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2009年4月30日 (木)

薫風

風薫る候とはよく言ったものだ。Cimg7755

山も畑も、目に優しい若葉で覆われている。

私の走っている山道も、それはもう浮き浮きするような景色だ。

新緑を抜けて差し込む木漏れ陽は、まるで印象派の絵画のようだ。

蕨は既に葉を広げ、ササユリの成長が目立ち始めた。Cimg7745

茶畑に目を移すと、新芽がサヤサヤと風に揺れ、

その向こうには鯉のぼりが泳いでいる。

さして間もなく、一番茶の摘採最盛期を迎える。

お茶の取引が低迷していたり、Cimg7754

新型インフルエンザが心配だったりするけれど、

この薫風の景色は、永遠に封じ込めておきたい気分になる。

されど、季節は確実に移ろっていく。Cimg7707

さらば、その最も高揚する風を胸いっぱい吸っておこう。

私達の体にも、植物達の元気を受け入れるのだ。

明後日は、八十八夜になる。

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2009年4月29日 (水)

ホモ・ルーデンス

ヨハン・ホイジンガは、人間をホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と定義した。Cimg7748

ホモ・サピエンス(知恵ある人)だからこそ遊ぶのだと。

牛馬のように、ただ働き続けるだけでは人は生きられない。

労働と別の遊びの部分が、生きていく力を蘇らせると言う。Cimg7742

遊びは、ハンドルの余裕のようなものなのだろう。

そう思って見ると、確かに人間は色々と工夫しながら遊んできた。

古くからの民俗行事も宗教も遊びの要素を多分に持っている。Cimg7741

近世では、祭礼やオリンピックのような運動会、草競馬や闘鶏、

さらには鬼ごっこや草野球、パチンコやカジノ、

旅行も遊びの最たるものだろう。Cimg7721

84歳になるお袋の楽しみは、グランドゴルフだ。

「今日は、ワンが二本も出た」とか言って喜んでいる。

市の長寿推進課が、地区ごとにサロンづくりを進めている。

高齢者の語らいの場を作れというのだ。Cimg7414

それを地域全体で支えるような福祉を考えて欲しいとも言う。

要するに、年寄りの遊び場を自治会に作れといっている。

景気対策もさることながら、遊び作りも行政課題なのだ。Cimg7312

とはいえ、何をして遊ぶかは、

実はその人の人生の重大事なのだ。

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2009年4月28日 (火)

雑報「縄文」

「急ぎ過ぎだよ人類は」Cimg7753

「いろんな考えがあるから面白い」

「いろんな人がいるから楽しい」

それが、縄文のコンセプトと言うべきだろうか。Cimg7752

千葉市に住む鈴木厚正さんが発行していて、既に289号になる。

厚正さんが農水省を退職されてからだから、もう15年以上にもなるだろうか。

毎号手書きが基本で、会員の寄稿も含めて20P余のミニコミ誌だ。Cimg7733

しかも記事の内容は、

厚正さんが全国を歩き回って、ふれ合ったことどもで終始している。

都下の消費者を誘って、豊岡村の山仕事にも定期的に通っている。Cimg7654

東京都民がボランティアで、間伐に来るのだ。

そうして、日本の山を、地域を考えようと言うのだ。

簡単に出来ることではない。

自分達で田んぼを耕し、そのことで農業の本当を考えている。Cimg7653

自分の手足で歩き泳ぎ、涙を流し時には怒り、

とにかく自然体で一生懸命生きている、そんな雑報である。

そして厚正さんは、篤実な人である。Cimg7638

知己を得て30年にもなるが、気色張ったのを見たことが無い。

私はこの人に、継続と言うことも学んだ。

とは言え、その人柄と行動力には及びもつかない。

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2009年4月27日 (月)

世界すし博

数年前、「静岡で世界すし博覧会を開きたい。」Cimg7731

清水の宮城島さんからそう聞かされた時、

「この人、誇大妄想か? 」と思ってしまった。

大変失礼な話だが、私の認識がその程度だったのだ。Cimg7728

だが良く考えて見ると、材料には事欠かない。

まず、寿司は今や世界が共有する地球食になりつつある。

それに静岡県は全国第6位の水産県で、Cimg7727

特に清水港のマグロの水揚げは日本一だ。

肴の他にも、春夏秋冬すしネタは極めて豊富だ。

脇役だけれどワサビは、江戸中期に静岡市有東木で栽培が始まって、Cimg7726

今でも生産額では全国最大だ。

勿論、お茶が全国最大の産地で有ることは言うまでもない。

肝心の米だが、かつて江戸前と言われた時代には「関取」と言う米だった。Cimg7722

関取は、江戸時代から明治中期にすし米として珍重された。

この米が、化学肥料の登場と共に絶えてしまった。

その肥料不要の関取米を、種を探してこの博覧会のために復元した。Cimg7716

そうして遂に実現したのが、先週末に開催された世界すし博だ。

浜松のメネギなども含めて、各種のすしネタや静岡ちらし、

6ヶ国の寿司職人もそのお国振りを遺憾なく発揮した。Cimg7713

さすがは食い物である。

そのすし博に、毎日朝から大変な人々が押しかけた。

宮城島さんの執念が、寿司と地域の新たな段階を切り開いたのだ。

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2009年4月26日 (日)

