« 童話と賢治 | トップページ | 家族と食卓 »

2006年11月24日 (金)

風の又三郎

 人は誰も、子供の頃の何でもないような出来事を懐かしく思い出すことがある。Cimg2376

 冒険心や好奇心、いじめや恥ずかしさ、いたずら心、未知の世界への畏怖などを、私達は遊びの中から学んできた。

 時を忘れて暗くなるまで駆け回って、何も考えることなく夢中で遊んでいた。

 テレビもゲーム機も無かったあの頃、Cimg2358

 お寺の境内も縁の下や墓石も、田んぼも竹薮も、木の葉でさえ、みい~んな子供達の夢の世界だった。

 どっどど どどどうど ・・・・・・で始まる賢治の「風の又三郎」は、そんな子供の心理を今によみがえらせてくれる。

 転校生の三郎への好奇心、裏返しのいじめ心、三郎が現われたことで新しい遊びへの飛躍がうまれる。

 はたまた、大人たちの営みと関わる子供達の心の機微が、童話の世界に実にリアルに描かれていく。

 そうだよ、そうだよ、そうして子供は成長していくんだよ。・・・・と思う。Cimg2362

 でも、近頃の子供達は、自然の怖さややさしさとかけ離れた世界で生きてしまっている。

 それに、人と人のかかわりの中で遊んではいない。

 その代わり、TVの物語に感情移入したりするんだろうが、体そのものは何も味わってはいない。

 バーチャルな、あくまでも仮想の世界に遊ぶほか無くなっている。Cimg2364

 「いじめ」は、いじめる方もいじめられる方も、そんな心底からの原体験が無いから歯止めがなくなるのではないか。

 せめて、「風の又三郎」くらい学校で読ませたい。

 「風の又三郎」は、賢治の発表されなかった未完成の作品なのですが、(現代に翻訳して)是非読ませるべきだと思う。

|

« 童話と賢治 | トップページ | 家族と食卓 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 風の又三郎:

« 童話と賢治 | トップページ | 家族と食卓 »