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2008年12月13日 (土)

食育

古来日本人の多くは、粗食に甘んじてきた。Cimg6773

大抵はご飯に漬物程度で、

その米の飯すら食べられない人が多かった。

だからご飯に一汁二菜もあれば、結構なご馳走だった。Cimg6772

人生五十年も、ムベなるかなである。

幕末、マーシュ・C・ペリーがやって来て、日米和親条約を結ぶことになる。

幕府は条約の締結に先立って、ペリー提督一行を横浜でもてなしている。Cimg6708

1854年3月8日のことだ。

一人前三両と言う法外な経費をかけたのだが、ペリーには不評だったらしい。

それは日本の懐石料理自体に、肉と油が使われていなかったからだ。Cimg6689

この饗応に対してペリーは、

林大学頭以下70余名を軍艦ポーハタンに招き、返礼の午餐会を開いた。

ペリーは生きた牛や羊まで船に積んできていて、大変なご馳走が用意された。Cimg6579

大量な料理だったのだが、テーブルの上の料理は魔法のように消えたと言う。

珍しい料理の数々に驚き、その多くを懐紙に包んで持ち帰ったらしいのだ。

由来日本人は、西洋料理のとりこになっていく。

明治末の作家、村井弦斎が、報知新聞に「食道楽」を連載、

食道楽ブームを巻き起こす。

しこうして日本の食改革も、当時の不平等条約改定への支援になったのだ。

食と身体について話題を提供した弦斎だが、

彼は日本で始めて「食育論」を説いた男である。

それから100年を経て、2005年6月に食育基本法が制定された。

今、日本各地で食育への取り組みが始まっている。

食べることは、生きることの原点なのだ。

これをもっと大切にしたい。

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