2009年6月29日 (月)
人生は、運と縁らしい。
運は天から降ってくることもあるが、
縁は自分で努力しないと生まれやしない。
「小才は縁を縁とせず、中才は縁を縁とし、
大才は縁なきを縁とす」なんて言葉もある。
成功する人は、縁の無いような所にも縁を広げていく。
つまり何事も、人と人の出合から始まる。
仕事だって結婚だって、発想や人間の成長だって縁が醸し出すのだ。
そして天から降ってくるはずの運だって、
その縁が運んできたりする。
と、ここまでは方程式どおりだが、
問題は、草食系人間にこの方程式が分からないことだ。
黙々と草を食んでいるにしても、
縁ということに関して無気力のように見える。
お陰で人口だってどんどん減り始めた。
遂に政府も、男女の出会いに補助金を出すという。
縁以前の話のような気がするが・・・。
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2009年6月28日 (日)
沖縄の本部町備瀬に、独特の屋敷林がある。
家々や道がすべからくフクギの防風林で囲まれている。
だから集落の道は、大きな厚い葉で覆われてトンネルのようだ。
台風の襲来や暑さ凌ぎを考えると、中々合理的である。
フクギは、石灰質の土壌でこそ良く育つのだそうだ。
それに備瀬には、古くからの家屋が多く残っていて、
古の南国のたたずまいを良く残している。
行き交う村人にも、色濃いうちなんちゅーの匂いがする。
もう一つの異景は、南城市の玉泉洞だ。
全長5kmもの巨大な鍾乳洞がある。
流石はさんご礁でできた沖縄である。
100万本の鍾乳石が林立しているし、
洞窟の中には水量豊かな川が流れている。
東洋一の洞窟なのだ。
そしてこの洞窟も、戦中は空爆を避ける避難地であったらしい。
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2009年6月27日 (土)
哀愁と陽気さ、それが沖縄のリズムだろうか。
ハッ イヤッ イヤッ~♪のアレである。
この国では、民謡というものが古色を帯び、
メディア向けの流行歌が全てになってしまった。
その中でも、沖縄のリズムは健気に息づいている。
女子ゴルファーの活躍同様、この島出身の歌い手には個性がある。
幾つかのそのリズムを織り込んだヒット曲も素晴らしい。
沖縄舞踊も又、南国独特の手使いで、
その動きにはマレー半島の演舞を想起させる。
その継承がキチツトされているのも、沖縄くらいだろう。
本土からの修学旅行生が、エイサーの練習に汗を流していた。
時に激しく、ときに優しく、陽気で無心である。
古俗というものは、大切に継承されるべきなのだ。
私達は、経済に追われてそいつを忘れてきてしまった。
沖縄は、そのことを思い出させてくれる。
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2009年6月26日 (金)
私は昭和22年生まれの、団塊の世代の先頭の一人である。
「団塊の世代は性強い」という説がある。
ゴキブリみたいに生命力が強いというのだ。
そりゃぁ~、すし詰め教室に受験戦争、窓際族と、
壮絶な競争を生き抜いてきたんだから当然でしょ。
と思うのだが、そういう意味ではないらしい。
団塊の世代は、終戦で戦地から帰還した男達の子供だ。
つまり生き残りの子供で、
ひ弱いDNAは、戦地であらかた淘汰されてしまっている。
ことに南方戦線などは、ウエト奇病で殆どが倒れた訳で、
なおかつ生き残った男の子孫だから強い。
それに旺盛な繁殖力が特徴で、
それが故に戦後の巨大なベビーブームを生み出したのだとのたまう。
まあ~、そこまでは良かろう。
「団塊の世代が中年期を迎えて大量に管理職になった。
そしてその管理職が頑張りすぎたことが、
平成二年以降のバブルの正体なのだ」という。
2005年から日本の人口が減り始めた。
だけど団塊の世代は、当分死にそうにない。
下手をすると、今の年寄りよりも長生きしちまうんじゃないか。
彼らのボリュームはもっと膨らんで、お荷物になるね・・・。
