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2008年6月30日 (月)

ジャガイモと私達 

「好物は何か?」と問われれば、「肉じゃが」と答える。

好きと言うよりも、体が馴染むとでも言おうか、Cimg5814

抵抗無く美味しくいただけるのが肉じゃがである。

ジャガイモの原産地は、南米ペルーの高地で寒冷地や痩せた土地でも育つ。

そのジャガイモをヨーロッパに伝えたのが、インカ帝国を征服したスペイン人だ。

彼らはインカの富を全て略奪したのだが、その中で唯一世界中に恩恵をもたらしたのがジャガイモだった。Cimg5915

ジャガイモは、スペインから当時属領だったオランダに伝わり、

16世紀末、オランダ人によってジャワ島のジャカルタに持ち込まれた。

その芋が日本に持ち込まれて、ジャガタラとなった。

そしてこのジャガタラが、ヨーロッパの飢饉時と同様に、辺地開拓に大きな役割を果たす。Cimg5809

北海道のサロマや旭川付近には、広大な馬鈴薯畑が続いている。

寒冷地や酸性土壌には、この作物は絶大な力を発揮するのだ。

明治始めの北海道開拓を支えたのも、この馬鈴薯だった。

北海道で馬鈴薯の畑を眺めながら、私達と農作物の深い関わりを思っていた。Cimg5916

ひょつとしたら私が生きているのも、そうした作物の歴史の結果なのではないかと。

人間は如何なる事があっても、食料を粗末にしてはいけないのだ。

それに今年は、国連の「国際ジャガイモ年」である。

食料問題に関心の集まっている折でもあり、ジャガと私達について考えるてみる好機だろう。

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2008年6月29日 (日)

My・農園

うっとおしい、梅雨空である。Cimg5913

その梅雨空の下で、私の農園は今日も息づいている。

葡萄のハウスが約1000㎡、オクラが400本、

それにキュウリや茄子、ニガウリやトマト、薩摩、枝豆など、Cimg5912

そんなに半端な農園ではない。

ヨトウムシや猫、うどん粉病気にやられたりするけれど、

彼らは、日一日と変化を続けている。Cimg5911

人間は存外安気なものだが、彼らは季節の移ろいを必死で受け止めている。

原始、人は森を開き、土地を耕すことで定住を可能にしてきた。

そこには、可能な限り人間に有益な植物を育てることが生命線だった。Cimg5910

そうして人は、五感を研ぎ澄ませて作物を育ててきた。

そのDNAが、私にも確実に伝わっている。

そうして人間も、彼らと同じ自然の一部なのだ。 Cimg5909

この三ヶ月、彼らと共に過ごす時間がかつて無く多かった。

否、そうした時間の方が自然なのだろうと思う。

しかし明日からは、彼らともかなり疎遠にならなくっちゃならない。

今、幾ばくかの寂寥感を感じている。

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2008年6月28日 (土)

栄養と欲望

かつて皇帝や貴族の病気でしかなかった通風や糖尿病が庶民のものとなり、

メタボリツク症候群などと、民族の存亡に関わる病になりつつある。Cimg5908

そもそも日本人の平均寿命は、女性の86歳で世界一だ。

男だって79歳で、世界で第二位だ。

その長寿は、とりもなおさず日本の伝統食に支えられてきた。

つまり、米と豆に魚である。Cimg5907

だがここに来て、そうした長寿が俄かに怪しくなってきている。

かつて沖縄は、日本一の長寿県だった。

ところが若い人たちの肉食と共に、男子で26位までに急落している。

ちなみに今の日本人は、40歳以上で半数はメタボなのだ。Cimg5906

それに子供達だって、肥満や痩せ型が増えて、普通の体型の子供が急減している。

今日、中京女子大学の甲田先生から、バランスの良い食生活に心がけるよう指導された。

私達の食は「食いたいものを喰う」傾向にあって、意外に食の基本が分かっていない。

そのくせ、今まで農業を足蹴にしてきたくせに、俄かに自給率向上の大切さを語ったりしている。

人間が健康に生きるってことは、欲望のままにすれば良いってことじゃないのだ。

石油が買えなくなって、その次は食料かな?

その食料を買う金だって、ブラックホールのように資源国に吸い込まれていっている。

はてさて、どうする日本人。

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2008年6月27日 (金)

走りながら・・

小笠山のそま道は、今が一番賑やかである。Cimg5902

営巣する鳥達のさえずりが、溢れている様に感じる。

その山道が、私にとっての瞑想の森になっている。

薄暗いウバメガシの木陰の道やウラジロの広がり、Cimg5903

そして、時にササユリの群落が出現する。

その道を走りながら、これからのことを考えている。

そう!、明日は何をして・・なんてことから、明後日は皆さんに何を話そうかなどと・・。Cimg5904

作家の村上晴樹さんの書いていることは、そのまま私の言いたい事でもある。

走ることは、確かに人を前向きにさせるし、哲学者にさえしてしまう。

俗世間から少しばかり離れて、いろいろと思ってみたりする。Cimg5905

私は、こうやって既に20年になる。

そして、走ることを知って良かったと、つくづく思っている。

梅雨はまだまだ続くが、里では二番茶の収穫が続いていた。

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2008年6月26日 (木)

