大学と言うものは、中世ヨーロッパ、イタリアのボローニャで知的創造組織として始まったのだそうだ。
恐らくは、宗教の対極にあって真理を探求しようとする、市民社会の黎明ではなかったかと思う。
話は、オランダに飛ぶ。
16世紀後半まで、オランダはネーデル(低い)ランドと呼ばれて、他国の王や司教の領土であった。
それが、プロテスタントへのスペイン国王の弾圧を契機に、市民の抵抗運動となって独立への道を開く。
彼らは、17世紀中ごろまで80年間も抵抗運動を続けて、ようやく独立を勝ち取った。
そのオランダに、ライデンと言う都市がある。
かつてライデンの市民は、その市民の全てが一年間もの間小さな丘の城砦に閉じ篭り、スペインの猛攻に耐え抜いた。
そしてついにライデン市民は、自から海岸に築いたえん堤を切り崩して、スペイン軍を水攻めにし退却させることに成功する。
時の独立運動の指導者オラニエ公は、ライデンの市民の激闘をたたえて、ライデンを免税地域とすることにした。
ところがライデン市民は、「それよりも大学をつくってほしい」と申し出たのだそうである。
それが今日のライデン大学である。16世紀後半のことだ。
話は変わって、アメリカである。
1620年、メイフラワー号で英国を出帆した102人の移住者がいた。
彼らは、ピューリタンの一派であり、一時自由を求めてオランダに流遇していた
その彼ら(ピリグリム・ファーザーズ)が、新大陸に入植することになる。
そして、入植16年後に、ボストン郊外にアメリカ最初の大学ハーヴァード大学をつくる。
それが、今日の合衆国の原点になった。
人々の自由と知的探求の象徴が、まさに大学だったのだ。
今日本では、同世代の約45%が大学に行く。
かつてのエリート教育と研究の拠点が、今日では只の高等普遍教育の機関に成り下がった。
かてて加えて、少子高齢化である。
1992年の18歳人口は、205万人いた。
今日では、120万人になろうとしている。
それに職業高校の就学者は、23%にまで減って、残りは全部普通高校になった。
一体全体、この国の職業教育は何処でするのだろうか。
静岡県立大学の創立20周年式典に臨んで、そんな他愛の無いことを考えていた。
何のための大学かを、今こそ考えなくてはならないのだが、国会の教育論議にそんな視野があるのかどうか?
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