« 人 | トップページ | 輸出商品としての茶 »

2007年2月 5日 (月)

薩埵峠と山岡鉄舟

東海道を下って由比から興津に抜けるには、この薩埵峠を越える他ない。Cimg2679

駿河湾に落ち込む崖の上を細い山道が続いていて、ここから望む富士山は正に絶景として言いようがない。

峠の登り口に「間の宿」の茶屋があった。

望嶽亭藤屋である。Cimg2672

この藤屋に、山岡鉄舟の拳銃が残されている。

時は、大政奉還で明治となって間も無くの、3月7日のことだ。

官軍が、江戸に向かって駿府まで押し寄せていた。Cimg2674

この時、江戸の勝海舟の意を受けて、駿府に向かっていたのが幕臣の山岡鉄太郎だった。

ところがこの日の夜半、山岡はこの薩埵峠で薩摩兵に追われる羽目になってしまった。

そして、逃げ込んだのがこの藤屋だったのだ。

藤屋の亭主は、彼を土蔵にかくまい、漁師に変装させて船に乗せ、かねてから親交のあった清水の次郎長の所に送り届けた。

そして山岡は、次郎長の手引きで駿府に入り、3月9日に上伝馬町の松崎屋で西郷隆盛と会談する。

ここで7項目の条件のもとで、江戸城の無血開城が実質的に決められたのだ。

仮に、山岡鉄舟がこの峠で鉄砲に打たれていたら、事態はかなり変わったのかもしれない。

鉄舟は、後に三舟と言われて名筆の誉れ高い男だ。Cimg2675

その鉄舟と次郎長の付き合いは、こんなところから始まっていたのだ。

後に鉄舟は、次郎長のヤクザ家業を止めさせて、富士山麓の開墾や清水港の開発に向かわせた。

人生は面白いね。

それに、その痕跡が残っていて、それ伝える人がいるということが楽しい。

|

« 人 | トップページ | 輸出商品としての茶 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 薩埵峠と山岡鉄舟:

« 人 | トップページ | 輸出商品としての茶 »