光陰

光陰軽んずべからずだ。Cimg5899

紫陽花の花も艶を失い、既にカラーやインパチェンスの花に移っている。

もう直、夏なのだ!。

私の日曜日も、既に三ヶ月になろうとしている。Cimg5898

長いようで、過ぎてしまえばあっという間の三ヶ月だった。

この間、ウロウロとこれまで出来なかったことを探して歩いた。

或いは、人間ってやつの生き方をまさぐるつもりで旅行にも行った。

何を得られたのかは、未だ定かではない。Cimg5897

だが、そろそろプ~ラプラを止めなくちゃならない。

二十年ほど前司馬遼太郎が「やがて、日本人の2/3が働くなる」と言った。

現実にそうなりそうである。

そしてこの国は、超高齢化社会のとば口に立っている。Cimg4856

だから私も、いま少し社会のために働かなければならないだろう。

来月から、新たな職場に向かうことにした。

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2008年6月25日 (水)

公開講座って

少子化の中で、大学も大変な競争時代を迎えている。

私達(団塊世代)の、どうすれば大学に入れるのかという時代を知る身にとっては考えられないことだ。Cimg5769

だが、発展途上国でなくても、これは当然考えられることなのだ。

で今、どこの大学でも自己PRに躍起になっている。

公開講座も、その一環なんだろうと思う。

しかし、その有り様はかなり難しい。Cimg5770

当然のことながら、何のためにやっているかと言う理念が必要だ。

その大学の存在意義と言うか、世の中の向かっての大学のメッセージがほしい。

私も、先日からある大学の公開講座に通っている。Cimg5768

情報不足を補うことと、社会との接点を求めてのことなのだが、

残念ながら聴講生くは、「暇つぶし?」に参加している人が多い。

勿論、それでも聴講しようとする意欲は素晴らしいことなのだが・・・・。

それで、講座の中味にもその原因があるのかもしれないと思った。

とかく知識の切り売りになって、大学の主張が希薄なのだ。

ヨーロッパで創始された大学は、学問の探求で社会の発展に貢献するのが目的であった。

だが日本の多くの大学は、高校の延長としての教育の場になってしまっている。

「もっと、理念を!」などとは、講座の恩恵にあずかりながらチョツト身勝手な注文かな? 

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2008年6月24日 (火)

愛しの葡萄

梅雨の晴間の爽やかな風が、窓から吹き込んでくる。

その風に吹かれながら、この三ヶ月間のことを考えている。Cimg5894

これまで出来なかったことを色々とやったけれど、

一番精力を注入したのは、私が育てている9品種の葡萄の世話だ。

葡萄は、栽培の機械化が最も難しい作物だ。

だがその分、手を掛ければ掛けただけのことが有る。Cimg5896

実に豊穣な稔りを見せてくれるのだ。

だがその稔りを本物にするか否かは、これからが勝負だ。

葡萄達は肥大期を終えて着色し始め、成熟へと最終段階を迎えている。

ここ何年か、この段階で失敗を繰り返して来た。Cimg5895

着色が始まると、雀の大軍が房を突き始める。

ハクビシンの家族も、毎夜のようにやって来て熟れた房から平らげていく。

それに、これからの水管理が極めて難しい。

普通に潅水していると、次々と葡萄の粒がはぜてしまう。

突かれても爆ぜても、そこから腐敗が始まるし、葡萄虫が発生する。

要するに鳥を撃退し、水を極少にして安寧を保つのが肝心なのだ。

とは言え、一体全体どうすれば良いのか。

今年は、たっぷり?有る時間をそこにつぎ込んだ。

葡萄の房の全てに帽子をかぶせて、雀から見えないようにしたのだ。

それから、細心の注意を払いつつ潅水を減らしつつある。

さて、この手間隙掛けた作戦の成否は如何。

答は、一ヶ月もせずに出るだろう。今年こそ、私の勝利だ。

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2008年6月23日 (月)

プゥラプラ

そうだよな~と思った。Cimg5873

仕事を離れて、もう三ヶ月近くになる。

理髪店で、偶然同級生に会ったのだ。

鏡の中の彼は言う、「そう~、プラプラしてるの!」Cimg5843

私本人は、一生懸命プラプラしてるつもりなんだけど、客観的には「そうだよな~」と。

この三ヶ月、旅行だけじゃない。農作物、殊に葡萄は一生懸命面倒を見てきた。

でも「あなた社会的に、今、何してるの?」って言われると・・・困るよな~。Cimg5836

NPOの講座なんかに行こうとしているけれど、とりあえず今はフリーなのだ。

つまり毎日が、日曜日くんなのだ。

この三ヶ月、原油やトウモロコシの価格が上がり続け、依然として出口が見つかっていない。Cimg5834

旧来の資本主義が、環境問題と相俟って新しい時代を模索し始めている。

そんな激動の時代の流れを、極めてクールに眺めている。

そして私自身は、このプーラプラは大変貴重な時間なのだと思っている。

つまり、世の中を見る目も少しずつ変わって来ている。Cimg5826

それは、大変な進歩ではないかと思っている。

しかし、無限にプーラプラと言う訳にはいかないだろう。Cimg5824

はて、新たな行動を始めなくてはならない時期だろうか。

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2008年6月22日 (日)

日銀小樽支店

今日の小樽に、日銀の支店が有る訳ではない。Cimg5889

だが一昔前、小樽は北のウォール街と呼ばれ、銀行が軒を連ねていた。

だから、一般庶民に関係ない日銀の支店が、明治45年小樽に開設されたのだ。

今日の小樽からすれば、隔世の感であろうか。Cimg5885

しかもその設計は、東京駅の赤レンガを設計した辰野金吾らである。

その旧小樽支店が、今、金融資料館として公開されている。

お札ギャラリーでは一億円の重さを確かめることも出来る。Cimg5887

金庫室のお札の裁断片の山には、「覆水盆に帰らず」などと考えたりもする。

もちろん日銀の業務の紹介もあって、結構経済通になれるかもしれない。Cimg5890

重厚な日銀小樽支店に入るだけでも、小樽と言う街のかつての繁栄を感じることができる。

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2008年6月21日 (土)

