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2008年12月31日 (水)

未曾有

今年も、遂に年の瀬である。Cimg6896

この一年色々な事があったけど、

殊更、経済活動の急降下は驚く他なかった。

だけれどこの変化は、恐らく始まったばかりで、

これからが本番のような気がする。Cimg6902

丑年が、荒れる年だからという訳ではないが、

来年は恐らく「不況とは、こういう事だったのか」と分かる年になるのではないか。

経済だけではない。

世界の形も、多極化という形で随分イメージが変わるはずだ。Cimg6901

問題は、この日本がどうなるのかと言うことだ。

私達の目線は、政府も含めて近回りしか見ていない。

世界がどうなろうが、景気と自分の財布しか頭に無い。

それにこの国の政治だって、とても当てになるような代物じゃない。Cimg6462

これまでこの国を支えてきた官僚組織だって、

無責任な政治家の攻撃で、すっかりやる気をなくしている。

100年に一度の世界的な変動の中で、

実は私達こそが、未曾有の事態に直面しているのだ。

望むらくは、長期的な戦略と未来への展望を示して、

Yes We Can ! と叫ぶ人が欲しい。

そんな人物の登場を、是非初夢に見たいと思っている。

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2008年12月30日 (火)

時間の哲学

時の経過は、年を重ねるにしたがって速くなるようだ。Cimg6922

それは一つには、感動というものが少なくなるかららしい。

物に動じなくなると言えば、成長したかのように思えるが、

新しい発見やハプニングが減っていくと言うことだ。

無感動が、ついつい時を無為にやり過ごしてしまう。

その点子供は、全てに感動しながら成長していく。Cimg6921

当然ながら、子供の頃の一日は途方も無く長かった。

ともあれ私のこの一年は、多少複雑である。

今年の正月が、遥か昔の事のようにも思われるし、

長かったような短かったような、不思議な一年であった。

人生の一つの節目と言うか、Cimg6920

定年退職して、サンデー毎日に、そして再就職の一年。

勿論、その変化に付随して、様々なドラマの主人公でもあった。

そうしてこの一年、多くの皆さんとの出合が最大の果報だった。

一日一日を刻んできたこのブログも、もう直ぐ千日になる。

アクセスの累計は、10万になろうとしている。Cimg6919

お読みいただいている皆さんのエールのお陰だ。

やはり、人は一人では生きられないのだと思う。

お互いに多くの人に支えられあって生きている。

望むらくは、来年がもっと心豊かでありますことを !

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2008年12月29日 (月)

食の一年

食に関して、これ程話題の多かった年は無い。Cimg6817

中国製冷凍餃子中毒やら事故米の転売、メラミン牛乳。

穀物の高騰と燃油高による農漁業の苦境。

それに、産地の偽装も次々と発覚したっけ。

船場吉兆の偽装も、貧乏人からすると「金持ちの舌もその程度か」って気分もあった。

ともあれ事故米にしても、ウナギにしても、Cimg6773

表示を変えるだけで巨利がえられるのだから、

「いしかわや 浜の真砂は・・・盗人の種は尽きまじ」だろう。

年末に公表された「国民生活白書」にも、

特に加工品で国産回帰が進んでいるとある。

実に良い傾向だ。Cimg6772

大体が、何処の馬の骨かも分からない他国の人間が作ったものを、

安いからって、いい諾として食べる方が悪いのだ。

この国に住む人々のエンゲル係数は、十分すぎるほどに低い。

それに、胃の府に入る量などたかが知れている。

自分の食うものくらい、吟味すべきなのだ。

それがいやなら自分で作れと云いたい。

食を粗末にする国は、やがて滅びるのだ。

思えば、昭和20~30年代は貧しかったけど、

食は質素でも本物だったよな。

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2008年12月28日 (日)

丑年に挑戦

来年は良い年にしたいと、誰もそう思っている。Cimg6826

来年は丑年だから、牛歩でも明るさが見えるだろうと思いたい。

だけどネズミの今年は、変化の始まりだったと言うことになりそうだ。

「未曾有」を読み間違う人が居るほど、これまでそんなことは無かったのだ。

恐らく私達がこれまで経験したことの無いような、Cimg6829

未曾有の事態が目の前にある。

「不況ってこういう事だったのか!」って、来年の今頃の感想になりそうだ。

実は丑年は、毎度激変の年なのだ。

1973年の丑年に、この国は変動相場制に移行した。Cimg6831

1ドル300円が260円になった年だ。

次の丑年の85年には、プラザ合意を受けて、円は200円を下回った。

そして97年は、アジア通貨危機の嵐が襲った。

今回の丑年は、その程度では済みそうも無い。Cimg6836

恐らくは、生まれて初めて経験する経済になるだろう。

この暴風雨の襲来を、家に篭ってでも凌がなくっちゃならない。

はてさて、命まで取られる訳じゃなし、

じっくりと、この時代の絵巻を見てやろうじゃないか。

世の中真っ暗闇でも、せめてお互いの心は豊かにしようよ!

