離任
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こいつらの世話をして過ごすのも一方である。
幸い懐いていて、道化でもしようものなら追い掛け回される。
それはそれで楽しいのだが、ジイジなどと言われて、納得している訳にも行かない。
昔の還暦ならば、力仕事の農作業は出来ないし、子供のもりぐらいしか出来なかったのだろう。
だが今は、人生100歳まで生きようかと言う時勢である。
何と8万時間もある。
現役で勤めた38年の勤務時間と同じである。
とてもじゃないが、孫の面倒を見ている場合ではない。
私の精神年齢は,、未だ40歳そこそこなのだ。
体力年齢だって、100kmマラソンを12時間で走っているのだ。
いやさ、知恵だってまだまだ湧いて出てくるのだ。
世のため人のため、私の居場所をチャンと見つけなくっちゃならない。
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職員全員が改革を志すことで、県庁を日々新しくしよう。
そんな方向に驀進を続けている。
製造業などでのQC活動は当たり前になっているが、
行政の生産性向上に本気で取り組んでいるところは少ない。
一年間の取り組み効果は166億円に登る。
それに節約効果で、この10年間で職員の数も1,038人減った。
「ここまで来たか」との感があった。
つまり、前例踏襲でなく、ごく普通に改善に取り組むようになっていると言うことだ。
行政組織だって、やれば出来るのだ。
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場所によっては、お堀に花弁を散らせている。
多分、定年を意識している為だろうか、
何故桜が早いのか、それを地球温暖化に結びつけるのはどうかと思うが、
この地球は、人間の作為によって確実に温暖化しているようだ。
これは、地球の何万年の周期ではなく、人間が作り出しているのだ。
それで炭酸ガスの排出規制をしようとするのだけれど、
中国など、発展途上国にすれば、「何言ってるんだ。散々100年もやりたい放題だったのは誰だ。」
とは言え、桜が早いくらいなら良いのだが、このままでは地球を破壊してしまう。
先進国は、率先して省エネをやるしかない。
だが、これが遅々として進まない。
ところがドイツは、着実に低カーボン社会に向かっていると言う。
まず、菜の花を栽培してこれからBDFを生産している。
それに、全国に自転車レーンを整備して、車を減らそうとしている。
住居の窓も二重窓を半ば義務付けている。
勿論、太陽光発電や風力発電でも世界一だ。
ドイツにはあんまりエネルギー資源が無い。
これまでは、ロシアの天然ガスに多くを依存してきた。
しかしそれでは、プーチンの言うことを聞かざるを得なくなる。
何とかこれを脱却したいと言うことが底辺にある。
しかし、ドイツの省エネも、民族性を反映して徹底している。
然るに、この日本の政治はどうなっているんでしょうねぇ。
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ところが今年は、私が送別される側になっている。
何だか、信じられないような不可思議な気分である。
それでも、送別会に出て花束を頂く度に、自分を納得させなくちゃならなくなっている。
それで、昨日の送別会には、還暦のチャンチャンコを着用して出席した。
昔の人は偉いもので、還暦を衣装であらわして、現役引退を促したのだ。
赤い着物を着せられて、俺もそんな歳かと納得させられて、・・と言うことだろう。
ところが今日、事情は随分違っている。
第一、私が38年間勤務してきた時間を概算すると、おおよそ8万時間である。
そうして、これから80歳まで活動するとして、一日の自由時間は11時間くらい。
合計すると、これも8万時間ほどになるのだ。
これからの方が、長大な拘束されない自由な時間があるということだ。
何だか嬉しくなるような話だが、はてさて問題はその中身である。
どこに自分の策源拠点をおくべきなのかなのである。
これをこれから模索することになるのだが、とりあえずは我が人生の充電である。
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研究開発という分野には、思想が無くっちゃならない。
次の時代は、こうしたいとか、こうあるべきだとか・・・
彼は、青提灯の元締めなんだけど、これからの日本の農業のイディオムの元締めになるだろう。
七匹のカエルは、そのことを象徴している。