小樽旅情

小樽には、石原勇次郎が似合う。Cimg5880

何故か、そんな雰囲気がある。

運河、煉瓦倉庫、クリスタルにカフェ、それに寿司屋だ。

小樽は、北前船の拠点として、道産物を積み出す最大の港だった。Cimg5878

海岸には倉庫が立ち並び、マドロスが行きかい、山手には両替商やら銀行が軒を連ねていた。

時代(海運)が変わって、小樽は一気に衰微してしまう。

その小樽が今、国際色豊かに賑わっている。Cimg5879

倉庫は、しゃれたブティックやレストランになり、ガラス工芸の店が並ぶ。

北国の独特の、北欧を感じさせるような雰囲気の町になっている。

その小樽市に180軒の寿司屋がある。Cimg5881

たかだか15万人の人口しかないのに、その寿司屋がやっていけるのだ。

それが、今日の小樽なのだろう。Cimg5876

修学旅行生も多いけど、小樽は旅情と言うものを感じさせてくれる所だ。

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2008年6月20日 (金)

ワクワク動物園

バスに乗ったときからワクワクするような感覚は、五十年ぶりくらいだろうか。Cimg5831

しかも、行き先は動物園である。

一体全体何処が違うのか、しかと見定めてやろうとバスの中で考えていた。

開園30分前に到着すると、既に長い行列である。Cimg5833

ウ~ン、先ずここが違っている。

行列して入る動物園なぞ、パンダが初めてやってきた上野動物園以来だろうか。

特に珍しい動物がいる訳でもない。Cimg5837

しかしながら、この旭山 動物園はどこかが違っている。

もぐもぐタイムとか、地下から見上げたり、飼育係体験、夜の動物園があったりする。

だがこれは、真似をしようと思えば何処の動物園だって出来ることだろう。Cimg5839

それにハンディだってある。冬は零下40度にもなる旭川にあるのだ。

それを乗り越えて、全国から客の集まるワクワク動物園にしたのだ。

いま、隣にあった遊園地を取り壊している。Cimg5847

動物園は、動物と触れ合う所なのだと言う事だろう。

他の動物園と何が違うのか? 

それは、動物の表情を見せてくれることだと思う。Cimg5849

ペンギンや白熊、レッサーパンダ、あざらしなどの極自然な表情を巧く引き出している。

「今日も、命いっぱいに生きています!」そんなメッセージであろうか。Cimg5850

それにしても、この狭い動物園で二時間余が瞬く間に過ぎてしまった。

動物達も、何故か活き活きとして見えた。

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2008年6月19日 (木)

旭岳の麓

大雪山連峰の中の俊岳、旭岳の麓に泊まった。Cimg5817

近くに山頂へのロープウェイがあるが、ここで道は途絶えている。

標高2290mの旭岳中腹からは、今も噴煙が上がっている。

早朝、この山に登ろうと走り始めた。Cimg5819

だが、岩又岩ばかりで、見晴台まで行き着くのがやっとであった。

凍える指先をさすりながら、この泰然とした山を見上げる。

すると微かに硫黄の香りが漂ってきて、自分がこの大地と別物であるようなそんな気持ちにもなる。Cimg5820

雪解け水が、水芭蕉の群落の中を音を立てて流れている。

シロカンバやクマザサの間を歩きながら、北の大地を確認している。

残雪の脇からは、蕗の薹が顔を出している。Cimg5822

そう!、これが我々の生きている世界なのだと思っている。

冷えた体で宿に戻ると、女房が鼾をたてて眠っていた。

そっと、浴場に向かう。Cimg5823

これも、日々の現実である。

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2008年6月18日 (水)

日本の美

恥ずかしい話だが、後藤純男という我が国美術界の重鎮を知らなかった。Cimg5807

農地が美しい曲線を描く上富良野町に、後藤純男の美術館があった。

美術館に入って先ず圧倒されるのは、日本の美とはかくなるものかと言うことである。

京都の四季や桜花爛漫の春の数々だ。Cimg5808

否、それにもまして人の心を打つのは、北海道の厳しい自然だろう。

「流氷の春」や「十勝岳連峰」などである。

古藤純男は、千葉県の寺院に生まれた。Cimg5810

だから神社や仏閣には、思いの丈が深かったのだろう。

若い時の絵には、京都の風景が多い。

その後藤が、厳しい絵を描くようになるのは、北海道の自然にふれてからだ。Cimg5813

後藤の絵は、近代日本画を代表するものになっている。

そんな訳で、今回のG8サミットでもこの美術館が視察場所になった。

各国首脳たちは、日本の美と言うものに何を感じるだろうか。Cimg5811

ちなみに日本画は、和紙に岩絵の具と膠で描いていく。

洋画の画布に油絵の具とは本質的に違っている。

岩絵の具の原料は、サンゴやクジャク石、貝殻やオパール、ラピスラズリなどである。

彼の書に、「時 不再来」とあった。Cimg5816

その書の傍らに、Time Never Returnsと注釈があった。

彼は、日本の美の瞬間を描きとめてきたのだと思った。

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2008年6月17日 (火)

