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2008年9月30日 (火)

人とその環境

江戸の昔「田舎の十年より、江戸の昼寝一年」などと言われたそうだ。Cimg6318_2

それだけ、情報の集まる江戸には価値があると言う訳だ。

私の場合にも、かつては情報の洪水の中で暮しているようなものだった。

それが今、極限られた情報の中で生活している。

限られた情報の中で考えることは、自ずと制限されたものになるのだが・・・・。Cimg6311

江戸の昔、自由と権利という言葉と概念を創ったのは、福沢諭吉だ。

攘夷熱と新撰組が跋扈していた頃、慶応二年の「西洋事情」によってである。

封建の世の当時、この国にリバティとかライトなどと言う概念の片鱗もあるはずが無い。

しかるに福沢は、西洋の書物を読み、咸臨丸での渡米などを通じて、Cimg6312

西洋発展の原動力が、この自由と権利にあると見抜いたのだ。

けだし、卓見と言う他無いだろう。

幕末の思想家吉田松陰は、限られた情報の中で憂国の熱い思いを醸し、

松下村塾と彼の行動を通じて、長州人の価値観を倒幕へと大きく変えてしまった。Cimg6310

松蔭は、伊豆下田港でアメリカ艦への密航に失敗し、29歳の若さで刑死している。

明治維新への先駆けとなったのだ。

ともあれ私達凡人は、求めて価値ある情報を浴びなくっちゃいけない。

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2008年9月29日 (月)

食い物の調達

一昔前まで私達はみんな、その地域で採れた物を食べて生活していた。

到来ものは貴重なもので、それを食べるなんてことは希なことだった。Cimg6307

それが今日、中国産のメラミン入りの粉乳や汚染米も含め、

生鮮野菜ですら世界中から買っている。

家畜の飼料に至っては、ほとんど全てが輸入と言ってよい。

日本の四方は海で大水産国のはずだったが、魚も過半は輸入になっている。

何でそうなったかと言うと、安い食材を世界中に求め続けた結果だ。Cimg6305

もちろんその安さは、安全を度外視した結果でもある。

私達の食べ物を、単なる餌と軽く扱ってきたのだ。

食材には、自ずと風土と言うものがある。

見かけではなくて、どんな土で誰が、どの様な気候のもとで作ったのかなど、

内容成分も違うし、食する人間への栄養環境も違ってくる。

ところで今、赤提灯ならぬ「緑提灯」がブームになっている。

と言っても、まだ全国で1,400余店でしかないが、

それでも、この緑提灯が急増している。

緑提灯を掲げると言うことは、国産食材・地場産品を応援すると言う宣言だ。

そしてこの運動を支援する「緑提灯応援隊員」は、躊躇なくこの店を贔屓にする。

中央農業総合研究センターの、丸山所長の発案で始まった運動だ。

丸山さんの遊び心が、食を考え議論する契機を広げている。

ちなみに私も、緑提灯応援隊員の一人だ。

腹が膨れりゃ良いってもんじゃない。

食と言うものを、日本人はもっと真剣に考えるべきなのだ。

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2008年9月28日 (日)

ウバメガシ

姥目樫と書く。Cimg6303

樫の木には、赤樫とかいろいろと有るけれど、

この姥目樫が、最も野生的である。

その名の通り、肌は荒々しい。

だけどこの樹は、逆境に耐えて育つ。Cimg6302

大変硬い樹だから、昔から備長炭の材料になってきた。

私のホームコースは、小笠山の尾根道だ。

その尾根道には、この姥目樫がずっと群生している。

小笠山は太古の昔、大井川の河口が隆起した三角州だ。Cimg6304

だから私の走っているのは、河原の石で成り立っている痩せ尾根だ。

礫ばかりだから、雨がなければ直ぐにからからになる。

その乾燥に耐えて育つのが、姥目樫なのだ。

休日の度にその尾根道を走りながら、「頑張ってるな!」と声をかける。

樫の樹と、そして自分にである。

日照りの年もあるし、嵐だって有る。

そんな自然の試練を耐え抜いてきた彼らは、実に性強く見える。

「我、かくありなん」と思うのだが、まだまだ甘っちょろい。

彼らに諭されながら、私の週末は過ぎていく。

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2008年9月27日 (土)

秋色

我が家の周りは、おおむね水田である。Cimg6301

その田の稲がほとんど収穫を終えて、稲穂の景色が一変してしまった。

それに今朝から、寒さすら感じるほどグッと冷えた。

そんな訳で今朝は、季節の移ろいの早さを特に意識させられたのだろう。

思えば既に、定年を迎えて6ヶ月を経ている。Cimg6300

3ヶ月の休暇とその後の三ヶ月。

日々考えることも、行動も試行錯誤だったような気もする。

幾ばくかは迷い、出来ることも限られて、あちこちに突出したりもしてきた。

引退を表明した小泉元首相が、ドン・キホーテのファンだと知った。Cimg6299

私は県の職員だったが、随分と役人らしからぬことをやってきたと思う。

一種、ドン・キホーテのような冒険もしてきた。

要するに、あんまり利口な役人ではなかったのだ。

その私が、これからどうするか考えるのが、この6ヶ月だったはずだ。

はてさて「夢実りがたく 敵あまたなりとも 我は勇みて行かん」

と、ラ・マンチャの様に出来るのかどうか?

