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2007年1月31日 (水)

たかが茶なれど

当然のことながら私達は、生きるために多くの水分を必要としている。

人間はその水分を、色々と工夫しつつ摂っている。

時にその日常的なものを、嗜好や趣味的なものにまで昇華させてきた。

茶は、その最たるものだと思う。

お茶の有用性を見出したのは中国人で、その歴史は臣前漢の時代にさかのぼる。

紀元前のことだ。

神農の伝説によるなら、5000年前のことになる。

このお茶を日本列島に伝えたのは、仏教修行で大陸に渡った留学僧たちである。

僧院で、覚醒の薬として使われていたのだ。Cimg2659

このお茶が、寺院から庶民に広まるのは、鎌倉時代である。

栄西禅師の著した喫茶養生記が大きな契機になった。

「茶は、養生の妙薬」として知られるようになり、畑の畦際などに茶樹を植えるようになったのだ。

カテキンやテアニン、各種のビタミンを多く含むお茶は、今日で言えば総合サプリメントだった。

結果として、日本人の寿命を幾分長くしたのだろうと思う。

お茶を喫することを、形式美にした室町将軍の足利義満である。Cimg2660

さらに戦国時代末期、千利休らによって総合芸術として、精神文化の世界にまで昇華させた。

いま、その日本のお茶文化が、世界の各地で注目され始めている。

日本食ブームも手伝って、日本の高級煎茶が少しずつ飲まれるようになっている。

そして昨年の輸出量は、1500トンと前年の1.5倍になった。Cimg2661

茶に関わる出版物も世界の各地で発行され、中国産茶も含めて多彩な茶商品がスーパーに並ぶようになっている。

たかが茶だけれど、その中に秘められたものは無限なのかもしれない。

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2007年1月30日 (火)

カーネーションって

昭和30年頃だろうか、小学校で母の日のためにカーネーションが配られたことがあった。

みんな赤い花をもらったのだが、数人が白い花だった。Cimg2618

その時、父子家庭のお父さんには白い花なのだと教えられた。

その花の白色が、子供心に少しばかり未知の世界の存在を知らせてくれた。

カーネーションは、ナデシコの仲間である。Cimg2638

原産は、スペインやギリシャのあたりらしい。

ノルマン人の移動や十字軍によって、全ヨーロッパに広まったとされている。

この日本には、江戸初期の出島にオランダから伝わった。

だから、オランダ石竹と呼ばれていた。Cimg2624

その花が、何故か分からないのだが、母の日のシンボルとして大ブレイクする。

そのカーネーションのブレイクが、花き園芸の広がりを促した。

日本人が、身近に花を買って愛でるきっかけになったのだ。

ところがこの花は、日持ちが良いために最も早く国際商品化した。

世界の最も適地で栽培して、その花を世界中に輸出する。Cimg2625

この方式は、バラや洋ランにも広がって、国内の花生産を圧迫し続けている。

世界最大のカーネーション生産基地は、コロンビアのボゴタ高原にあって、ハウスの面積が数十ヘクタールもある農場が幾つもある。

もちろん、日本にも輸出されている。

それに日本の母の日の前には、世界中からカーネーションが輸入される。

国内の生産者だって、手をこまねいている訳ではない。 Cimg2627

次々と新しい品種を栽培して、より一層の美しさと鮮度を武器に、必死の防戦に努めている。

だから今カーネーションは、フリルのある花やら切れ込みの深いもの、青や紫と実に多彩になっている。

あなたは、コロンビアから輸入した花を、お母さんに贈りますか? 

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2007年1月29日 (月)

心の故郷は何処に!

定年で退職する知人が増えたためだろうか、自叙伝的な著書を頂くことが多くなった。

読ませていただくと、子供の頃の原体験などが、心理描写とともに上手く表現されているのに感心させられる。

そもそも、自身に相当な自信があって自己を客観視できないと、自伝を書くことなど到底できないだろう。

それに、著者の克明な記録(記憶かもしれない)には、まったく驚いてしまう。

人生と言うドラマの主人公としての自覚がなくては、これほどの記録はできないだろうと思ったりもする。

後世に記録を残している著名人は多い。Cimg2481

後々の読み手を強く意識していたのは、タウンゼント・ハリスなどだ。

昭和天皇の侍従長さんなども、同様かもしれない。

後世に読者がいるのかどうかは別として、今日では私たち庶民でも、自らの足跡を記録として残すことが出来るようになった。

ともあれそんな本に触発されて、自分の子供の頃を振り返ってみたりする。

そうすると、この50年余の時代の変化の激しさに、改めてびっくりしてしまう。

子供の頃、我が家では農耕用の牛を飼っていた。

牛の牽く牛車に揺られて、親達の農作業について行ったりした。

その時の牛の顔や泣き声が、いまだに忘れられなかったりする。

ウサギを飼って、小遣いを稼いだこともある。Cimg2651

学校から帰ると、真っ先にタンポポを採って来て、ウサギに食べさせた。

そして私の空腹を満たしてくれたのは、山羊の乳とサツマイモだった。

やがてテーラーと言う小型の耕運機ができると、その機械で田起しの競技会があったりした。

親父が、えらく頑張っていたっけな~!

村の耕地整理の工事には、トロッコが使われた。

そのトロッコに乗って、暗くなるまで遊んだっけ。

夕焼けに沈む日が、馬鹿でかかったな~!

などと、思い出したりするのだ。

いずれにしても、はるか遠い昔のことのような気がする。

時代が、それだけ猛烈な速度で変わってきたのだ。

『 君が生 たどれと自伝 手に重し 』

 

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2007年1月28日 (日)

カボチャ!!

