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2008年5月31日 (土)

喫茶ジェルボー

ブダペスト在住の本田さんに、エルジェーベト広場の、シシィが通ったというジェルボーに案内して頂いた。Cimg5578

創業1858年と言うから、150年以上前からカフェをやっているのだ。

カフェの前では、ストリートパフォーマーが音楽が奏で、

観光客が大部分なのだろうが、ゆったりとした時間が流れている。Cimg5580

ゆつたりとしているのは客ばかりではなく、ウエイターもゆったりとしている。

日本のように直ちに注文の品が出てきたり、勘定書きが来たりはしない。

勘定と言ってから、15分してからやっと徴収に来た。Cimg5581

要するに、ゆったりと言うことだろう。

ブダペストは大陸で一番最初に地下鉄が敷設された所だそうだ。

その地下鉄に乗って、オペラハウスに。Cimg5583

このオペラハウスでは、7・8月以外は毎日オペラが上演されている。

毎日と言うのも凄いが、その料金を見て驚いた。

一万円から500円まで、各界各層にオペラが開放されているのだ。Cimg5582

だから小さな子供達まで、オペラに親しむことが出来るのだろう。

次いで今度は、トラム(路面電車)に乗って、リスト音楽院を訪れた。

ちょうど卒業試験の最中で、闖入した私達もその試験風景を「鑑賞」することができた。 Cimg5585

ちょつと緊張した面持ちの生徒が、オーケストラの前で熱唱する。

新鮮で、ちょつとコミカルな気分になってしまった。

ところでこのリスト音楽院には、かなり(約80名)の日本人が留学している。 Cimg5586

と言っても正規生は極わずかで、大部分は個人教授への留学のようだが。

リスト音楽院は、世界でも有数の演奏家養成の場なのだ。

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2008年5月30日 (金)

ハンガリーの英雄広場

ペスト地区の市民公園の一角に、英雄広場がある。Cimg5549

建国1,000年を記念して、1896年に造られたと言う。

広場には、建国に関わった何人かの像が飾られている。

ハンガリーは、匈奴の一派と思われるマジャール人が、Cimg5550

このカルパチア地帯を制圧したことに始まる。

1000年を経てキリスト教下の時代が長いが、

言語は我々と同じアルタイ語に属するし、氏名の並びも同じだ。Cimg5551

すっかり西欧化しているが、明らかにアジアの血流であろう。

そして、英雄広場は民族のルーツを示す公園なのだ。

その公園に、1956年ソ連の戦車が突如繰り出した。Cimg5552

ハンガリー動乱である。

時の西側よりの政治指導者を粛清するための軍隊だ。

首相以下の要人は、広場の片隅にあるユーゴスラビア大使館に逃げ込んだ。Cimg5554

ソ連軍は、中立とされるその大使館に踏み込み、彼らをすべからく処刑した。

そして遺体は、隣の動物園の動物の死体置き場に放り込んで埋めたのだ。

1989年8月16日、この広場でその時殺された指導者達の葬儀が行われた。

しめやかに、そして大規模に行われた葬儀は、東側諸国に大きな影響を与えた。

やがてオーストリア国境からの、大量の難民流出が起こる。

この流れは、次第に大きくなって、

この年の暮れ、遂にベルリンの壁が崩壊する。

ハンガリーのこの広場での静かな決起が、世界を変える契機になったのだ

たった20年前の出来事である。

今ハンガリーは、幾分共産主義時代の残像を残しつつも、着実な発展の道を歩いている。

一体全体、共産主義とは何だったのだろうか。

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2008年5月29日 (木)