時の移ろいの中で、正直この身を処しかねているのかも知れない。

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2008年9月26日 (金)

三間考

間抜けとは、「あほったれ」ほどの意味だろう。

でも間が抜けると、何故あほなのか?

「間に合う」という言葉もあるから、「間」とは時間でもある。

一日・一年を、どう過ごしたかと言うこと。

つまらない時間を費消していたとしたら、それは正に間抜けだろう。

私を含め、人生の時間を浪費している場面は案外多いかもしれない。

それに、どんな所で過ごすのかと言う意味で、空間も大切なことだ。

ホッとできる所、美しい景色、十分に能力を磨ける環境、

朱鷺が羽ばたく大空などは、当然あら間ほしき空間だろう。

そしてその空間は、時間の使い方如何で、広がったり縮んだりもする。

さしずめ交通機関の発達は、私達の生活空間を大きく広げた。

もう一つ肝心なことは、人と人との間だと思う。

どんな人間関係を構築するかは、その人の人生そのものと言える。

支えあって生きるのが人だけれど、その絆は糸が半分と書く。

後残りの半分は、信頼と言う見えない糸なのだそうだ。

この糸を繋げるのは、その人の志だろうか。

そう! 信頼の上に成り立つ豊かな人間関係ほど、幸せな間は他にない。

人生色々だけれど、豊かな時間、豊かな空間、そして豊かな人間関係こそ、

私達の究極の目標かもしれない。

つまり、誰と何処でどんな時間を過ごすかってことかな・・・・・。

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2008年9月25日 (木)

人生の旬

猛暑が去って、稔りの秋を迎えている。

一年で最も、旬の食材が豊富になる時期だ。

リンゴや柿、栗や柑橘などの果実は勿論のこと、地味な野菜にも注目したい。

特にサトイモやナス、ゴボウ、キノコは、殊更な旬だろう。

里芋のあの独特のぬめりの成分は、ムチンという解毒作用のある酵素で、

肝臓や腎臓を丈夫にしてくれる。

秋茄子のあの紫は、アントシアニンでコレストロール値を下げてくれる。

牛蒡だって、植物繊維の塊だ。

茸は、ビタミンやミネラルの宝庫だ。

要するに旬の野菜には、夏の疲れを癒す素材が揃っている。

ところで話は、人の生き方である。

養生訓で有名な貝原益軒が、人間の秋について書き残している。

彼は「人間は、60歳からが収穫期なのだ」と言っている。

事実彼は、60歳からの26年間に52冊の著作を残している。

人生色々と経験してきて、落ち着いて物を見極め、

着実な仕事が出来るのが60歳からという見本でもある。

つまり人間の旬は、60歳からだと思わなくっちゃいけない。

旬の野菜を頂きながら、随分と元気が出たような気分である。

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2008年9月24日 (水)

ヒューマンスキル

私達の日常は、喜怒哀楽の繰り返しかもしれない。

とは言え、腹を立てる毎日だったり、泣いてばかりいたって進歩はない。

出来るものなら、笑って体を動かして、「よし、やろう!」と前向きに歩きたいものだ。

要するに、肯定的な生き方が健康にだって良いだろう。

佐藤富雄著「いい言葉は人生を変える!」によると、

前向きな人生のためには、自分の夢を常に言葉で表現するのが肝心だと言う。

何故なら、言葉が人の意識を作っていくからだ。

例えば「愛してる」と言った瞬間から、愛はより具代的なものになる。

「俺は、100kmを走るぞ」と言ってしまえば、体はその準備を始める。

難しいと思っていたことも、やがては実現していく。

ならば、夢があったら口に出して語ることだ。

思っているだけでは駄目で、ともかくも口に出すことで一歩前に出る。

口は災いの元ならぬ、実現の端緒になるのだ。

つまり、人生はその意識によって切り開かれるのだ。

よし私も、朝起きたら「今日も、良いことがあるぞ~」って叫ぼう。

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2008年9月23日 (火)

彼岸の山

空気も秋らしくなって、珍しく秋晴れの彼岸になった。

今日も、小笠山の尾根道を走った。

緑陰のトンネルを走り出すと、細胞の一個一個までが生きているという感じになる。

人間が生きているというのは、こういう事だと思ってしまう。

人間の脳は、そのことに集中すると他のことは見えなくなるものだ。

例えば、大変面白い話を伺ったりしていると、後にその話し手の服装を思いだせなかったりもする。

私達の頭も、相当の選別性・指向性を持っているのだ。

頭のレーダーを特定の所に向けると、他のことは眼中になくなる。

煩悩も名誉欲も、はたまたこの社会に対する意欲も同じだろう

山を走りながら、様々なことを思っている。

家族のこと、私のこれからの生き方のこと、そしてこの街の事だったりする。

時折、大きな蛇が路上に現れて、私の瞑想は中断するのだが。

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2008年9月22日 (月)