カボチャの話をしよう。Cimg2576

考えてみると、カボチャはなかなか面白い素材だ。

もちろんカロテンやビタミンBが豊富で、テンプラでも煮つけでも美味しい。

花だって種だって食べられるのだ。

それに、観賞用のカボチャも可愛い。

冬至にカボチャを食べると、中風にならないと言う。

保存性の有るカボチャが、野菜の少ない冬に緑黄色野菜として、実に重要な役割をしていたのだろう。

今では、保存の必要とて無い。

トンガあたりから、採りたてのカボチャが輸入されるからだ。

カボチャは、メキシコなど中央・南アメリカ原産で、1541年にポルトガル船によって九州にもたらされた。

戦国大名の大友宗麟に献上されたのだ。

その時のカボチャがカンボジア産だったことから、カボチャと呼ばれるようになった。

始めは、水っぽくて筋張ったものだったらしい。

しかし日本人は、これを徹底的に改良してきた。

しこうして、栗カボチャはもとより、おもちゃカボチャやひょうたんカボチャまで様々になった。

古俗としても、、色々と日本の歴史に定着している。

京都の安楽寺では、土用にカボチャ供養が行われる。

お参りすると、中風に効くのだとか。

天国に上る梯子に見立てられたりもする。

アメリカではハロウィーン(10/31)のカボチャ提灯だが、

日本では飼料用の巨大カボチャコンクールが面白い。

案外これから、健康食としてカボチャが見直されるのではないかと思う。

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2007年1月27日 (土)

金魚草

私の好きな花の一つで、ゴマノハグサ科の多年草だ。

原産は地中海沿岸のようだが、多彩な花に改良されて、今では世界中で栽培されている。

花の名を、英国ではスナップドラゴン(竜の口)という。Cimg2619

この日本では、金魚草と呼ぶ。

それぞれ、独特の花の形にちなんだ命名なのだが、日本では金魚の尾っぽに見立て、片や英国では竜だという。

同じ島国なのに、発想の違いに少しばかり驚かされる。

露地では五月から咲く花だが、伊豆半島のハウスでは今が花の盛期である。

やわらかな赤や黄色の花が、ホッと心和ませてくれる。

それが、金魚草の好きなところだ。Cimg2637

近年、F1品種が導入されるようになって、花の色も形も随分と多彩になった。

違った個性が交流すると、思わぬことも成し遂げる。

人も花も、同じなのだろう。

伊豆で生産された花は、多くが関東方面に出荷され、千葉県に次ぐ産地になっている。

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2007年1月26日 (金)

河津桜

まだまだ寒い日が続くのに、花の話では少し急ぎすぎだろうか? 

でも、もうすぐ立春(2月4日)だし、花の便りも届き始めた。

梅の花がほころび始めたし、南伊豆では一番咲きの河津桜が三分咲きになったそうだ。

河津川沿いの桜並木は、2月9日には二分咲き位になりそうだ。

そして、2月の10日からは河津さくら祭りが始まる。Cimg2617

一足早い春を訪ねて、毎年120万人もの人々が訪れる。

「花は桜木 人は武士」とは、カナ手本忠臣蔵の書中の言葉だ。

武士の散り際のいさぎよさを讃えている。

だが桜花には、はかなさの方をより強く感じる。

だからこそ、愛でたくもなるのだろう。

一方、桜は散って終わりではない。Cimg2621

散ってから、一年が始まるのだ。

それに、花が散った瞬間から来年咲かせる花の準備を始めているのだ。

サクラの枝を切ってハウスに入れておくと、一斉に開花を始める。

もう花芽の準備は、万端なのである。

春は、もう直ぐそこまでやってきている。

『 陽だまりに 育つつくしや 春のきざはし 』

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2007年1月25日 (木)

団塊の世代は負のパワー?

世情、段階論なるものが喧しい。

本屋でも一番目立つ所に、団塊向けと思しき書き物がずらりと並んでいる。

今日の出生数は、100万人足らずだ。

それに比較すれば、団塊の世代は一年間に270万人も生まれた。

その世代が、三年間で800万人近くになる。Cimg2611_2

その連中が、徐々に定年を迎えていく。

そのそれぞれが、「これから先、どうしようか?」と考え出している。

だとすれば、世の中の流れにも当然大きなインパクトになる。

本が並んでも、何の不思議もない。

只、人口の減少と高齢化、経済の縮小と同列に団塊論が語られるのは許せない。

もちろんこの大きな塊が、みんな介護老人になって後世に世話をかけるとすれば、厄介なのだが・・・

医療費も介護費用も嵩むしね~。しかしだ。Cimg2610_1

「早いこと死んでくれないと、この国のお荷物になる。」などと言われると反論もしたくなる。

第一、団塊の世代は、これまで激烈な競争の中で、精一杯頑張ってきたんだ。

けっして、無為徒食して今日に至った訳でもない。

高度経済成長を背負い、リストラ要員としての試練だって潜り抜けてきた。

これからだって、世の為人のために役立ちたいと懸命に考えている。

もちろん、要介護者の塊になんてならない。

団塊の世代は、死ぬまで自立して生きるのだ。

死ぬまで、健康で生きるのだ。

死ぬまで、誰の世話にもなるもんか! 

団塊団塊って、十把一絡げに言わないでほしい。

いろんな人間がいるんだって!

そう、叫びたい。

でも、実際どうする、団塊世代の諸君?

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2007年1月24日 (水)

セトカとの出会い

私がセトカに出会ったのは、昨年の2月のことだ。

東京の幕張メッセ会場である。

偶然、韓国のブースの前を通りかかって、韓国美人から手渡された。

珍しいなと思いながら、詳しい説明も聞けずに、持ち帰ったのが最初だ。

食べてみると、これが実に美味しい。

皮もするりと剥けるし、ホロも柔らかで苦にならない。

採れたてのフレッシュな香りと味わい。

「これは、静岡の青島温州の強敵になる」と直感した。

調べてみると、セトカだという。

それにこのミカンは、興津の試験場で品種開発された中晩柑と分かった。

それが、何故韓国に有るのか? 