北の大地の春

苫小牧から富良野に向かう。Cimg5795

北の大地では、春と夏が一所にやってくる。

家々の軒先では、テマリカンボクの白い花が咲き、

バラそっくりのハマナスが艶やかである。Cimg5796

ルピナスもこの季節らしい。

とは言え、ラベンダーにはまだ少々早かったようだ。

それでも、ファーム富田には中国人なども含めて、実に多くの人達が訪れていた。Cimg5798

ラベンダーは、もともとフランスのプロバンス地方の原産である。

北海道では、この花から香料を採る目的で栽培が始まった。

だがほどなく、化学合成香料に取って代わってしまう。Cimg5792

富田さんは、それでもこの花に魅せられて、しつこく作り続けた。

収入など、皆無ではなかったか。

畑ばかりの富良野などに、観光客など誰も行かなかった。Cimg5800

だが、そのラベンダーが、観光の目玉になった。

富田さんは、ラベンダーグッズだけではなく、メロンやプリンなど多くの関連商品を生み出していく。

そして、農家らしい雰囲気の中で、ゆったりと過ごす空間を創ったのだ。Cimg5799

ラベンダーは温室の中で咲いていただけだったが、富田さんの思想は十分に伝わってきた。

世の中苦労しても、しつこい人が何物かをつかみ得るのだ。Cimg5804

「北の国から」のTV番組は、ファーム富田を不動のものにした。

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2008年6月16日 (月)

ザ・ウインザーH洞爺

北海道は、火山の島と言っても良い。Cimg5867

とりわけ道南地域は、活火山が連なっている。

それに洞爺湖は、湖の真ん中に浮かぶ中島を見るまでもなく、典型的なカルデラ湖だ。

平成12年に噴火したばかりの有珠山も噴煙を上げているし、Cimg5858

その隣の昭和新山(昭和18~20年に噴火)からも、煙が上がっている。

その洞爺湖と有珠山、昭和新山、それに羊蹄山と太平洋を見下ろすように、

このホテルは建っている。Cimg5857

言うならばバブルの象徴のような巨大なホテルで、

一度は倒産して、セコムが買い取って今日に至っている。

その自然の息づかいを眼下に見渡すようなホテルで、来月7日からG8サミットが開かれる。Cimg5866

朝4時、窓からは静かな湖面と北海道の大地が見渡せた。

だが日が昇ると共に、霧が湧き出して瞬く間にその姿を隠してしまった。

恐らくは、各国の首脳も記者団もこの自然の変化を目の当たりにするのだろう。Cimg5861

そして、美しいと感じて終わってしまうのだろうか?

それとも、自然と言うものの底知れぬ力の前で、人間の破壊活動をどう規制できるのだろうか。

我が国がG8で準備している舞台は、それを問うための美しい装置なのだ。Cimg5862

早朝の洞爺湖を見下ろしながら、朝のランニングに出かけようとした。

だが、全国から動員された警察車両があちこちに並び、不審者??をチェックしている。

それにホテルの中だって、多数の私服警官が目を光らせている。Cimg5865

私には珍しいことだが、遂に臆してしまった。

それに洞爺湖の周囲は、36kmもあるのだ。

自らを、そう納得させて大浴場に向かってしまった。

それから、3,300円の朝食を厳かに頂くことになった。

同じツアーで親しくなったHさんが、「これまで、生きていて良かった!!」と、

そう、嘆息した。

私達の地球にとって、稔りあることがここから始まって欲しいと念じている。

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2008年6月15日 (日)

北海道に・・

北海道に出掛けてきた。Cimg5785

今回は、仙台港から客船で苫小牧に向かうことになった。

一万六千トンのビルのような船で、浮かんでいるのが不思議なくらいである。

船名は、何故か「きそ」となっている。

その大船が、岸から15kmほどの所を時速40kmで北上する。

乗船してから大浴場で汗を流し、レストランではバイキングでたっぷりと頂いた。Cimg5787

夜は、少しばかりの歌謡ショウがある。

歌い手の心情などを思いながら船室に戻ったのだが、

それからがいけない。

豪華客船の旅でぐっすりと考えていたのだが、

鼓動の様なエンジンの振動と幾ばくかの揺れで、まんじりとも出来ない。Cimg5788

日露戦争の海戦を想像したり、80日間船の世界一周の旅の大変さ???を思ってみたりである。

とうとう明るくなるのを待ちかねて、デッキで随分しばらく波頭を眺めていた。

今回の旅は、7月7日からのG8サミット会場を、一足先に観てやろうという魂胆である。

だから当然、洞爺湖のザ・ウィンザー・ホテル洞爺に泊まることになっている。

まぁ~それはともかく、何故か船中でアイヌのことを考えていた。

仙台市の隣に、多賀城市がある。Cimg5893

多賀城とは、奈良時代に蝦夷征討の拠点として築かれた城だ。

歌人大伴家持も、この鎮守府将軍として赴任し、ここで没している。

蝦夷とは、ひらったく言えば、先住民族の流れを汲む人々だ。

そして北海道は、幕末までアイヌの生活の地であった。Cimg5790

アイヌ民族は、ついこの間の国会で先住民族として認められたばかりである。

長い夜は、坂上田村麻呂の転戦とともに覚醒した。

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2008年6月14日 (土)

ササユリの季節

久しぶりに、小笠山を走った。Cimg5778

その走路の道々に、ササユリの花が咲き出している。

この花こそ、心癒される最高の花ではないかと思っている。Cimg5779

淑やかで心優しく、気丈な気品を漂わせている。

人間とも、つかず離れずの関係を保って生きている。

つまり、人の手がある程度入ったところで彼女らは生きている。Cimg5780

正に道辺の笹の中から、笹と同じような姿でおい育ち、こんなにも健気な花を咲かせる。

種がこぼれてから花を咲かせるまでに、五年は要しているだろうか。Cimg5781

苦節の後に、美しい香りをこの時期だけ漂わせるのだ。

我が胸に秘めたる人に、この花を捧げたいと思う。 Cimg5783

そのササユリの隣に、紫陽花なぞが咲いていれば、梅雨空の憂さは消し飛んでしまう。

そんなことを思いながら、小雨の岨道を二時間余り汗をかいた。

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2008年6月13日 (金)