そういう風に、時代の雰囲気が変わってくれば、

もう大丈夫だ。

一人ひとりが心豊かになれば、景気なんぞ後ろからついて来る。

こんな時だからこそ、お互いの愛を広げよう。

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2008年12月27日 (土)

楊貴妃の頃

泉涌寺の楊貴妃観音を拝観した折の雑感である。Cimg6909

「あおによし 奈良の都は咲く花の 匂うが如く 今盛りなり」

その奈良は、唐の都長安城にならって造営された。

そして、唐の最も栄えた時代が、玄宗皇帝の45年間だ。

大和朝廷は、遣唐使を盛んに送り、Cimg6842

街づくりやら法制度を学ばせた。

当時の長安には、世界中から人々がやって来ていて、

人口も100万人を越えたらしい。

それに李白やら杜甫、白楽天など名だたる詩人が活躍している。Cimg6808

当然のことながら、私達はこの唐の時代の影響を色濃く受けている。

端午の節句や七夕の行事、梨園や坊間などと言う言葉だってそうだ。

ところで楊貴妃である。

後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身Cimg6736

後宮の女官三千人をさておき、玄宗の寵愛を一身に受けたと言う。

貴妃のその汗でさえ、ピンク色で芳しい香りがしたと伝わる。

玄宗56歳、楊貴妃22歳に始まる相愛は、それから10年で終焉する。

節度使・安禄山の反乱で玄宗は蜀に逃げる。Cimg6738

その逃避行の途中、金城県で玄宗は泣く泣く楊貴妃を殺させる。

楊貴妃が、安禄山の反乱名目となった首相・楊国忠の妹だったからだ。

国破山河在 城春草木深 感時花灌涙 恨別鳥驚心 烽火連三月・・・

国破れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じて花にも涙を灌ぎ・・

杜甫が、荒れ果てた長安を歌った詩である。

乱が収まって長安に復帰した玄宗は、楊貴妃の遺体を改めて葬ることにした。

ところが埋めたはずの遺体が、遂に発見されなかったのである。

実は貴妃は、側近に守られて日本に渡ったというのだ。

山口県油谷町の二尊院に楊貴妃の墓がある。

この寺の釈迦と弥勒の二尊は、玄宗が追善したものだと伝わる。

白楽天の長恨歌に「忽聞海上有仙山 山在虚無縹渺間・・・・」

(海上に仙人の住む山あり、その山は何も無い遥か遠い所にあると聞く・・)とある。

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2008年12月26日 (金)

ああ石油

今年7月に147ドル/ブッシェルもした原油(WTI)が、Cimg6904

35ドルと高値の1/4を下回った。

やがて30ドルを下回るだろう。

その原野価格高騰を演出したのが、WTIだ。

WTI(ウエスト・テキサス・インターメディエイト)とは、

米国の西テキサス取引市場だ。Cimg6850

世界の原油価格を、テキサス州の小さな取引所が振り回してきた。

ブッシュは、テキサスの石油家族の出身だ。

それに副大統領だったチェイニーは、石油資本の重役だった男だ。

イラク戦争は、そのブッシュが強引に始めた。

パパ・ブッシュは、湾岸戦争を始めたっけ。Cimg6816

イラクもクウェートも、世界有数の石油資源地帯である。

地球温暖化で、炭酸ガス排出規制が課題になっている。

それで京都議定書になったんだけど、ブッシュはそれを無視した。

排出規制したら、石油の消費が減るからだ。

かてて加えて、アメリカの炭酸ガス排出量は、

なんと全世界の25%も占めるのだ。

この点日本なんて、たかだか4%でしかない。

そもそも今日の高度な文明は、石油消費によってもたらされたものだ。

すべからく石油に依存していると言っても過言ではない。

その石油資源にも底が見え始めている。

やがて枯渇するだろう。

木材をエネルギーにしていた古代文明の地は、

森林を切りつくしたことで滅びた。

ブッシュが大金融不況と石油騒動を残して間もなく去る。

彼の功績は、石油が有限だと言うことを痛すぎるほど教えたことだ。

ああ石油と言うほか無いだろう。

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2008年12月25日 (木)

今時の学生

工学部の学生に、農業の話をした。Cimg6908

実は、ある国立大学法人の客員教授を引き受けていて、

「農業と言う産業を考える」そんなテーマで講義をしたのだ。

その中で、国家の盛衰とか食糧自給の大切さ、Cimg6886

農業の構造改革への道などについて話をしたのだ。

工学を専攻する彼らにとって、農業など土俵外のことだ。

だから、関心は無いのではないかと、多少心配して講義に臨んだ。Cimg6887

しかしながら彼らは、私の話を熱心に聞き、そして受け止めてくれた。

そのことは講義後のレポートで確認できた。

聡明というべきか、彼らは的確にこの国の現実と向き合っていた。Cimg6856

学生の一人が「日本が韓国に抜かれるのは必然だ。

若者の努力が違う」と書いていた。

韓国を旅して切実に感じたと言うのだ。

これからの日本の産業を担うのは彼らなのだが、

大学三年の彼らの前に広がっているのは、産業界の大苦境である。

氷河期の就職戦線は、この国の危うさでもある。

「棚から牡丹餅」で生きてきたはずの日本の若者。

その彼らも、日本の将来の現実を、

真正面に見なければならない時代が来たようだ。

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2008年12月24日 (水)