遠州人気質

遠州の人間は、俗に「やらまいか精神」などと言われる。

結構短兵急で、結果よりもアクションなのである。

駿河の人間は、その逆に近いのだが。

大学の遠州人同窓の会に顔を出した。

と言っても、私なぞは最も若い方の部類である。

功なり名遂げて、旭日双光章などを戴いた方を含め、

それぞれ各界でその世界を広げてきた方々ばかりだ。

世代も職種も違うのだが、思いの他この会はよそよそしくない、

言うならば、会を重ねてきて一定のコミュニティーになっているのだろう。

それに、一人ひとりの人生遍歴を伺い知ると、

現在進行中を含めて、各人それぞれのドラマを背負って生きている。

「人生、如何に生きるべきか」などと言うことは、太古の昔からの大命題だ。

そのドラマは、時々の判断一つで大きく進路を変えていく。

だが、これ我が身のことであったりすると、

途端に、小説を読むような訳にはいかなくなるものだ。

人生、平穏無事が一番なのだが、それだけで生きたと言えるのかどうか?

深刻に考えなければならなくなった。

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2008年9月21日 (日)

天竜ウルトラマラニック

先週に続くウルトラである。

が、今日は朝から雨になった。

山の天気は変わりやすく、時に強く、時にパラパラと降り続いた。

その雨を突いて午前8時、遠州鉄道西鹿島駅前を元気にスタートする。

岩水寺から森林公園を抜けて、阿多子川沿いにひたすら登っていく。

阿多子川は、柿田川と並んで清流百選の一流である。

土手には彼岸花が咲き、苔むした岩を縫って疏水が流れている。

途中24km地点に、「くんま水車の里母さんの店」がある。

そこで小休止してさらに登り、横山方向に回って天竜川を下る。

走り終わってからは、天竜舟下りに懇親会まである。

要するに、アットホームな人と人が和むマラニックなのだ。

特に今回は、参加者の半数は女性であり、その分姦しい大会であった。

私も、多いに楽しませて頂いた。

楽しんだのだが、先週の疲れが抜けないのか、思いの他疲れた50kmになったようだ。

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2008年9月20日 (土)

人に優しい農業

どんな人であれ、働くと言うことで社会に役立ちたいと思っている。

自分の存在価値を、何らかの形で表現したいと思っている。Cimg6289

人とかかわって、自分の役割を果たすことで、人の中で生きたいと希求している。

しかるに、その機会が与えられないとしたら、その社会のシステムがおかしいのだ。

政治と言うものは、社会の構成員全体が、皆のために働けるようなシステムを創る為にある。

今夜、京丸園(株)の鈴木厚志社長の話を伺った。

彼は今、43歳である。

障害者16名を含め、50人余の従業員のために日夜奮闘している。

そして業種は、「農業」である。

彼は、「農業は人に優しい産業だ」という。

何故なら、どんな人だって畑で倒れるまで、生きがいを持って働ける。

そして肝心なところは「働きたい人をどんな人でも受け入れられるようなシステムを創る」ことだという。

どんな人だって「人間は捨てたもんじゃない」と、涙がこぼれるようなことを言う。

勿論、今日の経営を簡単に作ってきた訳じゃない。

立ち止まり、悩み、苦しみ、そして今日に至っている。

若い彼の語る言葉には、人間と言うものの真髄が織り込まれていた。

「艱難、汝を玉にす!」であろうか。

はてさて、私達に何が出来るだろうか。

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2008年9月19日 (金)

食と経済

朝飯をキチッと食べる子供は、統計的に学校の成績が良い。

それと同じで、普段何を食べているのかで、人間の行動や思考も違うらしい。

ファーストフードで済ませている人は、やはりそれなりの発想でしかなくなる。

好きなものだけしか食べない偏食漢は、新しいことに挑戦できないだろう。

それにしても、食の環境は随分変わった。

回転寿司では勝手食いだし、

最近では「好き嫌いするな」と言う声さえ聞かれなくなった。

そういえば、肥満やメタボも「食と自己管理能力」の成せる業だ。

話の角度はやや変わるが、経済のグローバリズムを主導してきたのは、

食にこだわりの無いファーストフードの国々だ。

ちなみに英米両国では、微妙な味なんてものはおよそ頓着しない。

その国が、証券化商品なるものを発行して、信用力の化粧を施して、

これを世界中に買わせた。

そうして、世界に冠たる金融帝国を築いたのだが、

そのグローバリズムが、今日の世界の経済的苦境を作りだしてしまった。

まかり間違えば、金融恐慌に突入しかねない。

一方、地産地消のスローフードの地域は、結構ここでも踏みとどまっている。

とは言えこの日本でも、家族のあり様が変わったりして、ファーストフードが増えている。

清貧は経済を発展させるバネになるし、飽食は経済を衰退させる兆しだろう。

食はやはり、文化と経済の原点なのだ。

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2008年9月18日 (木)

米政策を正す!

