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2008年5月24日 (土)

ウイーンという所

ウイーンと言う都市の名を知らない人はいない。

それほどの国際都市の人口は、たかだか160万人ほどに過ぎない。

国際都市の由縁は、その歴史だろうか。Cimg5310

640年間に亘って、ハプスブルク王家の都として栄えてきた。

そして、富を集めた王家の財力で、街が磨かれてきたと言える。

音楽の都と言われるのも、歴代の皇帝達の音楽好きの故だ。

だからモーツアルトやシューベルト、ヨハン・シュトラウス達が集まってきたのだ。

ハプスブルグ家の成功は、戦争よりも政略(結婚)を重視したことだ。Cimg5456

女帝マリア・テレジアは、40年間の在位中に男子5人、児良し11人も産んだという。

その第9子が、フランスのルイ16世に嫁したマリー・アントワネットだ。

ともあれ、ヨーロッパの歴史は、ハプスブルクとウイーンを抜きには語れないだろう。

ウイーン国際会議が開かれたのは、1813年のことだ。

ナポレオン没落後の欧州再編が議題だった。

だが「会議は踊る、されど議事は進まず」だった。

連日連夜の饗宴で、会議を躍らせたのは誰だったか・・・・・

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コメント

地続きの国境、ヨーロッパの歴史は
「ローマは一日にして成らずあらず」
に見られるように王政から共和政へ
栄枯必衰・・・世界遺産も歴史の文芸復興
の偉大な智恵(祖国を守る)。
島国 日本には無い 素晴らしい歴史建
造物と 風格。
訪問する国の成り立ちと 起源を素直に
懐に戒めて・・・。歴史の重みの狭間から
自由 平等 博愛の建国の姿を現実を
直視する中で後世の人々に残した「真の遺産」
統治能力・統治理念の視点からも洞察・柔肌
で感ずる歴史の刻みから・・・。現状黄泉の国
(日本)への叙述。
(ともすると終焉の日本丸)蘇える地頭力日本のスキルを鋭い感性で嗅ぎ分けてご帰国下さい。
 ※観察グロブ(安心して住める)提案
   ”工夫の一ひねり"を  楽しみに
<サラリーマン川柳>第一生命
・「空気読め!!」それより部下の 気持ち読め!
・減っていく・・・ボーナス・年金・髪・愛情
・還暦越えると住みにくい 世の中になりにけり
 ※明日は 何処の国へ
 ※老・壮・青が持ち味尊重、生かしあい、
 「経験・知力・体力」でパワーアップの活力派生。 「複眼思考型人間安一丸」に期待。 

投稿: 静岡の老婆心 | 2008年5月25日 (日) 01時37分

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