試練の時代

イブだからサンタの袋の様にと思ったのだが・・・・借金の話になった。Cimg6860

何とか景気を下支えして、雇用を守らなくっちゃならない。

輸出は総崩れだから、国内の需要喚起の他無い。

そのための支出拡大は、当面政府財政の他見当たりそうもない。Cimg6393

問題は、その財源である。

国債の発行残高が581兆円になる。

来年の国の一般会計は88兆円になるようだから、なんと6.6倍である。Cimg6397

日本の年間GDP500兆円を優に上回る。

年間売り上げ(利益ではない)を上回る借金では、

企業ならとっくに倒産している。Cimg6466

2%の利払いだけで11兆円余になる。

償還どころか利払いだけで15%ほどになる。

それでもこの国が破綻しないのは、国債を買ってくれる人がいるからだ。

それは、この国の貿易黒字がずっと続いていて、Cimg6529

何時か返してくれると思われてきた。

そして、国内の金融機関も国債を買い続けてきた。

ところが、その貿易黒字が怪しくなってきた。

このところの四ヶ月の趨勢は、30年来無かった赤字基調なのだ。

それに預貯金を取り崩す年金世代が、年々増えている。

はてこの借金、誰が返すのか?

増税に次ぐ大増税で、国民が返すほか無い。

誰が政権を担当しようが、その限界点はもうそこに来ている。

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2008年12月23日 (火)

こどもの国

子供のための公園だ。Cimg6907

孫にせがまれて、富士山こどもの国に出かけた。

標高700m、富士山の裾野にある。

と言っても、今は荒涼とした広場で、Cimg6896

富士の火山岩がごつごつと目立つ。

朝10時の気温が2度だったから、雪すべりには絶好である。

が、当然のことながら寒い。Cimg6894

勿論子供達は、そんなことはお構いなしである。

雪の上を振り回されて、すっかり爺ちゃんをやってきた。

実はこのこどもの国、私の仕事に関係があった。Cimg6884

企画段階で壮大な構想を打ち上げたんだけど、

バブル崩壊でかなり規模が縮小された。

その建設の初期段階で幾分の関りがあったのだ。Cimg6899

そんな気持ちで、この公園を歩いた。

とにかく広いのだが、それに雪も良いのだが、

とにかく富士は、春先が良い。Cimg6900

広大な自然の中で子供達を伸び伸びと・・・・

当時の議論を改めて思い起こしていた。

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2008年12月22日 (月)

帰農

帰農とは、不況時に人々が農業してしのぐ事だ。Cimg6828

今、団塊の世代が、次々と定年退職期を迎えている。

団塊とは、昭和22年から24年の終戦後に生まれた世代だ。

とにかく巨塊で、この三ヵ年に生まれたのが800万人もいる。

今日の出生数からすれば、ゆうに倍以上だ。Cimg6821

実は私もその一人なのだが、

この世代には、几帳面な人がそろっている。

満員の教室に押し込められて、挙句の果ては受験戦争。

大学に入れば、東大解体などと、真面目に学生運動をやって、Cimg6820

そうして就職してからは、企業戦士よろしく懸命に働いてきた。

お陰で日本の経済は大発展したのだけれど、

折からの金融大不況と共に、職場を寂しく去ろうとしている。

唯救いは、再び氷河期を迎えている就職戦線を支えていることだ。Cimg6803

新進気鋭の求職者に、その職場を提供できるかもしれないからだ。

だがこの団塊の世代、あと15年か20年もすれば、

要介護の大きな塊になってしまう可能性が高い。

そうならないためには、体に汗して働くことだ。

それには農業が良い。

農業法人に就職してもよし、

市民農園だって良い。

汗をかいていれば、老人臭からだって逃れられるし、

それに元気でポツクリ死ぬことが出来る。

まあこれは、かなり先のことだが、

とにかく汗をかくべきだ。

ちなみに私は、春から秋はブドウ栽培、冬はホウレンソウを育てている。

植物は、正直で真面目だから殊更良い。

是非にも、団塊の世代は帰農すべしである。

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2008年12月21日 (日)

冬至

遂に今年も冬至である。Cimg6806

しかも、これから寒くなるだけではなく、

景況も一層薄ら寒くなりそうだ。

今年を象徴する漢字は「変」なのだそうだ。Cimg6732

確かにオバマ新大統領に、福田・麻生総理と、

指導者もどんどん変わっていく。

米国の金融工学とかのお陰で、Cimg6722

世界中が大不況に見舞われている。

これも大きな変化だ。

だが一番変わっちゃったのは、みんなの気持ちだね。Cimg6727

この気持ちを明るくしないことには、如何ともし難くなっている。

来年は丑年だけど、ゆっくりでいいから明るくしたいね。

どうか、ミゾウだかミゾユウだか知らないが、

未曾有の暗さだけはご免こうむりたい。

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2008年12月20日 (土)

地方からの未来

明治の大久保利通侯以来、Cimg6801

この国のことはすべからく国(政府・官僚)が動かしてきた。

都道府県や市町村は、いわば国の出先機関のようなもので、

機関委任事務などを、国の言うとおりに執行する組織だった。Cimg6804

税金だってほとんどを国に集め、

それを貰って来ることが自治体の大きな仕事だった。

補助金と言う人参で、自治体を引き回していたのだ。Cimg6805

当然、自治体の裁量権などはおよそ知れたもので、

極論すれば、こまごまとした雑務と、

何処にどぶ板をはめるか程度のものだった。Cimg6819

だから政策立案能力など育ちようも無く、

どこの省庁に顔が利くかなんてことの方が肝心だった。

だが、そうした明治以来のやり方は、Cimg6822

ようやく転換をし始めている。

中央から地方への潮流は、もう止めようもないと思う。

社保庁の消えた年金や、防衛庁幕僚長の珍奇な論文、

農水省の事故米など、既に中央官庁は麻痺を始めている。

中央官庁の改革は当然だが、

それ以上に、自治体の充実が必要だ。

それには、住民一人ひとりの自立意識こそが肝心になる。

他人任せでは、地方の未来はありえない。

これからは、自分たち自身が考えて行動することだ。

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2008年12月19日 (金)

