大谷吉継の墓
中山道をはさんで、小早川秀秋の陣跡の向かいに大谷吉継の陣跡がある。
大谷吉継は、茶の湯の席での三成の友誼が良く知られる。
その一杯の茶が縁で、三成の盟友となった。
だが遂には、自分の命を投げ出して奔走するに至る。
この関ヶ原に早くから布陣して、西軍部隊の到着を待った。
この日、吉継は板輿に乗って、正面の藤堂勢を再三に亘って打ち崩していた。
午後一時過ぎ、その横腹に裏切った小早川秀秋の1万5千の兵が襲ったのだ。
決死の兵となって、卑怯者に向かったのだ。
そして次々と、小早川の兵站を崩していく。
最後の吉継は、「我が首を敵に渡すな」と湯浅五助に命じ自害する。
その首を五助が埋め終わった時、藤堂二右衛門に発見される。
五助は力尽き、いまわの際に「首の在り処を明かしてくれるな」と頼んだと言う。
後に二右衛門は家康に詰問されるのだが、
「約束でござれば、たとえ死しても」と遂に明かさなかったと言う。
大谷吉継の陣跡から300mほど山奥に、彼を祭る墓がある。
敵だった藤堂家が建てたものだ。
吉継は、義に厚く希に見る見事な武将だったのだろう。
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