中欧の三都を走る

八ヶ岳100kmマラソンの興奮が冷めやらぬ中、慌ただしく欧州に旅立った。Cimg5543

機中も、ふくらはぎがほてり、頭の中も八ヶ岳の山中にあるかのようだった。

その日の夜、ブダペストのホテルに到着すると、

眼前にドナウ川の中州・マルギット島が広がっている。Cimg5534

「よし、明朝はこの島を一周しよう!」そう決めた。

そして翌朝五時、Hを走り出る。

ドナウの川越しに、朝日を浴びたブダ王宮がそびえている。Cimg5536

マルギッド橋を渡って、中州の島に。

総工程は、10kmほどであろうか。

マルギッドのランニング道は、全てソフトな舗装がされている。

島全体が公園になっていて、動物園や温泉もある。Cimg5612

そうしてその木陰を、早朝から沢山の市民が走っていた。

私も「グッ・モーニング」と挨拶を交わしながらゆったりと走る。

国会議事堂や王宮の丘、橋を渡る路面電車、そこここに書かれた落書、Cimg5611

乞食や昨夜の嘔吐の跡など、朝のこの時間は何でも見えてしまう。

ウィーンでは、リングを走った。

リングは、ハプスブルグ王宮の城壁跡である。Cimg5615

1857年に取り壊されて、フィーン最大の目抜き通りになった。

博物館や市庁舎、市立公園や楽友教会、オペラ座など主だった施設が並んでいる。

土曜の朝とあって、昨夜来たむろしていた若者達があちこちに群れている。Cimg5693

そしてプラハでは、ヴルタバァ川沿いに10km余りを走った。

ブダペストの街に良く似た構造の町で、川向こうにプラハ城がそびえ、

川沿いも重厚な石造建築が立ち並んでいる。Cimg5696

何時も人で溢れるカレル橋も、静かなたたずまいで私を迎えてくれた。

初めて訪れた三つの町を毎朝走った。

たかだか10数キロを走るだけで、その街の概観が見えてくる。Cimg5720

不思議なもので、未知の空間を逸早く我が物に出来るのだ。

そう、私は欲張りなのかもしれない。

人の何倍も、観光してやろうと思っているのだから。

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2008年5月28日 (水)

中欧から見た日本

ブダペスト、ウイーン、プラハと重厚な歴史の街を歩き、Cimg5738

そして走って、今朝方成田空港に着いた。

ハンガリー、オーストリア、チェコは、その首都も含めて多くの日本人の知るところだ。

それぞれが国として、当然のことだが軍隊を持ち、外交や政治でも独立している。Cimg5741

だがその人口は、それぞれ1,000万人程度に過ぎないし、

国土の面積だって北海道程度だ。

北海道の広さの所に神奈川県程の人口で、それぞれの国を形成しているのである。Cimg5688

壮麗な宮殿や教会、石造建築の古い町並みと歴史の積み重ね、

そして、共産主義の重圧下にあって間もないことも、この三つの街に共通している。

そして解放後の目覚しい発展は、イディオム(宗教も含め)と言うものの不毛を思わせる。Cimg5690

さらには、この三国も平原に広がる農業を実に大切にしていた。

人口1億2千万人のこの日本は、経済的にも政治・外交にしても、彼らと比べられるのだろうか。

この数日間に現地で見たもの、感じたことを、明日以降書きたいと思っている。Cimg5677

私にとってこの欧州旅行は、人生のセカンドステージへの一里塚のつもりであつた。

そして、EUの地方都市の生き様は、大いに示唆に富んだものだった。

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2008年5月27日 (火)

民族のアイデンティティ

ヨーロッパ、特に中欧などは、ゲルマン民族の移動や蒙古の席巻、

ドイツやロシアの侵攻などと、常に他民族支配に晒されてきた。Cimg5311

しかし幾度かのそんな洗礼にも拘らず、厳然として民族を維持している。

チェコ言を使い、ハンガリー語をチャンと維持してきた。

両国ともEUの一角なのだけれど、ユーロに統合するのは未だ先である。

隣の集落ではまったく言葉の通じない人々が住んでいる。

それが中欧の国々では、ごく普通なのだ。

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中世の街並

今日は、プラハを発って帰国の途につく。

ヨーロッパ、中世の街には共通点がある。

川に城、教会そして広場であろうか。

中世の街並は、高台に城があって、街は川を挟んで広場を中心に広がっている。

プラツッとは、プラザでもありプラットホームでもある。Cimg5252

先日のプラハも、旧市街地広場を中心に四方八方に広がっている。

そしてその広場には、彫像がそびえているのが常だ。

プラハの広場には、ヤン・フスたちの群像があった。

ヤン・フスは、暗くのしかかるローマ教皇庁に異を唱えた最初の男かもしれない。

彼は1415年、ローマ教皇庁によって異端の罪で火あぶりの刑に処せられた。

この火刑を機に、フス戦争が勃発する。

マルチン・ルターの宗教改革よりも100年も前のことである。

この戦争は、結果としてハプスブルグ家のボヘミヤ統治へと導く。

だがチェコは、この時代から反骨精神の地なのだ。

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2008年5月26日 (月)

プラハ滞在

Cimg5316

プラハは、東西ヨーロッパの文化合流の中心にあって、繁栄と侵略の歴史を刻んできた。

私達には、「プラハの春」がソビエトによって弾圧されたことが印象深い。

しかし、1993年チェコ共和国が誕生し今日に至っている。

新たな建国から、まだ15年しか経過していないのだ。

人口120万の、世界で最も美しいと言われる古都プラハ。

1989年12月、「祖国の父よ、城へ来たれ」の大合唱となって英雄ハヴェルを迎えたあのプラハ城、

そしてカレル橋へも、是非行ってみよう。

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2008年5月25日 (日)