実は、興津では「栽培が難しい」と言う理由で、一旦は放棄されかけた品種なのだそうだ。

その品種を、韓国の技術者が持ち帰った。

そして、済州島をセトカの大産地にしたと言うわけだ。

しかして、その売り先を日本にという次第である。

今、日本でもやっと、九州などで産地化への動きが始まっている。

この静岡はどうか? 実は、シカト状態にある。

理由は、主力品種の青島と競合するということだろうか。Cimg2640

先日、そのセトカに再びめぐり合った。

南伊豆で開かれた品評会に、セトカが出品されていたのだ。

生産者は高野さんと言って、御用邸で有名な須崎のビニールハウスで作っておられた。

生産量も多くはなくて、全て通販で販売しているようだ。Cimg2641

残念ながら、お会いすることが出来なかったのだが、その先取の気性には敬服する。

産地と言うものは、日進月歩であるべきで、進歩を止めたら衰退が有るだけだ。

もちろん、慢心など存外である。

あらゆるところにアンテナを張って、後詰を含めて、産地の危機に備える。

それが産業の担い手として、不可欠な資質だと思うのだが・・・・

それが出来ないのは、保守性の強い地域性なのだろうか?

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2007年1月23日 (火)

人生一回こっきり

目標に向かって夢中でひた走っている人には、まったく縁のない話だ。

まことに「少年老い易く 学成り難し」だと思う。Cimg2634

時の流れは、音もなく立ち去っていく。

その一日一日を大切にしようと思うのだけれど、するりするりと逃げられてしまう。

それぞれに与えられた人生は、一回こっきりなのだ。

ならば、あれもやろう、これもやってみたい。

そうして、自分らしく生きようと誰もが思う。

だが何時の間にか、雑事に追われ、単調な時間の流れに慣らされてしまう。

そのうちに、何をやりたかったのかさえ忘れてしまうのだ。Cimg2609

ともあれ「あれとこれ」をハッキリとさせることだ。

人生のやり直しはきかないのだから、今しか出来ないことをやろう! 

「人生一回こっきり、現品限り、返品不可」とは、医者業とレストラン業をこなし、車やボートに熱中してきた高柳道治氏の言葉だ。

『 今をなん 生きんと思わん 日暮れ時 』

 

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2007年1月22日 (月)

マーガレット

何ともエレガントな名の、花のことである。

キク科のキク属に分類される。Cimg2623

シュンギクやハナワギクの仲間と言っても良い。

カナリア諸島の原産で、葉が細く切れ込んでいてシュンギクを思わせる。

房総半島や福岡で一部栽培されている他は、ほとんど伊豆で生産している。

かつて南伊豆に、県立の有用植物園があった。Cimg2620

ここでシュンギクや在来種と交雑させたり、海外の品種の導入に努めたことから、地域に栽培が広がった。

観光伊豆と相俟って、すっかり地域の花として定着したといえる。

そのマーガレットが、今又脚光を浴びている。

放射線による品種改良で、赤や黄色・ピンクなど様々な品種が生まれているからだ。

それに切花だけではなくて、鉢花向けにも生産が拡大している。Cimg2639

収穫できる期間だって、かつての一時集中ではなくて、かなり長期間になって労力も分散出来るようになった。

そんな研究の成果が評価されて、3月の24日から上野の国立科学博物館の特別展「太古の花から青いバラまで」で展示紹介されることになった。

決して派手な花ではないけれど、長い期間しっかりと咲き続けるマーガレット。

こんなに地味な花が、これからの時代の花なのかもしれない。

特別展・・・是非見に来てくださいね。

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2007年1月21日 (日)

動物と人間

人間は、一人では生きられない。

ライオンや豹の雄なぞは、孤高の行動をとる事が出来る。

でも、人間は駄目だ。Cimg2594

だから古くから、犬や猫を友とし、牛・豚・羊を飼いならしてきた。

ペットを愛しむのは、人間の本性なのかもしれない。

遊牧は、人間の発明した最大の生活文化だ。Cimg2593

大陸の平原にあって、大自然を味方にし得る最良の方法だったのだ。

モンゴル帝国は、その遊牧文化によって成り立っていた。

私の子供の頃には、我が家でも牛を飼っていた。

田を耕すための、役牛としてである。Cimg2591

終戦直後のことで、食べるものも余りない時代だった。

だから、山羊を飼って乳を搾った。

それにウサギを飼って、肉に売った。

山羊とウサギの糞を始末するのが、私の仕事だった。

学校の帰り道、ウサギの餌にタンポポを採集して回ったりした。

ウサギには、水を飲ますな!Cimg2592

赤い目の愛くるしいウサギが丸々と太ると、親父が売りに行った。

もらったお小遣いは、果たして幾らだったのか記憶にない。

でも子供心に、あの白いウサギが肉になるなんて信じられない気がした。

今動物は、すべからくペットでしかなくなった。

孤独を癒し、散歩のともがきとしての存在である。

豚肉も牛肉も、鶏肉もタマゴも、どこかで生産されてスーパーに並んでいる。

時々、賞味期限切れなどで大騒ぎして、でも傷んでなかったら活かすべきだよね。

子供達が、小動物に小躍りするのを見ながら、人間と動物ってもっと関係が濃いんだぞと考えていた。

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2007年1月20日 (土)

