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2007年2月28日 (水)

人生の勲章

勲章なぞと言うと、何とかび臭いことかと思われるかも知れない。Cimg2864

でも、何十年と一つ事に専念してきて、それが認められると言うことは素晴らしいことだ。

今夜、私の研究所の二人の方の受賞祝賀会があった。

お二人とも、それぞれ全国レベルの賞を頂いたのだ。Cimg2866

そもそもこの二人は、アイディアマンでもある。

長年にわたって研鑽し、アイディアを出し続けて、研究成果を積み重ねてきた。

私は常々、二人のそのアイディアはどこで醸し出されるのかと考えたりしていた。

それて゜、冒頭の祝辞で以下のような話をした。Cimg2867

「古来、ヒントやアイデアを良く考えつく所は、三ヶ所あるそうだ。

それは馬上、枕(チン)上、厠(シ)上で、これを三上という。

馬上とは、馬に揺られながらと言うことだが、車の中とか電車で移動途中と言うことだ。Cimg2868

枕(チン)上とは、枕でねっころがっている時、つまりくつろいでいる時だ。

最後の厠上は、そのまんまトイレの中だ。

私は、これに加えて風呂の中もなかなかの物だと思っている。 Cimg2872

つまりアイディアと言うものは、机に向かっている勤務時間中はもとより、その他の時間の方が出ると言うことだ。

この二人にあやかって、せいぜいそんな時間を大切にしたいものだ。」

・・・・と。かく言う私も、窮余の一策を思いつくのは、ランニングしている最中のことが多い。

ともかくも、お二人におめでとうと申し上げたい。

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2007年2月27日 (火)

研鑽

人が勉強しようとするのは、何故か。Cimg2846

人は必ず、目標・目的を持ってそれに臨んでいる。

意識していないとしても、本能的にそうしているはずなのだ。

人間の、生物としての生存本能が、人をしてそう仕向けているのだ。Cimg2852

人は生きるために学ぶ !

先日、御前崎でイチゴの技術者交流会が開かれた。

その会の開催を伝え聞いた人が、狭い所に60人余も集まった。Cimg2850

遠く伊豆から馳せ参じた人もいた。

イチゴの品種が、章姫から紅ほっぺに変わる。

品種の特性を知らなくてはならない。Cimg2848

そんな必死な思いが、皆さんから伝わってきた。

そんな情報を求める人々に、必要な情報をチャンと伝えるのが研究者なのだ。

時代や経営の進歩は、研究によって一歩前に進む。

そんな自負心を持って、日々研鑽しなくてはいけない。

学ばなければならないもの、それを開発する醍醐味は研究者だけのものだ。

そう思うのだが・・・・どうだろうか。

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2007年2月26日 (月)

保守的な食の中で

概して、人は食に関して保守的である。

子供の頃から食べつけていたものを、にわかに手放したりはしない。

新しい食材が出たからと言って、珍しさで食するものの毎日食べようなどとはしないものだ。

それでも日本人の食は、弥生の昔から少しづつ変わってきた。

今日の私達の食は、たとえば室町の人間から見たら、まったくの別物になっているだろう。

30年ほど前のことだ。

この静岡の地で、中国野菜を何とか特産にしようと考えた男がいた。

農協の技術員だった、大杉実さんだ。

彼は、磐田青果連の金原士朗さんと組んで、チンゲンツァイを日本の野菜にしてしまった。

大杉はこの野菜の生産を、爺ちゃん婆ちゃんに託した。Cimg2859

専業の農業者は見向きもしなかったからだ。

10㎡程度のハウスをレンタルして、小物野菜研究会を組織して生産を拡大していった。

金原は、フライパンを片手に全国のスーパーマーケットの店頭に立った。

「奥さん、新しい野菜だよ。桜海老とこの野菜で、人間が怒らなくなるよ!」そう叫んで歩いた。

やがてチンゲン菜は、すっかり日本の食卓に入り込んだ。Cimg2856

始めは、婆ちゃんの小遣い稼ぎだった生産が、典型的な都市集約農業の作目になった。

今では、大勢の従業員とともに数ヘクタールの生産も珍しくない。

そのチンゲン菜の品種審査会が、私の研究所で行われた。

全国の種苗業者が、新しい品種を出品している。Cimg2860

その18の品種を同じ条件で栽培して、優れた品種を選び出す。

メーカーも審査員も、真剣そのものである。

同じようなチンゲン菜に見えても、よく見るとみんな違う。

成長にバラつきのあるもの、色の違い、ノツポやヅングリ、ぼけてハクサイの様になるものさえある。

30年前、海のものとも山のものとも分からなかったチンゲン菜。Cimg2863

その次の品種を、全国から技術者が集まって選定する様になったのだ。

保守的な日本人の食が、又少しだけ変わったのだ。

そのきっかけを作ったのが、二人の涙ぐましい熱意だったことを誰も知らない。

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2007年2月25日 (日)