中世

ウイーンを発って、チェスキー・クロムロフへ。

中世とは、荘園領主が農奴を配下に縦の社会を形成した時代だ。

日本で言えば、少しばかり粗暴で腕力の強いやつが領主になったのだが。Cimg5450

ヨーロッパ、特に中欧には中世が色濃く残されている。

チェスキー・クルムロフには、典型的な中世の町が残されている。

13世紀に、領主クルムロフが建てた城を中心に町並みが広がる。

その町が、歴史の表舞台から忘れ去られて700年が経過した。

日本で言えば、鎌倉時代の街並みがそのまま残ってていることになるのだが、

その町が、1992年に世界遺産に登録されている。

この町を歩きながら、中世と言う時代を感じてみようと思っている。

そして今日は、チェコのブラハに泊まることになっている。

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2008年5月24日 (土)

ウイーンという所

ウイーンと言う都市の名を知らない人はいない。

それほどの国際都市の人口は、たかだか160万人ほどに過ぎない。

国際都市の由縁は、その歴史だろうか。Cimg5310

640年間に亘って、ハプスブルク王家の都として栄えてきた。

そして、富を集めた王家の財力で、街が磨かれてきたと言える。

音楽の都と言われるのも、歴代の皇帝達の音楽好きの故だ。

だからモーツアルトやシューベルト、ヨハン・シュトラウス達が集まってきたのだ。

ハプスブルグ家の成功は、戦争よりも政略(結婚)を重視したことだ。Cimg5456

女帝マリア・テレジアは、40年間の在位中に男子5人、児良し11人も産んだという。

その第9子が、フランスのルイ16世に嫁したマリー・アントワネットだ。

ともあれ、ヨーロッパの歴史は、ハプスブルクとウイーンを抜きには語れないだろう。

ウイーン国際会議が開かれたのは、1813年のことだ。

ナポレオン没落後の欧州再編が議題だった。

だが「会議は踊る、されど議事は進まず」だった。

連日連夜の饗宴で、会議を躍らせたのは誰だったか・・・・・

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2008年5月23日 (金)

ウィーンへの道

早朝、ホテルからジョギングに出ることにしている。

ドナウ川を渡ってマルギット島を縦断。Cimg5475

そして、マルギット橋を通ってホテルへ帰る10km余であろうか。

ドナウ河とブダ、ペスト両岸を眺めながら、たっぷりとこの地の地勢を感じてこようと思っている。

そして今日は、バスでウイーンまで移動である。Cimg5476

要塞の町ビシュグラードやセンテンドレに立ち寄りながら、

今夜は、いよいよウイーンである。

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2008年5月22日 (木)

ブダペストでは

ドナウ川のほとり、目覚めるとその流れが眼前に広がっている。

ドナウの中ほどに見える島は、マルギット島だ。Cimg5517

そうして今日は、対岸のブダ地区を中心に観光と言うことになっている。

ゲレルトの丘や王宮、イシュトバン大聖堂、そしてくさり橋などである。

ブダの丘に聳える王宮は、もともとは13世紀半ばに建てられたものだ。Cimg5515

だが、トルコとの戦いで壊滅、その後も火災や戦火で大きく破壊されてきた。

そういう意味では、オスマントルコやハプスブルグ家子配の時代、

そしてドイツによる占領、ハンガリー動乱時のソ連の侵攻など激動が続いてきた。Cimg5516

そしてようやく1989年、社会主義と決別して今日のハンガリーが誕生し、それもまだ二十年にしか過ぎない。

午後は、ブダペスト在住の本田さんと共に、この町を散策することにしている。

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2008年5月21日 (水)

ブダペストへ

今日は成田を発って、中部ヨーロッパへ向かっている。

ハンガリー、オーストリア、そしてチェコを訪ねる旅である。

そして今夜は、ブダペストに泊まる。

ブダペストは、言うまでもなくハンガリーの首都である。

昨年末、ブダペスト在住のHさんからメールを頂くまで、まったく関心の無い街だった。

2004年にEUに加盟した国、そんな程度の知識であったろうか。Cimg5293

そのハンガリーは、ヨーロッパでは特異な国である。

先ず言語が東洋系である。

6000年ほど前に、アジアから移動したマジャル民族と言う騎馬民族らしい。

そしてこの国は、7つの国と国境を接している。

当然のことながら、国は消えたり分割されたりの連続である。Cimg5450

そしてブダペストは、ドナウ川右岸のブダと左岸のペストからなる街だ。

ドナウの真珠ともドナウの薔薇とも讃えられるこの町を、十分に味わって来たいと思っている。

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2008年5月20日 (火)