チョツと比喩になるが、蛙の目線でこの世の中を見てごらん。
あいつらの方が私達よりも真剣に次の時代を考えてるかもしれないぜ。
中央農業研究センター(昔の国立農業試験場)で、私は色々と学んでいる。
人間さ!せっかく生きてるんだものね。
生きているうちに、自分の考えていることをやらなくっちゃね。
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一匹狼なぞ、有り得ない存在なのだ。
オギャーと生まれた時から、そうやって生きてきた。
還暦を迎えたからって、そうした根本が変えられるはずもない。
昆虫の世界には、集合フェロモンと呼ばれる誘引物質がある。
大豆の害虫のホソヘリカメムシの雄は、そんな誘引物質を出している。
その物質に、オスも雌も集まってくるのだ。
普通は、メスが性的なフェロモンを出して、オスを呼び寄せるのだが、
良く分からないが寄り集まって、くつろいでいるのである。
それに、どのオスもそのフェロモンを出すのかと言うと、実はそうでもないらしいのだ。
要するに、フェロモン成分の保持量や成分比が違うらしい。
思えば、人間だってそうだよね。
魅力(味のある)やつの所には、黙っていても人が集まってくる。
はてさて、自分の屁ほどもフェロモンの無い私は、強烈なオスでも探すのかなぁ~。
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この日本の国は、しばらく前まで物づくり大国として世界に君臨していた。
それに引き換え日本では、グリグリッとやって、繋げてしまったりする。
要するに、職人技なのだ。
そうした技を引き継ぐ団塊の世代の引退で、この国も欧米化を始めている。
否、欧米の方が技術力で優れるようにすらなっている。
昨年秋、技能五輪が沼津で開催されて、世界の水準と言うものも思い知らされた。
冷凍技術や電工、造園、情報技術、洋裁など各分野で優秀な成績を収めた皆さんを顕彰するのだ。
勿論みんな若い皆さんで、それぞれ素晴らしい顔をしていた。
バブル期を通じて、技能を軽視する時代が続いてきた。
職人を大切にしてこなかったのだ。
改めて、機能を手にすることの大切さを、多くの人たちが知るべきだろう。
それに、技能者に定年なんて無いしね。
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どうも、そんな気概が必要なようだ。
「老いては子に従え」などと言うが、それは昔の話だ。
何故なら、寿命が圧倒的に延びて、もうじき四人に一人は65歳以上になる。
要するに、若い連中におんぶするなんて事は出来そうに無いのだ。
シルバー人材センターと言う組織がある。
静岡県の場合、登録者は2万2千人余、
仕事の内容は、清掃作業的なことが多くを占めている。
だが、これからは「子育て支援」とか「老人介護」なんてのが、主流になりそうである。
老人は、高齢者が面倒を見る。
そうしないと、この日本の社会はいささか危ういかもしれない。
介護保険料の増高や人材不足が目に見えているからだ。
社会のシステムとしても「児童の一時預かり所」とかが必要だし、
介護も「業」としてしまうだけが解決ではあるまい。
シルバー人材センター連合会の総会に出席し、そんなことを思っていた。
これからは 「シルバーに人あり 技あり 心あり」 なのだろうと。
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そこを犯すと、鼻を膨らめ毛を逆立てて怒る。
だが、人間の定年退職した男に、果たして自分の居場所があるだろうか。
給料を運ばなくなったとたんに、女房にも冷たくされて・・・・。
人間は、もとより一人では生きられない。
とすれば、社会の一員として、どこかに居場所を持っていなくちゃいけない。
ところが、糸の切れた凧のように、その居場所は杳としてはっきりしないものだ。
結局のところ、これまで通りやるのが一番だと思っている。
私の場合、40歳を過ぎたあたりから、「る・る・く・う」をやってきた。
走る。作る。書く。会う。である。
月間300km位は走り続けてきたし、
葡萄やホウレンソウ等を栽培してきた。
それに毎日のように書き続けてきたし、様々なコミュニティーに顔を出してきた。
とどのつまり、この延長線上に私の居場所を作ろうと思っている。
そして、4月以降は、この居場所についてしばらく書こうと思っている。
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ランドセルを取り上げられて、それを必死で追っかける私を尻目に