新茶マラソン

マラソンは、紀元前490年、ペルシャの大軍を撃破したアテナイの一兵士が、Cimg7740

マラトンの戦いの戦勝を伝えるために走ったのが由来だ。

そのマラソンが、この日本に上陸して今年で100年になる。Cimg7746

1909年3月に、神戸から大阪まで32kmで行われたと言う。

42.195km先を目指して、ひたすら走るマラソンレース。

その掛川新茶マラソンを走ってきた。Cimg7745

お茶の新芽が風にそよいで、目に優しく輝いている。

沿道の応援だって、三社囃子があったり、

太鼓錬やら戦国大鍋汁があったり、Cimg7747

それにエイドではメロンもキュウイフルーツもたっぷり頂いてきた。Cimg7750

それで今、この全身の疲労感を少しばかり楽しんでいる。

小笠山の仲間も、全員元気に完走したようだ。

ヨシッ、次は八ヶ岳の100kmレースだ。Cimg7751

明日は休むけど、明後日から又毎日走るぞ。

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2009年4月25日 (土)

荒涼

春の嵐が去って、景色が一変した。Cimg7738

雨後の新緑が、特別な陰影を帯びている。

夕暮れの雲間から差し込む光線が、えも言われぬ気分を作り出す。

見慣れた景色が、驚くほど別の趣をかもしている。Cimg7737

画家が、時に嵐を描くのもこんな気分なのだろうか。

私の精神年齢は40歳くらいだと思う。

だが、改めて鏡を覗くと、それなりの年配の男でしかない。Cimg7732

人間なぞ、何をしてきたかの年輪でしかない訳で、

はたしてこの姿で良かったかと、自身戸惑う気分もある。

今日、ある諸先輩の集まる会合に出たのだが、Cimg7735

それなりに年齢を刻んで、その生き方も皆違っている。

風雪を突き抜けてきて、さてどんな人生模様が出来たのか?

嵐の後の非日常的風景を見ながら、自らの来し方とこれからを沈思してみた。Cimg7739

はてさて、我が道を行く他無かろうと !!

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2009年4月24日 (金)

頭脳都市

日本で最も新しい都市は、それはつくば市だろう。Cimg7428

栃木の雑木の台地を切り開いて、官民の研究機関を集めた町だ。

だから研究者の密度が極めて高くて、

そこここでの会話すらが高尚に聞こえたりする。

今では秋葉原から、つくばエクスプレスで約一時間だから、Cimg7430

都心からのアクセスも苦にならなくなった。

多分、日本随一の頭脳都市なのだ。

驚きの一つは、エクスプレスの駅が地下鉄感覚で作られていることだ。

だから、筑波駅も当然地下にある。Cimg7429

それに整然と区画された町並みには、

猥雑物というものが見当たらない。

何故か、お隣の中国の新しい町を思い出した。

古い街ではな、山東省などに生まれている新しい都市だ。Cimg7431

もっともあの国では、雑居地帯をブルドーザーで踏み潰して、

超近代的な街路を建設している。

ともあれ筑波には、そんな新しさ感じさせるところがある。Cimg7394

そのつくば市の人口は20万人、今も郊外に向かって拡張を続けている。

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2009年4月23日 (木)

時代と技術開発

かつて私は、県の農業試験場長をしていたことがある。Cimg7395

当時の私の最大の課題は、研究内容を時代のニーズにフットさせることだった。

工業であれ農業であれ、産業は日々激しく変化を続けている。

だが、その発展に真に資する時宜を得た新しい技術を提供することは、Cimg7418

実はそんなに簡単なことではない。

殊に、民間において最先端まで達している時なのだ。

当然ながら研究機関の研究者には、

先見性だけでなく発想の大いなる転換が求められる。Cimg7419

この点、先日訪れた筑波の中央農研センターの適時性には、

何時もながら感心させられる。

今回のコンセプトは「20世紀農業への反省」と「未来への種」であった。

そして具体的な研究成果は、Cimg7420

田植ロボットであり、肥料を半減させる畝たて機、

それに超多収稲の開発などだった。

なぁ~んだと思わないでほしい。

農業で最も遅れているのはロボット技術だし、Cimg7426

環境と低コストは至上命題だ。

それに低コスト多収はエネルギー生産などにも繫がる。

つまりその中には、新たな発想の芽がしっかりと入っている。

もとより技術開発は、一朝にして成るものではない。

だけれども技術開発には、時代を変えていく力がある。

そんな技術開発にこそ勇気を持って取り組む。

それが、緑提灯の提唱で著名な丸山清明所長の思想なのだ。

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2009年4月22日 (水)