ブログな300日

ブログを書き始めて、今日で300日目になる。Cimg2622_1

この間、13,000余のアクセスを頂いた。

ブログを毎日書こうと決めたのは、五月の連休が終わったあたりだ

以来、私の生活が少しばかり変わった。Cimg2628

もちろん、デジカメは四六時中手放さなくなったし、

森羅万象に目を凝らすようになった。

本を読むことも、一段と多くなった。Cimg2635

身近で開かれる会合には、悉く参加するようになった。

知人と話をしていても、頭も中の別の回路でブログのことを思っていたりする。

これが、プロク゜効果と言うヤツだろう。Cimg2636

300日書き続けてきて、最近では思いもかけない人からメールを頂くようになった。

学生時代以来会っていなかった友人だったり、昔の研究会の仲間や伊豆の友人達だったり、或いはまったくお会いしたことのない方からも温かなお便りが届く。

おそら、私のブログに、どこかの時点で触れ合って頂いたのだろう。

インターネットが無ければ、こんな触れ合いは有り得なかっただろう。

小学生から塾年まで、800万人がブロガーの仲間なのだそうだ。

でも、毎日書いているブロガーは、何人いるだろうか。

私のブログは自分自身の備忘録であり、心中の遍歴の記録になった。

多くの支援に支えられながら、これからも書き続けるつもりだ。

それに今では、このブログを書き終わらないと寝られないのだ。

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2007年2月24日 (土)

春への備え

春の足音が聞こえ始めて、私の休日は滅法忙しくなっている。

三月には入れば、週末のレースが目白押しだ。

走行距離を伸ばさないと、完走がおぼつかない。Cimg2853

それに、一月に蒔いたホウレンソーの収穫が残っている。

ホウレンソーは、50日で収穫しないと徒長してしまうのだ。

葡萄の剪定をしてそのままだから、切り落とした枝で足の踏み場もない。Cimg2854

早く片付けて、堆肥を置かないと元気の良い目が出てこない。

梨の剪定も終わっていない。

どうしようと、気ばかり急いている。Cimg2855

試みに、私の今日の行動を紹介しよう。

6:00~8:00  ホウレンソーの収穫

8:00~8;30  朝食など

8:30~12:00 山中を20kmランニング

12:15~12:45昼食など

12:45~15:00梨の剪定

15:00~16:30葡萄の枝の排出

16:30~17:30ホウレンソーの収穫

17:30~18:30晩飯など

そして、19:00~ ブログを書き始めている。

体には、結構な疲労感が有る。

ブログを書き終えたら、少し早いけど風呂に入って寝ることにしよう。

明日の朝も、ホウレンソーが待っている。

  

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2007年2月23日 (金)

我家の河津桜

我が家には、3本の河津サクラが植わっている。

その桜が、昨年よりも10日以上は早く満開になった。

河津桜は、彼岸桜と大島桜の雑種だ。Cimg2840

それにしても、暦からすれば未だ二月のことであり、春が待ち遠しい頃のはずなのだが・・・

春が早すぎる。

気味が悪いほどに、春の気配が早すぎる。

これで良いのだろうかと、思ってしまうほどだ。

「亥年は荒れる」と言われる。Cimg2841

何が荒れるのかは分からないが、旱魃なのか台風なのか・・・・、いずれにしても何かがあるだろう。

私達人間も、甘んじてその自然の中の一つの構成要素でしかないのだ。

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2007年2月22日 (木)

寿司と米

寿司屋に行くことなど、めったにない。

だけど希に入った寿司屋で、オッこれは旨いと思わせてくれたなら、少しばかり高くてもそれはそれで納得してしまう。

しかし、ネチネチとした寿司を食わされた上に、法外な支払いを求められたら、シャリならぬ砂利を食わされたような気になってしまう。

その旨さの基本は、実は米にある。

先日、静岡市清水区の宮城島さんから「関取」という米をお送りいただいた。

実はこの米、幕末(1848)に三重で選抜された米なのだ。

小粒だが品質が良くて簡単に倒れないから、関取となずけられたと言う。

この米は、明治から対象にかけて一世を風靡する米になった。

もちろん江戸前寿司の米は、この米でなくてはならなかった。

その「関取」が、昭和10年代以降急速になくなってしまう。

それは、化学肥料が普及したからだ。

化学肥料をやって増収する品種、それが良い品種になったのだ。

この点「関取」は、肥料に鈍感である。Cimg2842

幾ら肥えを与えても、収量が増えないのだ。

それで、抹殺されてしまったと言う訳だ。

だが、食糧難の時代ならいざ知らず、今日ではかつてほど多収が価値を持たなくなった。

それよりも、米の本来の旨みを求めるようになった。

いわんや、米を土台にする寿司屋においてをやである。

宮城島さんたちは、この米を見直すことも含めて、世界寿司フォーラムをやろうと考えている。

私の所でも、頂いた米と米酢で寿司にして、コシヒカリと食べ比べてみた。Cimg2843

しかして、9割の確立で明確に軍配は「関取」に上がった。

寿司に関して、今日の米が100年前の米にかなわないのだ。

技術者は、心してこのことの意味を考えるべきだろう。

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2007年2月21日 (水)

鹿谷郷の凍頂烏龍

海抜800mほどの凍頂山を中心にした鹿谷郷一体で生産されるお茶が、あの凍頂烏龍である。Cimg2786

かつては100haほどにしか過ぎなかったが、今では茶園面積は1,800haを超えていると言う。

高台から凍頂山を望むと、ゴンロウ樹の屏風の向こうに、耕して天にいたるかのような段々茶畑が競りあがっている。

ビンロウやパイナップルが南国の風情を醸し出し、一種独特なお茶が生産できそうな雰囲気がある。Cimg2792

品種は、青心烏龍と四季春である。

ここでは一番茶の後、秋茶と冬茶を採る。

要するに、年中茶摘みしているのだ。Cimg2793

道路沿いには、自園自製自販の店が並び、茶や竹の看板が目立つ。

それによく見ると、9.11の集集大地震の爪痕が、未だそこここに残っている。

ビンロウ樹との兼ね合いだろうか、この鹿谷郷には竹が良く似合う。Cimg2791

料理にも竹の子か多いし、名物は竹筒飯だ。

この日の昼は、凍頂烏龍の畑を眺めながらの昼食となった。

竹筒飯や蜂の子、瓢箪の料理を頂きながら、この地に生きる人々の逞しい生命力を思った。Cimg2795

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2007年2月20日 (火)

