」と言うものです。

 宗教の話よりも難しい、分からない内容ですネ。

 でも、光は私たちの存在を含めて、この宇宙の全ての源らしいのです。

 現実に私達は、光エネルギーの育てた食物を食べて生きています。

 ブロードバンドのように光ファイバーで、情報をやり取りするようにもなっています。

 医療にも、光が使われています。

 TVを見られるのも光のおかげだし、最近ではレーザー加工など工業的にも光が使われます。

 それに何よりも、私たちの気分を明るくしてくれるのも光だよね。

 19世紀は、蒸気の時代だった。

 蒸気機関が発明されて、船や列車、工業など産業革命が起こります。

 20世紀は、電機の時代だった。

 マックスウエルらの研究で、家電を始めとした消費資材や社会構造を変えてしまったのが電気でした。

 そして、21世紀

 生命体の情報伝達やレーザーなど、光を本格的に利用する時代だと言うのです。

 光が作用する現象についてもっともっと研究されて、人々の健康や医療に革命をもたらすのかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月12日 (日)

大井川紅葉マラニック

 大井川上流の接岨峡から、大井川に沿って金谷まで60kmを走る。

 それが、今回の企てである。折りしも、紅葉の美しい季節である。

 昨日、金谷駅に集合した一行23名は、東京や名古屋から、そして最も遠方から参加したのは岡山の石原さとみさんだ。Cimg2311

 金谷発の蒸気機関車は、いにしえの力を振り絞って、汽笛と共に一路千頭へ。

 社内では、車掌がわたしたちを飽きさせない。大変な心遣いである。

 彼女が吹くハーモニカの鉄道唱歌に、私達も思わず口ずさんでしまう。Cimg2310

 竹皮の弁当が配られて、楽しく談笑するうちに千頭に。Cimg2309

 千頭からは、トロッコ列車でさらに一時間余り、宿舎の接岨峡に到着する。

 ヌルヌルとした温泉の後は、みんなで交流会が始まる。

 それぞれの気持ちと体の若さに、今回も感心しきりとなる。Cimg2316

 翌朝、五時の朝食。六時、まだまだ暗い中をいよいよのスタートである。Cimg2317

 長島ダムの堰堤を越え、幾つかのつり橋を渡りするうちに、最初の群れはばらばらに。

 私達は、たったの四人になってしまった。Cimg2318

 中川根の不動の滝は、昨夜来の雨の為か荘厳な風情で、青空と紅葉の中に輝いていた。Cimg2322

 45kmを過ぎたあたりで、私の足が痛みと共にグ~ンと遅くなる。

 日が傾いて寒風の吹く中を、とうとう一人旅になってしまった。Cimg2325

 それでも15時22分、金谷駅にゴール。

 それぞれ到着しだいラップを自己申告し、三々五々岐路についた。Cimg2328

 フゥ~ウ!今日はきつかった。一緒に走って下さった皆さん、ありがとう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

高橋尚子

 私は、マラソン選手が好きだ。

 中でも、何故か高橋尚子選手に、大いなる好感を持っている。

 もちろん、シドニーでの金メダル以前からだ。

 彼女のその時々の心の動きが、私達にも伝わってきてしまう。

 そんな素直で赤裸々なところが、気に入っているのかも知れない。

 小出監督とのコンビ解消、疲労骨折など人生の暗闇の中も歩いてきた。

 そんな中でもチームQを結成して、メゲルなんてことがない。

 人生への挑戦の姿勢を、少しもぶらせていない。

 暗闇をくぐってきただけに、以前よりもずっと逞しくなった。

 今月19日、高橋は再び東京国際マラソンを走る。

 高橋の走りに期待しよう。そして、努力してきた高橋を北京に送りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月10日 (金)