伏見稲荷

全国の約八万の神社の内、三万余が稲荷なのだそうだ。Cimg6846

稲荷の起源は定かではない。

最初は、伊奈利山に造営されたらしいが、

室町の頃、現在の伏見に移されたのだそうだ。Cimg6845

勿論、稲荷は稲作に関係深いだろう。

それに秦の始皇帝の類縁の秦氏が、稲荷の起源に因縁が深い。

渡来の秦氏は、稲作だけではなく、養蚕や織物の技術をもたらした。Cimg6848

織物を「ハタ織物」と言うのも、そこからだろうか。

いずれにしても、稲荷は商売繁盛の神様になった。

その稲荷神社の総本山である。Cimg6851

稲荷山は、鳥居千本といわれる。

山頂まで鳥居のトンネルが続いているからだ。

一体、何キロあるのだろうか。Cimg6853

私達も、奥社を越えてかなり登ったのだが、

値上がり松付近で引き返さざるを得なかった。

実は、今回の東山36峰トレイルランのゴールが、

この稲荷神社の裏なのだ。

それで一度は、鳥居のトンネルを頂上までと思った。

せめて清少納言が休息したと言う、

「中の御社」までは登りたかったのだが・・・。

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2008年12月18日 (木)

ヤマトから日本へ

今夜は、最近勉強したことを書きたい。Cimg6818

この国の呼称のことである。

昔々、この列島の開闢の頃だろうか。

延喜記に、こう書かれている。Cimg6824

「未だ居舎有らず、人民、唯山によりて居る。よりて山戸という。」

住む家も無くて、山を住処にしているので「山戸」と言うのだと。

それで、ヤマトと呼ばれていた。Cimg6823

国の名前などと言うものは、自分で称していても駄目で、

外の国から、そう呼んでもらわなくてはならない。

そういう意味では、魏志倭人伝にあるように中国では「倭」と呼んだ。Cimg6825

辛うじて人偏がついているが、匈奴や突厥などと変わらぬ「夷」だろう。

その倭が日本に変わる時がある。

日本書記では、新羅の王に「東に神の国有り。日本と謂う。」と語らせている。

ただしこの時は、王朝の名前としてだったようだ。Cimg6827

その「日本」を国号として認めさせた男が居る。

唐の国に使いした粟田真人だった。

唐代に成立した唐暦に、

「日本国は倭国の別名なり。朝臣真人は、容姿温雅なり」とある。

そうして則天武后は「史記正義」に、

「武后、倭国を改めて日本国と為す」と書かせている。

西暦701年、聖徳太子の頃である。

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2008年12月17日 (水)

楊貴妃観音

唐の玄宗皇帝が溺愛した、絶世の美女の像が日本にある。Cimg6876

玄宗は、安緑山の乱で殺された楊貴妃を偲んで、等身大の坐像を作らせた。

その坐像を、鎌倉時代(1255年)に湛海律師が日本に請来させたのだ。

その像が、京都は月輪山麓の泉湧寺の観音堂に安置されている。Cimg6809

国政を乱れさせるほど溺愛したのだから、さもあらん。

この流石に端正な像を見ながら、しばし感じ入った。

実はこの泉湧寺は、皇室に縁の深い寺である。Cimg6810

1242年に四条天皇が葬られて以来、

後水尾天皇、そうして幕末の孝明天皇まで陵墓が造営されている。

だから今日の皇族方も、時に参拝されるらしいのだ。Cimg6812

奥の院には、襖絵の美しい玉座なども続いている。

この泉湧寺は、

日輪大師がこの寺を再興する時に泉が湧き出したと言うだけあって、Cimg6813

仏殿が山門から見下ろすような位置にある。

その徳川家綱が寄進した仏殿には、

運慶作の釈迦・阿弥陀・弥勒の三尊が安置されているCimg6815

承久の変から明治維新まで、

そこには日本の歴史の断面があった。

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2008年12月16日 (火)

困った世相

時々、吉野家で昼食を食べる。Cimg6878

380円のアレである。

昨日、牛丼を頬張っていると、隣の男の携帯電話が鳴った。

二十台半ばだろうか?

