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2008年12月27日 (土)

楊貴妃の頃

泉涌寺の楊貴妃観音を拝観した折の雑感である。Cimg6909

「あおによし 奈良の都は咲く花の 匂うが如く 今盛りなり」

その奈良は、唐の都長安城にならって造営された。

そして、唐の最も栄えた時代が、玄宗皇帝の45年間だ。

大和朝廷は、遣唐使を盛んに送り、Cimg6842

街づくりやら法制度を学ばせた。

当時の長安には、世界中から人々がやって来ていて、

人口も100万人を越えたらしい。

それに李白やら杜甫、白楽天など名だたる詩人が活躍している。Cimg6808

当然のことながら、私達はこの唐の時代の影響を色濃く受けている。

端午の節句や七夕の行事、梨園や坊間などと言う言葉だってそうだ。

ところで楊貴妃である。

後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身Cimg6736

後宮の女官三千人をさておき、玄宗の寵愛を一身に受けたと言う。

貴妃のその汗でさえ、ピンク色で芳しい香りがしたと伝わる。

玄宗56歳、楊貴妃22歳に始まる相愛は、それから10年で終焉する。

節度使・安禄山の反乱で玄宗は蜀に逃げる。Cimg6738

その逃避行の途中、金城県で玄宗は泣く泣く楊貴妃を殺させる。

楊貴妃が、安禄山の反乱名目となった首相・楊国忠の妹だったからだ。

国破山河在 城春草木深 感時花灌涙 恨別鳥驚心 烽火連三月・・・

国破れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じて花にも涙を灌ぎ・・

杜甫が、荒れ果てた長安を歌った詩である。

乱が収まって長安に復帰した玄宗は、楊貴妃の遺体を改めて葬ることにした。

ところが埋めたはずの遺体が、遂に発見されなかったのである。

実は貴妃は、側近に守られて日本に渡ったというのだ。

山口県油谷町の二尊院に楊貴妃の墓がある。

この寺の釈迦と弥勒の二尊は、玄宗が追善したものだと伝わる。

白楽天の長恨歌に「忽聞海上有仙山 山在虚無縹渺間・・・・」

(海上に仙人の住む山あり、その山は何も無い遥か遠い所にあると聞く・・)とある。

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