世界お茶まつり

 世界お茶まつりは、2001年に静岡で始まった。

 お茶に関わる生産・流通・消費文化・学術研究・歴史・あそびなど、全ての要素を取り混ぜた世界的なイベント。

 そんなイベントが可能なのか? 当時は、関係者でさえ訝る挑戦でした。

 そのイベントに、世界各国を含めて17万人もの人々が集まった。

 各国のメディアも、この風変わりなイベントを取材に訪れた。

 そしてその催事を目指して、多くの生産機械や茶関連商品が開発されもした。 

 私はこれを、プロジェクトXで取り上げてもらっても良いんじゃないかと思っているくらいだ。

 ともあれ、第二回を2004年に開催し、いよいよ来年は第三回の世界お茶まつりが開催される。

 世界お茶まつりは、歴史になったのだと思う。Cimg2306

 今日から川根本町で、全国お茶まつりが開かれている。

 キムタクの「武士の一分」録画セットでの茶席や、お茶と水研究会の講演会ね創作茶室など、 多彩な催しが繰り広げられている。Cimg2305

 私は、研究会の講座の中で「茶業界の常識を問う」のテーマで、やや挑発的な話をした。

 私の話が、お聞きになった方にどのように響いたのかは分からない。

 でも、時代は明らかに変わりつつあることを伝えたかったのだが・・・・Cimg2302

 そして、需要が供給を生み出すのだということを踏まえて、何をすべきかを伝えたかったのだが・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 9日 (木)

地球と炭酸ガス

 世界気象機関は、昨年の大気中の炭酸ガスの濃度が379ppmになったと発表した。

 もちろん、観測史上最高の数字である。

 ほぼ50年前の数値が315ppmだから、64ppm(2割)も増えたことになる。

 それに最近の十年では、毎年2ppm近く増え続けているのだと言う。

 アメリカの気象学者ジェームス・ハンセン氏は、「地球に残された時間は、10年しかない」と警告している。

 このまま炭酸ガスを放出し続ければ、2~3度気温が上昇することで、地球は異なった惑星になるだろう・・・と。

 百年前の地球の人口は、16億人に過ぎなかった。

 それが今日では60億人を超え、その人類がこぞって石化エネルギーを消費している。

 地球が46億年もかけて蓄えた石炭を掘りつくし、石油を汲みつくそうとしている。

 このまま限りある資源と環境を浪費していくなら、人類が生存できるところはやがて無くなってしまう。

 出来る限り早く、再生可能なエネルギーに転換しなくちゃいけない。

 それは、バイオ燃料への転換の他ない。

 自ら田畑や山で燃料を生産し、その燃料を消費する限り破滅は起こらないだろう。

 科学技術は今、燃料生産のためにこそ必要なのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 8日 (水)

人間は何を食べてきたのか?

 人類は、何を食べて生き残ってきたのだろう?

 古くは、木の実やけものを獲って命をつないできたはずだ。

 いつの間には人間は、実の成る樹を大切にするようになる。

 栗の樹の周りの雑木を倒せば、栗の樹が大きくなることを学習するのだ。

 やがて、実の成る樹そのものを増やし始める。

 人間の人口が飛躍的に増えるのは、穀物を生産できるようになってからだ。

 栽培の最初は芋などだったかもしれない。

 でも、長期保存が可能な穀物の栽培は、人間を社会的な生き物に変えていく。

 そして、人間を変えた三大作物とは、米と小麦、そしてトウモロコシだ。

 「一粒の麦、地に落ちて死なずば・・・・多くの実を結ぶべし」新約聖書の言葉である。

 小説の題になるほど有名な言葉だが、一粒の小麦が地に落ちて実を成らせても、たかだか300粒位にしかならない。

 それに比べると米は、苗が分けつして穂を着けるから2000粒位にはなる。

 一粒の「米」の方が、はるかに多くの実を結ぶのだ。

 仮に東洋で聖書が書かれたのなら、「一粒の米、・・・・」となったはずである。

 麦は、トルコやイラク付近に始まって、牧畜と共にヨーロッパに広がる。

 紀元前2500年頃のことである。

 日本列島には、紀元5~600年頃に朝鮮から伝わる。

 でも、この日本列島で、麦の文化が花開くことは無かった。

 この列島の民族が、明らかに米をこそ選択したからだ。

 今私たちは、地球上で産するありとあらゆるものを食べている。

 だけれども、私たちの食のルーツは米にあるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 7日 (火)

大学って!!

