ハンガリーの英雄広場
建国1,000年を記念して、1896年に造られたと言う。
広場には、建国に関わった何人かの像が飾られている。
このカルパチア地帯を制圧したことに始まる。
1000年を経てキリスト教下の時代が長いが、
すっかり西欧化しているが、明らかにアジアの血流であろう。
そして、英雄広場は民族のルーツを示す公園なのだ。
ハンガリー動乱である。
時の西側よりの政治指導者を粛清するための軍隊だ。
首相以下の要人は、広場の片隅にあるユーゴスラビア大使館に逃げ込んだ。
ソ連軍は、中立とされるその大使館に踏み込み、彼らをすべからく処刑した。
そして遺体は、隣の動物園の動物の死体置き場に放り込んで埋めたのだ。
1989年8月16日、この広場でその時殺された指導者達の葬儀が行われた。
しめやかに、そして大規模に行われた葬儀は、東側諸国に大きな影響を与えた。
やがてオーストリア国境からの、大量の難民流出が起こる。
この流れは、次第に大きくなって、
この年の暮れ、遂にベルリンの壁が崩壊する。
ハンガリーのこの広場での静かな決起が、世界を変える契機になったのだ
たった20年前の出来事である。
今ハンガリーは、幾分共産主義時代の残像を残しつつも、着実な発展の道を歩いている。
一体全体、共産主義とは何だったのだろうか。
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