祭礼
秋の風情は、この香りと祭り太鼓だろうか。
子供達も、朝から少しばかり興奮している。
私の子供の頃は、鎮守の祭りだった。
屋台なんてなくて、ちっぽけな祭りでも、それなりに楽しかった。
村ってのは、何となくこの社を中心に成り立っているんだと思った。
でも近世になって、立派な屋台が出来て、様相は一変した。
屋台が祭りそのものになったのだ。
秋祭りは、これから始まる収穫の豊穣を、祈念するのが祭りのはずだった。
ところが今では、そんな何百年来の習俗は打ち忘れられている。
飲んで騒いで、日頃の憂さを晴らすのが祭りかな?
ついては、ゴミの集積場所も変えなくてはならない。
古紙の集積に限って、しばらく屋台小屋の庇の下にする事した。
すると「古紙に火を点けられたらどうするのだ」という発言があった。
たかだか月に一度、半日の集積なのだが・・・・・。
この発言は、「屋台と言うものは、村の大切な財産なのだが、
実は時に怨嗟の的にもなる」ということを意味している。
火をつけられかねない代物なのだ。
秋に心をつけて愁いという字になる。
実りの秋に愁いを感じるのは、農耕生活を忘れた
貴族の生活がそうさせたとの説がある。
今、世界中が唖然としている金融収縮は、金融貴族のそれではなかったのか。
ゆめゆめ私達は、物づくりの精神を忘れてはならないのだ。
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