土林夜市

台北には、夜市と呼ばれる所が何ヶ所も有る。Cimg2805

その一つ、台北北部の土林夜市を歩いてみた。

迷路のように入り組んだ露地に、料理屋台やファツション、雑貨など所狭しとひしめいている。

それに、何と言う人の数か!Cimg2806

アジア的雑踏の最たるものを感じる。

机一つの露天も含めて無数の店と、それを覗き歩く若者の群れ。

まるで、巨大な縁日の風情であろうか。Cimg2807

十代と思しき娘さんが机一つで商いをしていたり、的屋が幾つもあったり、果物の切り売りなど、まったくの無秩序な中に人が群れている。

この夜市で金をため若者が、起業の元手を作ってその出発点にするとも聞いた。

まさに、中国人の商業的エネルギーの露出を見る思いである。Cimg2810

食べ物を扱う「土林美食廣場」には、何百もの食べ物屋が集まっている。

こちらの担い手も、若者がめだつ。

こちらでは家で食卓を囲むよりも、こうした所で晩飯を済ます人も多いんだとか。

ソウルの大同門でもそうだった。Cimg2811

このむせ返るように人が集まるのは、東洋人の特性なのだろうか? 

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2007年2月19日 (月)

台北の茶芸館

若い女性が一人、茶芸館で読書に耽っている。Cimg2801

テーブルの脇に熱湯の入ったヤカンがあって、時折手を伸ばして茶を淹れる。

中国茶は、何煎でも淹れられるから、長居にはまことに都合が良い。

そうなんです。Cimg2800

茶芸館は、時間を消費する所なんです。

或いは、若者達が集まってワイワイと談笑する場だったりして、そこに格好な茶があると言うことなんでしょう。

私達も、台北の茶芸館に行って見ました。Cimg2799

しかし、ちょっとだけ目的が違ったような気がしました。

日本の茶道のようなものを想像していたからです。

「聞香杯」や「茶船」などの茶器とともに茶を遊ぶ茶芸は、1980年頃台湾で生まれました。Cimg2802

最初は、お茶の消費拡大が狙いだったようですが、これが瞬く間に中国大陸や韓国にまで広まって行ったのです。

戒厳令の解かれた(1987年)開放感と幾分の経済的なゆとり、それに茶業組合などの「お茶を飲もう」キャンペーンが重なって、一気にブームとなったのです。

しかし最近は、ブームは去って台湾の茶芸館は元気がないようです。Cimg2721

茶芸館に代わって、スターバックス風の喫茶スタンドがあちこちに出来てきました。

この20年間の経済発展が、その豊かさと引き換えに茶の時間を奪っていったのでしょうか。

茶芸館の退潮にも拘らず、台湾の茶消費量は増え続けていて、一人当たり1.5kgを上回ったようです。Cimg2705

かつて日本に大量に輸出したのは嘘のようで、生産量の9割は国内向けなのです。

「聞香杯」の発明など、独自の茶文化を開発してきた結果なんでしょうね。

それに多様な台湾銘茶が、世界中で認められるようになりましたね。

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2007年2月18日 (日)

北投温泉の今昔

吉投温泉は、ドイツ人の硫黄商人によって発見された。Cimg2822

だから当然だが、地獄谷はもちろん、あちこちから硫黄の臭いが立ち昇っている。

北投温泉そのものが、外輪山に囲まれた火口に位置しているのだ。

明治29年、日本人が温泉旅館を開業してたちまち温泉街になった。Cimg2817

以降、陸軍の療養院や総督迎賓館、士官倶楽部ができたりして、温泉旅館も70軒ほどにもなったらしい。

日本兵の慰安の地として、三味線の音が響くまさに日本的な温泉街だったのだろう。

その面影が、あちこちのホテルの名前に残されている。Cimg2824

うっかりすると、日本のどこかの温泉と勘違いしかねない。

その北投温泉が、戦後に再び脚光を浴びたのが、売春旅行の地としてだった。

当時、台湾旅行者の9割は男だった。Cimg2820

その男どもの目的は、ひたすら夜の観光だった。

好色な男達の群れと、嬌声を上げる女達。

そんな風景が連日続いたのだろう。Cimg2815

二昔前のことだ。

今、かつての士官倶楽部は、民族文物館や陶然居茶芸館になっている。

北投温泉は、ラジウムを含む北投石の温泉として、健全な保養地に生まれ変わっている。

過去にこの温泉を行き交った人々の幻影は、すでに遥か昔に霞んでいる。Cimg2821

早朝、南側の山頂に向かって、一時間余り走った。

春天飯店の方角である。

温泉街を眼下に見下ろすあたりまで来ると、地元の何人かのランナーと出会うことができた。

台湾の早朝ランナーの存在を知っただけで、この朝はとても気分の良いものになった。

過去の歴史を乗り越えて、台湾もどんどん変わっているのだ。

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2007年2月17日 (土)