はてさて、嫌われずに生きる術は無いものか。
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2009年6月25日 (木)
6月23日は、沖縄の戦火が止んだ日で、
沖縄戦没者慰霊の日になっている。
糸満の平和祈念公園では、総理大臣も出席して慰霊祭が行われた。
そしてここには、沖縄戦で犠牲になった21万人余の平和の礎が並ぶ。
そのうち本土出身者は6万5千人に過ぎず、
ほとんどが沖縄の人々だった。
熾烈な艦砲と空爆、そして上陸した18万人の米軍、
本土上陸を遅らせるとした日本軍の作戦に翻弄された人々だ。
洞穴で看護活動等に従事した高校生達も、
その多くが悲惨な末路をたどった。
殊にひめゆり学徒隊219名の写真は見るに忍びない。
迫る米軍を前にして、集団自決した人々もいる。
その沖縄戦から既に64年が経過している。
沖縄は米軍の占領下で、焼け野原のゼロからの出発をした。
通貨だって、72年まで米ドルだったのだ。
墓碑を前にして、凄惨な戦争の狂気と空しさを思った。
その中でも人々は、必死で生きようとしていた。
その生を無為に抹殺した狂気をこそ呪いたい。
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2009年6月24日 (水)
石に囲まれた所、つまり城砦を沖縄ではグスクと呼ぶ。
首里城はその代表だが、実は沖縄には200ものグスクが有る。
17世紀の人口が10万人程度だったことを考えると、
一つのグスクの版図は平均して500人になってしまう。
墓地や聖域跡をもグスクと言ったりするから、
まさに石で囲まれた特殊な空間ということなのだろう。
そのグスクを2ヶ所訪ねてみた。
その一つが、本島北部の今帰仁グスクだ。
琉球最大のグスクで、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
南山の尚真王によって統一される1421年までは北山王の居城であった。
流線型の城壁が連なり1500mにも及んでいる。
もう一箇所が、本島最南端の知念グスクだ。
これは土豪の居館跡を思わせるつくりだ。
だがいずれも古い石灰岩を積み上げて作られていて、
万里の頂上や欧州の砦を思わせるものだ。
それに雨の少ない琉球のこと、掘割が全く見られない。
この点本土の城郭とは、随分と違った趣だ。
石垣の上に立つと、青い海原が果てしなく見渡せる。
恐らくは、このグスクを本拠地として、
アジア世界と盛んな交易を行っていたのだろう。
グスクは、琉球の琉球たる所以だと感じた。
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2009年6月23日 (火)
沖縄生まれの者を、うちなんちゅーと言っている。
意識の底に、本土との違いを残しているのだ。
首里から南側の市街地に向かっ
て、石畳の小道が続いている。
16世紀初頭に造られた真殊道(まだまみち)だ。
かなりの坂道だが、琉球石灰岩がきれいに敷き詰められている。
その道の中ほどに、赤瓦の「村屋」がある。
村屋を覗くと、学校帰りの子供達がエイサーの稽古をしていた。
上級生の仕草を見よう見真似で学んでいる。
それに、至極懐かしい雰囲気が漂っている。
さても沖縄の「うちなんちゅー」は、こうして育つのかと合点がいった。
その村屋の向かいに、「ゆくい処石だたみ」と古ぼけた看板があった。
中を覗くと、郷土料理を食わせると言う。
早速入り込んで、泡盛を戴くことにした。
料理は、パパイヤの千切りやらオモロやら、とにかく腹一杯になった。
食べ残しに後ろ髪を引かれながら、ほろ酔い気分で坂を下った。
フッと塀の上を見上げると、巨大なカタツムリが這っていた。
本土の4~5倍はあるだろう。
このカタツムリも、沖縄のうちなんちゅーなんだろうか。
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2009年6月22日 (月)