都市の力

静岡市と浜松市は、対象的な街だと思う。Cimg5773

揃って政令市になったけれど、その内実は随分と違っている。

静岡市は、支店経済と問屋、そして歴史の蓄積に立脚している。

もちろん県庁の存在も大きくて、労せずして美術館や図書館、コンベンションが立地してしまう。Cimg5777

言うならば、老舗のだんな的な甘さがある。

その分、落ち着いた風情には何とも言えない魅力があるのだ。

一方浜松市は、何事につけてもアクティブである。Cimg5775

そうでなくては生きていけないと言った雰囲気がある。

五月の凧揚げ祭りが象徴的だ。

あの檄練のヨイッチョ・ヨイッチョの地響きは、人の心を揺り動かす力を持っている。Cimg5772

先週の宇宙シンポに続いて、今週のジャズフェスティバルには、随分多くの人々が集まっていた。

そして今年の秋には、世界モザイカルチャー大会が開かれる。

私は、静岡の静けさも良いが、浜松の動きにもより大きな魅力を感じている。Cimg5771

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2008年6月12日 (木)

静と動

臨済宗方広寺派大本山、方広寺は随分歴史も古く名刹と言ってよい。Cimg5765

その方広寺で、早朝の一時間ばかり座禅を組むことになった。

私達が本堂に向かうと、既に管長さんがどっしりと座禅されている。

しばし間があって、禅の呼吸についてお話を伺う。

座禅は静かな禅だが、呼吸は丹田で深く繰り返す。Cimg5767

禅には、当然のことながら動禅がある。

千日の荒行などは、その動禅だろうか。

私の場合、どうも静禅は合わないようだ。

やはり、野山を駆け巡っていたほうが性に適っている。Cimg5755

じっと座っていても、思いは一つ所を巡るだけだ。

だが人は、一歩前に踏み出せば、確実にその見えるものが変わってくる。

恐れずに、一歩踏み出すのが人生の極意だと思っている。

ところでメダカの学校の翌日は、座禅と浜名湖えんため会長「稲葉大輔」さんの講演である。Cimg5759

稲葉さんは、若干30歳である。

その稲葉さん達のこの数年の活躍で、館山寺が随分と変わってきた。

遠州とらふぐに始まって、一般の花庭めぐりや産業観光、「天まで上がれ」などの映画づくり、

そして何かを作るのではなくて、観光と言うものの概念をすら変え始めている。Cimg5756

人と人の交流と言う、本源的なところにまで踏み込もうとしている。

人は、一歩前に出てみることだ。

稲葉さんの話は、実に分かりやすく説得力に富んでいる。

熟慮の静と果敢な行動こそが、一人ひとりの人生を変えるのだ。

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2008年6月11日 (水)

結びあう思想

私が「めだかの学校」に入れていただいたのは、10年ほど前であろうか。Cimg5747

そのメダカコミュニティーが、15周年を向かえた。

千葉や福岡県などの遠隔に住む方も含めて、多士済々がこの学校に出入りしている。

この間、十名余の物故者も出ている。Cimg5750

人はこのように生き、そしてこのように死ぬのだと言うお手本のような方々ばかりである。

その十五周年の学校で、哲学者「内山節」さんのお話を伺った。

彼は、自分で自分を十分把握していて、自分のことをチャント説明しきれる人間などいないという。Cimg5752

「自分って、何なのか?」それが分かっているやつなぞいないと言うのだ。 

人は、一人では生きられない。

そして、人や自然との色々な関係が、私と言うものを作り出している。Cimg5754

私達は、「自己を確立せよ」などと言われて育ってきた。

だが私など、この歳になるまで確立された自己など、何処を探しても見当たらない。

有るのは、我侭と偏屈ぐらいのものだろうか。Cimg5758_2

だから、内山さんの話を伺って少し安心した。

自分ってやつが奥底に有るんじゃなくて、社会や自然と関係を結ぶことで自分が出来ていく。

つまり、どの様に人や歴史とつながっているか否かが、良くも悪くも自分なのだ。Cimg5761

人間は、人に助けられ、常に自分を肯定しながら生きている。

自分を否定しながら生きることは出来ない。

自分を肯定できない奴が、「誰でもよかった」などと人を殺すのだ。Cimg5763

メダカの学校は、人と人のつながりを発見する場なのだと思う。

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2008年6月10日 (火)