「うん、駄目なんだ。パチンコ屋の店員も応募したんだけど、みんな落ちちゃうんだ。」

ン!アルバイト? そうしてみるかなァ~」Cimg6881

「アッ、それよりも、一緒に部屋借りない。」

「うん、何処でもいいよ。そうすりゃさ、部屋代・・・・」

体格の良いこの若者は、あらましそんな会話をしている。

勿論、会話の相手は男性らしい。

まるでこのやり取りは、戦前の大恐慌の頃の会話ではないか。Cimg6879

アメリカの不良金融商品が、血液癌のように世界中に転移して、

世界の各地でこんな会話がされることになってしまった。

経済の混乱で、人も国も滅びる訳ではない。

だが、人々の心が蝕まれていく。

自殺の名所東尋坊では、NPOが自殺防止のパトロールを始めたという。

一体全体、こんな世相に誰がしたのだ。

こんな時こそ政治が力を発揮してこそ、その存在価値があるのだが・・・。

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2008年12月15日 (月)

八相の庭

京都絡南の東福寺方丈の庭である。Cimg6830

東福寺は、京都屈指の紅葉の名所として知られる。

が、通天橋の両側に広がる峡谷のカエデはあらかた落葉し、

既に眼下の谷間に織り敷かれていた。Cimg6841

せめてもう一週間早ければと悔やまれた。

その代わり、大方丈の東西南北に配された八相の庭に目を見張った。

作庭が昭和13年と言うこともあり、Cimg6835

旧来の枯山水とは、趣が随分と違っている。

南庭の広大な白砂には、5mもの巨石が横たわり、

八海に浮かぶ剛健な四仙島を表現すると言う。Cimg6833

広さと言いその豪快さは、禅の何たるかを語ろうとしているようであった。

それから東庭が奇妙である。

簡単に言うと、東司(旧便所)の柱石を北斗七星型に並べてある。Cimg6837

後方には天の川に見立てた生垣があって、小宇宙を作っている。

西庭は、もっと指向が変わっている。

井田市松と呼ばれるらしく、Cimg6840

整然とした敷石と苔の市松模様である。

機械的な文様なのだが、これも私達の精神の一面だろうか。

いずれにしても、一見の価値ありである。Cimg6838

ところで東福寺は、聖一国師の開山になる京都最大の禅寺である。

通天橋が珍しいが、山門にしても方丈にしても威容と言う他ない。

秀吉や家康らが保護したと言う通り、武家好みの造りになっている。

モミジは残念をしたが、

この方丈の四庭は、近代禅宗の白眉だそうである。

禅の境地は分からないが、毎日、こんな庭を眺めてるんなら良いかな?

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2008年12月14日 (日)

京都東山を走る

輝く落ち葉の上を舞うように走る。Cimg6858

それが東山三十六峰マウンテンマラソンの醍醐味だ。

心配した雨も降らず、木漏れ日すらさしている。

宝ヶ池から大文字山、軍艦山、稲荷山と、Cimg6859

左眼下に京都市街を見ながら、山を越え谷を越えて走る。

今回の参加者は、千人余である。 Cimg6862

この人一人通るのがやっとの山中を、千人もが脱兎の如く押し寄せるのだ。

急な登りでは、当然の如く渋滞になる。

だが、厚く降り積もった落ち葉を蹴って走るそま道は、Cimg6863

心躍るように快適である。

足が追っ手に地面を右左と蹴っている。

こんなにも快適に走って良いのだろうかと思うほどに、Cimg6864

走り続けることが出来た。

だが、25kmの地点から急激に足が動かなくなった。

気だるくて体全体が重たい。Cimg6868_2

調子よく下りを飛ばしすぎたのだろう。

それでも伏見稲荷のゴールには、4時間と5分で飛び込んだ。

昨年よりも15分も早い。Cimg6872_2 

自分としては満足である。

このレースは、年々参加者が増加しているのだが、

トレイルコースとしては、恐らく全国一のコースだ。Cimg6871

色々な事を思わせるような変化に求んでいるしね。

私は今回、鞍馬天狗や義経を何度も想像してしまった。

そう、山中を快適に走る私は、鞍馬天狗なのだと・・・・?Cimg6874

まっ、しこうして今年最後のレースも終わった。

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2008年12月13日 (土)

食育

古来日本人の多くは、粗食に甘んじてきた。Cimg6773

大抵はご飯に漬物程度で、

その米の飯すら食べられない人が多かった。

だからご飯に一汁二菜もあれば、結構なご馳走だった。Cimg6772

人生五十年も、ムベなるかなである。

幕末、マーシュ・C・ペリーがやって来て、日米和親条約を結ぶことになる。

幕府は条約の締結に先立って、ペリー提督一行を横浜でもてなしている。Cimg6708

1854年3月8日のことだ。

一人前三両と言う法外な経費をかけたのだが、ペリーには不評だったらしい。

それは日本の懐石料理自体に、肉と油が使われていなかったからだ。Cimg6689

この饗応に対してペリーは、

林大学頭以下70余名を軍艦ポーハタンに招き、返礼の午餐会を開いた。

ペリーは生きた牛や羊まで船に積んできていて、大変なご馳走が用意された。Cimg6579

大量な料理だったのだが、テーブルの上の料理は魔法のように消えたと言う。

珍しい料理の数々に驚き、その多くを懐紙に包んで持ち帰ったらしいのだ。

由来日本人は、西洋料理のとりこになっていく。

明治末の作家、村井弦斎が、報知新聞に「食道楽」を連載、

食道楽ブームを巻き起こす。

しこうして日本の食改革も、当時の不平等条約改定への支援になったのだ。

食と身体について話題を提供した弦斎だが、

彼は日本で始めて「食育論」を説いた男である。

それから100年を経て、2005年6月に食育基本法が制定された。

今、日本各地で食育への取り組みが始まっている。

食べることは、生きることの原点なのだ。

これをもっと大切にしたい。

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2008年12月12日 (金)