マラソンと人生

ウルトラマラソンは、人の一生に似ている。Cimg5504

オギャーと生まれてしまえば、もう止まる事はできない。

ひたすら自分の生き方を探しながら走るだけだ。

調子の良いときは、勝手に走っている。Cimg5507

でも一度、苦しいことに出会うと、もう止めようとか、歩こうとか様々な誘惑に駆られる。

近頃の硫化水素事件だってそうだよね。

簡単に止められてしまうんだ。Cimg5506

人生にどんな目標を設定するかは別として、100km先にはしっかりとしたゴールがある。

その目標に向かって、様々なことを思ったり考えたりしながら走っている。

苦しくなると、もう無心でひたすら前に進む。Cimg5511

呼吸が変調をきたしたり、足がパンパンに張ってしまっても、それでも走っている。

本当は歩くよりもゆっくりなんだけれど、それでも懸命に走り続ける。

そう、マラソンにとって大切なことは、歩かないことだ。Cimg5514_2

そして、人生は脇道にそれないことだ。

オッと、マラソンにはゴール後の楽しみもあったっけ。

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2008年5月19日 (月)

八ヶ岳の100km

今年の八ヶ岳には、残雪が多い。Cimg5501

特に横岳や天狗岳は、その急斜面の雪化粧が厚い。

その高原を走る100kmマラソンに、今年も来てしまった。

野辺山の高原駅近くをスタートして、八ヶ岳に向かって山道を一気に標高1908mまで登る。Cimg5502

後は下ったり登ったり、平坦な道と言うものは5%も無いのではないか。

この過酷な100kmには、人ぞれぞれ何がしかのドラマがある。

前夜は、39度の熱があっただろうか。Cimg5503

本当にスタートラインに立てるのか、半ば諦めかけていた。

食事もままならず、寒気のする体を抱えて布団に入る。

すると間もなく汗が次々と出て来て、明け方までたっぷりと発汗した。Cimg5505

朝の4時には平熱である。ヨシ! 5時のスタートに向けて宿を出る。

山梨学院大学のチヤーガールのエールに送られて、スタート。

ガスのかかった高原に、真丸な太陽が登り始めている。Cimg5508

私は、例によって赤のチャンチャンコを羽織っての出走である。

昨日の体の重さは、ウソのように消えている。

山道をどんどん登って、50km地点を5時間20分でクリアーしてしまった。

若いランナーが、次々と声をかけてくれた。Cimg5509

「還暦なんですか! 凄い!  私もそれまで頑張ります。」とか、

「チャンチャンコのおっちゃん、早い!、がんばれ」とかである。

調子に乗って走りに走った。

だがそのツケは、70km過ぎからしっかりと回ってきた。

下りもさっぱりスピードが出ないし、体は重くなる。

87km地点のエイドステーションではじめて椅子に腰掛けた。

その瞬間、からだの重みが消えて、足がリーンと音を立てて軽くなっていく。

あ~、私の体はこんなに重かったのか。・・・そう思った。

それからの、たかが13kmが遠かった。Cimg5512

それでも12時間40分で、13回目の野辺山をゴールできた。

ゴールのアナウンスは、還暦ランナーのデカフォレスト、そのゴールを伝えていた。

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2008年5月18日 (日)

ひたすら走ること

今日は、八ヶ岳野辺山100kmマラソンである。Cimg5468

私にとって、一年で最大のトライと言って良い。

だから今日の日の為に、自由人の特権としてこの50日余り走りこんできた。

この50日で、1,300km位は走ったであろうか。Cimg5469

毎日、山中の道を一人で半日も走るのだから、よほどの変人と思われても仕方が無い。

だが、走り始めて20年。

走ることで、行動が前向きになり、困ったことだって走って解決してきた。

不思議なもので走っていると、日常とは別の次元からのアイディアが浮かんできたり、

雑事を払拭することだって出来てしまうのだ。Cimg5467

今日の日本一過酷といわれるこの100kmマラソンは、今回で14回目である。

どれだけ努力したかが、報われる時でもあるのだ。

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2008年5月17日 (土)

多士済々のコミュニティー

昨日の「お茶と水の研究会」のことだ。Cimg5484_2

私は、この会に加えて頂いて、既に15年にもなるだろうか。

企業の経営者や研究者、或いは主婦、日本茶インストラクターや行政関係者など、

年齢も経歴も、それぞれ個性的な皆さんばかりである。Cimg5497

共通する点は、何でも面白がってやってみるということであろうか。

それで昨夜は、アクアビーテ(命の水)と言う名のイタリア料理店で、

お茶料理を食べる会があった。Cimg5498

お茶をハーブと同様に考えると、日本料理はともかく、洋食の方がフィットするという。

それを、実際に食べて試してみようと言うことである。

そのついでに、細君ともども私の退職祝いもして頂いた。Cimg5486

多士済々な方々に囲まれて、誠に幸せな一時で、お茶料理の味に遜色あるはずが無かろう。

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2008年5月16日 (金)