南伊豆の夫婦グス

南伊豆の上賀茂に、三嶋神社という古社がある。

創建が、西暦750年頃だと伝わっている。 Cimg2631_2

その境内に、樹齢1000年余の大楠が二本並んで巨立している。

それぞれ根周り八メートル余もあって、根はお互いにくっついている。

それで、夫婦グスと呼ばれ、県の天然記念物になっている。

巨木は一本でも圧倒されるのだが、二本仲良く並んでいる。

ウ~ンと、納得するしかない。Cimg2632

奈良や京都には大楠は多いのだけれど、伊豆に楠は少ない。

そう言えばこの南伊豆には、京都と同じ地名が多い。

条里制もないのに一条、二条などと呼ぶ村がある。

大賀茂や下賀茂もしかりである。

この集落の三嶋神社にしてからが、平安の時代に始まっている。

あまりに古いのだ。Cimg2633

伊豆半島の先端部は、かつては海の東海道と言えるほどに、往来の盛んな所だった。

何時の頃か、都から流れ下った人々が、この地域開いたのかも知れない。

静かなたたずまいの村を歩きながら、そんな事を考えていた。

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2007年1月19日 (金)

伊豆旅情

伊豆下田は、明治までは風待港として海運の要衝だった。

しかし、人や物が高速で移動する時代になって、

Cimg2616島部というものは、おしなべて辺地になってしまった。

伊豆半島も、しかりである。

観光客を除けば、伊豆半島を訪れる人は希少である。

伊豆急だって単線だし、下田まで悠長な足並みしかない。

思えば幕末において、伊豆下田を唯一の開港地に指定した幕府の裁量は、微妙な距離感覚を感じさせる。

江戸から近くもなく、海を行けば遠くもない。Cimg2642

「さて、この国をどうするか?」と考える間合いである。

伊豆は、この国の経済発展とともに、けばけばしい観光地に変わってしまった。

少なくとも、バブル崩壊まではそんな方向に動いていた。Cimg2629

でも考えてみれば伊豆は、ハリスの滞在にしても、伊豆の踊り子の旅にしても、時間がゆったりと流れる所だった。

風情と歴史のある温泉が幾つもあって、ユウスゲやササユリ、水仙や早咲きのサクラなども含め、

歴史の残照と土臭い風土を味わうにはうってつけの所だ。

時とともに、人も地域も変わっていく。Cimg2630

今伊豆は、一時の乱開発から目覚めて、落ち着いた伊豆に回帰しつつあるように思う。

そんな伊豆を、ゆっくり泊まりながら歩いて一周できるような企画が出来ないだろうか? 

「伊豆半島テクテク味わいの旅」である。

おおよそ一週間もかければ、名所旧跡や自然景勝地を巡ることが出来るだろう。

歴史家や文学者も、そんな企画に協力を惜しまないのではないか。

伊豆の面白さは、自分の足で歩いてこそ分かる。

そんな地域にしていけば、伊豆は日本の財産になる。

『 急ぐより 歩みてたどらん 伊豆の旅 』

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2007年1月18日 (木)

紅ほっぺで行こう!

洋菓子店のキルフェボンが、東京都で゜「紅ほっぺ」を使ったタルトケーキの販売を始めた。

1カット、1,260円なのだそうだ。Cimg2588

実は紅ほっぺは、私の研究所が育てたイチゴの新品種だ。

全国には、アマオーとかトチオトメなどと、様々な品種が割拠している。

しかし紅ほっぺは、イチゴの中のイチゴ。Cimg2585

程よいさわやかな酸味と香りに特徴が有る。

イチゴらしいイチゴと言って良い。

昨年、生産者の皆さんが「紅ほっぺで行こう」と決議した。Cimg2590 

みんな揃って、紅ほっぺを育てて、全国のイチゴ市場を席巻しようということだ。

先日、伊豆の国の「農の駅」を訪れた。

その田方地域のイチゴ生産者の皆さんが、紅ほっぺに熱くなっていた。Cimg2586

紅ほっぺを入れ込んだ餅をついて、観光客の皆さんに配る。

紅ほっぺのお菓子だって登場していた。

品評会にも、素晴らしいイチゴが並んでいた。Cimg2587

よし、よし、紅ほっぺは物になる。

そんな実感を、ひしひしと感じて帰ってきた。

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2007年1月17日 (水)

鉄路

人生は、鉄道に似ている。 Cimg2599_1

必ず終着駅があるし、途中には分岐点や駅が幾つもある。

特急や超特急があって、乗った電車によって止まる駅が違ったりする。

時に引っ込み線に入れられて、オーバーホールなんてこともある。

それに一旦乗車すると、次の駅まで降りる訳には行かない。Cimg2600

だけど、乗るか乗らないかは、自分の選択次第だ。

真直ぐ伸びる線路には、ググッと心を突き上げる何物かがある。

そんな鉄路に、人生を感じたりすらからなのだろうか?

見知らぬ駅に降り立つと、幾分の不安と好奇心とが交じり合って、Cimg2601

人生の旅心を、いやが上にも掻き立てる。

そんな見知らぬ地にも、何時の間にか慣れ親しんでいく。

車中には、価値観の違った人々が乗り合わせている。

その電車に、乗るのも乗らないのも人生なのだ。 

時に、肝胆会い照らすことの出来る仲間と会えるかもしれない。

偶然降り立った駅で、思わぬ発見をしたりもする。

人生は、そんな事の繰り返しなのだろうと思う。

『 様々に 生き様運ぶ 鉄路かな 』

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2007年1月15日 (月)