里山

集落の近くにあって、古来、人々の生活を支えてきたのが里山だ。Cimg6359

国土の四割を占めるこの里山が、荒れ果てている。

里山は、水を蓄える源であり、薪炭や肥料・家畜の餌を供給し、

人々の営みに不可欠な存在だった。Cimg6554

だから長年に亘って、人々はこの里山に出入りしてきたし、

里山が近くにあるからこそ生活が成り立った。

結果としてマツタケも出たし、ササユリのような花も咲き競ったのだ。Cimg6566

ところが、近世の化石燃料依存や農業形態の変化が、

何時の間にか里山を忘れられた存在にしてしまった。

私が週末を過ごす小笠山も、約6,000ha余の大きな里山だ。Cimg6565

小笠山もご他聞に漏れず、松は枯れ、そま道も立ち塞がって、

かつてのマツタケ山の面影は無い。

ミヤマツツジなど盗掘さえ目立つ有様だ。Cimg6564

その尾根道を仲間と共に走っている。

年に数回は草刈をするし、時には階段の補修もする。

人の気配を呼び覚ますかのように、

私達の走路には、ササユリが咲きワラビが芽を出す。

それに何より、山に入ると元気が出るのだ。

生物多様性条約と言うのがあって、

その締約国会議が2010年に京都で開催される。

里山を見直すことは、私達の生活そのものを振り返ることなのだ。

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2008年12月11日 (木)

紅葉山庭園

茶室の窓は、モミジが明るく輝いて息を呑むようである。Cimg6796

その格子戸を眺めながら、朝比奈の玉露をいただく。

そこには、馥郁とした茶の香りと静寂があった。

駿府公園の一角にある紅葉山庭園の茶室だ。Cimg6798

静岡の街中にこんな空間があるなどと、

忙しく立ち回る人々にとって思いもしないだろう。

さらに紅葉山の庭は、静岡の里や海、山を擬して、Cimg6791

駿河の名勝を巧みに表現している。

勿論、富士山や三保の松原、

茶畑に見立てたサツキの築山なども風情がある。Cimg6788

四季折々の変化を、この庭は克明に刻んでいるのだろう。

そのためかどうか、この庭の評価は海外で高いのだそうだ。

私自身、何年か振りで訪れて、庭園美の認識を新たにする思いだった。Cimg6787

家康公だって、こんな見事な贅沢はしていなかったのではないか。

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2008年12月10日 (水)

ツワブキ

いよいよ冬将軍の到来だろうか。Cimg6583

ケヤキ並木がすっかり明るくなって、落ち葉がカサカサと音を立てている。

その寒さの中で寡黙に咲く花がツワブキだ。

キク科の多年草で、葉の緑に艶がある。Cimg6792

「艶のある蕗」が命名の由来らしい。

さて今夜は、ツワブキの艶に誘われて、

先日の「固定観念」の続きを書きたい。Cimg6790

もはや内需拡大では、日本経済の建て直しは困難だと言うことだ。

だから、定額交付金などと無駄金を使わずに、

この日本列島を低エネ構造に徹底改造する。Cimg6733

石油資源は有限だから、又いつか高騰と言うことになるだろう。

だから、太陽光発電を始めとして、電気自動車、

バイオエネルギー開発など、そのための投資に集中するのだ。

10年間で、原油輸入を1/5にする位の覚悟でやるのだ。

資源の無い日本だからこそ、輸出で稼ぐなんて発想はもう止した方が良いのだ。

それでなくても日本の貿易黒字は、既に漸減している。

この冬に咲くツワブキだって、

春先の新茎は佃煮にすれば食べられるのだ。

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2008年12月 9日 (火)

語る人生

今年最後の「メダカの学校」に出席した。Cimg6764

今回の学校では、校長や教頭の他、

三人の先生も、押し並べて自分の人生の遍歴を語ってくれた。

東京に生まれて東京暮しから一転、Cimg6766

引佐の山里に引っ越してからの16年間の日々を、

あっけらかんと楽しく語ってくれた女性。

彼女は、田舎暮らしIターンの先駆けであったろう。Cimg6769

これも、人生なのだ。

そして、旅行会社勤務から雑貨屋家業へ、

さらにはガラス工芸創作者へと、Cimg6770

気の向くまま自分の可能性に向かって歩いてきた彼は67歳である。

今回の校長の伊藤さんは、自らの農業機械開発への苦闘を語った。

地域の畑作農業を一変させたきっかけは、Cimg6771

ドンキホーテに擬せられた彼の挑戦だった。

ほんの少し時代の先を行く者は、何時も孤独なものなのだ。

そして、富士市で農園「茶の生」を始めた佐野さんは、

亡き父母の思いを継いで フアミリー農園を広げていこうとしている。

スーパーマーケットしか知らない子供達に、本当の生命を知らせたい。

自然と向き合って生きる生き方を知らせたい。

それが田舎の再生力になれば嬉しい。

若い彼女は、そんなこれからの夢を語ってくれた。

みい~んな、生身の赤裸々な人生だ。

さて、私の人生はどうなのかな~?

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2008年12月 8日 (月)

駅伝

冬将軍到来と共に駅伝のシーズンになった。Cimg6777

駅伝には、えもいわれぬ独特の張り詰めた緊張感がある。

私も何度か、仲間と共にチームを組んで参加したことがあるのだが、

タスキをもらうと、足も体も自分のものではなくなってしまう。Cimg6779

自分とは違ったパフォーマンスになるのだ。

そこが、マラソンと違うところだ。

駅伝は、まったくもって苦しいの一語に尽きる。Cimg6780

駅伝では、どんな無理でもしてしまうのは何故だろうか?

