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2006年12月28日 (木)

博打と農業

今週以降の野菜の価格は、生産者にとって悲劇的ですらある。

この暮れになっても市場では、大根一本10円、ホウレン草一束40円、レタスの1k230円などと言う値段で取引されている。

キャベツ一個30円では、苗の育て賃にもならない。Cimg2504

立派に育てた大根を収穫して洗って、箱に詰めてトラックで送って、それで10円である。

大根を洗う手間賃にもならない。

出荷などしない方が良いはずだが、産地からの出荷は何故か絶える事が無い。

どうして、こんなことになるのか。Cimg2505

それは、直接的には今年の気候の影響だ。

適度な雨と暖かさが、作物を120%成長させたからだ。

それを生産者は、せっせと出荷するものだから、だぶついた量が価格暴落を引き起こしてしまう。

では何故、出荷を止めないのか。

それは産地の競争や戦略であったりするが、価格暴落時の幾ばくかの補填金があったりして、遊んでいるよりは良いと言うことだ。Cimg2506

そんな行政的な措置が、余計に暴落を続けさせてしまうと言う次第なのだ。

「野菜は、博打だ」と言われ続けてきた。

3~4年に一度当たれば良いと言う意味だ。

そんな博打農業が、これまでずっと続いてきた。

農業が産業にならなかった原因の一つが、実はこの博打なのだ。

しかし、最近ではその「当たり」も、はかないものになってしまった。

野菜の価格が高騰すれば、直ちに海外から緊急輸入されるようになったからだ。

これでは、農業は経営にはならない。Cimg2507

そんな馬鹿らしい産業に就業する若者がいるはずがない。

先日「食と農のシンポジューム」で、「弊社では、そんな博打の農業は止めたのです」と言う発言があった。

森町の佐野ファームである。

佐野ファームでは、レタスをはじめ様々な洋菜類を生産している。

そして、生産物は基本的に契約販売で、値段は事前に決まっている。

考えてみれば、価格の暴落で潤っているのは誰だろうか? 

消費者だって、潤っちゃいない。

野菜の価格は、スーパーの特売などを別にすれば、末端ではそれほど安くならないのだ。

仮に安くなったとしても、安くなったからと言って大根を倍も食べる訳には行かない。

逆に、反動で高騰した時に難儀するだけだ。

外食産業も惣菜・食品加工業界だって、製品の末端価格をそんなに変える訳にはいかないのだ。

原料の調達が、安定しているにこしたことは無い。

しかも、農産物の実需先は益々大口化しているから、市場を通じた調達はむしろ不安定要因にすらなっている。

全国展開するスーパーなら余計にそうなる。

とするならば、もう博打なんて止すべきだ。

沢山の小口農家が、好き勝手に作付けして、作況のままに出荷する。

暴落すれば、それを価格補填する行政。

それは、過去この事であるはずだ。

実需も生産も大口化しているのだから、キチッとした契約供給に切り替えるべきなのだ。

そして、必要以上のものは出荷しない。

廃棄なり加工なりに回せば良いのだ。

そうすれば農業経営は、計算できるようになる。

雇用をして経営規模を拡大することだって可能になるはずだ。

もう、博打は止めにしよう!

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