沖縄に行ったら、是非この茶を喫しようと思っていた。
首里城の北側に、竜の頭のような形をした池がある。
15世紀に中国からの冊封使をもてなすために造営された龍譚池だ。
その池の傍らに、慶例山房という喫茶店がある。
なんと言うことはない古ぼけた店だ。
そこで昔ながらの「ぶくぶく茶」が味わえる。
かつて琉球王朝の作法だったとかで、本土の茶道に相当する。
泡は、実はお茶の泡ではない。
米を炒って煮立て、その汁を茶筅で泡立て、
茶の上にその泡を乗せ、ピーナツの粉などを振りかけていただく。
何とも早、泡を戴くのである。
何故このような趣向が生まれたのかは不案内だが、
茶そのものが中国からの渡来だったこと、
それに本土の茶道の流れが混交したのだろうか。
肝心の泡だが、これは本土の軟水では泡立たない。
硬水の沖縄ならではと言う事で、本土にこれが広がらなかった理由でもある。
あの沖縄戦でこの茶が途絶したのだが、
今はあちこちで味わえるそうだ。
そうだね、この泡は平和の味わいだよね。
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2009年6月21日 (日)
今日21日は、父の日らしい。
と言っても、子供達に祝ってもらった訳ではない。
私の父親の人生について思っている。
農家に生まれた父は、親に早く死に別れた分苦労が多かった。
高校生の時には母親が死に、間もなく長兄が戦死している。
止む無く学校を中退したのだが、直ぐに召集令状が来た。
満州近くを転戦したが、死にはぐれながら復員する。
帰国したら直ぐに、父親が死没。
以来文字通り一家を背負うしかなくなった。
稲作では生活できなくなって、温室園芸で暮しを支えた。
私達兄弟は、その父の働きのお陰で苦労無く育ったのだ。
晩年は、町議会の議長を務めたりしたが、
時代の激流を泳ぎきった人生ではなかったか。
抵抗も仕様の無い歴史の渦の中で、
必死に生きている父の背中を、私は見続けてきたと言える。
その父も二年ほど前、枯れるようにこの世を去った。
果たして彼の幸せとは、何だったのかと思ったりする。
とまれ私自身、老い支度なんてことも考える年頃なのだ。
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2009年6月20日 (土)
那覇市で最も高所に有るのが首里だ。
日本軍は、この首里城の地下に洋裁を築きその総司令部を置いた。
だから読谷から北谷の海岸に上陸した米軍18万人は、首里を目指した。
上陸に先立つ艦砲と空爆で、那覇も首里も廃墟となった。
500年余の歴史を刻んだ首里城も、
瓦礫の丘になってしまった。
沖縄の日本復帰から20年を記念して、
その首里城が復元されたのは、1992年のことだ。
この首里を中心に、日本でもない中国でもない独特の文化が、
貧しい中にも花開いた。
チャイサーや独特のリズムの音楽。
南方の血を感じる文化でもある。
万里の頂上を思わせる石垣が、琉球のグスクの特徴だ。
首里は、その最大のものと言える。
宮殿を飾るシーサーは、中国の影響が色濃い。
琉球は、そうした文化の交差点でもあったのだろう。
2000年の先進国主要国サミツトは、この首里で開かれている。
首里城の歓会門の下の谷に、日本国の壕の入り口が残されている。
ガジュマルの根に覆われて、往時の悲劇を思い起こさせる。
戦後はゼロからの出発。
それでも米軍の重石は未だに重たくのしかかっている。
一昨日の新聞の一面も、
無断降下訓練のニュースが乗っていた。
沖縄の悲劇は、未だに終わってはいない。
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2009年6月19日 (金)
日本人、なかんずく縄文人のルーツは南方にある。
それが今日の定説のようだ。
沖縄の歴史について考えている。
沖縄には、本土と同じ縄文の文化があった。
否、縄文の文化と共に島伝いに日本列島に及んだのだろう。
ただ沖縄は、離党ゆえにその後独特の歴史を辿る。
