草薙の剣
以前から、その地名の由来が気になっていた。
古事記にヤマトタケルと言う英雄が登場する。
彼は景行天皇の息子で、命によって熊曾や蝦夷の征伐に出かける。
東国への遠征の折、彼は伊勢神宮で叔母の倭比売命から神剣と袋をもらう。
その神剣が「草薙の剣」だ。
東国に入ると相模の国造の造反で火責めにされる。
その時、草を薙ぎ払ったのがその太刀だと言う。
叔母のくれた袋の中身の火打石を使ったのだ。
これで彼は命拾いをする。
木をすり合わせて火を起こす時代だから、
古事に因んでその地を「焼津」と名づけたと古事記にある。
草薙と焼津市は20kmほどしか離れていない。
この古事記の記述は、反乱したのが相模の国造だから誤記だろうとされている。
しかし、この辺が弥生の遺跡の北限だということを考えるとどうだろう・・・・?
まあ、神話の記述と言うものはとり止めもない。
山梨県甲府市の酒折宮のご神体は、その折の火打石の袋だと言う。
ヤマトタケルはこの遠征の帰り、伊吹山の山神退治に出かける。
この戦いで疲弊し、鈴鹿市のあたりで死んだことになっている。
彼が疲れ果てて、足が三重になって溜息をついた所が「三重」だという。
そして草薙の剣は、愛知県の熱田神宮のご神体になっている。
| 固定リンク
「歴史」カテゴリの記事
- 時代の悪戯(2016.11.24)
- 平家公達の最後(2016.10.17)
- 心のよりどころ(2016.05.28)
- 井伊家の千年(2016.05.26)
- ファーストエンペラーの墓(2015.12.01)
コメント