ハンガリーの国民車
ロシア嫌いのハンガリーにしては、ソ連時代の名称がそのままになっている。
オーブタ地区は、山の手と言った感じで市民の町である。
勿論昔と違って、品数も豊富だし輸入品も数多い。
ここで顔なじみの本田さんは、店の主人達から声をかけられる。
なんとなくこそばゆい思いもするが、宮廷の言葉が今に続いているらしい。
市民の営みに心引かれながらも、今度はバスでドナウの川岸に。
目の前のドナウは、とおとおと流れている。
もう午後の6時過ぎなのだが、日はまだ高い。
すると屈強な大男が二人、私の前に立ちふさがった。
いかつく厳しい目つきである。
ポケットを探って一日共通券を見せると、いかつい顔がにこりと笑った。
ブダペストでは、バスもトラムも地下鉄も、全て改札も集札も無い。
事実無賃乗車もかなりあるらしいのだが、時に怖い検札があるのだ。
ところで、ハンガリーを走っている車の六割はスズキだ。
欧州では珍しいのだが、十数年前スズキの修社長(現会長)がここに工場を作った。
今でもハンガリー唯一の自動車工場で、近く日本にも輸出を始めるのだそうだ。
自分達の国で生産する車、それはスズキだけなのだ。
戦争によって国土が三分の二にされ、数百万人の国民が他国の少数民族になった。
コマーロフと言う街なぞは、ドナウ川を隔てて町の半分がスロバキアになってしまった。
ドナウの橋は落とされてしまうし、自分の畑に行くのにも旅券が必要になった。
そんな積み重ねがあるだけに、愛国心は私達の何十倍かもしれない。
十年ほど前になるが、鈴木修さんに浜松グランドホテルでハンガリーのワインをご馳走になったことがある。
ハンガリーに進出して間もない頃だったのだと思う。
そして今や、スズキはハンガリーの国民車である。
そんなこんな、本田夫妻には夜遅くまで、大変なお世話になってしまった。
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<スズキ自動車の世界戦略とコスト戦争>
60年代 アルト42を引っさげて二輪から四輪車分野に
挑戦。婦人層にターゲットを絞り込み、チョツト 無理すれば便利さとカッコいい車社会で満喫ををキャチフレーズに 40万円台の乗用車売り上げ好調スタート、世界への礎を築いた。
スズキの売上高は3兆円(純利益900億円)、世界で300万台の車販売。一台あたりの利益(3万円)は一台に搭載される部品点数2万点とすると部品一点あたり「一円50銭」。こんな仔細の積み重ねから鈴木修スズキ会長の明快な車の世界戦略が始まる。この勢いはインド、アフリカにも及ぶ。
さて、このコスト意識と戦う世界戦略、行政公務員社会の保身と危機感の無さに「蒙省」を促す。
☆ モチベーションアップへ
最も強いものが生き残るのではなく
最も賢いものが生き延びる訳でもない
唯一、生き残るのは変化出来る者である (ダーウイン)
☆ こんな言葉か瞬間 走った。
投稿: 静岡の老婆心 | 2008年6月 3日 (火) 18時11分