ランドセルを2~3人でバスしていく。
この歳になっても、そんな卑劣な悪餓鬼どもの顔を忘れたことがない。
大人になっても、こいつらの心底はそんなものだと見据えているのだ。
ところで、日銀総裁を巡る国会の仕儀も、あれと同じだと感じる。
彼らにとって、本当は日銀総裁など誰でも良いのだ。
苛めを楽しむのが、彼らの目的なのだろう。
国民の税金で、苛めごっこをやっている。
そんな屁の様な餓鬼の世界が現出している。
ところで、「言い出しっ屁」とは、「くさいぞ」と言い出した人のことだ。
実は大抵、その言い出したやつが、屁を放った犯人なのである。
「我がもの(党)と 思えばいとし 屁の匂い」なのかな~。
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「暑さ寒さも彼岸まで」のとおり、随分温かな日和が続いている。
今年の春は、私にとって格別な春である。
とは言え今は、リーグ戦の勝者が決まってしまって、残りの消化試合をしているような気分なのだが、
随分と肩の荷が下りて、心身ともにリラックスし始めている。
リラックスのついでに、今日は職場のゴルフコンペに出かけた。
花粉が多くて閉口したが、同伴の皆さんのお陰で、一日をゆったりと過ごすことができた。
梅が終わって、水仙やモクレンが咲き、桜のつぼみがグッと膨らみ始めた。
もちろん私のブドウ達も、水揚げを始めている。
よしよし、私も地に足を踏みしめて、自身に新しい息吹を吹き込もう。
いつまでも、消化試合なんて言ってられないぞ!!。
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そんな中、農林大学校の卒業式に立ち会うことが出来た。
卒業と言えば、実は私もセカンドキャリアに向かって、もう少しで卒業である。
一人ひとり、これからどんな人生を切り開いていくのだろうか。
若さに関しては前途洋々なのだが、その海には嵐もあるし、
だが、恐れることは無い。
君達が一歩前進すれば、それだけ余分に視界が開けてくるのだ。
そう、声をかけたくなった。
そんな思いを込めて「皆さん! おめでとうございます」とだけ申し上げた。
フレーフレー若者達。精一杯、自分の心を耕そう!
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水田なら100ha、茶やミカン・野菜でも20haが目標だ。
世の中や人には普通、常識と言うものがある。
つまり、ひらったく考えると「そんなの無理だろう!」と言うことになる。
その一方「その位言わなきゃ、農業は駄目だよ」との声も聞こえる。
つまり一般農業の世界は、そのひらったい常識の中に安住していると言うことだ。
過去の経験や常識に照らして「それは無理だろう」と思った瞬間に、何事も進まなくなるのだ。
過去の常識を疑うべしなのだ。
今日のプロジェクト発表では、若い人達が自信を持って将来を語った。
恐らく、このプロジェクトの経験は、彼らにとってもかけがえの無いものになるだろう。
私達も、身近な常識を疑って見てみませんか?
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否、中央卸売市場だって、その陰が次第に薄くなっている。
かつては、沢山の生産者と沢山の八百屋があった。
だが八百屋や果物屋は、あらかたが量販店に変わってしまった。
それで量販店が、無駄を省くため産地との直接取引を増やす傾向にある。
それに、生産者の通信販売なんかも増えているからだ。
もう一つの流れが、ファーマーズ・マーケットだ。
顔の見える流通と言うことで、毒餃子事件以降、一段と人気があるようだ。
最大の課題は、生産者の高齢化だろう。
もともと出荷者の多くが年金世代だから、その後継者養成は焦眉の急だ。
それに、価格の安さで人気を呼んできたことだ。
ファーマーズの売り上げで生活しようとなると、100円均一などとても無理だ。
一袋100円で、仮に100袋売れたとしても(50袋も売れない?)一万円だ。
その一万円から、生産原価、店の手数料、消費税etcを引くと、
お小遣いが残る程度なのだ。
でも、生産者にしてみれば売れることが嬉しい。
要するに趣味と生きがいで、精を出すという次第なのだ。
実はかく言う私も、ホウレンソウの生産者である。
一度、私の労働報酬を計算したことがある。
すると、一時間あたりの私の報酬は、何と26円であった。
一日働くと、パンが二つ買える報酬だ。
寂しい話になったが、多分私の働き方が悪いんだろうな!!!