駅前の巨樹

JR磐田駅のすく北側に、楠の大木がある。Cimg7705

樹齢は700年、胸高直径3mはある。

巨樹と言えば、飯山市の鍋倉山のブナや屋久島の縄文杉を思い出す。

いずれも、山道を奥深く踏み入った所に巨立している。

巨樹は、山奥に尋ねてこそ畏敬の最たるものになる。Cimg7706

ところがこの楠は、繁華な駅前にそびえている。

巨木には、神威を感じさせるものがある。

だから里の巨木は、大抵は社寺の神木になっている。

巨樹の傍らに社寺を造ったケースが多いのだ。Cimg7703

この駅前の巨木も、かつて寺の境内にあった。

だが東海道線の敷設と共に、寺は引っ越す他無かったようだ。

それで、ポツンと巨樹だけが残された。

近寄ってよく見ると、木肌は若々しい。Cimg7702

ファーブルが「木の活動力は、表面から中央へ向かって減少していく。

表面は若さ、中央は老いである。」と言っている。

若さと老いの調和が巨人を作り上げているのだ。

樹齢700年と言っても、その長大な時間を実感するのは難しい。

室町、戦国、江戸時代を行き続けてきた生命なのだから。

たかだか数十年の人間にとって、

想像を超える不可思議な時間なのだ。

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2009年4月21日 (火)

ヒヨドリ

我が家の前の電線に、群がっている鳥のことだ。Cimg7668

体は、鳩の半分ほどもある。

そのヒヨドリが、夕方には電線が切れるほども集まってくる。

実際問題、このヒヨドリには恨み骨髄なのだ。

ブロッコリーの葉っぱを棒ガラにするくらいなら許せる。Cimg7302

昨年、私の育てている梨を全滅させたのは彼奴らだ。

10本の梨の木に、昨年は千枚ほどの袋を被せた。

梨の実のその白い袋が、彼らの攻撃目標になった。

勿論、梨の樹にはかなり頑丈な網が張ってある。Cimg7646

だがあいつらは、どこかかに隙間を見つけて、

ヒーヨ・ヒーヨと網の中を飛び回っている。

それでとうとう昨年は、一個の梨も収穫できなかった。

だから今年は、梨の花が咲いても受粉作業をしなかった。Cimg7678

交配してやらないと梨の実は稔らない。

だが、どうせ困るのはヒヨドリどもだ。

ざまを見ろとうそぶいてみたのだが・・・所詮、負け惜しみか。

ヒヨドリは、山に木の実が少なくなると山から里に移動してくる。

集団移動するのだが、その規模は木の実の豊凶に左右されるのだそうだ。

してみると、山が杉やヒノキばっかりになったのが元凶かな?

と言うことは、花粉症と原因は同じか !

因果応報、それにしても・・・人間のはかなさよ。

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2009年4月20日 (月)

おぼろな民意

駆け込み合併の陰を残しながら、ミニ統一地方選が進んでいる。Cimg7671

民意は民主主義の基本だから、選挙は憲政の基礎だ。

だけども率直なところ、投票行動そのものはおぼろだと思う。

和戦を問うような国民投票ならともかく、Cimg7700

殊に市議会議員のような、人を選ぶ選挙が困るのだ。

もとより、A候補でなくっちゃならない理由など有るはずも無く、

選択の基礎は、頼まれたからとか可愛そうだからなどになってしまう。Cimg7349

だから選挙戦は、その僅かなよすがを如何に広げるかになる。

政策など、お飾りでしかないのだ。

また一議員が、高邁を掲げたところで実現など出来るはずも無い。Cimg7701

ところが選挙の結果は、当選候補者の全人格の信任なのである。

おぼろな民意が、その者に判断を白紙委任するからだ。

選挙の大切さ一方、そのはかなさを思わざるを得ない。

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2009年4月19日 (日)

日本人と香り

平安王朝の光源氏は、香りで女性を聞き分けた。Cimg7561

それぞれの局が独特の香りを焚き染めていたからだ。

色香に迷うなどと表現されるように、香りは本能に通じている。

そのほのかな香りが、恋心を沸き立たせたのも雅な王朝ならではだ。Cimg7355

シャネルやディオールのファツションも、香水と密接不可分だ。

間たるブランドになったのは、香水との融合の故とも言えるからだ。

日本人が香りと縁遠くなったのは、江戸時代からだろうか?Cimg7358

儒教の影響や武士の徳目として、感情表現が極力抑制されるようになった。

それに質素倹約が奨励された訳で、

紛々とした香料などはもっての他と言うことだろう。Cimg7643

と言う訳で、私達日本人はほのかな香りを良しとするようになった。

日本茶だって香りよりも味だ。

この点、紅茶も中国茶も香りが全てと言っても良い。Cimg7655

それに日本語には、香りを表す言葉が極めて少ない。

だから、スミレのような香りとか、沢庵の匂いなどと表現するほか無いのだ。

磐田市香りの博物館を訪ねて、しばし香りと戯れた。Cimg7357

私達もそろそろ、香りを楽しむ感性を覚醒させても良いのではないか。

香りは、光源氏がそうであったように、ゆとりの心だろう。

それで早速、茶香炉の埃を払って食卓に置いてみた。

これが、なかなか・・・!