思うにやはり人間は、人に生かされているんだね。

仲間の力を受け継いで走るって事が、そうさせるのだと思う。Cimg6781

思い立って、第9回静岡市町村対抗駅伝を見に行った。

スタート前の緊張から激走へ。

力一杯の走りに、選手それぞれの無心の思いがある。Cimg6782

それに地域の代表としての期待が、彼らの背に圧し掛かってもいる。

この日のために、随分とは走り込んできたのだろう。

がんばれ!!Cimg6785

他人事でなく、何時の間にか選手に感情移入している自分がそこにいた。

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2008年12月 7日 (日)

食と人生

韓国だっただろうか ?Cimg6760

「ご飯食べた?」は挨拶だと聞いたことがある。

食べることは、それほど大切な一大事だったのだ。

日本人は、食卓に出されたものは勿体無いから無理しても食べてしまう。Cimg6761

だが朝鮮半島では、全て食べてしまうのは、

「持て成しが足りない」と言う意味になる。

食事をケチることは、この大陸では一大事なのだ。Cimg6772

それに味覚は、時として人生を表現する言葉になる。

辛酸をなめるとか苦渋の決断をするなど言う。

後味の悪い・・・などとは、身近に雰囲気が出ている。Cimg6775

良い事は寒露などと言ったりするが、意外と美味に関する言葉は少ない。

多くの動物は、食い物を奪い合って食べる。

しかし人間は、食い物を分け合って食べる。Cimg6774

ファミリィーと言う英語には、

「一緒に食事する人」と言う意味があるそうだ。

そう言えば西部劇で、焚き火を囲んで「ヨオ!、ファミリィー」などと、

呼び合っていたっけ。

個食や孤食を余儀なくされる時代だけれど、食卓は大切にしたいね。

それこそ、人生の味わいだもの。

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2008年12月 6日 (土)

固定観念

人間は、歳と共に知恵も蓄えるが、古びた概念も固着させるものらしい。Cimg6793

例えば、若い頃なら驚くような事だって、歳と共に「何とかなるさ!」ってなる。

応用も工夫も処世も上達するのだ。

だが一方、過去の成功体験に反することは、頑なに拒否するようになる。Cimg6794

簡単に言うと、○○の一つ覚えになりがちなのだ。

糖尿病になったとする。

医者に死をも予告されれば、人は誰も必死で元のように治りたいと思う。

だが、病気の元凶は元の生活習慣にある訳で、Cimg6795

実は元に戻ってはいけないのだ。

ところが私達は、この同じ失敗を何度も繰り返そうとしている。

昨今の景気対策である。

日本の産業の多くは、米国や中国への輸出によって成り立っている。Cimg6799

つまり輸出が伸びなくては、景気も雇用も良くはならないのだ。

世界有数の資産国でありながら、産業構造は中国と変わらない。

他国依存なのだ。

そんな産業構造から、早く脱却することが必要なのに、Cimg6730

私達は、本当のこの国に投資をしようとしていない。

国内の農地や山は荒れ果て、

食料や木材・パルプ、エネルギーは、海外に依存が固定概念になっている。

今、私達に必要なのは、

この国の年金制度の再構築や国土を美しくするための百年の投資なのだ。

私達の消費生活だって、地域やこの国を見つめるようになれば、

相当に変わってくるはずだ。

この国や地域の良い所を発見して、それを育てること。

生半可な内需拡大ではなくて、国土を育てることに目を向けるべきなのだ。

そうした意味で、過去の成功体験は、

人口が減少して、高齢化していくこの国にはもう馴染まないのだ。

このままでは、この国は消耗していくだけだと思うのだが・・・・。

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2008年12月 5日 (金)

走友忘年

もう何年前からだろうか。Cimg6740

小笠山ランニングクラプの忘年会をやっている。

御前崎灯台の程近くの民宿で、

大きな金目鯛の煮つけなど、食べきれないご馳走を頂く。Cimg6741

否、ご馳走もさることながら、

気の置けない仲間の語らいが一晩中続くのだ。

気心が知れているし、共通の話題も豊富だ。Cimg6743

それに、週末ごとに裸で汗をかいているのだから、隔意が無い。

それは、職場や地域の忘年会とは、およそレベルが違う会だろう。

私は、この会ではしっかりと羽目をはずすことにしている。Cimg6745

思いっきりパーッと騒ぐのだ。

夜更けて眠る頃には、体中に爽快感が満ちている。

そんな訳で、今年一番の盛大な忘年会も終わってしまった。

ともあれ来年も、元気で走るぞ!

