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2008年5月30日 (金)

ハンガリーの英雄広場

ペスト地区の市民公園の一角に、英雄広場がある。Cimg5549

建国1,000年を記念して、1896年に造られたと言う。

広場には、建国に関わった何人かの像が飾られている。

ハンガリーは、匈奴の一派と思われるマジャール人が、Cimg5550

このカルパチア地帯を制圧したことに始まる。

1000年を経てキリスト教下の時代が長いが、

言語は我々と同じアルタイ語に属するし、氏名の並びも同じだ。Cimg5551

すっかり西欧化しているが、明らかにアジアの血流であろう。

そして、英雄広場は民族のルーツを示す公園なのだ。

その公園に、1956年ソ連の戦車が突如繰り出した。Cimg5552

ハンガリー動乱である。

時の西側よりの政治指導者を粛清するための軍隊だ。

首相以下の要人は、広場の片隅にあるユーゴスラビア大使館に逃げ込んだ。Cimg5554

ソ連軍は、中立とされるその大使館に踏み込み、彼らをすべからく処刑した。

そして遺体は、隣の動物園の動物の死体置き場に放り込んで埋めたのだ。

1989年8月16日、この広場でその時殺された指導者達の葬儀が行われた。

しめやかに、そして大規模に行われた葬儀は、東側諸国に大きな影響を与えた。

やがてオーストリア国境からの、大量の難民流出が起こる。

この流れは、次第に大きくなって、

この年の暮れ、遂にベルリンの壁が崩壊する。

ハンガリーのこの広場での静かな決起が、世界を変える契機になったのだ

たった20年前の出来事である。

今ハンガリーは、幾分共産主義時代の残像を残しつつも、着実な発展の道を歩いている。

一体全体、共産主義とは何だったのだろうか。

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