黄金色の稲穂が垂れ下がり、収穫の真っ最中である。

ヒエの繁茂で心配だった近所の直播栽培も、

480kg(8俵)/10a近くの収穫量らしい。

稲作技術革命の先駆けになるのではと期待している。

それはともかく、「事故米」なるものの騒動には誠に腹が立つ。

そもそも何故、農薬汚染米を輸入したのか。

それをカビが生えるまで、何故保管していたのか。

その保管費用にもならないような価格で売った米が、何故化けて出てきたのか。

大体において、国産で有り余っている米を輸入しなくちゃならないことが変だ。

さらにはそれを「政府が保管」する仕組みがおかしい。

米は、直ちに輸入を自由化すべきだ。

そうすれば、政府が輸入(ミニマム・アクセス)する必要が無い。

当然、米の価格は相当に値下がりする。

消費者は、小麦のパンよりも安い米食に傾斜するだろう。

それに米粉パンだって、胸を張って店頭に並ぶようになる。

だから、米の消費量は大幅に増えるだろう。

食料自給率だって、50%は優に超えるはずだ。

その上で、米の生産者には十分な生産費価格差所得補填を行えばよい。

消費者は安い米が食べられるし、米の消費も増える。

生産者も経営の安定はもとより、経営努力のし甲斐がある。

なおかつ、無駄な米を輸入する必要が無くなる。

既成の概念を脱して、決断すべき時が来ている。

自民党の総裁選で、誰もそのことに触れないのはどうしてだろうか?

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2008年9月17日 (水)

ブログの890日

ブログを書き続けて、900日近くになる。

それがしばらく前から、写真のアップができなくなった。

1MB以上の掲載が出来ないと言うのだ。

既に3,000枚近い写真を貼り付けてきたからだろうか?

早速、昔の写真をはがしに掛かった。

それでも、プロバイダーの方は受け付けてくれない。

と言う訳で、写真なしのアップが続いている。

写真がなくなったことで、書く事が余計に理屈っぽくなった。

写真の分を伝えたくて、ついついそうな風になってしまうのだ。

何事かを伝えたい !・・・そんな気持ちで書いてきた。

それがもう既に、二年半である。

時の流れの速さに驚くばかりだが、

日々書き続けることで、私も少しは進歩できるのではないかと思っている。

何時まで続くか、自分との勝負でもある。

そういえば、14日の100kmウルトラマラソンの高揚感が未だ続いている。

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2008年9月16日 (火)

人の居所

リーマン・ブラザーズの破綻で、私達も多少の影響を受けるように、

人間は、一人では生きようもない。

それにも拘らず、孤独な生き方を強いられている人は数知れない。

東京の無差別殺人もその吐け口だったが、何故そんな人間が増えるのか?

それは、孤独で生きようもない人間が、孤独を強いられているからだ。

職場の人間関係だって縦糸が切れてみれば、共通の話題すらなくなってしまう。

或いは案外、その職場自体の虚飾を自覚しながら生活しているのかもしれない。

祭りもその吐け口なのだが、場合によってはその祭りだって孤独を際立てかねない。

かつての農耕社会では、孤独などという言葉すら不用であった。

人々が力を合わせなければ、生きていけなかったからだ。

今の社会、家族ですらそれぞれ別の社会に生かされている。

けっして、運命共同体ではないのだ。

その繰言はともかく、これからの高齢化社会では、

この居場所をどうするかは、厄介な問題だと思う。

人間の精神は、TVや新聞だけを相手に暮す訳には行かないのだから。

この点私なぞは、走友の存在に随分と助けられている。

一昨日のウルトラマラソンだって、電話やメールの励ましが続く。

励ましたり心配したり、時には喧嘩も出来る。

誠に得難い仲間なのである。

人には、自分の巣というか、心の居場所がどうしても必要だ。

その居場所をつくるのが、人の生涯の目的と言っても良いかも知れない。

だが、その人に与えられた時間は限られていて、

釈迦力になって自分の居場所を広げようとしても、自ずと限りがあるだろう。

それでも、共に馬鹿になれる仲間を作らなくっちゃいけない。

それが、人の居場所なのだ。

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2008年9月15日 (月)

よお~おやんなさる!!