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2009年4月18日 (土)

伊吹山

関ヶ原の北側には、伊吹山(1237m)がそびえている。Cimg7677

伊吹山は、日本列島の細くくびれた位置にあって、

日本海からの風を僅かにさえぎっている。

その山の名のように、風が太平洋に吹き抜ける所だ。Cimg7691

だから冬季には、冷たく湿った風がここを吹きぬけて雪となり、

時折新幹線を止めてしまう。

不思議なものでこの伊吹山あたりを境として、Cimg7695

諸事、人々の風俗すらも変わってくる。

例えば言葉である。

これより東では「馬鹿」と言い、西では「たわけ」などと言ったりする。Cimg7679

食べ物でも、味噌やうな丼などに違いが現れる。

言うならば、伊吹山はこの点でも天下分け目なのだ。

そう言えば平安朝の頃、不破の関があったのもこの関ヶ原である。Cimg7680

ところで伊吹山の南麓に陣取っていた薩摩勢である。

西軍が壊滅してもなお、彼らは無傷のままでいた。

その不動だった彼らが、やがて悲愴な退却行動に移る。

後ろは伊吹山だから、

敵の只中を突破して伊勢街道に抜ける他道は無かった。

それで敵の群れの中に、突撃体形で突っ込んだのだ。

ステガマチで追撃を逃れ、薩摩に帰り着いたのは、

義弘以下80名に過ぎなかったという。

そして260年後、その薩摩藩が徳川幕府を倒す主動力となるのだから、

歴史は正に妙と言う他ない。

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2009年4月17日 (金)

大谷吉継の墓

中山道をはさんで、小早川秀秋の陣跡の向かいに大谷吉継の陣跡がある。Cimg7690

大谷吉継は、茶の湯の席での三成の友誼が良く知られる。

その一杯の茶が縁で、三成の盟友となった。

吉継は、三成の挙兵に最後まで反対していた。Cimg7689

だが遂には、自分の命を投げ出して奔走するに至る。

この関ヶ原に早くから布陣して、西軍部隊の到着を待った。

この地の土豪を、手なずける工作まで終えていた。Cimg7692

この日、吉継は板輿に乗って、正面の藤堂勢を再三に亘って打ち崩していた。

午後一時過ぎ、その横腹に裏切った小早川秀秋の1万5千の兵が襲ったのだ。

俄然大谷勢は、裏切り者に対して死兵に化した。Cimg7693

決死の兵となって、卑怯者に向かったのだ。

そして次々と、小早川の兵站を崩していく。

しかし多勢に無勢、やがてその奮戦も絶望的なものになる。Cimg7694

最後の吉継は、「我が首を敵に渡すな」と湯浅五助に命じ自害する。

その首を五助が埋め終わった時、藤堂二右衛門に発見される。

二右衛門と五助は、旧知の仲だった。Cimg7674

五助は力尽き、いまわの際に「首の在り処を明かしてくれるな」と頼んだと言う。

後に二右衛門は家康に詰問されるのだが、

「約束でござれば、たとえ死しても」と遂に明かさなかったと言う。

大谷吉継の陣跡から300mほど山奥に、彼を祭る墓がある。

敵だった藤堂家が建てたものだ。

吉継は、義に厚く希に見る見事な武将だったのだろう。

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2009年4月16日 (木)

謀略戦

この関ヶ原が、何故天下分け目の戦場になったのか。Cimg7672

それは中山道と伊勢街道、それに北国街道の交差する交通の要衝だったからだ。

西へも東へも、必ずここを通らねばならない。

家康は、佐和山城を抜いて一気に大阪に向かうとのデマ情報を流した。Cimg7678

三成は、そのデマで関ヶ原に誘い出されたのだと言う説がある。

さて、それはどうであろうか?

西軍は寄せ集めだ。Cimg7683

大垣城内では篭城派の小西行長、夜襲を主張する島津義弘など、

およそ衆議一決などは不可能だった。

そんな中で、三成は断固として関ヶ原決戦に向けて動く。Cimg7684

秀吉の官僚であった三成は、近江佐和山の16万石でしかない。

その小身代の三成には、家康ほどの威命はなく作戦の力しか頼るものは無かった。

恐らく彼は、烏合の衆を一本化するには、Cimg7685

戦場の渦中に飛び込ませる他ないと考えたのだろう。

そして彼の意図は、ほぼ成功するかに思われた。

小早川が裏切る接所まで、東軍を敗走寸前まで追い詰めたのだ。Cimg7686

その愚鈍な小早川さえ、戦況を見て裏切りを止めようとしたほどだった。

業を煮やした家康の鉄砲が、その秀秋の迷いを縮み上がらせた。

家康の策謀が、三成の作戦を破ったと言える。Cimg7687

結果として敗れたのは三成だが、直江兼続との盟約にしても、

三成は諸葛孔明を思わせる策士ではなかったか。

この関ヶ原の野には、無数の人々の思いが沈み込んでいる。

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2009年4月15日 (水)