 大学と言うものは、中世ヨーロッパ、イタリアのボローニャで知的創造組織として始まったのだそうだ。

 恐らくは、宗教の対極にあって真理を探求しようとする、市民社会の黎明ではなかったかと思う。

 話は、オランダに飛ぶ。

 16世紀後半まで、オランダはネーデル(低い)ランドと呼ばれて、他国の王や司教の領土であった。

 それが、プロテスタントへのスペイン国王の弾圧を契機に、市民の抵抗運動となって独立への道を開く。

 彼らは、17世紀中ごろまで80年間も抵抗運動を続けて、ようやく独立を勝ち取った。

 そのオランダに、ライデンと言う都市がある。

 かつてライデンの市民は、その市民の全てが一年間もの間小さな丘の城砦に閉じ篭り、スペインの猛攻に耐え抜いた。

 そしてついにライデン市民は、自から海岸に築いたえん堤を切り崩して、スペイン軍を水攻めにし退却させることに成功する。

 時の独立運動の指導者オラニエ公は、ライデンの市民の激闘をたたえて、ライデンを免税地域とすることにした。

 ところがライデン市民は、「それよりも大学をつくってほしい」と申し出たのだそうである。

 それが今日のライデン大学である。16世紀後半のことだ。

 話は変わって、アメリカである。

 1620年、メイフラワー号で英国を出帆した102人の移住者がいた。

 彼らは、ピューリタンの一派であり、一時自由を求めてオランダに流遇していた

 その彼ら(ピリグリム・ファーザーズ)が、新大陸に入植することになる。

 そして、入植16年後に、ボストン郊外にアメリカ最初の大学ハーヴァード大学をつくる。

 それが、今日の合衆国の原点になった。

 人々の自由と知的探求の象徴が、まさに大学だったのだ。

 今日本では、同世代の約45%が大学に行く。

 かつてのエリート教育と研究の拠点が、今日では只の高等普遍教育の機関に成り下がった。

 かてて加えて、少子高齢化である。

 1992年の18歳人口は、205万人いた。

 今日では、120万人になろうとしている。

 それに職業高校の就学者は、23%にまで減って、残りは全部普通高校になった。

 一体全体、この国の職業教育は何処でするのだろうか。Cimg2298

 静岡県立大学の創立20周年式典に臨んで、そんな他愛の無いことを考えていた。

 何のための大学かを、今こそ考えなくてはならないのだが、国会の教育論議にそんな視野があるのかどうか? 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 6日 (月)

ツワブキ

 何時の間にか、ツワブキの花が咲いている。

 漢字で、「石蕗」と書く。Cimg2297

 垣根の北側なぞの半日陰に生えていて、秋から冬にかけて黄色の花をつける。

 葉は蕗(ふき)のようで、花は菊に似ている。キク科の多年草だ。

 蕗の字が当てられているとおり、古くからキャラブキのように山菜としても利用されてきた。

 春先の若い葉柄を摘んで、皮をむいてゆでる。

 これを水に晒してあく抜きをし、煮物や揚げ物、粕漬けなどにする。

 それに加えて葉の部分は、湿疹などに効果があるらしい。

 ちょっと控えめで、茶室の庭に良く似合うツワブキである。

 話は変わるが、今年はお茶の花が数多く咲いている。

 先日牧の原で、茶園の色が変わるほど咲いているのを見て驚いた。

 茶の畝が一面黄色なのだ。Cimg2293

 しかし良く考えてみると、茶の樹は葉を伸ばすためではなくて、花を咲かせて実を成らすために生きている。

 花が咲いて当然なのである。

 それに茶の樹は、山茶花や椿と同じ仲間で、カメリア・シネンセスというツバキ属の名前を持っている。

 かつては、お茶の実を採って、その実をまいて増殖させたのだが、

 今では挿し木の技術が当たり前になって、花は無用の仇花扱いされるようになった。

 同じ地味な花であっても、人間と同様その咲かせかたが肝心なのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 5日 (日)

