浦島伝説の真実
「♪むかし むかし 浦島は 助けた亀に~♪」
その浦島太郎の本名は、浦嶋子と言った。
丹後の国風土記逸文には、「雄略天皇の治世二十二年秋、
丹後の人、浦嶋子は海の竜宮へと出かけ・・」と記述されている。
もちろん、浦島の生まれた与謝郡伊根町には、浦嶋神社があるし、
その資料館には亀甲紋あしらった玉手箱もある。
そして、雄略二十二年とは、西暦478年である。
弥生時代が終わって、統一国家が始まる大和時代の始めの頃だ。
この年、雄略天皇は、南宋に遣使を送っている。
「宋書 倭国伝」には、「倭国の王位を継いだのだが、高句麗との戦争で
表敬の時期を逸した・・・」と倭国からの書簡に書かれていたと記録されている。
事実、朝鮮半島では、百済が高句麗に攻められて、
大和朝廷は、百済救援の軍を送っていた。
ともあれ風土記では、丹後の国の豪族であった浦嶋子は、
蓬莱から来た亀姫の化身を釣り上げ、乞われるままに蓬莱に出かけたらしいのだ。
実は今日、その伝承の町、丹後の網野町に来ている。
そして網野には、浦嶋を祀った島児神社や乙姫を祀る西浦福島神社があるのだ。
明朝4時、「歴史の街丹後100kmマラソン」は、この網野をスタートする。
どうやら浦島太郎は、実在の人物らしいのだ。
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