特に1476年に尚真王が統一王朝を作る前後からは、
中国皇帝の冊封の下にあった。
明らかに中国の一部と見られる状態だったのだ。
それが1609年、薩摩兵3,000余によって征服される。
それ以降、島津家の仕置居下におかれるのだが、
琉球王朝は島津に屈しつつも、中国の冊封・朝貢関係を続けていた。
両属と言える。
17世紀になると、相次いで異国船が来航する。
ペリーも、1844年には那覇に上陸している。
明治4年、台湾に漂着した宮古船の乗組員54人が殺害された。
その機を好機として、政府はこの地を始めて琉球藩とした。
そして、明治7年からの征台の役を通じて、
清朝に琉球を日本領として認めさせる。
政府は明治12年、台湾に清朝への朝貢を禁じ、同時に沖縄県とした。
いわゆる琉球処分であった。
沖縄の歴史は、中国の支配、薩摩の支配、明治政府の差別の歴史でもある。
昨日から、沖縄を訪れている。
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2009年6月18日 (木)
日本の官僚機構を作ったのは、明治の大久保利通だ。
彼は、世界の趨勢に遅れたこの国を創るには、
太政官の意図を強力に執行できる体制が必要だと考えた。
警察機構を整備したのも、大久保の意を受けた川路良利だった。
そのお陰で維新後の混乱を何とか乗り切ったのだが、
それに反対していたのが、木戸孝允(幕末の桂小五郎)だ。
彼は多分に民権的で、政党政治を指向していた。
戦後の日本は、その木戸の考えに近く、
政治と行政は明確に区分されている。
だから首長が変われば、或いは法律の変更があれば、
行政執行は変わらざるを得ない。
事実これまでだって、変わり続けてきた。
とすると、今言われる「官僚打破」の意味が分からなくなる。
公務員制度改革でもめたのは、人事権の所在だ。
政治が、官庁の部長や課長を決めるというものだった。
これをやりだしたら、政変の度に組織を激変させることになる。
官庁に政治家の言う事を利かせたい。
それが政治屋の思惑なのだ。
だがそれは、国民にとって大腐敗の元になるはずだ。
政治家は、自分の利害だけを考えて行動している。
だから「議員がらみ」は、行政マンにとって要注意であったはずだ。
厚労省のやり手局長は、その轍を踏み誤った。
今日言うところの官僚打破は、これと同じ事を日常化させるのだろう。
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2009年6月17日 (水)
人間の体は、その食べ物で出来ている。
それ以外で、ありようも無い。
さしづめ私の場合、米と芋で出来ていることになる。
鶏は食べさせる餌によって、違った色(成分)の卵を産む。
農作物だって、肥料や土によって味が変わってくる。
とすれば、人間も食物によってその性情が違ってくるのも当然か。
肉食中心の民族の行動とは、私達の性格は確かに違う。
カルシウムが不足すると直ぐ切れる・・なんてのもそうだな。
「身土不二」と言う言葉がある。
私達の住む土地と体は、本来不可分だと言う考え方だ。
輪廻思想から言えば、しごく当然のことだろう。
だが現実には、多くの安い輸入品を食べている。
そのお隣の国では、下水のような汚水で野菜を栽培している。
私達は、訳の分からない物を知らずに食べているのだ。
食料自給率40%の私達は、身土不二とは程遠い生活をしている訳で、
自分の体を外国の食物で作ることに抵抗が無いのが不思議である。
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2009年6月16日 (火)
「それを信じた私がバカだった。」
某元総務大臣の言である。
そう、その通り、彼は大馬鹿者だったのだ。
そもそもこの二人は、民営化された郵政事業に不満だった。
それで腹いせに、社長の首を取ることを考えた。
そんなところに、カンポの宿の売却申請があったのだ。
過去に投資した金額よりも安く売却すると言う。
彼は、この話を利用して首を取れると考えたのだろう。