関ヶ原の陣

昨夜来の雨が上がって、今日は上天気である。Cimg7698

1960年の9月15日も、同じような天候だったろう。

三成の率いる西軍は、夜半大垣城を出て、

雨の中を16km先の関ヶ原まで行軍している。

そして翌未明までに、東軍を包囲する完璧な布陣を終えた。Cimg7697

笹尾山の三成の陣跡に立つと、

直ぐ右側には島津義弘、続いて小西行長、

さらに宇喜田秀家、大谷吉継、

やや離れて小早川秀秋、Cimg7694

向かい側の中山街道の上には、吉川広家らがぐるりと取り巻いている。

家康の東軍は、その関ヶ原に出張ってきたことになる。

石田三成ならずとも、この陣形で負けるはずが無いと思う。

その確信があったからこそ、三成は夜を徹して行軍したのだろう。Cimg7675

それぞれの陣は、大谷吉継たちが下準備を済ませていた。

が、三成の目算は、首の皮ひとつで敗れ去った。

全ては、小早川秀秋の裏切りに帰する。

当然のことながら、関ヶ原の地は戦跡だらけである。Cimg7695

そのそれぞれの陣跡を巡って25kmほど歩いた。

陣太鼓の音が聞こえるかのような関ヶ原であった。

世の中のことは、確固とした道理が無くてはならない。

だが人間は、理屈どおりには必ずしも動かないのだ。Cimg7696

そんな分かりきった事を、改めて思わせるのがこの関ヶ原だ。

首塚に立って、多くの武将達の心中を思ってみた。

その武将達の首塚は、巨大な椎の木で覆われていた。

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2009年4月14日 (火)

春勢

春は、勢いを持ってやって来る。Cimg7641

春勢なんて言葉は無いのだろうが、この時期何時もそう思う。

硬い小さな蕾が膨らみ始めたかと思うと、

噴出すような勢いで成長を始める。Cimg7642

ダッシュが遅れれば、それだけ成長の条件は悪くなる。

だが、早すぎれば寒さにやられてしまう。

この絶妙なタイミングが春勢だ。Cimg7648

この点、人間も植物にも相共通するところがある。

毎朝、明るくなるのを待ちかねて、葡萄のハウスを見て回る。

余分な芽を欠いて、彼らに無益な競争を回避させるのだ。Cimg7657

そして私のハウスの棚は、

この半月ほどで、彼らで覆い尽くされることになる。

そして、誘引・摘芯・摘房・摘蕾と、彼らと私の戦争が始まる。Cimg7647

就職に入学、それに転勤もある。

春は、激動の季節なのだ。Cimg7637

そして、この季節には夢が一杯あふれている。

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2009年4月13日 (月)

権兵衛の肥蒔き

先日、筑波にある中央農研センターを訪れた。Cimg7421

センターの研究評価委員を引き受けていて、

お陰で、年に一度その年の研究成果を伺う事が出来る。

今年も多くの時宜を得た発表があったのだが、

中でも「畝内部分施用技術」が気に入った。Cimg7423

いやさ、難しいことではない。

権兵衛さんの時代には、

否、今日でもほとんどの農業者が「全面全層施肥」と言って、畑全体に肥を蒔く。

肥料をまいてから耕して、作物を植える畝を作るのだ。Cimg7426

だが良く考えてみると、植物の根はそんなにあちこちに行くもんじゃない。

だから蒔いた肥料の四割くらいは、どっかに流れて行っちまう。

必要なところにだけ肥料を蒔けないだろうか。

そうすりゃ先ず、肥料の四割は節約できる。Cimg7424

余分な肥料が流れ出さないから、環境にも良いだろう。

それに作物にとっても、必要な所にたっぷり肥料があるから、むしろ増収になる。

つまり、良いこと尽くめなのだ。

それじゃ何故、これまでそんなことが分からなかったのか?

がしかし、それが常識とヤツなのだ。

その常識が、トラクターの畝立機械をちょつと改良することで、

簡単に打破できたのだと言う。

畝の中心部だけに肥料を落としながら混和し畝を作る。

その機械の実演を見せて頂きながら、

権兵衛さんののどかさを考えてしまった。

これまでの農業は、権兵衛さんの農業ではなかったかと。

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2009年4月12日 (日)