お茶と水

世界中、それぞれの国で独特の料理が発達している。Cimg5482

どうも、その一つの理由に、そこで飲まれている水の性質が大きく関わっていそうだ。

茶教を遺した中国の茶聖陸羽だって、お茶にあう水は何処のどんな水と書き残している。

当然、、それには科学としての訳がある。

それを皆で楽しく研究しようと言うのが「お茶と水研究会」だ。Cimg5481

今日は、「沸し過ぎたお湯で淹れた茶は美味しくない」をテーマに会が持たれた。

水の性質の重要な指標に「硬度」がある。

水1リットルに含まれるカルシウムとマグネシウムの合計量を数値化したものだ。

そして、硬度100以下を軟水、301以上を硬水、その中間を中軟水と分類されている。Cimg5483

ミネラルウオーターで言うと、フランスのエビアンは304mg/Lで硬水。

日本の水は、ほとんどが軟水に分類される。

CaやMgは、普通、炭酸カンシュウムや硫酸カンシュウムの形で溶け込んでいる。

ところが煮沸によって、炭酸分だけ気化してしまう。

残りは不溶性のCaやMgになって残る。

だから何度も煮沸すると、ほとんどの物質が不溶性になってしまう。

同じエビアンでも、煮沸の具合によって濁り方が大いに違うのだ。

どうもこれが、冒頭の答えらしいのだが・・・・今後もっと研究しようと言うことになった。

水にも個性がある。

たかが水、されど水なのだ。

その水を大真面目で研究しようと言う人間も、一つの個性なのだと思う。

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2008年5月15日 (木)

メロン2個250万円に・・・

夕張メロンの初競りで、2個250万円で落札された。

札幌市中央卸売市場でのことだ。Cimg5471

昨年は200万円だったとかで、はてさて札幌は何と景気の良いことか!!

少しやりすぎだと思うのだが、如何だろうか。

ところで夕張よりも、もっとコストをかけて厳密な品質管理をしてきたのは、静岡のマスクメロンだ。

大正末期から生産が始まって、戦後急成長、バブル崩壊前の平成2 年には280億円の販売を記録した。

ところが、デフレの時代に入って価格が低迷、Cimg5472

おまけに昨今の燃油価格の高騰である。

遠州の高級メロンは、日本のメロン栽培の草分けである。

そして、メロンの園芸栽培は英国に始まっている。

その、サミットに訪れた英国首相のサッチャーでさえ、このメロンの美味に驚いたと言う。

高コスト農業の筆頭が、静岡の温室メロンと言える。Cimg5474

何を隠そう、私の葡萄ハウスももとはメロンハウスなのだ。

と言う訳で、今日では販売額は100億円前後まで減ってしまった。

・・・・一年に一度で良いから、静岡のメロンこそ250万円で取引できたら良いね。

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2008年5月14日 (水)

近所の野良猫

近所に灰色の薄汚い野良(?)猫がいる。Cimg5464

これまで大抵は、私の葡萄ハウスに来て、アナを掘ってトイレを済ませていた。

「まっ良いか」と思って大目に見てきた。

その内に、春先にはハウスのシートの下で子供を生んでいた。

それもまあ~、しょうがないか~と見過ごしてきた。cat

だが、今度ばかりは、怒り昇天である。「CIMG5466.JPG」をダウンロード

私はここ数年、大量のオクラを栽培している。

今年も4月の初旬に、畝を作って種をまいた。Cimg5470

2週間ほどで綺麗に生えそろったなと思っていた矢先、

一週間ほどで、ほとんどが消えうせていた。

さてはヨトウムシかと考えてのだが、植え穴が皆掘り返されている。

そんな馬鹿な~。

その穴掘りの張本猫が、くだんの貧相な猫であった。

植え穴が柔らかいもんだから、それを次々と掘り返していく。

それで、数百株が全滅と言う次第である。

今日、止む無く黒マルチをすることにした。

キャッもマルチがあっては、よもや掘り返せまい。

しかしながら、何と骨の折れることか。!!

あの野良に、私は何か悪い事したっけ??

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2008年5月13日 (火)

ヤマボウシの心境

我が家の庭先に、ヤマボウシの木が3本植わっている。

毎年、白と赤の花を咲かせる。Cimg5463

と言っても、同種のハナミズキと違って、至って質素な花である。

この樹は、葉姿が実に清々しい。

それに、地味な虚無僧の様な花を着ける。

大仏様のような頭と白い衣が、「山法師」と呼ばせたのだろう。Cimg5459

ところで私の心境が、この山法師そっくりだと気付いた。

山を一人行く虚無僧のようなものだと。

退職してから、情報量が数分の一になった。

それに、コミュニティーが極限られた範囲に限定されてきた。Cimg5457

要するに、山伏よろしく一人山を彷徨しているような気分なのだ。

「それでも良し」とは思うのだが、心に空いたエンプティー感は否定できない。

はてさて、この先も虚無僧を続けるのかどうか?