巧妙が辻ラン

 巧妙が辻! その掛川の名所旧跡を回るマラニックを走ってきました。

 秋空の下で、とても良い汗をかくことが出来ましたョ。Cimg2283

 一豊公ゆかりの掛川城から円満寺、永江院、龍尾神社、真如寺、日坂宿本陣、久延寺、つま恋と、27kmを巡ったのです。

 円満寺には一豊公時代の蕗門が残っています。今はお寺の門として古色蒼然としています。Cimg2284

 

 永江院には、一豊が寄進?したと言う龍の彫り物が残っています。

 左甚五郎の作と言うのですが、チョットばかり素人っぽい彫り物でした。

 参詣をしていると、この寺の奥さんが出てきて、「この寺には、一豊のおめかけさんの墓がある」とおっしゃる。

 それではと、裏山の頂まで登って行くと、山内家累代の墓があって、そのうちの一基に「登勢」の名がある。Cimg2288

 はてさてこの地に、一豊の妾がいたのかどうか???一豊自身は、この城に半年もいなかったのだが。

 いたとすれば、それは弟のそれではなかったのかとも思った?。

 しかし、世の中の風評とは、げに恐ろしきものかな!

 龍尾神社は、掛川城の鬼門の位置に落ち着いたたたずまいで鎮座していました。Cimg2289

 ちょうど七五三で賑わっていましたよ。

 この神社は、お参りするには雰囲気が随分良い。

 この分社が、高知にもあるんだそうです。

 真如寺は、一豊の叔父が建立したんだそうです。Cimg2291

 徳川初期に、悲劇の舞台にもなったりしたらしい。

 日坂の宿場は、かなり良く保存されていると言ってよいでしょう。

 旅籠や女郎宿まで往時を偲ぶことが出来ます。Cimg2292

 この旅籠の川坂屋には、明治の海軍大臣で隆盛の弟、従道も泊まっています。

 一豊が、上杉討伐に向かう家康を迎えたのが久延寺です。Cimg2294

 此処で一豊は、東軍に加わることを決意したと伝わっています。

 小夜の中山のはずれにある久延寺から、つま恋まで13kmあまり。

 下りが多いから一気に飛ばして、つま恋ではやはり皆で完走パーティとなりました。Cimg2296

(写真は、クリックすれば大きくなりますョ)

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月 4日 (土)

小笠山マラニック

 マラニックとは、もちろんマラソンとピクニックの要素を組み合わせたスポーツのことだ。

 私はもう15年余り、小笠山の山頂付近の国有林の尾根道を走っている。

 このコースが、春夏秋冬まことに新鮮でリフレッシュできる道なのだ。

 私達だけが独占しているのは、もったいないのではないか。

 もっと沢山の人々に知ってもらって、小笠山の素晴らしさを認識してもらえないだろうか。

 小笠山は、東海道沿線にあって、ポツンと緑のコロニーのように広がっている。

 都市部に近接していて、1万haもの緑の塊なのだ。

 もっと身近に活用しない手は無い。

 それに近在にすむ人々でも、この山がどんな構造をしていて、歴史的にどのような役割を果たしてきたのかなど、ほとんど承知していない。

 標高264mの山頂付近には、小笠山神社が鎮座し丁重に祭られている。

 戦国時代には、家康はこのあたりに陣を構え、高天神城の武田勢と対峙したのだという。

 南の山麓には、その高天神城跡があり、

 西の山麓には、法多山尊栄寺が信仰を集めている。

 もちろんワールドカップの舞台となったエコパもその一角にある。

 その小笠山を縦横に辿るマラニックをやろうと提案している。

 そこで先日、コースの下見を兼ねて25km余りを走ってみた。

 エコパから法多山を経由して小笠山神社に、尾根道を下ってチャピアに至る。

 チャピアからエコパに戻るコースである。

 小笠山神社では、祭礼と重なって稚児が舞を奉納していた。

 それに若衆は、流鏑馬の最中であった。

 澄んだ秋の空気の中で、快い半日を過ごすことが出来た。

 マラニック、是非やりたいと思っている。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 3日 (金)

