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2006年12月25日 (月)

十両の馬と方便

 掛川市の中心部から3km位北西に離れた所に、永江院というお寺がある。

 その寺門には、山内一豊公寄進による左甚五郎の龍の彫り物がかかっている。

 そしてその寺の奥の院に、一豊公の妾、登勢なるものの墓石がある。

 歴史の通説とは、随分違うではないか。Cimg2498

 だが、少なくともこの寺には、そのように伝わっている。

 歴史の真実なんて、後世の人々が都合の良いように書き換えてしまうのかもしれない。

 とすると墓石は、案外本物なのだろう。

 そんな事を思いながらNHK大河ドラマの総集編を見ていたら、別の疑問がわいてきた。

 「密かに隠し持っていた十両で、名馬を買って夫を出世させた。」

 それが才女の誉れ高き千代の、才女たる代表的事跡になっている。

 だがこれは、千代がいかに賢婦だとしても、少し変だと思えてきた。

 まだ駆け出し同然の当時の一豊は、年俸50石(125俵)程度の分際である。

 それで、家来の家族ともども食べていた。

 恐らくは、その日食べるものを確保するのが、精一杯のはずである。

 それなのに女房の千代は、亭主にナンショで十両(百万円位か?)もの大金を隠し持っていた。

 これは、変だ!

 山内家は、質素倹約を家訓にしていて、一豊自らも率先垂範していたと言う。

 もし、そんな一豊が、100万円余の財産を溜め込んでいたと分かったら・・・。

 家中は、どんな反応を示しただろうか? 

 何しろ、米びつは何時も空なのだ。

 ここは一番、千代の人柄に事寄せしよう。

 一豊は、そう考えたのに違いない。

 しかしこの話は、千代の快挙となって城下の話題を独り占めすることになった。

 一豊の馬よりも、千代の才覚の方がクローズアップされてしまったのだ。

 武士の妻の心がけとして、信長にとっても好都合な材料だったのだ。

 司馬遼太郎の「巧妙が辻」は、時代の洞察も含めて素晴らしいものだ。

 でも事実は、案外一豊ペースだったのではないか。

 うちの女房殿が、まかり間違って蓄財でもしていたら、土下座でも何でもするから、

 是非、見せて欲しいものだが・・・・・。

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