丹後の皆さんが呆れていた。

まほろばの丹後を100km走った後「よお~・・」と言われたのだ。

この暑い中を、しかも100kmも、と言う訳である。

散々体を痛めつけて、体全体が泣き出すようなそんな思いをして、

野を越え山を越え、ひたすら走り続けるのだ。

そんな無茶なことを、やる理由が無くてはいけないのだが。

・・・・・・

そもそも人生と言うのは、実に単調なものだ。

朝起きて顔を洗って、電車で仕事に行く。

仕事先では色々とあるけれど、それも日常の一齣に過ぎない。

友人と一杯やって帰宅したとしても、どうと言うこともない。

そんな単調な毎日を、私達は延々と続けているのだ。

だが、ウルトラマラソンは、そんな単調さとは別物だ。

その1km1kmが、自分との戦いなのだ。

どこで「もう駄目だ。」と妥協するのか否か。

その「駄目」の声を押しのけて、100kmのゴールに辿り着く。

これは単調な人生に活を入れるドラマなのだ。

90km近くに間人(はしうど)と言う集落がある。

聖徳太子の母・間人皇后が大和政権の騒乱を避けて暮した所だ。

今年、この集落の皆さんが、挙って私達ランナーを迎えてくれた。

との軒先にも家族打ちそろって、「よう、頑張ったな~」と声援してくださる。

村の有線放送からは、ランナーを励ます歌が流れている。

単純な私なぞは、これだけで全身から涙がこぼれてくる。

走る側も励ます側も、何がしかの気分を共有しているのだ。

ゴールの後、呆けたような顔をして湯船に浸かりながら、

苦しかった一日を思い出そうとする。

すると、そこには何も無いのだ。

たった今しがたの苦しさが、過去のものになっている。

残っているのは、やり遂げた充実感だけだ。

13時間03分のドラマ。

単調な私の人生は、これで再び元気を取り戻すのだ。

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2008年9月14日 (日)

伝説の裏側

今朝は二時に起床して、四時のスタートである。

夕方のゴールまで、一日中走っているのだが、

そのレースについて書く前に、昨日の続きを書いてしまおう。

実は浦島太郎については、全国各地に伝承がある。

京丹後を始めとして、大阪住吉や伊勢、尾道、横浜や沖縄

それに海の無い長野県木曽郡上松町にまである。

記録としては、日本書記や万葉集にも登場するが、

今日伝わる物語は、室町時代に書かれた「御伽草子」から始まる。

だが何故、全国各地に伝承があるのだろうか。

それは、全国各地に影響を及ぼすような史実があったからではないのか。

おとぎ話は昔々で始まるのだが、浦嶋子は478年に船で蓬莱に渡っている。

竜宮とは、渤海湾に浮かぶ始皇帝の宮殿郡であっただろう。

浦嶋は、そこで夢とも思われるような体験をする。

そこには、天女の舞とおぼしき文化だってあった。

勿論、玉手箱には沢山の土産を詰めてもらう。

恐らくその宝は、製鉄や養蚕の術、稲作の技術だったのではないか。

帰国して玉手箱を開けた浦嶋は、白髪の老人になるのだが、

白髪になるまで技術を伝えた神、猿田彦その人ではなかったのか。

やがて彼の伝えた技術は、五穀豊穣を実現し、この国の人々の生活を一新する。

浦嶋子の実話は伝説となって、各地に伝承されてきたのだと思うのだ。

ここ丹後地方は、安寿と厨子王、羽衣伝説、叙福伝説、大江山の鬼など、物語の宝庫でもある。

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2008年9月13日 (土)

浦島伝説の真実

「♪むかし むかし 浦島は 助けた亀に~♪」

その浦島太郎の本名は、浦嶋子と言った。

丹後の国風土記逸文には、「雄略天皇の治世二十二年秋、

丹後の人、浦嶋子は海の竜宮へと出かけ・・」と記述されている。

もちろん、浦島の生まれた与謝郡伊根町には、浦嶋神社があるし、

その資料館には亀甲紋あしらった玉手箱もある。

そして、雄略二十二年とは、西暦478年である。

弥生時代が終わって、統一国家が始まる大和時代の始めの頃だ。

この年、雄略天皇は、南宋に遣使を送っている。

「宋書 倭国伝」には、「倭国の王位を継いだのだが、高句麗との戦争で

表敬の時期を逸した・・・」と倭国からの書簡に書かれていたと記録されている。

事実、朝鮮半島では、百済が高句麗に攻められて、

大和朝廷は、百済救援の軍を送っていた。

ともあれ風土記では、丹後の国の豪族であった浦嶋子は、

蓬莱から来た亀姫の化身を釣り上げ、乞われるままに蓬莱に出かけたらしいのだ。

実は今日、その伝承の町、丹後の網野町に来ている。

そして網野には、浦嶋を祀った島児神社や乙姫を祀る西浦福島神社があるのだ。

明朝4時、「歴史の街丹後100kmマラソン」は、この網野をスタートする。

どうやら浦島太郎は、実在の人物らしいのだ。

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2008年9月12日 (金)

先を読む・・

この先、時代はどう動くのか?

アメリカ経済は何時立ち直る?

株はどうなる?