オルガン

 今日は、文化の日である。

 私も、少しは文化的なことをしようと思って、浜松カンファレンスに出かけた。

 そこで、オルガニストの絹村光代さんの演奏を聴くことができた。

 オルガンで聴くバッハの「G線上のアリア」など、分からないなりに良い気分になった。

 人の耳に聞こえるのは1万サイクルが限度だけれど、~4万サイクル位まで耳に聞こえない音があるのだそうだ。

 その音をパイプオルガンは出している。Cimg2278

 その耳に聞こえない音こそが、人間の活性を高めるのだと言う。???

 ところで、オルガンのことを、日本ではパイプオルガンと呼ぶ。

 日本でオルガンと呼んでいたのは、小学校の唱歌のアレである。本当は、アレは簡易オルガンなのだ。

 浜松市には本物のオルガンが、フランス製とドイツ製の二台ある。二台もあるのは、珍しい町なのだそうだ。

 オルガンは大変古い楽器で、起源は紀元前2300年頃エジプトで発明されたのだそうだ。

 ラテン語でオルガヌスとは、機械・道具と言う意味だそうです。

 道具は、楽器から始まったのでしょうかね?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

新しい産業形成

 地域イノベーションとかクラスター、地域連携などと、訳の分からない掛け声があふれている。

 つい最近も、浜松にJST(科学技術振興機構)の拠点が開設された。

 地域のネットワークによって、新しい産業を生み出すのだと言う。

 どうも訳の分からない言葉には、信用できない部分がある。

 一昨日も、静岡で「食料産業クラスター協議会」なるものが発足した。

 いずれにしても、実態はどこにあるのかさっぱり不明である。

 要するに、新しい技術をもって新しい産業をいかに創り得るかという事に尽きるのだが・・。

 物流と言うものが、この十数年で随分と変わってきた。

 食料で言うなら、かっては卸売市場に物を送れば、国の隅々までそのものが分配されるシステムだった。

 今、その農産物の実需の多くが、メガマートや外食や惣菜などの食料産業になった。

 食料産業クラスターとは、

 かつての枠組みを、新しい実需の枠組みに変えること、ただそれだけの事なのだ。

 大袈裟にクラスターなどと、粋がる事は無い。私は毎年、ぶどうのクラスターを山ほど育てている。

 ともあれ、次世代のフードシステムをどのように作るかと言う模索は肝心な話だ。

 食をめぐる事象は、これから大きく変わっていく。

 そのビジネスモデルをシステムとして作っていく。

 既存の抵抗勢力を阿ることなく、時代のニーズに素直に行動すれば良いだけのことだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 1日 (水)

コーヒーのミルク ?

 昔 「ミルクを入れないコーヒーなんて、コーヒ・・」そんなコマーシャルがありましたネ。

 洗脳された訳じゃないけど、私はいつもコーヒーにはミルク?を入れて飲んできました。

 入れたコンデンスミルクが傷んでいて、腹の具合を悪くしたことさえあります。

 でも最近では、そんなことはまず無くなりました。

 衛生管理が行き届いたのだと思っていました。

 ところが、小さな容器に入ったコーヒー用のミルク?

 あれは、牛乳でも生クリームでも何でもないんだそうです。

 あいつは実は、植物油と水に乳化剤を入れ、白濁させてミルク風にしたものなんだそうです。

 ミルクなんて、一滴も使っていないんです。

 使い放題になっているのも、当然でしょう。

 だけど、ミルクだとばかり思って、この間なんか二つも入れてしまった私の立場はどうなるのでしょうか。

 それは確かに、植物油でクリームを作っちゃいけないって法律は無いから、違法ではありません。

 それに良く見ると、ミルクと書いてもありません。

 こんど彼氏とお茶を飲む時、もしも、あのちっちゃな容器が出てきたら、間違っても「ミルク入れます?」なんて聞かない方が良いですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »