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2007年4月11日 (水)

二束三文

その昔、江戸の町は質素で人々は堅実な暮らしをしていた。

江戸中期の人口は、百十万人ほど。Cimg3009

でもその半分は、武家であった。

江戸は武家の町だから、土地の7割を武家が使って、寺社地が15%、

庶民の住めたのは15%の土地でしかない。

そこにおおよそ55万もの人が、ひしめき合って住んでいた。

八っあんも熊さんもである。Cimg3007

大部分の江戸庶民は、狭い長屋暮らしだったようだ。

その裏長屋は、間口1,7m、奥行き二間が普通で、居間兼寝室は四畳半くらいのものだった。

その長屋には、納豆や豆腐、魚、砂糖水、油など様々な物売りがやってきた。

コンビニやスーパーが無い代わりに、商店が出張してきていたのだ。

仕事を怠けることを「油を売る」と言う。Cimg3005

菜種油は量り売りするのだが、油は粘って枡から出きってしまうのに時間がかかる。

油売りは、この雫が終わるまで世間話をしている。

それが、怠けているように見える。

それで「あいつは、油を売っている」となったのだそうだ。

二束三文とは、下駄の鼻緒のことだ。

下駄の鼻緒が、二足分で三文だったのだ。

これを鼻緒屋が、「はなおや~、下駄の鼻緒が二足三文」と呼び歩いた。

縄や木綿、或いは竹皮の鼻緒は、安いものの象徴だったのだろうか。

ともあれ江戸は、物を大切に循環させて使う環境都市だった。

二束三文とは、江戸の物売りから始まった言葉なのだ。

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