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2008年5月12日 (月)

蜜柑の花咲く頃

薫風さわやかな季節なのだが、昨日今日と台風の影響で三月並の気温になっている。

正直、寒さを感じるほどだ。

今も、木枯らしのような風がヒューと音を立てている。

でも山には、シトラスの花が満開で、甘くさわやかな香りが漂っている。

正に薫風である。Cimg5453

その風を胸一杯吸って、山の鋭気を我が身に取り入れている。

今日は、野リスを二匹を見かけた。

虫や鳥、そして獣にとっても、春は大切な季節なのだ。

ところで蜜柑は、お茶と並んで静岡県のシンボリックな産物だ。

生産額だって、全国一を競っている。

かつて、蜜柑御殿なるものが林立した時期があった。

戦後の一時期、甘いものも無くて、蜜柑は大変貴重な果物だった。

戦後の歌だって、♪蜜柑の花が~さぁいている~♪ だったよね。

それに、学生時代、手の平が黄色くなるまで食べたっけ。

でも今は、蜜柑の消費量もぐ~ンと減ってしまって、産地も大変なのだ。

ともあれ、蜜柑の花の香りは、遠慮勝ちで、それでいて凛とした品がある。

私は、この香りが大好きだ。

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2008年5月11日 (日)

欧州の風景

咸臨丸で渡米した旧赤松(則良)邸で、油絵展があった。

田辺宏さんの絵で、ヨーロッパの風景を描いている。Cimg5462

欧州の風景で私達が心惹かれるのは、レンガの赤と城砦であろうか。

日本の城の堀や石垣は、城郭を防御するためのものだ。

しかし欧州のそれは、町全体を異民族の侵入から守るための物だった。

自ずと構造も違うし、街路など街の景観も随分異なったものだ。Cimg5460

人が群れて生活し、その頂点に城(支配者)があって、

その群れ全体が城郭になっている。

動物の本性に、より一層近い景観なのかもしれない。

レンガも、日本人にとっては、明治以降のものだ。Cimg5461

そのレンガ塀の赤松邸での欧州風景画は、それ自体良くなじんで見えた。

また、カフェバーのドアがギーっと、今にも音を立てて開きそうな、そんな印象の絵、

そして、城郭都市の眺めは、人間の本性を覗き見るかのようでもあった。

この21日から、中欧を訪ねることにした。

民族の生き様のようなものを、感じてきたいと思っている。

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2008年5月10日 (土)

タイルについて

タイルなぞは、無味乾燥な焼物に過ぎない。

日本人の趣味とは違うな !・・・そう、思っていた。

だが、文様はタイルで始まっている。Cimg5250

5500年前の古代メソポタミアでは、粘土で壮大な装飾壁ガ作られている。

世界最古のピラミッドでも、緑色に彩色されたタイルで地下空間が作られている。

それにイスラムは、勿論モスクや宮殿をタイルで幾何学模様を描いてきた。

イスラムでは、タイルと侵攻が深く結びついている。

土は水によって形になり、火を加えることで焼物になる。

その形を組み合わせることで様々な芸術が出来上がる。Cimg5249

私達の住まいにタイルを取り入れだしたのは、オランダの商人のようだ。

そうして今、私達の周りにはタイルがあふれている。

玄関やら台所に洗面所、住宅の壁だってタイルが多くなってきた。

タイルの優れたところは、変わらない事だ。

常滑にINAXのタイル博物館がある。

世界のタイル、約1,000点が展示されている。

そうして、便器も焼きものの延長なんだね。

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2008年5月 9日 (金)

身辺整理

退職後、つもり積もった様々な物を整理してきた。Cimg5454

自分の部屋の掃除やら、着なくなる衣服の廃棄やらである。

その中でも本の整理は、結構難儀であった。

本という物は、中々捨てられない。

それで積読本が溜まっていたのだが、思い切って処分することにした。Cimg5211

・・・オフとかで買い取ってくれると言うので、70冊ばかり持ち込んでみた。

「しばらく店内でお待ちください」と言われて、30分あまりが経過。

ようやくコールがあって、「360円です」とおっしゃる。

おまけに、40冊近くはお持ち帰りくださいときた。Cimg5274

計算すると、一冊が何と12円である。

なんと、高くなったガソリンの2リットル程にしかならない。

「マッ良いか! どっち道捨てるつもりだったんだから」と、

新たに2冊をそこで購入。差し引きゼロ円である。

本だって、ゴミに出すより少しは役立つかもしれないしね。

ともあれ、私の本棚も少しだけ身軽になった。

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2008年5月 8日 (木)