「国民の財産をけしからん」と今回の騒動を始めた。
「不正が有るに違いない」「認可しない、撤回しろ」と。
だが経営者にすれば、年間数十億円もの赤字を出し続けている事業を、
売却したいと考えるのは当然だろう。
しかも、問題含みの職員ぐるみの売却である。
N社長にすれば、この横槍は青天の霹靂だったに違いない。
しかも相手は、監督官庁の大臣である。
しかし遂に、国民に正義を装った謀略は潰え去った。
だがそれにしても、この謀略の付けは相当に高いものになりそうだ。
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2009年6月15日 (月)
戦後の日本人は、米を減らして小麦を食べるようになった。
米の年間消費は800万トン位だけど、
小麦はそれを上回っている。
しかも、その大部分が米国・カナダからの輸入だ。
食料自給率が40%なのは当然だろう。
そもそも、小麦を作るのには水は余り必要としない。
森を拓けば、そこに小麦畑を広げることが出来た。
文明発祥の地は、その小麦の生産を背景に生まれた。
5000年前のイラクのウルクと言う都市がその一つだ。
ウルクの王が最初にやったことは、森の神フンババの殺害だった。
それからというもの、森はどんどん切り倒されて、
森林は都市の発展と引き換えに破壊されていった。
そうして、今日のイラクがそうであるように、
文明の発祥地は大抵が砂漠になってしまった。
一方、稲作はそうではない。
必ず大量の水が必要だし、そのために森は不可欠だった。
自然と調和しつつ生産活動するのが水田農耕だ。
ちなみに稲作発祥の長江中流域だが、砂漠化とは縁が無い。
人間の生存のためには、自然環境を保持することが不可欠だ。
稲作農耕というのは、自然の征服ではなくて調和の産業なのだ。
日本人は米と言うものを、こぞって見直すべきではなかろうか。
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2009年6月14日 (日)
文化とは、人々の営みとその表現とでも言うのだろう。
私達人間が他の動物と違うのは、その文化の故である。
小難しく言わなくったって、
この世にスポーツや文学・芸術、園芸や工芸、それに園芸などが無かったら、
面白みの薄い月日になってしまうと言うことだ。
当然ながら、本やTV、歌や芝居、祭りや催事がなかったら、
この世の中だってギスギスするだろう。
紛争と競争の只中では、文化はふくらみを持たない。
平和と安定の中でこそ、花を咲かせるのだ。
それに文化は、極めれば際限もなく奥が深い。
どの水準で満足するのかが、人それぞれの生き方になる。
ともあれ、文化は人と人を結びつけるツールだ。
今年の秋には、静岡県で国民文化祭が開かれる。
文化は、けっして他人のものではない。
人々の営みの積み重ねを謙虚に学ぼう。
そうして私自身、この機に何かを発見したいと思っている。
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2009年6月13日 (土)
石川知事の突然の辞任で、にわかな知事選びが始まった。
それも総選挙近しとあって、政党がらみになってしまった。
当然ながら、選挙後にまでしこりを残すだろう。
ともあれ知事には、大局観を持った指導力の有る人が良い。
しかしながら、聞こえてくる声がミミッチイ。
「知事給与の三割カット」とか、
「県職員給与の10%引き下げ」「天下りの禁止」
それに「県民税を安くする」なんてのもある。
どれも一見耳障りは良いのだが、何分スケールが小さい。
知事の給与を、仮に一千万円少なくしたって只それだけのことだ。
それで、県が発展する訳ではない。
職員の給与は、基本的に人事委員会の勧告に沿っているのであって、
引き下げる根拠が有るのかどうか?
只の弱いものいじめのようにも見える。
天下りったって、年金受給年齢まで再雇用する代わりに、
現職の半分程度の賃金で働いている人が大部分だろう。
県民が、県政に望むのはその程度のことなのだろうか?