時代劇場

伊豆箱根鉄道の韮山駅、そのすぐ前に「韮山時代劇場」なる施設がある。

市民文化センターや図書館などからなる伊豆の国市の施設だ。Cimg2597

ユニークな設計の建物で、北方の富士山の勇姿と共にひときわ目立っている。

そもそも「何と大袈裟な、時代がかった名称を付したものか!」と思ったりもする。

しかし、良く考えてみるとこの伊豆の地域は、日本の歴史を大きく転換させた策源地でも有る。

この時代劇場から程近くに、「蛭ヶ小島」がある。

蛭ヶ小島は、源頼朝が幽閉されていたところだ。

頼朝はここで北条氏の力を借りて決起し、鎌倉幕府を築く。Cimg2596

公家社会を、武家を中心とした封建の時代に転換した根拠地がこの伊豆であった。

やがて鎌倉幕府が滅びて、足利の室町時代となる。

その室町を崩す戦国時代への端緒となったのが、北条早雲だ。

早雲は、伊豆を拠点に今川氏と連携しつつ、関東に確固たる基盤を築く。

この北条氏の割拠を契機に、下克上の戦乱が全国に広がっていく。Cimg2598

明治維新の前夜、タウンゼント・ハリスが過ごしたのも、伊豆下田である。

要するにこの伊豆の地は、歴史を大きく転換させた策源地なのだ。

そう考えると、時代劇場も俄然現実味を帯びてくる。

壮大な歴史のロマンを背に、今日ここで暮らす人々に何ほどかの気分を持たせたい。

そんな思いなのだろう!

富士を間近に見て暮らす人々。

絶対的な存在感の富士山を前に、人々が考えること。

それは、「目指すべきは、寄せて芙蓉の第一峰にあり」と言う事だろうか。

つまり、「何時かは自ら富士の高嶺に君臨してやろう。」と思うことだろうか。

理想は、高いにこしたことはない。

「 気高くも 登り着きたや 富士の峯 」

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2007年1月14日 (日)

海岸侵食

ナイル川にアスワンハイダムが出来て以来、河口のロゼッタ岬が4.5km後退した。

黄河は、世界中の河川の10%もの土石を流出する。Cimg2606

正に、海の色を変える大河だった。

今、黄河の水は内陸部で分水されて、断流が起こっている。

黄河から、土石が流れ出さなくなったのだ。Cimg2607

急流の多いこの日本列島も、土石移動の激しかったところだ。

しかし、大河川にはダムが幾つも出来て、土石の流れは止まった。

海岸には、港やえん堤が整備されて、砂の流れは一変してしまった。

砂浜はどんどん狭くなって、いたる所に浜崖が発生している。Cimg2604

この50年、私達は自然を超越したかに見えたのだが、いささか早合点であった。

海岸はガードブロックだらけになり、近くの道路にも波がかぶるようになった。

ウミガメだって、えらく迷惑している。Cimg2608

天竜川の河口、遠州灘も砂浜が少なくなってしまった。

中田島砂丘だってそうだ。

たったの50年で、かくも変わってしまう。

美しい海岸を復元しようとする動きは、まだ始まったばかりだ。

50年後の遠州灘は、元気を取り戻しているだろうか。

そして、50年後の黄河下流域には、いったい何が起こっているだろうか? 

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2007年1月13日 (土)

ハマコマチ

薩摩芋の話です。Cimg2582

(独)九州沖縄農業研究センターの育てた品種なのですが、

ハマコマチのハマとは、遠州灘の浜を意味しています。

砂地で育ててこそ、美味しくなるハマコマチ。Cimg2581

このハマコマチを特産物にしようと、研究会が発足し活動を始めています。

ハマコマチは、カラフルなオレンジ色をしています。

そしてそのオレンジ色に、ベータカロチンが人参の1.5倍も含まれているのです。Cimg2583

ハマコマチ研究会には、農業生産者や干芋加工業者が加わっているのですが、

先ず、ハマコマチの用途開発から活動を始めています。

お酒やケーキ、アイスクリーム、料理素材、漬物などなどと工夫しているのてす。

本来薩摩芋は、健康食品として多様な可能性を秘めています。Cimg2584

その可能性を顕在化させ、需要を喚起してから、荒廃の進む海岸砂地を生き返らせようというのです。

先日、皆さんが工夫した品々を試食させていただきました。

う~ん、これが芋かという味わいでしたよ。

綺麗な人参色も、ハマコマチの魅力ですね。

研究会の皆さんの活動を応援したいですね。

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2007年1月12日 (金)

O-CHAプラザ

少し時間があって、静岡駅南口前の森ビルにあるO-CHAプラザに立ち寄った。

緑茶インストラクターの大石さんから、お茶に関して丁寧な薀蓄を伺うことが出来た。

ほんの30分程の時間だったのだけれど、立ち寄って良かった。Cimg2578

緑茶に対する熱い思いが伝わってきたし、食文化についての少しばかりのヒントを得た。

何故、フランスが国際社会において一定の重きを成すのか。

それは変わることのない、執拗なまでの食文化の重みなのではないか。

たかだか人口だって日本の半分もない、GDPだって知れたものだ。

それでも、フランスはフランスなのだ。Cimg2577

かつて大英帝国は.三百年の栄華を誇ってきた。

地球の各地に植民し、産業を先導しつつ富を集めてきた。

その国が百年で衰亡した。

第二次世界大戦後は、戦勝国でありながら国民の食料さえ買う金が無くなったのだ。

今、日本という国がおかれている位置は、百年前の英国ではないのか? 

中国やインド、ロシアなど次々と産業を立ち上げていく。Cimg2579

この日本という国は、そうした60億のパワーに秀でた何物を今後持ち得るのか。

中国しかりである。

既に中国は、大国としての意識を持って振舞い始めている。

少し前まで小馬鹿にしてきた中国が、胸を張って世界に君臨しようとしている。

「否しかし、日本には優れた技術があるのだ」と、何時まで言っていられるものやら。

この国の拠って立つべきものは、文化ではないのか。

しかもそれは、武士道とか茶文化なのだろう。

たかがお茶ではなくて、その深遠に迫る所の文化を日本食に乗せてこそ、この国の将来が見えてくる。

O-CHAプラザに立ち寄った30分。

無駄ではなかった。

美味しいお茶をいただきながら、この国の将来を考えてみませんか! 