たたずまい

美術館にしても神社仏閣にしても、

何時も、そのたたずまいに圧倒される。

どうして、こんなに落ち着いた空間が醸し出されるのだろうと。Cimg5439

非日常的な空間なんだけれど、そこは自分の故郷であるような気さえしてくる。

時代の蓄積と言うものなのだろうか。

湖西市の本興寺を訪れ、その来歴が1368年からと知る。

鎌倉時代も末期だろうか。Cimg5438

宗派が何であれ、この国に住まう人たちが育ててきたものなのだ。

私達は、日常の繁多にかまけて、日本人が育ててきたものの何かを忘れてはいけないと思う。

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2008年5月 7日 (水)

人生には・・

人の一生には、色々なことがある。

受験や就職・結婚はもとより、その軌跡は結構波乱万丈なものだ。Cimg4796

これまでのチャレンジや幸運、人とのめぐり合いなどを考えている。

もしあの時など、空想することなど、まったく無意味な現実がある。

その現実が今の私なのであり、そこから将来を考える他無い。

はてさて、この40日の私である。

随分と生活も考えることも変わった。

午前中は、標高264mの小笠山を走る。

丘陵と言える程の高さしかないのだが、どうして起伏の連続である。

この起伏を4時間余、それが俺だと納得させながら走る。

多分多くの皆さんからすれば、無益な馬鹿馬鹿しいことをと思うに違いない。

だけどね、人生なんてね、そんなもんなんだと思う。Cimg5452

そうして午後は、葡萄の棚付けやらで晩まで没頭する。

そんなこんなで、あっという間に40日が過ぎようとしている。

そろそろ、次のことを考えなくてはいけない。

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2008年5月 6日 (火)

岩手県について

岩手県と言うのは、日本の古里のような所だ。Cimg5415

南部民謡や東野の民話や原風景は、そんな思いを強くしてくれる。

義経が育ち、落ち延びたのもこの地であった。

宮沢賢治の古里でもある。Cimg5414

そしてその広さは、北海道を除けば日本一の面積の県だ。

四国四県ほどの広さがある。

が、人口は140万人ほどでしかない。Cimg5412

だから、一人当たりの面積が最も広い県である。

だが、平坦地がすこぶる少ない。

耕地面積だって、県土の一割ほどでしかない。Cimg5417

戊辰戦争後、「白川以北、一山百文」と言われたのもムベなるかなである。

海岸線だって、切り立った断崖のリアスが続くのだ。

北山崎や浄土ヶ浜と言った景勝地が続く。

要するに、生産的な土地が少ないのだ。

今は青森県になっている八戸市も、江戸期までは南部の一角であった。

そういえば、会津戦争に敗れて、榎本武揚や土方歳三が五稜郭に逃げたのも浄土ヶ浜からだった。

だが何故か、郷愁に満ちたところだ。

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2008年5月 5日 (月)

バブルは?

近世の私達は、何度も同じ失敗を繰り返してきた。

オランダの黒いチューリップへの投資。Cimg5406

かつて斑入りの観音竹がブームになったこともあった。

植物さえも希少価値故の投機の対象になってしまう。

日本の失われた10年は、土地本位制経済の最終章ともいえる。

使い道の無い山林までもが、地上げの対象になった。Cimg5404

金融機関も、土地を担保にする限り不良債権化は無しと考えていた。

人口も減ろうと言うのに、要らない土地を買い集めて何とする。

今考えれば、誰だって分かる道理である。

でもあの当時は、多くの人々がその道を突き進んでいた。Cimg5407

アメリカのサブプライムローンだって、住宅の価格が上がり続けることが前提であった。

住宅は上がるのだから、信用力が無くても住宅が担保である限り融資ができたのだ。

その債権を金融商品化して世界中に売りまくった。

それが昨今の国際的な金融危機を引き起こした。Cimg5405

同じ減少が、永遠に続くなんて事があるはずが無いのにである。

先日、秋田県の古牧温泉に泊まった。

この秋田に巨大なホテル群が広がっていた。

そして、その大半が廃業状態にあった。

その一部が別の経営者によって稼動していた。

その一部であっても、風呂に行くのに迷うほどの壮大さなのだ。

それに岡本太郎記念公園、渋沢記念公園と二つの巨大な公園まで併設されていた。

一体全体これほどの規模の施設が、何故建設できたのか不思議ですらある。

そう、バブルと言うものが、信じられないものを作り上げてしまうのだ。

今、そのバブルの跡で楽しむのは、多くが中国や韓国からの観光客である。

この次に同じ失敗をするのは何処の国だろうか。

中国で無いことを祈りたい気持ちである。

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2008年5月 4日 (日)

