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2007年3月 6日 (火)

お茶の街づくり

清水港から、お茶の輸出が始まって100年。

茶を運ぶ初めての外航船「神奈川丸」が清水に入港したのは、明治39年(1906)の五月のことだった。

以来、お茶が静岡を変えてきた。 Cimg2882_1

このお茶の歴史を、これからの時代にどう生かし得るのか。

そのことが、今、問われている。

そもそも静岡は、お茶の産地としては後進の産地だった。

今日の蒸製の生産技術は、明治になってから静岡に伝わった。Cimg2883

島田の亀頭藤吉が、私財を投じて宇治から技術者を招聘してからのことだ。

だから、江戸期の芭蕉の詠った「駿河路や 花橘の 茶の香り」は、実は煎茶では無かった。

昔ながらの釜炒りだったはずである。

しかし、先進技術を体得してからの静岡は、見違えるようになった。Cimg2881

明らかに、茶の輸出に向かって、ひたすら生産性を追及したのだ。

製茶機械の開発・進歩は、すべからく静岡の地で行われた。

新しいお茶の世界を切り開いたのは、静岡の茶業者たちだった。

その流れに、全国の茶産地がつき従った。

静岡の茶が、スタンダードになったのだ。

結果として、茶の輸出は横浜から清水港になった。

そのことが、静岡の茶を全国一の産地に育て上げるのだ。

清水港に茶を運ぶために、北番町から港に向けて鉄道が敷かれた。

今日の静岡鉄道だ。

やがてトラック輸送の時代なる。

静岡鉄道は、貨車から乗客を運ぶ鉄道に変わり、

それだけでは駄目だと言うことで、沿線に狐ヶ崎ヤングランドという遊園地を作った。

この遊園地のコマーシャルソングとして作られたのが、茶っきり節だ。

しこうして茶っきり節は、静岡の民謡になってしまった。

お茶が、静岡の地を作ってきたのだ。

さて時代はどんどん変わっていく。これからどうする?

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