ともかくも、380万県民のために、
意気が高揚するような選挙戦であってほしいと思う。
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2009年6月12日 (金)
人は皆、精一杯の人生を生きようとしている。
だが、もとより生き物である以上、老・病・死を拒むことは出来ない。
米国のGMの挫折だって、今回の経済危機だってそうだ。
予想外のことが起こってくるのだ。
その儘ならない世の中で、こうと決めたら突き進む。
そいつが、生き方としての魅力であり、多くの人々の支持を受ける。
小泉元首相の郵政民営化は正にそれだった。
事の是非よりも、信念を持ってそれを貫く姿勢が眩しかった。
退路を断って行動し、そしてやりきってしまった。
さりながら、物事には常に反作用が起こる。
民営化反対派の蠢動である。
攻守ところを変えた反革命ともいえる。
そんな目で見ると某総務大臣の言動は、
信念でなく横暴な横車のように見えた。
西南戦争における西郷のような稚児染みた正義の演出、
そう感じたのは私だけだろうか。
吉田兼好の徒然草に曰く、
「必ず果たし遂げんと思わん事は、機嫌を言うべからず」と。
某大臣は、果たして更迭となった。
これ、諸行無常ならんや。
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2009年6月11日 (木)
今日は、暦の上でも入梅である。
が、昨夜来の雨も上がって、一転夏日になってしまった。
こりゃ、空梅雨かな ?
しかしこの列島には四季があって、その季節なりの約束がある。
春には花が咲き、秋の稔りの後には落葉の冬を迎える。
鳥達は若葉の中で営巣し、子午線を感じながら育児に励む。
人々は春を待って田を植え、秋の収穫の後に冬支度を始める。
田起こしから新嘗祭までの営みである。
動物も植物も、その約束を守りつつ生活してきたのだ。
歳時記とは、まさにその約束事であろうか。
それに日本人は、暦を頼りにその装いさえ変えてきた。
我が家の老犬だって、冬毛を脱ぎ始めている。
田植の終わったばかりの水田では、
早苗が心地良げに緑を増している。
それが生きとし生けるものの、ありのままの姿なのだ。
近年のこの国の人々は、農村から離れ多くが都市に住むようになった。
それにグローバルな物流や生活様式の変化が、
次第に季節を希薄なものにしていく。
それでも、季節は着実に巡っている。
私達は、季節の中で生きているのだ。
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2009年6月10日 (水)
フルマラソンの場合、1kmを五分少々でクリアーしていくのだが、
それでもゴールは四時間前後になる。
さらに時間と言うものを、思い知らされるのがウルトラマラソンだ。
私の頭の中には、制限時間の14時間しかない。
途中にも何箇所か門限が有るのだが、
そいつが気になるようなら完走は無理だろう。
スタートしてから50km位までは、計算通り足が動く。
だがその先は、何が起こるか分からない。
時間との戦いがそこから始まる。
歩いたんでは、一時間に6kmがやっとである。
ゴールまであと30km、時間は5時間か残っていない。
「歩いたって行けるさ」と思う一方、体は歩くことさえままなら無い。
エイドステーションで座り込んでしまう。
気を振り絞って走り始めても、速さは歩くのと変わらない。
1kmが途方も無く遠く感じられる。
そして時は、容赦なく進んでいく。
それでも1kmまた1kmと、ひたすら縮めていく。
まさに時は距離(金)なりなのだ。
時の記念日の今日、そんなことを思い出した。
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2009年6月 9日 (火)
生協ひろしまが農業法人を設立するそうだ。
ワタミやイトーヨーカ堂、カゴメの農業参入は既に知られる。
農水省も、農業法人などへの就業に支援を始めた。
「農の雇用事業」として、十数万円/月の助成をするらしい。
そうした新たな農業参入は、ブームにさえなろうとしている。
しかしながら、農業は総合産業であって舐めてもらっては困る。
まず土地や施設、機械と言った資本がいる。
それに栽培管理の様々なノウハウに加え、
販売についての知識も不可欠だ。
