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2007年2月26日 (月)

保守的な食の中で

概して、人は食に関して保守的である。

子供の頃から食べつけていたものを、にわかに手放したりはしない。

新しい食材が出たからと言って、珍しさで食するものの毎日食べようなどとはしないものだ。

それでも日本人の食は、弥生の昔から少しづつ変わってきた。

今日の私達の食は、たとえば室町の人間から見たら、まったくの別物になっているだろう。

30年ほど前のことだ。

この静岡の地で、中国野菜を何とか特産にしようと考えた男がいた。

農協の技術員だった、大杉実さんだ。

彼は、磐田青果連の金原士朗さんと組んで、チンゲンツァイを日本の野菜にしてしまった。

大杉はこの野菜の生産を、爺ちゃん婆ちゃんに託した。Cimg2859

専業の農業者は見向きもしなかったからだ。

10㎡程度のハウスをレンタルして、小物野菜研究会を組織して生産を拡大していった。

金原は、フライパンを片手に全国のスーパーマーケットの店頭に立った。

「奥さん、新しい野菜だよ。桜海老とこの野菜で、人間が怒らなくなるよ!」そう叫んで歩いた。

やがてチンゲン菜は、すっかり日本の食卓に入り込んだ。Cimg2856

始めは、婆ちゃんの小遣い稼ぎだった生産が、典型的な都市集約農業の作目になった。

今では、大勢の従業員とともに数ヘクタールの生産も珍しくない。

そのチンゲン菜の品種審査会が、私の研究所で行われた。

全国の種苗業者が、新しい品種を出品している。Cimg2860

その18の品種を同じ条件で栽培して、優れた品種を選び出す。

メーカーも審査員も、真剣そのものである。

同じようなチンゲン菜に見えても、よく見るとみんな違う。

成長にバラつきのあるもの、色の違い、ノツポやヅングリ、ぼけてハクサイの様になるものさえある。

30年前、海のものとも山のものとも分からなかったチンゲン菜。Cimg2863

その次の品種を、全国から技術者が集まって選定する様になったのだ。

保守的な日本人の食が、又少しだけ変わったのだ。

そのきっかけを作ったのが、二人の涙ぐましい熱意だったことを誰も知らない。

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