ともあれ、ファーマーズの価格設定は、かなり問題含みなのだ。
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坂本竜馬が、姉の乙女に出した手紙の文句である。
幕末の思想や各藩の権力闘争のさなかである。
幕末の薩摩は豹変した。
攘夷を唱えながら、パリ万博に出展したりである。
そんな薩摩を、長州が信用するはずが無い。
その国論分裂の中、両者を和解させ薩長秘密同盟を結ばせたのが竜馬だ。
竜馬の手紙の「せんたく」とは、このことを言っているらしい。
今、北川正恭前三重県知事を中心に、政策集団「せんたく」が旋風を起しつつある。
地方分権と国民意識の改革で、この国にもう一度維新を起そうと言うのだ。
日銀総裁人事を巡る馬鹿馬鹿しい駆け引きをみせられていると、
今、この国に必要なのは、維新なのだと思ってしまう。
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それを科学すると言うのだから、食指が動いて聴きに行った。
たましいとは、ものの見方だとか、心と体を繋ぐものなのだそうだ。
体(カラダ)のカラは、「殻」なのだとか?
たましいが抜けると、殻だけになってしまうのだと。
要は、第一線で競技してきた選手が引退する時、
セカンドキャリアに向けて軟着陸させるのは、かなりの紆余曲折がいる。
う~ん。これは、私も同じかなと思って聞いていたのだが・・・・
私も、かなりの「仕事馬鹿」をやってきたしな~ !
とにかく、今日は分からなかったの一言である。
まあ~、明日は高橋尚子が走る。
「アスリートのたましい」で、何とか夢をかなえさせたいものだ。
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その時代に、私が何を果たしうるのか?
人と生まれた以上、少しはそんなことを考えてもしかるべきだ。
何事かを成してこそ、その生きる意味を体現できるのだ。
あなたは今、何をしていますか?
そのことが、この時代にとって何ほどの意味を持っているのでしょうか。
その人間が、どんな時代に生まれ生きたかは、その人生行路に決定的ともいえる影響を与える。
歴史上の人物を上げるまでもなく、時代とは不思議なものである。
何も、時代の寵児にならなくたって良い。
でも少なくとも、時代が必要とするような生き方をしたい。
望むらくは、この時代は俺が創ったと言える生き方をしたい。
そんなことを思ったりしている。
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現代の私達は、大量の廃棄物を生み出しながら生活している。
今日は、私の地区の瓶や缶などの回収日である。
当番の皆さんと共に、お手伝いをすることにした。
私の地区は、200戸程の集落なのだが、月一回の回収のためか山のような量になる。
これほどの廃棄物を、本当に我々は必要不可欠にしているのかと思うほどだ゛。
世の中には、変な人間もいるものである。
先日、「自分のゴミ袋が晒し者にされた」と市役所に怒鳴り込んだ男がいる。
ゴミは、それぞれ回収日が決まっていて、その日でないと回収してくれない。
その男は、破砕ゴミの日に生ゴミを出したのだ。
それが「頭にきた」のだそうだ。
その人物は「自治会長が、連絡しないから恥をかいた」と、怒鳴り込んだのだそうだ。
それで何が変わるのか、と思うのだが、・・・・まあ、徒労な頭である。
まあ、これまで出来る限り見回って、残されているゴミには対処してきたのだが、それにも限度がある。
謝罪してもらいたいのは、こちらの方だと思うのだが・・・・・違いますかね。
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食べるものにも事欠いていた人達が、金を持ったらどうするだろうか?
