« 続丹後100km | トップページ | 天橋立を望んで »

2007年9月19日 (水)

丹後の宮津

「二度と行こまい 丹後の宮津 縞の財布が空になる」

と民謡に歌われた、あの宮津である。Cimg3996

あの与謝蕪村が、京都から離れて、この地で3年間も暮らしている。

万葉の歌人、和泉式部だってこの地で暮らした。

どんな所か、一度は覗いてみたくなるだろう。

と言う訳で、網野に向かう途中で電車を降りた。Cimg3997

降りてみれば、人口2万5千ほどの普通の町である。

しかし、室町から江戸期にかけて、何故そんなに賑っていたのだろうか?

恐らくは、大きな入海になった宮津湾と日本海航路に秘密がありそうだ。

駅を出ると、駅前には江戸期から続いているかと思われる宿がある。Cimg3998

それに、細い小路をたどるとかつての色町の風情を感じたりりする。

蕪村は、この町の西外れにある見性寺で暮らしている。

豪放磊落で有名な、竹渓和尚のもとに身を寄せたのだ。

その当時の見性寺の面影を残すものは、既に山門しかない。Cimg3999

庫裏や僧坊は全て焼失してしまっていた。

しかし、境内に立派な石碑が残っていて、

碧梧桐の筆で、蕪村の「短夜や 六里の松に 更けたらず」の句があった。

旧知との名残欲しさを歌った句だ。Cimg4000

要するに、今日の宮津には、その程度の痕跡しか残っていないのだ。

お陰で、私の印伝の財布は空にならずに済んだのだが、

国も地域も永遠に栄えるなどと言うことは無いのだ。

時代と共に、物流も人の心も移ろいゆくものなのだ。

この宮津の町を歩きながら、そんな感慨にしばし耽っていた。

|

« 続丹後100km | トップページ | 天橋立を望んで »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 丹後の宮津:

« 続丹後100km | トップページ | 天橋立を望んで »