カフェ文化

ヨーロッパには、カフェが似合う。Cimg5725

実際、ヨーロッパの国々には、広場と言い路地といい、いたるところにカフェが広がっている。

空気が乾いていて、開放的でとても気分が良くなる。

プラハの旧市街広場には、旧市庁舎のカラクリ時計を見に、毎正時には多くの人が集まる。Cimg5728

12人の使徒の人形が姿を現す。

カラクリ人形を見た後、近くのカフェに腰を下ろす。

カプチーノやらビールやらを飲んで時間を楽しむのだ。Cimg5737

そもそもヨーロッパは、総じて緯度が高い。

重苦しい冬が長く、日の長くなる春から夏にかけて、ひときわ開放的になる。

それに白人達は、皮膚にメラニン色素が少なく、 Cimg5735

ビタミン合成のために私達より多くの太陽光線が必要なのだ。

私達アジアの人間よりも、体が生理的に太陽を必要としていると言える。

だから女性のファツションでも、露出度がより高くなるのだろう。

それにこの時期、夏時間を採用しているにも拘らず、午後の9時過ぎまで明るいのだ。

その十分な時間を、街を歩く人々を眺めながら食事をしたりする。Cimg5742

一方日本や中国で、ヨーロッパ式カフェを開いても、モンスーンの地帯の故に所詮居心地が悪いだけだ。

冬は勿論のこと、じめじめとした梅雨や炎天下の夏も、外でカフェなどと言っていられるだろうか。

止めておいた方が良いと思う。Cimg5736

ところでチェコが生んだ文化人に、ミュシャとカフカがいる。

ミュシャは、曲線の多い童話的で独特なポスターなどを描いた。

プラハには、小さな彼の美術館がある。Cimg5716

そしてカフカは、ある日突然人間が虫になってしまうと言うあの「変身」の作家である。

彼はプラハ城の下、錬金術師が住んだと言う黄金小路の一室を仕事部屋にしていたと言う?

はてさて、現代のカフェは何を生み出すのだろうか。

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2008年6月 9日 (月)

プラハの朝

旧市庁舎の望楼に登ると、プラハのほとんどが見渡せる。Cimg5730

人口120万人足らずの街だから、決してそんなに広い訳ではない。

だがその中に、歴史も事件も人物もギュッと詰まっているような気がする。

火薬塔から10分ほど南に歩くと、ヴァーツラフ広場に出る。Cimg5731

今では国立博物館前の大通りと言ったイメージだ。

その大通りを一人歩きながら、1968年のことを思っていた。

自由を求める数万の人々が、この広場に集まった。Cimg5733

その人々の熱気で氷が融け始めたその時、ソビエトの戦車がこの広場を埋め尽くした。

その戦車隊の前で焼身自殺を遂げた青年がいた。

大学生ヤン・バラフであった。Cimg5734

ヤン・フスを想起させる彼の焼身自殺は、世界中に大きなショックを与えた。

だがプラハの春は、一瞬のうちに戦車に踏みにじられてしまったのだ。

その通りに、ホテル「ヤルタ」があった。Cimg5699

世界の巨頭が集まって、第二次世界大戦の戦後処理を決めたあのヤルタに因んでいる。

そのヤルタはウクライナだったかと思うが、この大通りのヤルタは何故か印象的であった。

プラハの人々は、今朝も何事も無かったかのようにトラムやバスで出勤していく。Cimg5700

歴史は、常に過去のものなのだ。

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2008年6月 8日 (日)

歴史の街プラハ

世界で一番美しいと言われる古都プラハ。Cimg5692

この街は、ボヘミヤを統一したヴァーツラフ一世から始まる。

その歴史の城が、プラハ城だ。

第一次世界大戦勃発と共に、ハプスブルグ帝国が崩壊。Cimg5711

そして、ワシントンでチェコスロバキアの独立を宣言したのが、初代大統領マサリクだ。

人々はそのマサリクを「祖国の父よ城へ来たれ」とプラハに迎えた。

そのマサリクの像が、プラハ城の広場に建っている。Cimg5721

だがその後のチェコは、苦難の連続であった。

1939年には、ナチスによって占領される。

そして1945年からは、教唆か問う支配による重苦しい時代が続く。Cimg5739

そして一時の春を押しつぶしたのが、1968年8月のソビエト軍のチェコ侵攻だ。

そう言えば、この国の苦難は1415年のヤン・フスの火刑に始まっている。

旧市庁舎広場に、ヤン・フス達の群像がある。Cimg5745

当時のローマ教会の腐敗は、目をおおうばかりだったはずだ。

その腐敗を糾弾し、本来の宗教のあり方を語ったのがヤン・フス達である。

だがローマ教皇は、そのフスをローマに呼びつけ、そのまま異端の罪で火あぶりにしてしまう。Cimg5746

その無法を糾弾するために、プラハが決起するのだが、結果としてハプスブルグ家の支配下に組み込まれてしまう。

600年の永きに渡って、思うに任せぬ時代が続いたことになる。

そのヤン・フスの正論は、マルチン・ルターよりも100年も前のことなのだ。

今、ヤン・フスは英雄的存在なのだが、歴史と時代に切ない思いがしてくる。

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2008年6月 7日 (土)

タイムスリップした街

南ボヘミアの古都、チェスキー・クルムロフの事である。Cimg5691

チェコのオーストリアとの国境近くにこの街はある。

時の領主クルムロフが築いた城を中心に広がる城下町だ。

その城下町が、700年前の中世そのままに残されていた。Cimg5675

城も、辺境の街にしては大変な規模である。

プラハ城を大阪城とすれば、熊本城か姫路城に相当するだろうか。

その城もそうだが、その城下町が昔のままの姿で息づいている。Cimg5677

ヴルタバァー川に囲まれたそのエリアの景観が、又何とも言えぬ雰囲気を醸している。

この街に、世紀末の画家エゴン・シーレの博物館がある。

彼の母親がここの出身で、シーレもこのクルムロフを数多く描いている。Cimg5681

シーレは、28歳で夭折するのだが、私の目からするとショッキングな絵を沢山残している。

自己を凝視すると言うか、感性や煩悩をそのまま正直に描いてしまう。

それ故に、彼の評価は常に二分されている。Cimg5678

こんなに美しい景色を描きながら、人間、特に女性には特異なまなざしを向けている。

クルムロフでシーレを観る、このチョツトミスマッチなところが何とも言えなかった。

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2008年6月 6日 (金)