大河の一滴

そう ! 山里は、桜の吹雪であった。Cimg7649

花弁は風に舞い、

小川のせせらぎを連なって流れていく。

流れは、山々から染み出した水滴 の集まりだ。Cimg7658

そんな天竜川上流の山里の畑で、二胡とエレクトーンのコンサートが開かれた。

日頃、人を探し出すのも大変な程の過疎地である。Cimg7659

その春野町長蔵寺で、この十年こつこつと庭を整えてきた人達がいる。

と言っても、荒地を開墾して山里らしい庭を作り上げてきたのだが、

それが、尾上美知子さんと仲間達だ。Cimg7661

その仲間には、東京からも学生達が集まった。

最初は、田んぼの傍らのしだれ桜を移植することから始まった。

それが今では、熊切川を借景にした見事な大庭園になった。Cimg7662

そのお披露目の会に、今日は100人余が集まったのだ。

村を元気にしたい。

村の素晴らしさを知って欲しい。Cimg7663

そんな一念の十数年を経てきた庭だ。

その庭の舞台で、劉揚の二胡と有美のエレクトーンは、

重く流れ、心を震わすようなハーモニーを奏でた。Cimg7666

一滴の雨が山を伝い、小川にそそぎ、やがて川となる。

ある時は田畑を潤し、魚を抱きつつ下っていく。

川は、黄河だろうと天竜だろうと同じだ。Cimg7645

何をしていようと時は、止まることなく流れ下るのだ。

二胡のメロディーは、そんな情景を優しく奏でてくれた。

私達は、一滴の水玉に過ぎないかも知れない。

でも流れ下るまでの間、一体どんな役割を果たし得るのだろうか。

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2009年4月11日 (土)

青蓮院を訪ねて

法然上人が念仏の根拠地とした巨大な知恩院の隣に、Cimg7602

粟田御所と呼ばれた門跡寺院がある。

それが青蓮院である。Cimg7605

比叡山の僧坊の青蓮坊を起源とし、

親鸞が修行した寺としても知られる。

鎌倉時代には、代々親王や摂関家の子弟が座主となった。Cimg7607

幕末、尊皇攘夷派の公卿として登場する青蓮院宮(後の久邇宮)は、

この青蓮院の門主であった。

この宮様は、庭中の好文亭などで志士達と密会を重ねたのだと言う。Cimg7608

好文亭は、天明年間には上皇の学問所にもなった。

庭には、多くの山紅葉の中に馬酔木や桜の花が咲く。

粟田山を借景にしたその庭は、雄大で伸びやかだ。Cimg7603

が、何と言ってもこの寺院の圧巻は大楠である。

歴史の流れを見続けてきた五本の大楠が、

人生の何たるかを語りかけているかのようだ。Cimg7609

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2009年4月10日 (金)

清水の夜桜

京都は、清水の舞台から三年坂あたりの風情が良い。Cimg7617

小物雑貨を売る小さな店や町家が立ち並ぶ雰囲気は、

京都ならではのものだ。

あの人混みの小道を歩く度に、そのことの不思議を思ったりする。

それに三年坂の名の由来である。Cimg7619

大同3年(808)に完成したから三年坂と呼ぶのだとか。

1200年も前の名前なのだ。

その坂を、今日も沢山の人が歩く。

もちろん、幕末の志士達も新撰組隊士だって歩いただろう。Cimg7618

そんな思いの去来する坂だ。

清水寺は、平安遷都間もない頃、坂上田村麻呂が開いたとされる。

蝦夷征伐から凱旋した田村麻呂の記念寺院とも言えるのだ。

だから古来、戦勝祈願の縁起寺で、Cimg7615

勝修羅能としても武士達に珍重されたと言う。

能楽の田村では、清水の桜は「誘う花と連れて 散るや心なるらん」と歌う。

京都は、何時の世も大きな時代転換の舞台となってきた。Cimg7612

その時代を旋回させた人々は、清水の舞台で「散るや心」と誓ったのだろう。

夜の清水は、一層そんな事を想起させてくれる。

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2009年4月 9日 (木)

勧修寺

京都山科の古刹である。Cimg7594

西暦900年の創建で、菊のご紋の山門からして雅な寺だ。

寺には氷室と呼ばれる池があって、

平安の昔、毎年1月2日にはこの池の氷を宮中に献納したと言う。Cimg7595

その氷の厚さで、その年の五穀豊凶を占ったのだ。

この池の淵に観音堂があって、桜の花が取り巻くように咲いていた。

池越しのこの眺めは、風雅としか表現の仕様が無いだろう。Cimg7596

雅の訳は、この寺の由緒にもあった。

醍醐天皇が、母の菩提を弔うために創建したとある。

その後歴代の、親王などが入寺する門跡寺院だったのだ。Cimg7597

そんな訳で、尊王思想の水戸光圀も大型の灯篭をこの寺に寄進している。

その独特な形の灯篭は、石を思わせないつくりで、Cimg7599

樹齢750年のハイビャクシンに半ば埋もれていた。

今昔物語集には、醍醐天皇の母親の出生について記述がある。

藤原高藤が、山科での猟の途中雷雨にあう。Cimg7598

その時、雨宿りしたとある家で乙女と契りを結ぶ。

その折生まれたのが、醍醐天皇の母となる列子だという。

京都には、千二百年の歴史が詰まっている訳で、

その分、古の人々の思いも色濃く残している。

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2009年4月 8日 (水)