将来の年金は大丈夫か?  雇用は?  医療は? などと際限がない。

そんな事がみんな分かれば、誰も苦はないと言われそうだ。

物の本には「先を読むには、私心を捨てて虚心坦懐になれ」とある。

自分の得失にこだわると、本質が見えなくなるというのだ。

例えば「茶業の将来はどうなる?」と言うことでも、

茶生産者は、自分の農業経営を維持することを前提に、

茶商は、自分の商売の継続を前提に、

それぞれ、あらまほしき答を用意してしまう。

自分の現在を否定して考えるなんてことは出来ないのだ。

だから結果として、100年一日の如く同じ繰言になってしまう。

人間は、その現実から一歩離れてこそ、物の本質が見えてくる。

要するに、自分を殺してみることが必要なのだ。

そうして、その時の流れを見極めて、自分を変えてしまう努力をすることだ。

幕末の坂本竜馬の如しである。

さしずめ超高齢化社会になるなら、それなりの処世をしろということだろう。

はてぞろ、そんな風に変われるかな ?

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2008年9月11日 (木)

風霜の力

私自身、風霜と言うほどの艱難を乗り越えてきた訳ではない。

だが、この「風霜」という言葉が気に入っている。

どんな人間にだって、年月は降り積もっていく。

それに月日は、行く川の流れのように彼方のものになっていく。

昨日の慶事も昨日の不幸も、瞬く間に過去の出来事になる。

私達誰もが、止まることのないそんな空間に生きている。

過去を振り向けば、夢幻かと思うようなことだってある。

少年の気分を少しばかり多く持つ私だって、

既に還暦を過ぎて余りある。

馬齢とは、正にこの事かと思ったりする。

人生は、人と人の間に醸されるものだ。

肉親縁者はもとより友人知己との巡り合いの中でこそ、

人生というドラマは進行する。

時に励ましあい、慰めあって今日まで来たはずである。

もちろん、背負った荷物は各人違っていたかもしれない。

でも、みんな性強く共に必死に生きてきたと思う。

団塊の世代が、次々と還暦の瀬を越えていく。

み~いんな、同じような思いではないかと思う。

かの北条早雲が箱根の坂を越えたのは、62歳の歳である。

彼は、62歳から歴戦してあの北条を築いたのだ。

団塊の世代の諸君、これからの時代を創るのは我々なのだ。

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2008年9月10日 (水)

再読

司馬遼太郎の本を読み始めたのは、私が40歳を過ぎた頃だ。

たちまちにして、歯切れの良い文章と、歴史を担った人々の生き様に、

引き込まれてしまった。

そうして「もっと早く、司馬さんの本と出合っていれば・・・」と悔やんだりもした。

以来、司馬さんの書いたものは、無条件に手に入れるようになった。

だから、短編だろうが対談だろうか、ほとんどの著作を読んでいる。

司馬さんの本だけの書棚もできてしまった。

当然、ものの見方考え方だって、司馬さんから相当に影響されているはずだ。

ふとその書棚を眺めていて、この本を改めて読み直してみようと思い立った。

するとこれが又、初めて読んだ時以上に新鮮なのだ。

司馬さんの筋書きの工夫を辿ると、司馬さんが何を言いたかったのかが分かってくる。

勿論、司馬さんの人間を見る目が、行間から生き生きと伝わってくる。

筋を追っかけて読み漁ったの頃とは、相当に味わいが違っている。

すべて読み返すには10年近く要するだろうが、

「人間とは何か」ということを、改めて学ぼうと思っている。

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2008年9月 9日 (火)

幸せは何処に

この日本は、今年あたりから世界に先駆けて、超高齢化社会入りをする。

65歳以上の高齢者が、人口の21%を超えるのだ。

そうして2025年には、人口の1/3もが高齢者になる。

今日の仕組みがそのままなら、働く人(就業人口)も1/3になってしまう。

1/3の人で、年金も税金も負担できる訳がない。

そもそも、60歳定年で、65歳から高齢者だなんて決める方がおかしい。

人それぞれ、望むらくは死ぬまで世のために働こうと思っているのだ。

それを、60歳はケジメですなどと言う。

それは実は、発展途上の若い国で言うことなのだ。

人は誰も、幸福に生きたいと思っている。

そしてその幸福は、働き続けることから得られるのだ。

哲学者ヒルティはその著書「幸福論」で、

「仕事のさなかに倒れることは、老年の正しい過ごし方であり、

およそ人生のもつとも望ましい終結」だと言っている。

それに福祉国家スェーデンでは、

「目標を持って、賢明に働き続けられる」ことを幸福だと定義している。

そう、生涯現役で働き続けられるような仕組みが、

今日の日本に求められているのだ。

世の中を変えなくっちゃならないのだ。

この国に生きる皆のために !

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2008年9月 8日 (月)

糧断の予兆

災いは、忘れた頃にやってくる。

飢えの記憶を持つ世代は、65歳以上だろうか。

飽食の時代が続いてその人達でさえ、食い物が無くなるなんてことは考えもしなくなった。

確かにこのところ、小麦や油など色々な食品の値段が上がっている。

だけど、食い物が無くなるなんてことはなかろう。

その証拠に、スーパーには食品が山積みだし、米だって余っているだろう。

私達は、みんなそう思っている。

だけれど、本当に大丈夫だろうか?