楽友協会の夜

ウィーン・フィルハーモニーの本拠地である楽友協会の小ホールで、モーツアルトを聞くことが出来た。

毎年世界中に中継されるニュー・イヤー・コンサートの会場になる所だ。Cimg5661

世界一の格式と音響の良さを誇っているが、1870年に建てられたものだ。

小一時間ほど開場を待って、19世紀そのままのホールに着席する。

満席である。Cimg5664

しばらくすると、宮廷での演奏もさぞやあらん衣装で楽団が入ってくる。

もちろん指揮者も、歌唱者も同様である。

王侯貴族や教会の庇護の下で、ウィーンで花開いた音楽。Cimg5663

まさに、マリア・テレジアのもとでハプスブルグ家の絶頂期であった。

ウィーンの良き時代と言ってもいいだろう。

そんな時代を彷彿とさせるモーツアルトの音楽を2時間近く楽しんだ。

そして最後には、ヨハン・シュトラウスのフィガロの結婚、Cimg5659

美しき青きドナウ、ラディツキー行進曲もサービスしてくれた。

それにしても、オーストリアの人口は810万人に過ぎない。

然るにウィーンには、国立オペラ座をはじめ楽友協会、Cimg5660

ブルク劇場やコンツェルトハウス、アカデミー劇場など実に多くのホールがある。

そして、いずれのホールも世界中から観客を集めているのだ。

音楽の都ウィーンは、観光客を引き付けるのが上手だと言うべきだろうか。

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2008年6月 5日 (木)

うたかたの恋

「ウィーンの森の物語」などと言われたりするから、ウイーンの街の中に森があるのかと思っていた。Cimg5651

だが、ドイツ語で「森」とは標高600m以上の山並みを意味するのだそうで、私達のイメージとはかなり違う。

ウイーンの森は、ウイーンからアウトバーンを一時間ばかり走った所に広がっていた。

アルプスの南麓と言っても良い。

そこにハプスブルグ家のお狩場があった。Cimg5657

1889年、その狩猟の館で一つの事件があった。

ハプスブルグ家の皇太子ルドルフ(31歳)が、17歳の男爵令嬢jマリー・ヴェッツェラと心中したのだ。

跡継ぎを失ったエリザベートは、止む無く甥のフランツ・フェルディナントを皇太子にする。

そしてその皇太子が、サラエボでテロの銃弾に倒れる。Cimg5658

このテロが 、第一次世界大戦の引き金となったのである。

ただでさえ政情不安な中で起こった心中事件は、様々な憶測を呼んだ。

暗殺説やらも含めて映画にもなったし、宝塚の題材にもなった。

いま、心中のあったマイヤーリンクは教会になっている。Cimg5652

その山里の入り口には、メイバウムが初夏の風に揺れていた。

ところで、そのウィーンの森にシューベルトの楽曲に因んだところがある。

彼が「菩果樹」を作曲した水舎小屋が残っているのだ。

「♪水舎小屋の前、泉に沿いて茂る菩提樹・・・♪」のアレである。Cimg5653

驚いたことに、泉は単なる井戸であったし、水舎小屋は大きな製粉施設であった。

ドイツ語で泉は、井戸でもあるし噴水でもある。それに水舎小屋は、日本のそれとは違う。

パンにするための小麦を製粉する工場は、村の重要な施設で大抵は領主が管理していた。

シューベルトは、その「水舎小屋」に下宿していたのである。

私達のイメージとは、大変なギャップがあるものだと感心してしまった。

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2008年6月 4日 (水)

音楽の都ウィーン

ウィーンは、音楽の都である。Cimg5619

ハプスブルグ家、特にマリア・テレジアなどの音楽好きが、この地に音楽家を呼び寄せた。

モーツアルト、ヨハン・シュトラウス、シューベルト、ベートーベンなど多くの音楽化がここで曲を書いた。

そういう意味では、ハプスブルグ家の富が、近代音楽を生み出したとも言える。Cimg5640

ところでリング(城壁跡)を一周すると、そうした音楽家を含めて様々な銅像にお目にかかる。

オペラハウスを起点に右回りすると、先ずはゲーテの坐像、

モーツアルト像は、ホーフブルク宮殿の横にある。Cimg5649

そしてその宮殿の前の美術史博物館には、マリア・テレジアの像がそびえている。

国会議事堂、教会のような市庁舎を過ぎるとウィーン大学である。

この大学は1385年(日本の南北朝時代)の設立と言うから、大学の黎明期であろうか。Cimg5646

そしてノートルダム寺院そっくりのヴォラティーク教会があって、ドナウ川の運河に至る。

旧陸軍省の前には19世紀の英雄ラデッキー将軍の像がある。

そして市民公園の広場には、あの「美しき青きドナウ」のヨハン・シュトラウスの像がある。Cimg5614

実はドナウ川は、決して「美しき青き・・」とは言い難い。

シュトラウスのイメージは別の川だったのだが、商業主義が優先したんだろうか・・。

ところで、油の卸もとの一つであるOPECの本部も、このウィーンにある。Cimg5633

何とか、投機主義を脱して増産へのハーモニーが出来ないものだろうか。

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2008年6月 3日 (火)

