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2006年12月 4日 (月)

稲作研究会にて

 米や麦などの貯蔵できる穀物の生産が、権力を養い国家へと発展させてきた。

 穀物の貯蔵は原始社会の生活に余力を生み、富の蓄積となって権力を培ってきたのだ。

 この日本列島では、その役割を米が担ってきた。

 弥生の米の登場によって、それ以前の狩猟採集の時代とは、社会のシステムがまるで変わってしまう。

 そうして、邪馬台国が誕生する。Cimg2329

 だから大和朝廷以来、国の税金はずっと米だった。

 まさに瑞穂の国と言われたとおり、明治になるまで農は国の大元であり続けたのだ。

 それじゃあ、こ列島の住人がちゃんと米を食ってきたかというと、実はそうでもない。

 民謡「こきりこの竹」に歌われているように、死の間際に竹に入れた米の音を聞く・・・などと言う生活は、極普通に見られたようだ。

 農民を始めとした庶民の多くは、ヒエやアワなどの雑穀、それからイモ類などを食ってきた。

 近世のヨーロッパだって、ゴッホの「馬鈴薯を食べる人びと」に描かれたように、芋が食べられれば良い方だった。

 この戦後だって、「貧乏人は、麦を食え」と発言して物議をかもしたのは、所得倍増論の池田勇人首相だった。

 そして、米が十分食べられるようになったのは、昭和30年代も後半になってからだ。

 米の消費量のピークは、昭和37年の118kg/年だ。

 それ以降は減少の一途を辿って、最近では一人当たり60kgを下回るようになった。

 何故そうなったかと言うと、食物を保存する技術が進歩したからだ。

 今では、肉でも野菜でも、冷蔵や冷凍で何年も保存できてしまう。

 つまり、かつての穀物と同じようになったのだ。Cimg2405

 しこうして米は、肉や魚と変わらない一つの商品になった。

 昨年ピークアウトした日本の人口も、これからどんどん減っていく。

 年金世代の比率も多くなる。

 だから、米の消費量はもっと減っていくだろう。

 消費者の求める食の内容も質も、随分と変わっていくのではないか。

 一方、米が単なる商品になったからこそ、自由な販売戦略も可能になった。

 事実、一俵1万2千円の米もあるが、一俵6万円で売れる米もある。

 いずれにしても、「需要が供給を作り出す」と言うことを忘れないでほしい。

 かつてのように、供給が需要を生み出す訳ではない。

 需要のあるものを合理的に生産して、利益を生み出すのが農業だ。

 広大な農地を使っている稲作経営者には、多くの可能性と選択肢が残されている

 何も稲作に拘る必要は無いのではないか。

 県下の大型稲作経営者の研修会で、大筋そんな憎まれ口をあえて述べてきた。

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