この地球では、人口が毎年7000万人ずつ増えているのだ。

韓国、一国分の人口だ。

それに「油断」も近くなって、穀物のエネルギー向け需要が急増している。

その一方で、作物を育てる農地は、もう広がりようの無いところまで来ている。

それどころか、用水が足りなくなっているし、世界各地で砂漠化が進んでいる。

もちろん、熱波やハリケーンのような気象災害もある。

世界の穀物在庫率は、30年ぶりに15%を割り込んで要注意水準に入った。

そしてこの日本では、農地はどんどん転用して、

農業者は減る一方で、残っている人も65歳以上が6割に達している。

おまけに、この国の食料自給率は40%に過ぎない。

食料を奪い合うようなことが、近い将来起こらないことを祈るばかりだ。

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2008年9月 7日 (日)

縁無きを縁とす

今日は大学時代の、同窓会に顔を出した。

と言っても、顔見知りはほんの一部で大分部は初対面である。

かつて4年間だけ、同じような体験をしただろうと言うだけの縁である。

恐らくは同様の会がそうであるように、日常的に何のつながりもない。

では何故、そんな所に出かけていくのか。

それは「ひょっとして、新しい縁に巡り合うかも知れない」と言うことだろうか。

もとより俯いていたのでは、縁など生まれようもない。

だから縁を求めて、歩き回るのだが・・・・

僅かな時間で、人と人の縁ができるなどよほどの事がなくてはならない。

しかし人間は面白い。・・と言うか、孤独なのかも知れない。

人それぞれだが、こうした会に何がしかの動機で出席するのだ。

折角集まった人達を、程々に満足させて帰すにはどうするか。

これには、何人かを指名しておいて、その人生を語ってもらうことだと思う。

その中に「ああ~、この人はこんな生き方をしてたのか・・・」と思う人が一人でもいれば、

その場は、十分意義あるものになる筈だ。

今日の会は、反面教師だったかな。

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2008年9月 6日 (土)

活力の源泉

灼熱の太陽も、心なしか勢いを弱めている。

沈む夕日を見ながら、自分の活力は何かとふと思った。

もちろん色々とあって、元気が出たりしてるんだけど、

やっぱりその源泉は、健康だと思う。

なおかつ、自分の作り出している健康だ。

人間ドックにいけば、要注意みたいなのは幾つかあるけれど、

基本的には自分でコントロールできると思っている。

その自分の体力への自信、それが私の活力の源泉だと思う。

13時間で100kmを走りきる力がある。

そのことに象徴される体力が、少しくらい苦しいことも跳ね除けられるのだ。

自分のその自信みたいなものが、これからの人生も面白くしてくれると思っている。

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2008年9月 5日 (金)

時は流れて

今夜は、第61回メダカの学校に登校した。Cimg6251

このサロンは、3ヶ月に一度開かれるのだが、

私の側に、色々と変化があった為だろうか。

随分久しぶりと言う気がして、お会いする方一人ひとりをより懐かしく感じた。

もとより人生は、人と人の出合から始まるのだが、

出会いは別れであったりもする。

この学校にお世話になって、もう10年余になる。

この間に、亡くなられた方、出席できなくなった方も多い。

否むしろ、この10年間ずっと顔を出している方の方が少ないだろう。

学校に集まってくる皆さんは、個性豊かな方ばかりで、

何がしかに専心・熟達しておられる。

だが、人は一年一年歳を経る訳で、その活躍の度合いも少しずつ変化してくる。

今日は何故か、そんな時の流れを考えてしまった。

はてさて、そういう私自身、はたして老成しつつあるのかどうか?

どうも、30台のままのような気がしているのだが・・・・。

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2008年9月 4日 (木)

時代の風韻

時代には、男時と女時があるそうだ。eye

そしてそれは、交互に登場してくる。

下克上の戦国時代は、当然のことながら男時と言えるだろう。horse

まさに、波乱万丈の時代だった。

その後の元禄文化の花開いた江戸期は、女時にあたる。moneybag

明治から昭和にかけては、革命と戦争の時代だ。

当然、激動の男時といえる。dash

それに、武士が勃興して公家社会を破壊した鎌倉時代も男時だ。

さすれば、鎌倉と戦国時代の室町時代は女時になる。fullmoon

この室町の200年は、どちらかと言えば印象の薄い時代だ。

だがよく見ると、今日の日本的なる物がすべからく創造された時代なのだ。night

第8代将軍、足利義政が始めた茶の湯もそうだし、

いわゆる礼儀作法、礼式なるものが創始されたのもこの時代だ。fuji

中国から伝わった水墨画が、日本人の風景観になったのも室町からだ。

それに生花や能・狂言、床の間や掛軸、醤油や納豆、豆腐から饅頭に至るまで、

始まりはこの時代からなのだ。

室町時代は、応仁の乱を経て戦国時代に突入するのだが、

その無常観や厭世観から浄土信仰へとつながっていく。

まさに日本人の原点となるような時代なのだ。

ともあれ、高度経済成長期以後の日本は、男時ではなかろう。

さりとて女時と言うには、その機熟せずと言うところだろうか。

私は団塊の世代が、その女時の萌芽を作り出すと思っているのだが・・・。

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2008年9月 3日 (水)

