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2007年2月 6日 (火)

輸出商品としての茶

日本のお茶は、生糸と並んで最大の輸出商品だった。

もちろん、明治時代のことだ。Cimg2657

だったと言うよりも、むしろ輸出するために生産を奨励したのだ。

茶の輸出は、明治20年に至っても、この国の輸出総金額の15%も占めていた。

この比率は、繊維産業などの伸長とともに減り、輸出数量も大正6年の31,000トンをピークに、インドなどの新興の産地に市場を奪われて縮小していく。

しかしこの間、富国強兵に必要な外貨を稼ぐために、茶と生糸の果たした役割は計り知れない。

日露戦争だって、お茶のお陰で勝てたようなものだ。

静岡の茶町は、輸出茶の集散地として発展した。Cimg2662

ヘリア商会とかマジソン商会などと、アメリカ輸出向けの外国商社が軒を並べていた。

ちなみに静岡鉄道は、茶町から清水港にお茶を運ぶために開設されたものだ。

今日では輸出は極僅かになったが、茶町は相変わらず茶の集散地としての機能を持っている。

静岡茶市場には、全国から茶が出荷されるし価格の大勢もここで決まる。

その茶市場で、ヘリア商会の流れを汲む谷本さんが、世界のお茶事情について講演された。

今、世界の各地で緑茶への需要が生まれている。Cimg2658

中国やインドの茶消費は、その経済発展とともに急増している。

いずれ輸出余力を無くすかもしれない。

日本のお茶は、茶文化とともに高級茶を提供していくべきだ。

だが、茶のグローバルスタンダードをリードしているのは、ドイツだ。

そんな論旨であったろうか。

事実、日本の緑茶が今、世界市場で再び脚光を浴び始めている。

輸出数量も千数百トンまで回復してきた。

改めて、日本茶の世界戦略を考える時かもしれない。

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