台湾紅茶と日本人

日月潭を見下ろす高台に、茶の研究をする魚池改良場がある。Cimg2752

この研究施設を開設したのは台湾総督府で、昭和11年のことだ。

以来、この地が台湾紅茶の発祥の地になった。

現在もここには6名の研究員がいて、茶業博物館も併設されている。Cimg2756

それに、70年前の日本統治時代に建設された木造三階建ての茶工場が、今も使われている。

一階に乾燥機があって、その乾燥機の廃熱で2~3階の茶葉の萎凋を加減するのだ。

70年前のコジェネなのだが、粋なことを考えたものである。Cimg2751

99haもあるこの試験場の入り口に、最後の日本人分場長だった新井幸吉郎の記念碑がある。

新井は、昭和41年から45年までここに勤務して、アッサム種の栽培や製造の研究を続けた。

日本の敗戦によってほとんどの日本人が本土に引き上げたのだが、新井はこの地に残って研究を続けたのだ。

そして、この地で病没している。Cimg2758

敗戦の混乱の中で、あえてこの地に止まって研究を続けた新井の熱意は、綿々と今に続いている。

この試験場は、標高850m位の所にあって、日月潭を眼下に見渡せる実に景色の良いところだ。

だから、新婚カップルの写真を撮る場として人気がある。Cimg2757

私たちが訪れた時にも、カップルが撮影の最中であった。

台湾茶に生涯を尽くした新井、階段状に続く茶畑、80年前の茶工場、新婚カップル、そして眼下に広がる日月潭と戦後の歴史。

しばし、感傷の浸る一時であった。

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2007年2月16日 (金)

客家の高山茶

標高1000m以上の高い所で生産される半醗酵茶を、高山茶と言う。

東方美人と高値の双璧をなしているお茶だ。Cimg2736

否、台湾で最高のお茶と言うべきかも知れない。

発行度は軽めの20%くらいで、半球形のお茶だ。Cimg2740

その高山茶の代表的な産地で、香りが最も高くて円やかな茶が出来るのが梨山である。

梨山近くの、高山包種茶の代表的生産者を訪問した。

この梨山には客家と呼ばれる広東省東部出身の人達が数多く住んでいて、住居も広東省の農家のたたずまいにそっくりである。Cimg2742

その庭先には、茶の葉を干している姿があちこちに見られる。

2月なのだが、冬茶の作業が始まっているのだ。

日干し萎凋が終わると屋内に取り込んで日陰干しに入る。Cimg2743

その後は、スイカくらいの大きさの包みにして揉み込んでは、数分間の釜炒りをする。

そんな作業を何と20回ほども繰り返す。

すると、香りが次第に高まってきて、茶の葉が次第に丸まっていくのだ。Cimg2745

工場の片隅には、蜂の集めた茶の花粉が干してあった。

茶花の蜜を集める蜂の足についた花粉なのだが、これは日本では目に出来ない代物だ。

そうした一連の生活風景を見ながら、客家の人々の職人的性格に感じ入っていた。Cimg2739

高山茶は、高原の昼夜の気温差と彼らの職人芸が作り出すのだと!

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2007年2月15日 (木)

日月潭を走る

日月潭は、台湾最大の湖で景勝の地として名高い。Cimg2766

中央に浮かぶ島の北側が太陽の形に、南側が月の形に見えることからこの名が付いた。

この深山幽谷の趣きのある湖の周りは、およそ33kmである。

前日からこの湖の周りを、是非とも走ってやろうと考えていた。Cimg2767

まだ暗いうちに起きて、恐る恐るホテルを走り出る。

湖は、霧の中に潜むかのように静まっていて、人影も全く見られない。

外国の、しかも初めての無人の地を走るのは、結構思い切りが要るものだ。Cimg2775

しかし、明るくなるに従って、湖は次第に台湾ヒスイのような色に染まっていく。

道すがら文武廟や黄先帝祈念堂、漢民族祖霊廟、道教の礼拝堂、九族文化村などが次々と現れて、この地のたどった切ない歴史への連想が続く。

遠くに見通す里の山々には、重く霧が立ち込めている。Cimg2771 Cimg2776

この地は台湾の中央部近く、高山族の住む所なのだなどと考えてしまう。

今、日月潭の周りでは、あちこちに超高層のホテルが建設されていて、観光開発のラッシュらしい。

それに所々に、湖を巡る遊歩道も作られている。Cimg2773

中国本土の富裕層を見込んでの、観光開発らしい。

しかし・・・・・そんなハード整備よりも、日月潭一周マラソンでも計画してくれないだろうか?

ここは、自然のままが良いと思う。Cimg2779

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2007年2月14日 (水)

ビンロウ樹の誘惑

台湾の町を歩くと、ほぼ100mごとと言っても良いほど、ビンロウを売る小さな店が目に付く。

いずれも緑色の看板に、ビン榔と表示されている。Cimg2784

そして驚いたことに、その店の売り子が全部うら若き娘さんなんです。

娘さんは、高い椅子に超ミニスカートで座っていたり、ビキニの水着だったりして、店を覗くだけで楽しいのですが・・・。

一体全体、どういう文化なんでしょうか? 

しかも、同じような店が沢山有るんですから、Cimg2746

相当な売り上げがなくては、経営できないはずです。

実はビンロウは、10mほどの高さになるヤシ科のビンロウ樹の実なんです。

キンバイの葉に石灰を塗って、このビンロウの実を包む。

その実が7つほど入って、50元(200円弱)なんです。Cimg2814

これを口に入れて、噛み続ける。

すると口の中は真っ赤になるんですが、頭や体がポカポカしてくる。

要するに、覚醒効果が有るんでしょうね。

否、ひょっとするとバイアグラになるのかも知れない???

