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2008年12月 3日 (水)

目黒の百段階段

昭和初期の東京には、こんな活力があったのか!Cimg6735

しかも、石川県の百姓生まれの細川力蔵一人の力なのだ。

それが、この類希な建築、螺鈿や彫刻、日本画や銘木を見た感想だ。

目黒雅叙園は、昭和6年に細川が始めた料亭である。Cimg6757 

彼は、その昭和6年から18年にかけて、

当時の職人の技能のスイを集めた建物を次々と建設していく。

その棟梁は、伊豆の土肥出身の酒井久五郎だった。Cimg6759

この二人の力で、昭和の竜宮とも言われる非日常的空間が完成する。

だが、その多くが戦災や目黒川の改修で失われてしまう。

そして僅かに残ったのが、この99段のケヤキ板の廊下階段と、Cimg6738

廊下に沿って並ぶ6つの部屋である。

そこには江戸時代から受け継がれてきた職人の技巧が、

最後の光芒を放っているようであった。Cimg6737

昭和初期は、世界大恐慌から戦争へと向かう時期だ。

職人達は、雅叙園に行けば仕事があると集まったという。

言うならば、失業対策事業だ。Cimg6736

それにその事業を支えたのは、当時の庶民の勃興だろうか。

浮き彫り彫刻や螺鈿、天上画などと言う豪華な空間は、

まさに日光東照宮か江戸城の大奥だろう。Cimg6739

それを庶民に開放して、一日のお大尽を味わわせたのだ。

その部屋に座ると、「ホオー、この床柱は・・・」などと、

当時の人々の会話が聞こえてくるようであった。

文科省は、平成13年、この百段階段を有形文化財に指定している。

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