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日本人は中国人などに比べると、大変お人好しな民族だ。
長いものには、巻かれろと言うことで処世してきたところがある。
特に目上に対しては、否と思っても「そうですねぇ」と相槌を打つ。
江戸の川柳に「世の中は、さよう、いかにも、ごもっとも、
そうでござるか、しかとは存ぜませぬが・・」と言うのがある。
要するに、相槌の打ち方一つが処世術なのだ。
これが欧米人だと、まずは「ノォー」と言ってから議論が始まる。
日本人の場合は、まずイエスと言って議論を避けたがる。
議論が下手というのではなく、議論したくないのだ。
内気な私なぞは、その最たるものである。
あっちにもこっちにも気を使って、言いたいことも言わずに人生をやっている。
しかし、そろそろ生き方を変えたほうが良かろうと、思い始めている。
でも、無理かな~。
投稿者 山草人 時刻 20時25分 心と体 | 固定リンク |
日本人の処世術ではなく「高コンテキスト文化」によるものです。つまり、日本人の民族的な特徴ではなく、ほぼ単一民族であり、徳川時代以降ほとんど地域間の移動が無かったと言う歴史的背景を経た上で形成された文化であり、インプリシッドの典型です。 もちろん、国際化の時代にあっては「低コンテキストカルチャー」に属する欧米人等と互角に意見を戦わせるためには、自らを主張していく必要があります。 そのためには、まず隣人を理解しないこと、旧来の風俗・習慣を捨て去ること、何より上司の意見を素直に聞かないことが重要になります。まず、疑ってかかることです。都市部ではかなり進んでいるようですが、農村部ではまだまだ。早く農村コミュニティを破壊する必要がある?
西部農林園芸畜産課 柴田
投稿: 柴田茂樹 | 2007年5月 4日 (金) 01時40分
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日本人の処世術ではなく「高コンテキスト文化」によるものです。つまり、日本人の民族的な特徴ではなく、ほぼ単一民族であり、徳川時代以降ほとんど地域間の移動が無かったと言う歴史的背景を経た上で形成された文化であり、インプリシッドの典型です。
もちろん、国際化の時代にあっては「低コンテキストカルチャー」に属する欧米人等と互角に意見を戦わせるためには、自らを主張していく必要があります。
そのためには、まず隣人を理解しないこと、旧来の風俗・習慣を捨て去ること、何より上司の意見を素直に聞かないことが重要になります。まず、疑ってかかることです。都市部ではかなり進んでいるようですが、農村部ではまだまだ。早く農村コミュニティを破壊する必要がある?
西部農林園芸畜産課 柴田
投稿: 柴田茂樹 | 2007年5月 4日 (金) 01時40分