このビンロウ樹は、台湾のいたる所に植えられている。Cimg2749

茶園の合間だったりもするが、山全体がビンロウの林だったりもする。

とにかく、あちこちにビンロウが育っていて、それを売る店もやたらに多い。

それにしても、ビンロウを売るのに何故うら若き女性が必要なのだろうか。

ビンロウは、それほど魅惑にあふれた物なのだろうか?

一見は、百聞にしかず。否、味見だろうか!Cimg2770

好奇心のあまり、私も一つのビンロウを食べてみることにした。

まずい! 青汁よりも不味い!!

でも東南アジア一帯では、このビンロウが7000年も前から食べ続けられている。

そう言えば、カテキン(茶の主成分)が最初に発見されたのは、このビンロウかららしい。

とは言え、とても日本に持ち帰る気にはならなかった。

最後の夜は、台北で過ごすことになった。

ところが台北では、ビンロウ売りはみんな普通のおばさんなのです。

覗いて見て、少しばかりlがっかりしてしまいました。

やはり、ビンロウはビキニの娘さんが売るにしかずだな!!

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2007年2月13日 (火)

東方美人の素顔

徐英祥さんのはからいで、新竹県の峨眉(アメイ)を訪ねることができた。Cimg2755

徐さんは、元台湾省茶業改良場の研究員で、既に80歳近くになる。

それから峨眉郷とは、あの東方美人の産地である。

東方美人茶は、オリエンタル・ビューティとも呼ばれていて、Cimg2728

醗酵度が70%近くて、ほとんど紅茶と言っても良いウーロン茶だ。

見た目には白い芽や赤茶、暗緑の葉が混じったカラフルなお茶だ。

淹れると熟した果実のような香りがして、実に芳醇な味わいの茶である。

実はこのお茶は、ウンカ(虫)によってこの味が醸し出される。Cimg2726

ウンカの食害が、茶葉の成分に作用して、独特の香気を作り出すのだ。

ウンカが発生しなくては、東方美人にはならない。

だから、農薬は厳禁。肥料もご法度になっている。

痩せた茶園に行くと、モンシロチョウや小さな虫が飛び交っていた。Cimg2731

雑草もいっぱいで、下草が無いとウンカが発生しないんだそうだ。

峨眉の自園自製農家にお邪魔し、その薀蓄をたっぷりと聴くことができた。

その茶作りの真髄は、「ここにしかない特徴」だった。

栽培にも摘み取り・萎凋にも、細心の注意を払っているのだが、Cimg2730

その際たるものが、如何にウンカを発生させ、最も香りを際立たせる萎凋にするかなのだ。

この東方美人は、広東省出身の客家と称される人たちによって作られてきた。

その昔、虫のついた茶葉などは、捨てるしかなかった。

ある時、鞭で打ち落とした茶を拾い集め、お茶作りを試したと言う。

これが何とも絶妙な香気風味に仕上がった。Cimg2727

それでこれを役所にもって行ったところ、普通の茶の20倍の値段で買ってくれたという。

村に帰ってそのことを説明しても、誰も信じなかった。

おまけに、法螺吹きと呼ばれてしまう。

それで法螺吹き茶と呼ばれたのだそうだ。

ちなみに「ここにしかない茶づくり」を指導してきた徐さんは、客家の出身であった。

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2007年2月12日 (月)

台湾春景色

台湾について、しばらく書き続けたいと思う。

まだ二月なのに、台湾は既に春だった。Cimg2732

眩しい陽光に、ブーゲンビリアやハイビスカスの花が照らされている。

それに三毛作の水田では、もう稚苗が植わっている田もある。

日中の気温が摂氏18度位だから、極めて快適である。Cimg2718

それに春節(2月18日~)を迎えて、そこここに華やかな飾り付けがされている。

中国の旧正月は、爆竹の音とともに、デコレーションがすごい。

日本の門松なぞは、とても飾りのうちには入りようもない。

この点に関して中国圏は、クリスマスを飾り立てて祝うヨーロッパ系に近いのかもしれない。

店頭に並ぶ果物だって、まさに南国だ。Cimg2719

お釈迦様の頭を連想させるシャカ(アテモヤ)、ドラゴンフルーツ、レンブー(蓮霧)、台湾オレンジ、柿、パッションフルーツ、キャバなど、見慣れない果物がずらりと並んでいる。

台湾は、亜熱帯から熱帯に位置している。Cimg2720

それ故かどうか、古くからマレー・ポリネシア系の民族が先住して来た。

明朝ですらこの島は、風土病が蔓延していて蛮人の住む所としてきた。

先住民のシラヤ族は、外来者のことを「タイアン」と呼んでいた。Cimg2763

その言葉を聴いた漢族系の移住民が、大湾の字をあてたことから、今日の台湾となった。

先住民族にとっては、移住民は客人でしかなかったのだが、今では彼らが少数部族になってしまった。

この200年間、蛮人隔離政策の対象とされて抑圧されてきた彼らだが、今、各地に九族文化村なるものが出来ていて、

就業の場づくりの一助になっているのだろうが・・・・・・・・??Cimg2764

中国には、随分多くの民族が入り込んで、そうした民族が入り組んできた。

台湾だってそうだ。町を歩く人の顔は、決して一色ではない。

しかし・・・、ショウ族の娘達の舞踊を鑑賞しながら、「人間」の限界のようなものを考えていた。

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2007年2月11日 (日)