敢えて試練に

人間は、意志の力で敢えて困難にも立ち向かう。Cimg7564

リアカーマンと呼ばれる男がいる。

島根県生まれの永瀬忠志さんだ。

彼はリアカーに荷物を積んで、世界中を徒歩で旅している。

日本列島縦断やマレー半島横断を手始めに、Cimg7563

アフリカ大陸横断、サハラ砂漠縦断、南アメリカ縦断などだ。

既に地球一周になる四万キロを歩いている。

考えても見よう。

重たいリアカーを牽いて一日中歩いているのだ。

それも毎日だ。Cimg7562_2

炎暑の赤道直下、砂漠、ぬかるんだ道なき道、山脈越え。

猛獣だっているし、そこにテントを張って寝る。

眠れる訳もないし、それは正に地獄だ。Cimg7610_2

誰だって、地獄に足を踏み入れるのは嫌だろう。

歩き出したくない。

永瀬さんも人の子、何度もそんな心境を彷徨っている。

しかし彼は、遂に四万キロも歩き続けたのだ。Cimg7313

「一歩ずつ 一歩ずつ 歩いていこう

ゆっくり ゆっくり歩いていこう

苦しくて 苦しくて 倒れそうなときに

やさしさに やさしさに 励まされ

そのうち そのうち 求めていたものが

目の前に 目の前に 現れる

一歩ずつ 一歩ずつ 歩いていこう」

彼が口ずさんでいる自作の詩である。

人間万歳と言うべきだろう !

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2009年4月 7日 (火)

入学式今昔

来賓として、中学校の入学式に臨んだ。Cimg7624

中学は、半世紀近く前に卒業した母校である。

そこで先ず驚いたのは、校長先生である。

新入生一人ひとりと、彼は握手して回ったのだ。Cimg7626

「おめでとう」と声を掛ながらである。

私達の時代は、戦後のベビーブームで、

一クラス60人、それに確か七クラスもあった。Cimg7627

校長の顔など、記憶のカケラも無い。

教室だって、机が一杯で歩く所も無かった。

ともかく、押し出されるようにして卒業した。Cimg7629

それが今では、31人の6クラスである。

人数は半分以下だ。

そして、広い体育館の半分を占領しているのは、Cimg7630

着飾った父兄である。

戦後間もない私達の頃は、両親とも生活に手一杯であった。

もちろん、入学式どころではなかった。

だが、必死で働く両親の姿は、生きることの何たるかを伝えてもいた。

あれから半世紀。

校長先生のスキンシップは、学校も社会も変わったことの証か。

この子供達が卒業する時、

校長はその手のぬくもりで何を語りかけるのだろうか。

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2009年4月 6日 (月)

小町の館

京都は山科区小野に、小野一族の居館があった。Cimg7590

小野小町は、小野たかむらの孫と言われている。

そして、その居館跡が随心院である。

平安時代中期、雨僧正仁海の開基である。

小町も暮したであろうその髄心院には、Cimg7591

小町ゆかりと伝えられるものが数多い。

小町化粧の井戸や千束の恋文を埋めたと言う文塚、

恋文を下張りしてつくった文張地蔵、小町百歳像などである。

古今和歌集には、小野小町の歌が18首のせられている。Cimg7589

「花の色は 移りにけりな いたづらに

わが身世にふる 眺めせしまに」は、人生の挽歌でもある。

美人には誰も惹かれるものだが、

小町は実在しなかったとの説も有る。Cimg7593

とすれば隋心院のそれは、すべからく雨僧正の法力か?

小町には、草深少将の百夜通(ももよかよい)の話がある。

少将は、小町を慕って雨の夜も雪の夜も通い続ける。

そして九十九日目、最後の一夜を前にi降る雪の中で発病し死んでしまう。

小町はその少将を弔うため、カヤの木を植えたと言う。Cimg7592

その切り株も、隋心院には残されている。

少将の男心も切ないが、小町の美貌も罪なものである。

それにしても、眺めせしまに我が身世にふるのは、人の常だ。

せめて、いたずらに費やす日々でないことを、

小町百歳像の前で誓った。 

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2009年4月 5日 (日)

醍醐の花見

仏教の教えを乳製品に例えると、Cimg7576

乳、酪、生蘇、熟蘇、醍醐の順に深みを増す。

理趣六波羅密多経という経典にそんな記述がある。

要するに、醍醐と言うのはチーズだ。Cimg7577

天武天皇(700)の当時、全国23箇所に官営牧場を作らせ、

そこで出来た醍醐を朝廷に貢献させたらしい。

貴族の滋養の薬であり、最高の味でもあった訳だ。Cimg7588

その醍醐を冠した寺院が、京都山科の南、笠取山山麓に広がる。

醍醐寺の教えは、仏の最上の法味と言う次第だ。

1598年、太閤秀吉はここで絢爛たる花見を開く。Cimg7579

その400年前の秀吉の気分を少し感じてみよう。

それが、今回の来京の趣旨だ。

とは言え、京は春爛漫である。Cimg7584

桜の馬場は、ピンク色に染まって浮き立つようであり、

樹幹3mもある樹齢200年の大枝垂桜は荘厳ですらある。

桜もここまで歳ふると慶賀の心境になる。Cimg7585

それに西暦951年に建てられた五重塔は、

その後の1000年余の歴史の流れをずっと見続けてきた塔だ。

日本最古のその塔の下に立つ。Cimg7583

三宝院の庭は秀吉の設計のままのたたずまいである。

そこに私が存在する不思議さに、酔うような一時であった。

人間とは何なのか ?