今日の農業は、栽培にも高度な電子機器を使っているし、
品質だって数値で管理している。
そうした全ての条件をマスターできて、初めて農業経営者足りうるのだ。
裸一貫で牛馬のように働いたのは、戦前までの農業でしかない。
既に、農業は才覚者のものなのだ。
静岡大学の農業人材育成講座が始まって、
フィールド科学教育研究センターでも実地研修が行われている。
溶液栽培の培地を作ったり、生産物の品質測定をしたりと真剣だ。
おそらく普通の学生達よりも、数倍の集中力で学んでいる。
彼らは、農業を進化させるヒントを求めているのだ。
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2009年6月 8日 (月)
このところ、自分の心の置き所が気になっている。
私達の日々は心に差配されているのだが、そのありようが問題なのだ。
浮き浮きしたり寂しかったり、
悔やんでみたり、意を決したり、またまた迷ってみたり。
自分のことでありながら、ままなら無いのが心のようである。
人間の行動がその心任せなのなら、
心の仕組みを知っておくにしくはない。
こころには、知・情・意の三つの要素があるらしい。
知とは、理解したり推理・判断する機能だ。
情とは、好き嫌いや不安、思いやりや憧れだ。
そして意とは、欲望や意志・意欲になるだろう。
私達の行動は、この知・情・意の組み合わせ方で違ってくるらしい。
「感情的な行動が多い」人は、知と意が少ない人だろう。
私のように理屈っぽいのは、情と意が薄いんだな。
ともあれ、この三つのバランスで個性は生まれる。
今日も、理屈ばっかり書いちゃったなァ !
多分、「意」の部分が弱ってんだな。
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2009年6月 7日 (日)
昔、公徳心なんて言葉があった。
過去形にしたくなるような、この国の現実がある。
道に平気でゴミ袋を捨てていく。
それが散らかって・・・、寂しい気持ちになる。
私の走っている山にだって、家具やら電気製品やら、
危険物も混在して捨てられている。
車の窓からポイッと食べ残しの弁当を捨てるヤツの顔は、
きっと自己虫の顔をしているのだろう。
自分さえ良ければ、後は構ったことはないのだ。
残念ながら、そんな輩が増えたな~。
今朝は、全市一斉クリーンナップ作戦である。
自治会の役員を中心に、結構出ていただいた。
他人の粗野な行動の後を、ボランティアが始末する。
ポイ捨ての犯人は、それを何とも思わないヤカラなのだ。
「ゴミは市役所に片付けさせろ」なんて時代ではないのだ。
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2009年6月 6日 (土)
梅雨に入ったかのような天候が続く。
午後の雨間を縫って、楽しい作業をした。
馬鈴薯と玉葱の収穫作業だ。
ジャガ掘りは、発見の作業だ。
この株がどれ程の子芋を付けているか、意外と思いの他なのだ。
小さな株が沢山の芋を持っていたり、
葉ばかりなんてのも有る。
始めは三本鍬で掘ったのだが、やがて手掘りにした。
その方が、芋を掘り当てる実感がある。
稔りと言うのは、私達の生存に直結している。
ミレーは、フランスの貧しい農家を描いたが、
収穫への敬虔な祈りが、その絵には滲み出している。
私達人間は、そうやって生きてきたのだと言う表現だ。
そんなフランスの農民のことを思ったりしながら、
ひたすら暗くなるまで芋を掘った。
ひょつとしたら、私の姿も画材になるのではないかと思ったりして、
遠くから自分を見詰めてみた。
農の営みは、私達の本能の営みなのだ。
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2009年6月 5日 (金)
人も組織も、過去の成功体験にとらわれる。
その成功が大きければ、なお更のことだ。
GMの破綻は、改めてそのことを思わせる。
GMは、丁度100年前の1908年にミシガン州で誕生した。
その絶頂期には、51万人余の従業員を擁した。
まさに米国産業の象徴であり、国民のプライドでもあった。
その会社が、遂に破綻したのだ。
破綻の原因は、消費者に見放されたからだ。
すぐに壊れる車を作って、環境汚染も安全も軽視してきたからだ。
常に自分達を中心に地球が回っていると思っていた。