李登輝総統の挑戦

戦後の台湾は、蒋介石・蒋経国を頂点とする国民党の支配が続いてきた。

李登輝氏は、1988年、蒋経国の突然の死によって、図らずも副総統から総統に昇格した。

しかし李登輝氏は、台湾人である。

しかも、人口の86%を占める台湾人への配慮から起用された、言わばお飾りの副総統だった。

だから当然のことながら、それまで権力の中枢を占めてきた外省人が、たやすく権力を明け渡すはずがなかった。

国民党を始め、政治や軍事、特努部門には、それぞれ旧守の権力者が盤距していた。

彼は、これを一つ一つ、世論を味方に隠忍自重して覆していった。

そして4年の布石の末にやっと、それまでの政策を転換することに着手した。

つまり、台湾の総統として (中華民国総統ではなく) 、中国とは対立しない政策を採る。

旧守派の抵抗で改革は困難を極めるが、政治の二重構造解消や総統の直接選挙への移行、大量の政治犯の釈放などをすすめる。

いまだに多くの課題があるが、彼によって台湾は大きく民主化されたと言える。

ちなみに彼は、京都帝国大学農業経済学科に学び、米国のコーネル大学から農学博士号を取得している学者でもある。

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2007年2月10日 (土)

台湾のお茶

お茶は、茶葉の醗酵度の違いによって様々な風味の茶になる。

緑茶、青茶、黄茶、紅茶、白茶、黒茶と言った具合だ。

そのうち新鮮な生葉を醗酵させずに熱して作るのが「緑茶だ」

少しだけ日陰干ししたりして醗酵させて作るのが「青(ウーロン)茶」

完全に醗酵させてから作るのが「紅茶」だ。

茶芸なるものが、台湾や中国で流行している。

日本の茶道を優雅に現代化したものだが、この茶芸を作り上げたのが台湾である。

それが大陸にも転移して、大流行しているのだ。

そして、今日の茶芸の隆盛は、ひとえに茶の多様性にあるのだ。

色も香りも違うお茶を、使い分けて楽しめるから茶芸が流行るのだ。

台湾の茶が、緑茶として日本に大量に輸出された時代がある。

昭和50年代のことだ。

当時、安い台湾の茶は、日本茶の大変な脅威だった。

ところが台湾の経済発展とともに、安い茶の輸出はコストにあわなくなった。

代わって登場したのが、高級茶だ。

醗酵度の少ない文山包種茶を始め、凍頂ウーロン茶、紅茶に近い東方美人などだ。

これらの上級品には、目の玉が飛び出るくらいの値段がつく。

高山茶の産地は、これで潤っている。Cimg2547

この点、日本で生産される茶は、もっぱら蒸し製の緑茶だ。

それに、品種もヤブキタに極端に偏っている。

台湾とは、比べようもなく単一だ。

選択の余地すらないと言える。Cimg2537_1

多様な価値を認め合うのが、これからの時代だ。

是非とも、茶の幅を広げるべきだろう。

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2007年2月 9日 (金)

台湾訪問

昨日から、「お茶と水研究会」の一員として台湾を訪れている。

梅揚茶業試験場や日月譚の魚池改良場、東方美人の茶畑などを巡って、意見交換に明け暮れている。

台湾は、日本が終戦までの50年間に渡って領有した地である。

それに1972年以降国交を断ったままなのだが、経済的には極めて密接な関係にある。

しかし一方、私達戦後世代にとっては、単なる観光地ではあっても、その厳しいこれまでの歴史はほとんど知らないのが現実だ。

それは、国民党政権が「台湾人が台湾の歴史を知っては困る」からに他ならなかった。

自らの政権の正当性を維持するためには、歴史が邪魔だったのだ。

そして、歴史を学ぶことが許されたのは、李登輝氏による民主化の始まったつい最近のことでしかない。

台湾の歴史を概観するなら、外来政権による支配と住民による抵抗の歴史だ。

虐殺に近い形で、何度も大量の住民が殺されてきた。

台湾は、1624年にオランダに支配されるまでは、マレー・ポリネシア系の人々の住む所だった。

中国本土の明王朝ですら、倭寇や海賊の巣窟として放棄していたのだ。

そのオランダを追い出したのは、海賊の頭領の鄭芝竜と日本人女性との間に生まれた鄭成功である。

鄭政権は20年続くのだが、中国大陸に清王朝が興って清国領となる。

やがて日清戦争の結果、日本領になる。

戦後は、蒋介石の国民党政権が大挙移り住んで今日に至るのだ。

そして、支配者が変わる度に数万人の血が流されてきたのだ。

今、やっと民主化された台湾は、大変な経済発展を見せている。

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2007年2月 8日 (木)

消費の趨勢

消費の趨勢を無視して生産してきたのが、これまでの農業だ。

米でもミカンでもしかりである。

人口が減り始めて、供給が需要を上回ろうとしている現在、そんなことでは経営は成り立たない。

1990年は、この日本国内で最も車が売れた年だ。

777万台も売れた。Cimg2684

昨年が516万台だから、大変な売れ行きだった。

しかしその売れ筋に、微妙な予兆が出ていた。

セダンが売れないと言う現象だ。

何故セダンが伸びないのか? 

某自動車メーカーは、徹底的な消費嗜好分析を行う。

そして、家族構成や生活意識の変化、行動パターンなどの変化にその原因を見つけ出す。

そうしたマーケット調査の結果生み出したのが、オデッセーと言う車だ。

この車は、予想通り爆発的に売れた。

消費の変化を読み、日々販路を開拓する。

そうした活動の傍ら、自らの経営品目の構成を調整していくのだ。

品目を変えることは、不安だしリスクも伴う。Cimg2683

だけど、百年一日の如く同じ物を作って、滅びていくよりははるかに賢明だ。

有利に販売しようとするのではなく、消費(実需)者が選ぶ農産物を生産するよう努めることだ。

高齢化や人口の減少、健康志向のなかで、消費者は何を選ぶのか。

その微妙な変化をかぎ分けて、コスト計算していくのが経営だ。

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2007年2月 7日 (水)

砂漠化と農業

農業が、地球の砂漠化を押し進めてきたのではないか? 