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2008年12月 4日 (木)

いい加減

いい加減とは、本来は過剰加減の反対語だ。Cimg6624

だが、過剰な加減の時代が続いて、何時の間にか人を揶揄する言葉になった。

もともと日本人は、「和をもって尊し」とする中庸を尊ぶ民族だった。

稲作を中心にした農耕文化は、Cimg6421

暦に即して適度な作業体系を作り上げていたし、

作業能力や天候、土地条件に応じて生産活動が展開されていた。

エネルギーや資源だって、無駄を一切出さないやり方だ。Cimg6398

人にも自然にも良い加減が出来ていたのだ。

それに対して現代の工業社会は、それを前面否定することから始まった。

過剰な効率と利益追求が全ての価値になった。Cimg6397

結果として、環境汚染と貧富の差を広げ、

本来涵養すべき第一次産業を置いてきぼりにしてきた。

破綻した米国発の金融工学だって、過度な加減だったのだ。Cimg6467

だけど目の前に人参をぶら下げられて、皆がその尻馬に乗った。

結果が、昨今の混迷である。

日本人も、いい加減を忘れてしまったのだ。

もう右往左往は止めて、国や地域の将来を見据える。

人々の本当の豊かさの実現に向けて、その事を息長く続ける。

それが「いい加減」なのだと思うのだが・・・。

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2008年12月 3日 (水)

目黒の百段階段

昭和初期の東京には、こんな活力があったのか!Cimg6735

しかも、石川県の百姓生まれの細川力蔵一人の力なのだ。

それが、この類希な建築、螺鈿や彫刻、日本画や銘木を見た感想だ。

目黒雅叙園は、昭和6年に細川が始めた料亭である。Cimg6757 

彼は、その昭和6年から18年にかけて、

当時の職人の技能のスイを集めた建物を次々と建設していく。

その棟梁は、伊豆の土肥出身の酒井久五郎だった。Cimg6759

この二人の力で、昭和の竜宮とも言われる非日常的空間が完成する。

だが、その多くが戦災や目黒川の改修で失われてしまう。

そして僅かに残ったのが、この99段のケヤキ板の廊下階段と、Cimg6738

廊下に沿って並ぶ6つの部屋である。

そこには江戸時代から受け継がれてきた職人の技巧が、

最後の光芒を放っているようであった。Cimg6737

昭和初期は、世界大恐慌から戦争へと向かう時期だ。

職人達は、雅叙園に行けば仕事があると集まったという。

言うならば、失業対策事業だ。Cimg6736

それにその事業を支えたのは、当時の庶民の勃興だろうか。

浮き彫り彫刻や螺鈿、天上画などと言う豪華な空間は、

まさに日光東照宮か江戸城の大奥だろう。Cimg6739

それを庶民に開放して、一日のお大尽を味わわせたのだ。

その部屋に座ると、「ホオー、この床柱は・・・」などと、

当時の人々の会話が聞こえてくるようであった。

文科省は、平成13年、この百段階段を有形文化財に指定している。

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2008年12月 2日 (火)

時代を担う民族

「文明のそれぞれの段階で、その段階に適った民族がその歴史時代を担当する。」Cimg6730

と、そう言ったのは司馬遼太郎だ。

例えば、かつてのモンゴル人は、

騎馬と遊牧によって、ユーラシアをおおうほどの巨大な帝国を建設した。

遊牧と言うその時代の一大文明を担うのに、彼らが最適だったのだろう。Cimg6544

15世紀の大航海時代は、熱狂的気質のスペイン人が担った。

彼らは世界中を冒険的に航海し、自らの版図を広げていった。

だが16世紀の後半になると、組織力に長けた英国人が覇権を握る。

スペインの無敵艦隊が烏合の衆であったように、Cimg6729

スペイン人の個人的冒険心では対応できなくなったのだ。

その英国の時代も、産業の革新に遅れて20世紀には終焉を迎える。

そして、Cimg6630モダンな市民国家としての米国が台頭する。

様々な民族を包含してフロンティアを続け、今日まで盟主であり続けた。

が、一極の世界が無限に続く訳が無い。

くしくも今日の金融危機は、中国や欧州、ロシアやインドなど、Cimg6613

多極化時代への転換の契機になるだろう。

だがその極の一つとして、この日本の国が出てこない。

巨大な経済と資産を抱えているはずのこの日本は、

一体全体Cimg6721どんな選択をしようとしているのだろうか。

果たして日本民族は、単なるエコノミツク・アニマルだったのか?

「未来の世界における日本」を語る指導者の待たれる所以だ。

今、私達に必要なのは、日本人の未来へのビジョンではないのか。

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2008年12月 1日 (月)

モミジは池のほとりに

目黒の都立庭園美術館を覗いた。Cimg6723

1933年(昭和8年)に建設された旧朝香邸の一角にその庭はある。

木立に覆われた茶室の前には、ほど良い広さの池があって、

その池に枝をさし伸ばすようにして、Cimg6725

真っ赤なモミジが晩秋の陽光に輝いている。

勿論、水面にもその輝きは照り映えて、息をのむような美しさなのだ。

「やはりモミジは、池のほとりだ」そう、感じ入ってしまった。Cimg6724

日本庭園の隣には、ヨーロッパ風の庭もある。

だが、この方に足を向ける人は僅かだ。

池のほとりで、もう十分だからだ。Cimg6726

この屋敷の創建は、世界大恐慌のさなか、軍部の台頭する時代だ。

明治帝の第八皇女夫妻の邸宅であり、

当時のモダンを象徴するアール・デコ建築としても知られる。Cimg6728

この当時、東京に地下鉄が開通し、モボ・モガが銀座を闊歩する。

第二次世界大戦に向かって突き進む前の、

ほんのしばしの明るさだったのかもしれない。Cimg6719

邸内の展示「1930年代の東京」の数々に、

ほんの一時代前の人々の息吹を感じつつ・・・・。

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