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2007年1月11日 (木)

走友

小笠山の山中を走る小笠山RCが自然発生的に生まれて、もう既に14から15年になるだろうか。

わたしは、このRCの一員としてもう13年間、この山の中を走り続けている。

休日のほとんど毎日、午前中は仲間と一緒に過ごす。

それが、もう十数年になるのだ。Cimg2534

走るのは楽しいのだが、人生には色々なことが起こるものだ。

仲間もそれなりに、会社の倒産や事故、離婚やら両親との死別やらに遭遇してきた。

そしてその苦しみを、仲間とともに走ることで凌いできた。Cimg2530

何度も、そんな仲間の涙を見てきた。

もちろん、満面の笑みも見てきた。

時には、励ましようも無くて、じっと見守るしかなかったことだってある。

そんな様々な遍歴の中で、お互いに人間というものがかなり分かるようになった。

世の人々の隠して見せない一面も、何時の間にか走友を通じて分かるようになった。

要するに、肝胆相照らす仲間なのである。Cimg2549

時には、喧嘩をしたりもする。

だけど今、お互いに失いたくない仲間なのである。

数日前、仲間の一人が、車一杯のバラの花を持ってきた。

彼はバラの生産者で、その品種の植え替えをするのだと言う。Cimg2550

バラ生産も、海外からの輸入や燃料費の高騰などで厳しい状況を迎えている。

そんな現状を淡々と話す仲間の話に、様々な人生のヒントを頂いたりする。

私だって、60年近く伊達に人生やっている訳ではない。

少しは、皆のために役立つことをしたいと思ったりする。

そんな関係が、走友なのだ。

生涯大切にしたい仲間達である。

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2007年1月10日 (水)

集落の変貌

今日の東京だって、大田道灌の昔には大田舎だったはずだ。

それが時代の変化と共に、武蔵野の風情さえ感じられなくなった。

私の住む村は、未だに農村集落である。Cimg2538

年の初めに、その集落の初寄り合いがある。

全戸の代表が寄り集まって、一年の集落の方針を申し合わせる習いだ。

来年度の、新役員も選出する。

村の役員の三役は、昔から自治会長、副自治会長(会計)それに部農会長である。

先日の寄り合いで、この役員選出に待ったがかかった。

「部農会長なんて、自治会とは何の関係もないじゃないか」と言うのである。

言われてみれば、その通りである。Cimg2539

この集落の昔からの住人は、40戸余り。

それがこの20年余りのうちに、200戸近くになった。

昔は、40戸全部が農家だった。

その農家が寄り集まって、農地の区画整理をしたり、土地を供出しあって農道をつくったりしてきた。

集落の用水や排水も管理してきたし、米の生産調整だってやってきたのだ。

集落にとっては、実に重要な役割を果たしていたのだ。

だが今、昔からの農家だって世代が替わって、農業とは縁遠い仕事をするようになった。

生粋の農業者は、数えるほどになっている。

それなのに、村の役員として大きな顔をするのはけしからんと言うのである。

確かに、一理ある。

しかし、外来住人の住んでいる土地は、農家の負担で基盤整備した土地なのだ。

毎日使っている道路だって、今は市道になっているけれど、農家が無償で土地を供出して作ったのだ。

その外来住人は、毎日、合併浄化槽の排水を農家の作った排水に垂れ流ししているのだ。

その排水路を管理しているのも、数の少なくなった農家なのだ。

昔の農村集落は、正に自立する自治組織として機能していた。

然るに今日の自治会なぞというものは、せいぜいゴミの管理とお祭りで終始するようになった。

後はみんな、市役所に苦情を持っていく。

これからの質素な時代は、違うんだよね。

本当に、自分の住む地域は、自分達の力で管理していかなくちゃね。

そうしないと税金も減らないし、自治会費も何のために払うのか分からなくなる。

ミーイズムの集落を、本当のコミュニティーに変えて行こう!

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2007年1月 9日 (火)

ウラジロ

私が週末に走っている小笠山には、ウラジロ(裏白)がいたる所に群生してる。

ウラジロは、常緑のシダ植物で関東以西に広く分布している。Cimg2574

暮れになると、この裏白を採って来て、注連飾りや鏡餅の飾りにする。

マツタケなどの山の幸の下敷きに使ったりもする。

その言われは、あんまり良く分かっていないけれど、一つにはウラジロの葉の寿命が長いことだ。

地下茎から伸びだした茎からは、一対の羽片が左右に広がる。

翌年、この葉から再び子供の羽片が伸びて成長していく。Cimg2572

つまり、一年に羽片を一対づつ展開しながら、何年にもわたって成長していく。

そして、葉の裏にはびっしりと白い胞子を着けている。

夫婦代々、共白髪まで長生きしますように! 

・・・という訳である。

日本人は、このウラジロをそんな思いで眺め、習俗にまでしてきたのだと考えると、人間というものの本性の一部に触れたような気になる。

乾燥した半日陰の北斜面には、色艶の良いウラジロがつやつやと育っている。Cimg2570

亜熱帯の地域では、このウラジロが巨大になって、一種のつる植物のように10mにも達するという。

平地では見られないこのウラジロの林を走りながら、人間と自然の縁の深さを考えている。

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2007年1月 8日 (月)

団塊の世代は金の卵? 