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授の指摘だ。Cimg2690

中国のタクラマカン砂漠で発見された小河墓遺跡からは、200体近くの小麦の袋を抱いたミイラが出土している。

それに、太い木の柱や牛の頭骨が出土し、4000年前にそこで農業が展開されていたことを物語っている。

今は砂漠の只中だが、そこは緑豊かな土地だった可能性が高い。

さらにこの遺跡から100km東に行くと、そこには楼蘭王国があった。

この楼蘭も800年の繁栄の後、紀元400年頃には忽然と消えてしまっている。Cimg2691

佐藤教授は、その砂漠化の原因の一つが、人間活動の結果ではないかと言う。

つまり、水を引いて潅水し農業を続けた結果、土壌に塩がたまって穀物はおろか草すら生えなくなった可能性を指摘するのだ。

そういえば、文明の発祥地メソポタミアも、今はほとんどが砂漠になっている。

雨の少ないオーストラリアでも、塩害の影響は深刻になっている。Cimg2692

人間はこれまで、農業生産の拡大のために、品種改良と化学薬品(肥料・農薬)の開発、それに灌漑用水の整備に必死になってきた。

ところが、そうした行為が自然環境のバランスを崩し、見えないところで食糧危機を生み出している可能性がある。

多様性の維持と言うことと、人間の知恵の程度を謙虚に見詰めなおす必要がありそうだ。

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2007年2月 6日 (火)

輸出商品としての茶

日本のお茶は、生糸と並んで最大の輸出商品だった。

もちろん、明治時代のことだ。Cimg2657

だったと言うよりも、むしろ輸出するために生産を奨励したのだ。

茶の輸出は、明治20年に至っても、この国の輸出総金額の15%も占めていた。

この比率は、繊維産業などの伸長とともに減り、輸出数量も大正6年の31,000トンをピークに、インドなどの新興の産地に市場を奪われて縮小していく。

しかしこの間、富国強兵に必要な外貨を稼ぐために、茶と生糸の果たした役割は計り知れない。

日露戦争だって、お茶のお陰で勝てたようなものだ。

静岡の茶町は、輸出茶の集散地として発展した。Cimg2662

ヘリア商会とかマジソン商会などと、アメリカ輸出向けの外国商社が軒を並べていた。

ちなみに静岡鉄道は、茶町から清水港にお茶を運ぶために開設されたものだ。

今日では輸出は極僅かになったが、茶町は相変わらず茶の集散地としての機能を持っている。

静岡茶市場には、全国から茶が出荷されるし価格の大勢もここで決まる。

その茶市場で、ヘリア商会の流れを汲む谷本さんが、世界のお茶事情について講演された。

今、世界の各地で緑茶への需要が生まれている。Cimg2658

中国やインドの茶消費は、その経済発展とともに急増している。

いずれ輸出余力を無くすかもしれない。

日本のお茶は、茶文化とともに高級茶を提供していくべきだ。

だが、茶のグローバルスタンダードをリードしているのは、ドイツだ。

そんな論旨であったろうか。

事実、日本の緑茶が今、世界市場で再び脚光を浴び始めている。

輸出数量も千数百トンまで回復してきた。

改めて、日本茶の世界戦略を考える時かもしれない。

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2007年2月 5日 (月)

薩埵峠と山岡鉄舟

東海道を下って由比から興津に抜けるには、この薩埵峠を越える他ない。Cimg2679

駿河湾に落ち込む崖の上を細い山道が続いていて、ここから望む富士山は正に絶景として言いようがない。

峠の登り口に「間の宿」の茶屋があった。

望嶽亭藤屋である。Cimg2672

この藤屋に、山岡鉄舟の拳銃が残されている。

時は、大政奉還で明治となって間も無くの、3月7日のことだ。

官軍が、江戸に向かって駿府まで押し寄せていた。Cimg2674

この時、江戸の勝海舟の意を受けて、駿府に向かっていたのが幕臣の山岡鉄太郎だった。

ところがこの日の夜半、山岡はこの薩埵峠で薩摩兵に追われる羽目になってしまった。

そして、逃げ込んだのがこの藤屋だったのだ。

藤屋の亭主は、彼を土蔵にかくまい、漁師に変装させて船に乗せ、かねてから親交のあった清水の次郎長の所に送り届けた。

そして山岡は、次郎長の手引きで駿府に入り、3月9日に上伝馬町の松崎屋で西郷隆盛と会談する。

ここで7項目の条件のもとで、江戸城の無血開城が実質的に決められたのだ。

仮に、山岡鉄舟がこの峠で鉄砲に打たれていたら、事態はかなり変わったのかもしれない。

鉄舟は、後に三舟と言われて名筆の誉れ高い男だ。Cimg2675

その鉄舟と次郎長の付き合いは、こんなところから始まっていたのだ。

後に鉄舟は、次郎長のヤクザ家業を止めさせて、富士山麓の開墾や清水港の開発に向かわせた。

人生は面白いね。

それに、その痕跡が残っていて、それ伝える人がいるということが楽しい。

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2007年2月 4日 (日)

人ほど面白いものはない。Cimg2688

喜びも悲しみも、みんな人がかもし出す。

そうなんだけど、あんなヤツ、こんなヤツ、人それぞれで。

腹を立てたりするのも、人のなせる業だ。Cimg2685

でもね、おそらくあなたも、誰かのために生きているんですよね。

兄弟げんかをしたり、夫婦の行き違いがあったり、友人同士の仲違いがあったり、

でもね、それが人生なんだね。

人が生きて、やがて死んでいく。Cimg2687

その過程でどんな人と巡りあったか、どんな付き合いをしたかで、人の一生は決まるよね!