「限り有るかな人生 限り無きかな世」なのである。

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2009年4月 4日 (土)

孫と泳ぐ

一番上の孫娘が、もう直ぐ小学校に通い始める。Cimg7285

彼女は、なかなかのチャレンジャーである。

自転車には、三歳くらいで支えなしで乗って得意になっていた。

その孫娘が、土曜になると擦り寄ってくる。Cimg7284

「ねぇ~、ジイジィー、プールへ行こう。」である。

私もそう言われると、よほど忙しくない限り行く他ない。

本当は億劫なのだが、少しずつ進歩する彼女の泳ぎ?を見るのが楽しくもある。

実は私の住んでいる所は、Cimg7282

バルセロナオリンピック柔道銀メダリストの溝口紀子の出身地である。

その彼女を記念して造られたスポーツセンターが、我が家の直ぐ前にある。

二階は武道場だけれど、その一階部分が温水プールなのだ。Cimg7283

絶好な環境な訳で、

とびっきりの若い彼女との、プールでのデートを楽しみにしている。

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2009年4月 3日 (金)

春の装い

あの寂しかった公園が、桜の花と共に様変わりした。Cimg7566

人々が蜜蜂のように群れ集まって、

この心地良い季節の到来を楽しんでいる。

花が終われば、この新緑の下を薫風がそよぐのだ。Cimg7569

電車だって、新入社員のスーツが眩しい。

こぼれてくる会話からは、わが青春の日すら想起させる。

このところの日の出も早くなった。Cimg7570

私も明るくなるのを待ちかねて、葡萄の芽掻きをしている。

私のブドウ達も、今年の新芽を勢い良く伸ばそうとしているのだ。

そう、桜も新入社員も、そして葡萄も、Cimg7567

新しい挑戦を始める季節なのだ。

植物は花弁こそ散らせるけれど、花は散ることなく実となっていく。

植物も人も、必死に生きて、その果実を稔らせるのだ。Cimg7568

春は、そんな初々しい空気で満ち満ちている。

この日本に生まれて良かったと思う。

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2009年4月 2日 (木)

小夜の中山

日坂宿と金谷宿の間に、小夜の中山峠がある。Cimg7555

殊に青木坂と沓掛坂が急勾配で旅人が難儀した。

それで、箱根峠や鈴鹿峠と共に、東海道の三大難所と言われたらしい。

この峠を読んだ歌も多く、勅撰集だけでも40余首という。Cimg7556

峠の沿道には、そのうち13の句碑が建てられている。

中でも西行法師の69歳の折の句、

「年長けて 又超ゆべしと おもいきやCimg7557

命なりけり さやの中山」が余韻を残している。

この峠を再び越えることなど、思っても見なかったのだが・・と言う感慨である。

西行は、東大寺再建の寄金を集めに平泉に向かう途中だった。Cimg7558

峠の大井川よりには久延寺がある。

上杉征伐に向かう家康を、掛川城主山内一豊が迎えた所と伝えられる。

久延寺には夜鳴石も祀られていて、子育観音としても有名なのだとか。Cimg7559

先日のマラニックでは、私達はその利峠を一気に駆け抜けた。

マラニックは、そんな歴史との楽しい出会いもあるのだ。

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2009年4月 1日 (水)

釣耕苑の主

私なぞ、そんな心境には成ろうとしてもなれない。Cimg7550

その屋敷の名の由来は、雲を耕し月を釣るのだそうである。

稀有壮大と言えば、それまでだが・・・。

苑主のTさんは、年の頃は70歳と少々であろうか。Cimg7551

川根の山間にあった庄屋屋敷を買い取って、この島田市の北部に移設した。

同時に二つの能舞台や茶室をも併設。

荘厳とも言える時代の景色を作り出した。Cimg7552

以来、そこで釣耕の生活を楽しんでいるのがTさんである。

かといって、一人悦にいっても面白くは無かろう。

だから時々、月見の会やら襖絵のご開帳やらと人集めをする。Cimg7553

何の不自由が無くとも、やはり人の中でこその釣耕なのだろう。

私達がマラニックのゴールにしているのが、この釣耕苑だ。

ここに三本目の荘川桜が有るからだ。Cimg7554

この日Tさんは、私達の到着を容易万端して待っておられた。

風呂をたき、おでんに甘酒を温め、

前山で掘りたての竹の子を茹で、

酒におにぎりは勿論である。

驚いたのは、私達であった。

55kmの終着点だから、疲労衰弱は当然のことだ。

それが期せずして、この馳走にありつくことが出来たのだ。

何と言う果報であろうか!

感謝は当然のこととして、

Tさんの釣耕の何たるかを、少しだけ悟ったような気がした。

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