団塊の世代が、今年から次々と定年を迎える。

その数は、三年間で700万人余。

人口がどんどん減って、高齢者が増える。Cimg2569

団塊が75歳以上になる平成25年には、要介護老人は現在の1.7倍になるそうだ。

労働人口が減って、介護老人が増える。

消費の総量だって、着実に減っていくはずだ。

何故なら、人口は着実に減っていって、50年後には9千万人ぐらいになる。

必要な国民の総カロリー量だって、今よりは32%は減って当然である。

実に厳しい現実が、到来するようである。

しかし当面は、この団塊の世代の動向に注目が集まっている。

それは、総額80兆円と言われる退職金の行くえを巡ってである。

彼らはこの金をどう使うのか、或いは運用するのかである。

期待は、この時間と退職金を手にした世代が、個人消費を爆発させるというのだ。

恐らくこの期待は、空振りに終わるだろう。Cimg2573

何故なら彼らは、実に堅実な世代だからだ。

終戦直後の貧しかった時代も、高度経済成長もバブルも身に染みて知っている。

バブル後の構想不況では、最も悲哀をなめてきた世代だ。

彼らは帝国の衰亡が、どのような過程を辿るのかも知っている。

だから彼らは、あくまでも堅実に、

これまで見ていた会社を地域に代えて、新しいコミュニティー創りに奔走するはずだ。

だって、退職して趣味で過ごしたとしても、いずれは厄介者になってしまう。

そんなんにゃ、団塊の世代は決してならない。

私の子供の頃には、幼稚園にすら入れなかった。

学校の教室はすし詰め。

受験地獄に、女性は結婚難。

職場のポストだって、その数年前生まれた人たちとは、比べようもない待遇である。

彼らは生まれてこの方、競争に次ぐ競争に戦い続けてきたのだ。Cimg2575

この辺で戦いは終わりにして、自分達の豊かな終の棲家を作ろうとするだろう。

それが、あちこちに生まれるだろうコミュニティーだろう。

「道知らぬ 前を見据えて 落ち葉踏む 」

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2007年1月 7日 (日)

新しい事への挑戦

同じ毎日は嫌だ。

少しでも、昨日と違う何かがほしい。

初対面の人に会って影響を受けたとか、美味しいものを見つけたとか・・。

久しぶりの道を歩いて小さな花を見つけたとか、もちろん新しい挑戦を始めたとか。

とにかく、新しい事の何もない一日なんて、それは私の人生ではない。Cimg2523

人間の細胞も、その考えることも新陳代謝をしていく。

だから、惰性で生きるのは止めよう。

常に問題に立ち向かっていよう。

問題を回避するのは止めよう。

見知らぬ世界に足を踏み入れる勇気を持とう。

毎日、新しい何かに挑戦しよう。

とは言え、新しけりゃ良いって訳じゃない。

ちゃんとさ、目標に向かっていなくっちゃね。Cimg2528

そうすりゃ、継続がきっとゴールへと導いてくれる。

お互いに「自分を生きよう」。

今日、あなたにとって新しいこと見つけられました? 

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2007年1月 6日 (土)

熟年メッセージ

青春を謳歌しているつもりの私にとって、いくばくかの抵抗があった。Cimg2555

「熟年メッセージ静岡2007」を覗いてみようという、その心境に対してである。

今日、第7回目になるその発表会が開かれた。

応募のあった75名から選ばれた8名が、それぞれの思いをかたる。

いゃ~あ! 聞きごたえがあった。Cimg2565

熟年には、熟年でなけれ語れない事があった。

圧巻は、富士市の松井美智子さんである。

13歳の時、満州で終戦を迎える。

父は殺され、母の着物などの物々交換で飢えをしのいで二年間。

帰国の列車も途絶え、港までの歩いての一ヶ月間。Cimg2564

多くの人が倒れ、死んでいく。

やっと港に着いて乗った船では、コレラが発生。

ばたばたと死んでいく人々。

松井さんも、弟を失う。

飢えと恐怖を乗り越えて、桟橋を這って、やっとの思いで日本に上陸。

その松井さんに、同船の人々が声をかける。

「美智子ちゃん、ありがとう。あなたのお陰で生きて帰れました。」

「元気で、生きてね!貴方の吹くハモニカが、支えだったのよ。」と。

そう!彼女は、コレラで閉じ込められた復員船の中で、一ヶ月間ハモニカを吹き続けていたのだ。

ふるさと、赤とんぼ・・・・・この響きが、みんなを励まし続けていた。

「今私は、子供達に命の大切さを、大勢の命に支えられて自分の今が有ることを伝えたい。」と締めくくった。

そして、その復員船で持ち帰ったハモニカを、力強く吹いてくれた。

私の目に涙があふれて、止まらなかったのは言うまでもない。

人生の目的は何か。Cimg2562

それは、自分でしかできない人生を見つけることだ。

熟年には、みんな踏み越えてきた人生がある。

私にとって、少しばかり教えられる一日になった。

「 還暦に なっても学ぶ ことばかり 」なんだろうな~。

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2007年1月 5日 (金)

猪の趨勢

今年は、団塊の猪生まれが還暦を迎え、定年退職を始める年だ。

退職は、誕生月だったり年度末だったりするが、この亥年生まれは何しろ数が多い。

225万人もいる。

近頃の出生数は、110万人に満たないから倍以上の数になる。

先日、還暦を迎える記念にと、高校の同窓会が開かれた。Cimg2551

恰幅の良い皆さんが大勢集まったのだが、誰が誰やらほとんど分からない。

私自身、この場に身を置いて良いものやらと、戸惑うほどであった。

しかも、みんなもう直ぐ還暦を迎えるのだと言う。

まったくもって他人事のような、信じられないような思いでもある。Cimg2552

何人かの恩師にも出席して頂いたのだが、見かけ上あんまり違いもなくなっていた。

それぞれ企業の幹部だったり、議員や学者先生だったりして、各方面で重要な役割を担っている方も多い。

そんな皆さんとお会いしながら、時の流れや生活の場の違いで、人はこんなにも変わっていくものかと感じ入る。

果たして私自身は、納得のできる変わり方をしてきたのかどうか・・・。Cimg2554

「否、なに、これからだよ!」の声も聞こえてくる。

豊富な経験を元に、人が本当に仕事が出来るのは、60歳を超えて75歳位までだと言う説もある。

国連の高等弁務官を努めた緒方貞子さんしかり、企業人にもそんな人は数限りない。

今年は、そんな将来への助走の一年なのかもしれない。

中国の十二支では今年はブタ年だそうだが、縁起のよい「金猪年」にあたるようだ。

豚であれ猪であれこの世代の動向は、経済にも消費にもかなりの影響を与えずには置かない。

心して、この一年を歩いてみよう。

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2007年1月 4日 (木)