連休の一日

連休と言っても、私にとっては毎日が連休なのだが・・・!Cimg5448

静岡市の芹沢鉎介美術館を訪れた。

芹沢美術館は、登呂遺跡の一角にある。

登呂遺跡自体は、再発掘と改修中でかつての趣きはない。Cimg5444

だが芹沢美術館は、凛として独特の雰囲気を醸し出している。

芹沢鉎介は、古い町が生んだ個性的な芸術家だ。

型絵染の人間国宝として、染色にとらわれず個性的な日本を表現して来た。Cimg5443

創造的で多彩な色彩と模様で、のれんや屏風、着物、帯、絵本、包装紙などを魅力的な物にした。

実に素直で健康的に、日本の良さのようなものを形にして見せてくれた。

美術館では、日本茶インストラクターが煎茶をもてなしてくれている。Cimg5445

一煎目と二煎目のコントラストが、味わいと言うやつなのだろう。

そのお茶を出してくれる部屋が、また何と言うか、窓外の緑と相俟ってハッとするような空間なのだ。

とにもかくにも、心やすらぐ一時であった。Cimg5449

静岡の町中は、ブラジル移民100年記念だろうか、サンバダンスなどもあって賑わいを見せている。

町中を歩くのも一日、美術館を楽しむのも一日である。

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2008年5月 3日 (土)

男鹿の間欠泉

秋田県の男鹿も温泉の地である。Cimg5373_2 

昭和14年の男鹿半島地震で、一面湯の海になったと言う。

その温泉に浸かって驚いた。

湯船には、源泉からそのまま配管されていた。Cimg5363

だから、熱風と共に間欠状にお湯が吹き出てくる。

源泉は、50度程度らしいから、配管を辿る内に幾分冷やされるのだろう。

それにしても、本物の地の湯に浸かる心地がする。Cimg5352

それに、近くにある一の目潟の水位によって、黄色や茶色、緑色と湯の色が変化するそうだ。

これも面白い。

ところで、この男鹿半島にも除福の伝説が残されている。

秦の始皇帝の命で、不老不死の薬を求めて日本列島に渡ったと言う除福、

彼は、数千人の童女・童男と五穀の種とともに渡って来たと言う。

日本海を挟んで、大陸とこの列島に、

古来よりどの様な往来があったのだろうか。

間欠泉に浸かりながら、そんな夢想に耽っていた。

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2008年5月 2日 (金)

花模様

今年は、花の咲く時期が一週間ほど早いようだ。Cimg5435

4月中下旬の東北では、桜が満開だった。

弘前城公園などでは、連休がピークになるのが普通だ。

だが今年は、今頃はもう葉桜になっているはずだ。Cimg5392

今、磐田市の熊野の長藤が満開だ。

この藤は、800年前、美人の誉れ高い熊野御前が植えたのが始まりだと言う。

熊野は藤原宗盛に寵愛され、母の見舞いに帰郷して源平戦争から免れた。Cimg5436

ところで、平重衡に寵愛された千寿も、この磐田市の見附で過ごした。

重衡が鎌倉に送られて処刑された後、尼になって善光寺に暮らした。

東鏡によると、両人とも当時の三大美人の二人だと言う。Cimg5391

両人とも、美人薄命であった。

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2008年5月 1日 (木)

最果ての下北

本州最北端の地は、あのマグロで有名な大間である。Cimg5402

NHKの「どんと晴れ」だっけ、あれから特に知られるようになった。

大間町の住民の約半分が猟師なのだそうだ。

と言う訳で、その岬には鄙びた土産物屋がある程度で、Cimg5399

他に見えるのは、一本釣り船の漁港しかない。

そうして、海峡の向こうに北海道が広がっている。

この大間に、原子力発電所が出来ることになった。Cimg5397

その直近くには、原子力船むつの母港だったむつ市がある。

さらに少し離れて、原子炉廃棄物再処理工場の六ヶ所村がある。

賽の河原を連想させる佐井村には、仏が浦の奇岩が連なっている。Cimg5396

仏が浦から恐山に、それが人間の終末だという。

下北の最果ての地を、そんな所にしてしまったのは私達なのだ。

辺地を成り立たせるためには、原発であれ何であれ誘致して、

道路を整備する他生き残る道は無いのだ。

仏が浦の奇岩は、私達人間のエゴと我がままを戒めているのではないか。

また、東京都などの四県に人口集中が始まっている。

他の四十数県は、人口流失県になっている。

はたして、こんな国土経営で、この国はこれからの時代を生きていけるのだろうか。

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