ウィーン

ハプスブルク家は、ルドルフ一世以来640年間、この地を都としてきた。Cimg5609

最盛期には、欧州の大半をその領域としたのだから、富の集積の程が知れる。

その集積した富を、このウイーンに注ぎ込んだ。

第一、人口160万人ほどのこの街に、宮殿が三箇所もある。Cimg5613

シェーンブルン、ホーフブルク、そしてベルヴェデーレ宮殿である。

山手線の内側に、皇居が三箇所あるようなものなのだ。

そしてシェーンブルン宮殿は、ベルサイヤ宮殿を凌ぐことを目指して造られた。

その部屋の数は1441もあるし、裏庭の広さだって1.6平方キロもある。Cimg5628

ナポレオンがウイーンを占領した時には、ここを拠点としたし、皇女マリー・ルィーを妻にしている。

生まれた一人息子は、この城に軟禁され21歳で病死している。

今この宮殿の大部分は、幼稚園、学校,役所、そしてアパートととして利用され、Cimg5625

180世帯が住んでいるそうだ。

宮殿の住み心地は如何なものかとは思うが、それほど広いのだ。

裏庭は、市民の格好のジョギングコースになっている。Cimg5630

リングの中にあるホーフブルク宮殿は、現在の大統領官邸を兼ねている。

だがその庭では、ビアホールが開店しているし、カフェも賑わっている。

大統領は、一体どこにいるのかと不思議に思ってしまう。Cimg5643

ベルヴェデーレ宮殿は、オイゲン公の離宮だったが、今は市民広場になっている。

要するにウイーンは、贅を尽くした宮殿や関連施設で溢れているのだ。

世界の都市で、かくも傑出した輝きを放つ所は無いかもしれない。Cimg5648

人を圧倒してしまうような、荘厳さを持っているのかも知れない。

例えば、100年ほど前に建てられた市庁舎にしてからが、

教会そこのけの桁外れの装飾性を持っている。

そして、その地下のレストランですら、美術館を思わせるほどのものだ。

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2008年6月 2日 (月)

くさり橋

ドナウ川は、大河である。Cimg5542

ドイツに源を発し、オーストリア、スロバキア国境、そしてハンガリーを縦断して、

せルビアを流れルーマニアで黒海に注ぐ。

ヨーロッパの大平原を、ドナウはゆったりと流れている。Cimg5564

そして、この川に架かる橋は、戦争になると戦略的に重要な意味を持つ。

だから戦争の度に、ドナウに掛かる橋は爆撃によって破壊されてきた。

ブダペストを象徴するこのくさり橋も、何度も破壊されている。Cimg5535

国民的英雄セーチェニ伯爵の提唱で、最初に完成したのは1849年である。

だがオーストリア(ハプスブルグ家)との独立戦争で一部破壊され、

第二次世界大戦では、ドイツ軍の爆撃で破壊されてしまう。Cimg5538

1949年には現在の姿に修復されたのだが、1989年のハンガリー動乱では、

この橋はソ連戦車の流入口となった。

そして1989年、ソ連から開放された日、市民は赤と白・緑の三色旗を持ってこの橋に集まった。Cimg5565

この国の事変には、必ずこの橋が関わっているのである。

彼らの橋に対する感情は、私達とは相当に異なるものなのだ。

ところで、ハンガリーではビールで乾杯をすることは無い。Cimg5524

乾杯は、ワインと決まっている。

それは、かつてのオーストリアとの戦争に由来する。

オーストリア軍は、ハンガリーの領主を一人殺す度に「ビール」で乾杯したのだそうだ。

ハンガリー人は、オーストリアにもドイツにもロシアにも複雑な思いを抱いているのだ。

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2008年6月 1日 (日)

ハンガリーの国民車

それから、地下鉄でオーブタ地区のモスクワ広場に。Cimg5575

ロシア嫌いのハンガリーにしては、ソ連時代の名称がそのままになっている。

オーブタ地区は、山の手と言った感じで市民の町である。

ここでマーケットを訪れた。Cimg5574

勿論昔と違って、品数も豊富だし輸入品も数多い。

ここで顔なじみの本田さんは、店の主人達から声をかけられる。

「奥様、あなたの手に口付けを!」と言っている。Cimg5588

なんとなくこそばゆい思いもするが、宮廷の言葉が今に続いているらしい。

市民の営みに心引かれながらも、今度はバスでドナウの川岸に。

ここで対岸の国会議事堂を眺めながら、一休みである。Cimg5589

目の前のドナウは、とおとおと流れている。

もう午後の6時過ぎなのだが、日はまだ高い。

エルジェーベト広場に戻って、再び地下鉄に乗ろうとした。Cimg5592

すると屈強な大男が二人、私の前に立ちふさがった。

いかつく厳しい目つきである。

何事かと思ったら、「切符を見せろ!」と言っていた。Cimg5593

ポケットを探って一日共通券を見せると、いかつい顔がにこりと笑った。

ブダペストでは、バスもトラムも地下鉄も、全て改札も集札も無い。

何時の間にか、乗り物はただだと錯覚してしまう。Cimg5598

事実無賃乗車もかなりあるらしいのだが、時に怖い検札があるのだ。

ところで、ハンガリーを走っている車の六割はスズキだ。

欧州では珍しいのだが、十数年前スズキの修社長(現会長)がここに工場を作った。

今でもハンガリー唯一の自動車工場で、近く日本にも輸出を始めるのだそうだ。

自分達の国で生産する車、それはスズキだけなのだ。

戦争によって国土が三分の二にされ、数百万人の国民が他国の少数民族になった。

コマーロフと言う街なぞは、ドナウ川を隔てて町の半分がスロバキアになってしまった。

ドナウの橋は落とされてしまうし、自分の畑に行くのにも旅券が必要になった。

そんな積み重ねがあるだけに、愛国心は私達の何十倍かもしれない。

十年ほど前になるが、鈴木修さんに浜松グランドホテルでハンガリーのワインをご馳走になったことがある。

ハンガリーに進出して間もない頃だったのだと思う。

そして今や、スズキはハンガリーの国民車である。

そんなこんな、本田夫妻には夜遅くまで、大変なお世話になってしまった。

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