自然の時間と生活

私達は、言うまでもなく地球上の生命である。

地球が365日かけて太陽を一周し、同時に24時間で自転している。

だから、夜と昼がある。Cimg2525

それに地球の自転軸が、ちょっと傾いているために季節がある。

その地球の作り出す自然の一部として、私達は生命活動を営んでいる。

しかし文明の進歩(?)と共に、そうしたと自然の時間が無視されるようになった。

三交代勤務が常態化し、コンビニのように24時間営業がウリの業態もある。

夜型生活者が増えるにしたがって、朝まで営業するレストランもでてきた。

若者達の相当数が、夜間に起きて活動し、日中は寝ていたりする。Cimg2524

灼熱の国でも、かくはありなんと思うのだが・・・・!

果たして人間には、自然の摂理に逆らって生きていく力が、どの程度備わっているのだろうか。

限りなく昼間の時間を長くした電灯には、そんなに巨大な力が備わっていたのだろうか。

「自然から遠ざかるほど、人は病気に近づく」そうである。

だから、ゆめゆめ用心した方が良さそうだ。

早寝早起きは、三文どころか、人生の得だと思うのだが・・・。

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2007年1月 3日 (水)

初詣ラン

毎年恒例になりました。Cimg2533

正月には小笠山山頂から走って、法多山尊永寺に詣でるのです。

「今年も元気で、走り続けられますように!」と仲間と共に祈ります。

昔はランパン・ランシャツで詣でたのですが、今ではそんな元気がなくなって揃いのジャージです。Cimg2536

私たちのユニフォームには、三光鳥が縫い込んであります。

三光鳥とは健康光・気力光・経済力光だと、勝手に考えています。

小笠山の尾根道を上り下りしながら6kmほどで、法多山に至ります。Cimg2543

大勢の参拝客を掻き分け掻き分け、自らの元気に感謝しながら参詣。

後は、法多の団子をみんなで食べて、山頂にとって返します。

道々、四方山話をしながら、今年の自分を考えたりしています。 Cimg2544_1

よし今年も、一日一日を短く、一年をたっぷり永くなるようにやってみよう。

あれもやろう、これもやろうと、一日はアット言う間に終わってしまっても良い。

でも一年は、その積み重ねで十分な重みが感じられるように生きよう。Cimg2546

走りながら、そんな事を考えていました。

皆さんの、三ヶ日は如何でしたか? 

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2007年1月 2日 (火)

時代と言うもの

時は、年々歳々時々刻々と流れている。Cimg2521

でも人間と言うものは、その時の流れを感じようとして、なかなか感じられないものである。

今、私は、あなたは、時代の・或いは人生の何処に立っているのか? 

時代の流れは、実にとうとうと、ゆったりと流れている。

だから人は、その流れに気付かない。Cimg2520

かつて滅びさった、世界の帝国も何時の間にか歴史のかなたに消えていった。

モンゴル帝国もローマ帝国も、大英帝国も消えていった。

恐らく全盛期には、消え行くなんて誰も考えもしなかったろう。

7つの海を支配した大英帝国は、およそ100年かけて衰微していった。

エリザベスやネルソン、アラビアのロレンスなど、世界の英雄を次々と生み出していた。

幕末にこの国にやってきた英国公使パークスなぞは、帝国を背中にしょっていた。

英国は、即ち世界であった。Cimg2522

その大英帝国も、その国民が意識しないうちに次第に小さな国になっていく。

第二次世界大戦後は、国民の食料を買うことすらままならなかった。

パンも配給と言う惨状が、相当の間続いた。

そしてやっと昨年、アメリカとカナダに長期債務を返済し終えた。

国と言うもの、時代と言うものはかくなるものかと考えて今う。

しかして、私たちの生きている今日の日本。Cimg2529

平成2年のバブル崩壊から少しばかり立ち直って、これから何処に向かっているのか? 

時代は潮の干満のように、波打ちながら何時の間にか移り変わっていく。

その時代に生きる私もあなたも、二度と訪れることのない一日一日を、今を懸命に生きるしかない。

「あの時、やっておけば良かった!」なんて思わないように。

後ろを振り向くことなんて、私達はしなくて良い。

これと信じた道を、猪突突き進むのみ。

今年も、この一日を無駄にすることなく生きよう!

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2007年1月 1日 (月)

けっぱる亥年男

新年 明けましておめでとうございます。

さあ~、新しいページの始まりです。

今年は、亥年ですね。Cimg2495_1

それで私、何度目かの年男なんです。

今年も猪突猛進と言いたいのですが、若いつもりでもそんな歳ではない。

だから、出来れば相応に重みのある年にしようと思っています。Cimg2511

猪だから、暇があれば走りまわろう。

時には一休みして、仕事もしなくっちゃね。

それに今年は、有難いことに自治会長を仰せつかってしまいました。

これも、真剣にやらなくっちゃいけない。Cimg2517_1

もちろん、ブログも毎日書かなくっちゃね。

ともあれ、楽しい一年にしましょう! 

本年も、よろしくお願いします。Cimg2508

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