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2009年4月17日 (金)

大谷吉継の墓

中山道をはさんで、小早川秀秋の陣跡の向かいに大谷吉継の陣跡がある。Cimg7690

大谷吉継は、茶の湯の席での三成の友誼が良く知られる。

その一杯の茶が縁で、三成の盟友となった。

吉継は、三成の挙兵に最後まで反対していた。Cimg7689

だが遂には、自分の命を投げ出して奔走するに至る。

この関ヶ原に早くから布陣して、西軍部隊の到着を待った。

この地の土豪を、手なずける工作まで終えていた。Cimg7692

この日、吉継は板輿に乗って、正面の藤堂勢を再三に亘って打ち崩していた。

午後一時過ぎ、その横腹に裏切った小早川秀秋の1万5千の兵が襲ったのだ。

俄然大谷勢は、裏切り者に対して死兵に化した。Cimg7693

決死の兵となって、卑怯者に向かったのだ。

そして次々と、小早川の兵站を崩していく。

しかし多勢に無勢、やがてその奮戦も絶望的なものになる。Cimg7694

最後の吉継は、「我が首を敵に渡すな」と湯浅五助に命じ自害する。

その首を五助が埋め終わった時、藤堂二右衛門に発見される。

二右衛門と五助は、旧知の仲だった。Cimg7674

五助は力尽き、いまわの際に「首の在り処を明かしてくれるな」と頼んだと言う。

後に二右衛門は家康に詰問されるのだが、

「約束でござれば、たとえ死しても」と遂に明かさなかったと言う。

大谷吉継の陣跡から300mほど山奥に、彼を祭る墓がある。

敵だった藤堂家が建てたものだ。

吉継は、義に厚く希に見る見事な武将だったのだろう。

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