美味しいものを、腹いっぱい食べる。
それが、至極普通のことだろう。
その速さとボリュームは、かつての日本の成長の比ではない。
長い間の計画経済下での渇望が、一気に解き放たれて燃え盛っているのだ。
それに金儲け主義が、かつてのマルキシズムに代わる思想として蔓延している。
当然、国内の経済格差も大きくなっていて、
そんな中で、冷凍毒餃子事件は起こったのだ。
一方日本では、食料自供率39%でも荒地はどんどん増えていて、
生産調整さえやらなくっちゃいけない。
「金さえあれば、何でも買える」と思っていたからだ。
この国の能天気なそんな思いは、過去の幻影になろうとしている。
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もう60年も、駄飯を食ってきてしまった。
それで、この60年の変化と流れを、どれだけ見届け られたのかどうか?
食べるものも着る物も無かった終戦直後。
子供の私達も、農繁期の苗取りや稲集め当たり前だった。
重たい稲株を抱えて、寒い田圃の中を歩き回ったものだ。
学校から帰っての食い物は、たいがい薩摩芋だったな。
やがて農村にも、巨大な津波のように経済成長が押し寄せる。
テレビや洗濯機、冷蔵庫といった家電製品が普及する。
父や母は、その商品経済についていくのに大変な思いをしていた。
新幹線の開通やら東京オリンピックと、そこからは大変な早さである。
大阪万博、都市の巨大化、ジャパンアズ・ナンバーワン、
そして、平成2年のバブル崩壊、そして今日の日本経済衰退の時代である。
これを縮めて眺めるならば、一つの大きな山を越えてきて、
その山を今、振り返って見ている様なものだろうか。
人は、時代を離れては生きられない。
その枠組みの中で、精一杯足掻くしかないのだ。
「世に性を得る葉は、事を成すにあり」と言うが、
私はこれまで、何を成し得たのだろうかと思うこの頃である。
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この大会が終わると、本格的な春がやってくる。
正に、春一番のような大会なのだ。
東京マラソンの影響がかなりあるのだろう。
ランナーの数が、着実に増えている。
ところで今日のレースだが、
天気もコンデションも良しと、最初から飛ばしてしまった。
だが、そのツケが後半にズッシリとやってきた。
と言う訳で、今日のレースはえらく疲れてしまった。
マラソンはね、人生と同じで、終わってみないと結果は定かでない。
若くからがむしゃらな生き方したって、それで結果が決まるものでもない。
少しずつ自分の可能性を広げながら、着実な後半を切り開くのが賢明だ。
疲れた分、みんなと美味しい昼飯食って、
十分な充実感を味わっていた。
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4月8日は、花祭り。
昭和30年位までは、どこのお寺でも花団子を振舞った。
子供達は、その花団子によって釈迦というものを知った。
釈迦にしろキリストにしろ、苦行のすえ人の心を救う道を悟った。
そして、その悟りを教えとして残したのだ。
キリストは聖書に、釈迦は経文として、何れも弟子たちが纏めたものだ。
しかし、仏教の場合、経文だけでは難しすぎて、信仰の対象にならない。
「空即是色、色即是空」などと言われても、・・・それは哲学なのだ。
それで、誰でも分かるようにするために、釈迦の生涯を物語として彫刻することが始まった。
それがガンダーラ(パキスタン)あたりであったようだ。
やがて、その彫刻の中心にいる釈迦が、菩薩として独立するようになる。
釈迦の教えとは異なった仏像信仰の始まりだ。
バーミヤンの渓谷に作られた38mもの大仏も、そうして建設された。
期限100年頃のことだから、その大仏造営に何万人が関わったことだろうか。
三蔵法師がバーミヤンを訪れた時(600年)、ここの石窟に数千人の僧侶がいたという。
今ではアフガニスタンの片田舎でしかない。
そして、二つの大仏もタリバンのミサイルで破壊され、見る影も無い。
賽の河原と同じで、人間のすることは・・・いつも救いようがない。
2,000年も前に作られた仏像の端正な顔を拝みながら、そんな感慨にふけった。
はたまた、砂の中から掘り出されたばかりのような石像に、
千数百年前の物語を連想してしまったりする。
静岡県立美術館の今回の展示は、そんな心の展示である。
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