社会と自分

孫達を見ていて、思うこと。

それは、自分の世界を少しずつ広げていくんだなってことだ。

兄弟喧嘩をしたり、他所に遊びに行ったり、

夕涼み会があったり、母親をとりっこしたりである。

そんな風に生活の場面が少しずつ広がっていくと、

思いのままにならないことが増えてくる。

つまり、社会の制約に遭遇する訳だ。

子供達は、そんな事を繰り返しながら成長していく。

そもそも人間は、一人では生きられっこないのだ。

多かれ少なかれ、社会に同化せざるを得ない。

そうして社会に組み込まれるほど、もう勝手なことは出来なくなる。

当然、人との軋轢や利害得失で悩んだりもする。

それが人間と言うものの特質なのだが、

いっそのこと、鴨長明や吉田兼好のように生きられたらと思ったりもする。

自分だけの、ユートピアを夢見る訳だ。

だが、そんなところは何処にもありゃしない。

長明や兼好だって、世捨て人のように装ったが現実は違っている。

生きるということは、かくも大変なことなのだ。

「智に働けは角が立つ、情に棹差せば流される」のだ。

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2008年9月 2日 (火)

衣食足る地に!

今日は、愚痴らずにはいられません。Cimg5698

アフガンの伊藤青年のことだ。

今、アフガニスタンと国境を接するパキスタンのバジュールでは、

タリバンとの激しい戦闘が続いている。

タリバンも、死に物狂いだ。

お陰で、この地域だけで40万人もの難民が出ているという。

もともとタリバンは、アフガニスタンを本拠地にしていた。

そのアフガンが、今年、大干ばつに見舞われている。

そして、国際的な穀物価格高騰もあって、500万人もの人々が餓死に直面している。

その不毛の乾燥地帯に用水路を引き、薩摩芋や野菜を育てる。

外国の援助なしに食料が自給できる村づくり。

それが、凶弾に倒れた伊藤和也さんたちの活動だった。

その若者の熱き思いを、タリバンは封殺した。

畢竟、タリバンは如何なる哲学を持つのか?。

騒乱こそ自分たちの活路と思っているらしいが、

国民を飢えに追いやって、一体全体何が得られると言うのか。

間違った思想も宗教も、人々に大きな不幸をもたらす。

歴史の教訓は、そのことを何度も証明してきたのだが、

人間は、いつまで過ちを犯し続けるのだろうか。

それに、アブドラは彼らを罰しないのだろうか。

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2008年9月 1日 (月)

民族と国土

日本民族は、特異な民族かもしれない。Cimg5606

日本人の多くが、自分達は単一民族だと思っているからだ。

現実は、南方から渡って来た原住民と大陸からの渡来人の混血だ。

だから東南アジアや蒙古、朝鮮族、漢民族など雑多な血が混じっている。

それにも拘らず、国土が海に囲まれているために、私達は固有の民族感を持つようになった。Cimg5650

一方大陸では、国土と民族は始終入れ替わってきた。

だから中国にしても、ユーラシア大陸の都市のほとんどが、町を城壁で囲んだ城塞都市である。

日常的に外敵に脅かされ続けてきたからで、日本にはそんな都市は堺を除いては例がない。

大陸では、都市が滅びれば、人々は流浪の民になる他なかったのだ。Cimg5604

例えば、旧約聖書に登場するエデンの園はアルメニアに在った。

黒海とカスピ海の間の辺りだ。

アルメニアがウラルトゥ国として栄えたのは、紀元前10世紀頃のことだ。

そしてその後は、ペルシャに、続いてアレキサンダーに支配され、Cimg5563

11世紀にはトルコの圧迫を受けて、シリア方面に移住を余儀なくされる。

13世紀にはモンゴールに、14世紀にはエジプトに滅ぼされる。

15世紀には、チムール帝国に飲み込まれてしまう。

勿論そのたびに、虐殺や略奪が繰り返されている。

そして遂に、オスマントルコによって、トルコとイランに国を二分されてしまう。

1991年にソ連が崩壊して独立したアルメニアは,その片方のイラン側に過ぎない。

残された半分は、トルコ東部のアルメニア高原に広がっている。

あのノアの箱舟が漂着したとされるアララト山は、そのトルコ領の高原(5123m)にある。

それほどに、民族と国土は流動的なのだ。

現代は、グローバルに人も物も行き来する時代なのだが、

この日本人の国際感覚は、限られた列島の中からの発想でしかない。

悲劇の民族の地、アルメニアを何時か訪ねたいと思っている。

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