だから、人は面白い。

女房であれ、恋人であり、肝胆相照らす仲間であれ、Cimg2686

喜びも悲しみも、君の人生を決めるのは、君の付き合った人次第なのだ。

今日一日、そんな事を考えていた。

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2007年2月 3日 (土)

癒しのロボット

ロボットを癒しの素材にできないか、と考えた人達がいた。

ロボットは普通、産業用の工作機械かおもちゃを想像する。

だが彼らは、メンタルなところで人と相互作用できるロボットを目指した。

そして、メンタルコミットロボット「パロ」を生み出した。Cimg2666

パロは、なぜれば気持ち良さそうにするし、名前を呼べば反応する。

もちろん叩いたり乱暴にすると、機嫌を損ねる。

お腹が空くと、餌(電気)をおねだりする。

急に光が当たったりすると、瞬きして避ける。

知能指数にするとどの位になるのだろうか、少なくとも可愛いことは確かだ。

産業技術研究所が、開発したロボットだ。Cimg2668

感心するのは、ロボットに癒しを実現させようとする発想だ。

そもそもロボットと癒しは、一見矛盾した存在だろう。

それを、逆に考えてみる。

その発想が面白い。

このロボットセラピーは、高齢者福祉の現場はもちろん、家電製品などに組み込まれていくかもしれない。

電気掃除機が、掃除を終わるとブルブルッと身を震わせて、「綺麗になったネ!」と可愛くしゃべったりして。

受験生の机の上に一台のロボットがあって、励ましたりやさしく叱ったりするなんて・・・。

さすがに工業都市の、浜松メッセであった。Cimg2667

多くの企業や大学、研究所などが、自らの知恵を披露していた。

その中の一つ、その産総研のブースでのことだ。

研究における、発想の大切さを痛感した。

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2007年2月 2日 (金)

POWER OF DREAMS

今日は、この言葉に巡り合った。

ザ パワー オブ ドリームス。Cimg2602

夢こそ、事を成し遂げる。

夢を目標にして、目標を熱情にして、何時かそれを成し遂げる。

昨年は、本田宗一郎さんの生誕100年に当たっていた。

鍛冶屋からバイクへ、バイクから世界のホンダへの飛躍。

昨年、本田さんの出生地の天竜で、生誕祭が開かれた。Cimg2669

この催しで、地元の小学生達が、ミュージカルを演じた。

その題目が「夢があるなら やらまいか!」であった。

本田宗一郎さんという人は、生涯夢を追い求めた人だ。

そう言えば、ホンダが最初にヒットさせた二輪車が、ドリームだったっけ。

人は、目標が無くては何事も成し得ない。Cimg2653

偶然出来ました、なんてことは皆無と言ってよい。

でも案外人は、目標を持たずに生きていたりする。

目標の無い日々を、何とも思わず生きていたりする。

行き先を決めずに車に乗って、エンジンをかけたとする。

さて、あなたは何処に向かって走るのだろうか? 

気儘さ! と言ってみたとしても、それは変だ。

フーテンの寅さんだって、明日は何処の縁日と決めて行動しているのだ。

もちろん、途中で寄り道することだってある。

でも、目標を失ったら、人間は認知症になっていく。

生きる意味が無いからだ。

夢を持つことと、その夢に向かって進む熱情が物事を成し遂げるのだ。

『 ドリームが 導く先が オレらしさ 』

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2007年2月 1日 (木)

競い合うイチゴ

先日お会いした静岡大学の教授(女性)が、「静岡には、なぜ『章姫』しか無いの?」と仰った。

イチゴの、品種のことである。Cimg2646

その先生は、東京と静岡を土帰月来で生活しておられる。

東京には様々なイチゴが有るのに、静岡では選択の余地が無い。

消費者としては、誠につまらない・・・。と言うのだ。Cimg2643

実はイチゴは、各県がフルサト品種を押し立てて、群雄割拠の市場争奪戦を展開している最中だ。

栃木県の「トチオトメ」、福岡県の「アマオウ」、熊本県の「トヨノカ」、佐賀県の「サガホノカ」といった具合である。

トチオトメは栃木県だけでなく茨城県などにも版図を広げ、結構勢力を拡大しているのです。

さしずめ、北条氏と言ったところでしょうか。Cimg2647

それに九州勢も侮れないのです。

その戦国の世に、静岡から新たな名乗りを上げたのが「紅ほっぺ」なのです。

これまでの旗色の薄い「章姫」を廃嫡して、若き信長よろしく中央を目指そうとしているのて゜す。

何処の品種が、販売店の棚を占有するのか、激烈な戦いが続いている。Cimg2645

紅ほっぺを応援しようと、各地でのフェアー開催を始め、歌手グループのGTBによるテーマソング、イチゴパンのコンクールなどが展開されている。

それに生産量が相当まとまらないと駄目だから、生産の拡大にも拍車をかけている。

「紅ほっぺ」は、果肉が引き締まって、味と香りが良い。それに、果肉の中まで赤い。

稀に見る、イチゴらしいイチゴだ。Cimg2649

「先生! 美味しいイチゴが、静岡にも東京にもどんどん並ぶからね!」

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