それは過去の成功体験の成せる業であり、
GMのいらざるプライドであったろうか。
日本でGMのキャディラックに乗っていたら、
それはもう、ヤーさんでしょ。
如何に米国であっても、売れる訳が無い。
慢心は、自滅への道だ。
ところが分かっていても、そこに陥るのが人でもある。
一方では先日、サンクトペテルブルクでトヨタ自動車に続いて、
日産自動車がロシア工場の操業を始めている。
栄枯盛衰は、この世の常と言うべきだろう。
それは、企業活動に限ったことではないのだ。
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2009年6月 4日 (木)
昔から、本代にはかなりお金を使ってきたと思っている。
だけど、本には空振りが多い。
買った本を読み出して、がっかりすることが多いのだ。
打率は、三割を下回るだろうか。
それで私の部屋には、読みかけの本が溜まっていく。
何年かに一度まとめて処分するのだが、
殆どは廃品回収に出すことになってしまう。
それで最近では、余程でない限り本を買わないことに決めた。
その分、図書館に行くことにしたのだ。
今度は金をかけない分、結構な濫読になった。
それにハズレの本を手にしても、がっかりしなくなった。
本には、自ずから発している波長がある。
自分の求めているものに、その波長がどこかでフィットしないと、
その本を読むこと自体が、単なる暇つぶしになってしまう。
ズシリずしりと説得力のある本に巡り会いたい。
そんな本を求めて、毎週のように図書館に通っている。
私も少しは書いているから不遜な事は言えないが、
本は著者の生き様を透かせて見せてしまう。
その生き様に一所懸命が無くては、読む甲斐はないのだ。
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2009年6月 3日 (水)
25年程も以前のことになる。
子供たちを連れて、ワンボックス車で毎月キャンプに出かけていた。
静岡ファミリーキャンピング倶楽部の一員で、
その例会が毎月あったからだ。
毎月と言うことは、当然真冬にだって例会がある。
だから、雪や氷の上にもテントを張って寝たりした。
牛乳が凍ってシャーベットになるような環境でもサバイバルした。
当時は、車を乗り入れるキャンプ場などは皆無で、
例会場を探すのに苦労していた。
その交渉にも苦労したし、
遂には自分達で土地を借りてキャンプサイトを作ったりもした。
パイプを敷設して川上から水を引いたり、ログハウスを作ったり。
とにかく毎回、帰宅するとぐったりするほど疲れた。
それでも、夜更けまで焚き火を囲んでの談笑が楽しかった。
とにかく、オートキャンプを普及させるのだと意気込んでもいた。
天竜川の河口でも、地元から頼まれてモデルキャンプをしたことがある。
それが契機で、この地に立派なオートキャンプ場が作られた。
隣に温泉があったりと至れり尽くせりの施設で、
国内のこの種の施設では、五つ星のキャンプ場にランクされているらしい。
私のキャンプは、子供達のワイルドな教育のつもりだった。
電気のコンセントも流し台もあるキャンプ場は快適だが、
その分、親父の威厳を示すところが無い・・・?。
ともあれキャンプは、春と秋が良い。
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2009年6月 2日 (火)
多文化共生と言うことが求められている。
17万人の街に、一万人近い日本語を話さない人達が住むのだから、
当然と言えば当然だが、これが中々容易ではない。
公園に行くと圧倒的に彼らが多い。
海洋公園でも、釣り人の大半は肌の色合いが違うし、
家族連れだって日本語を話してはいない。
肌も思いっきり露にしている。
かなりの違和感が有るといってよい。
この点、静岡市の駿府公園などの雰囲気とまるで違っている。
しかし彼らにすれば、この国に来て仲間が集まる所、
それが公園なのだろう。
生活習慣の違いはよしとしよう。
だが現実には異言語共生であり、これを乗り越えるのは至難の業だ。
で、お隣の自治会では、日本語教室を開いている。
こいつは、国や企業がもっと本腰を入れるべきだろう。
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2009年6月 1日 (月)
天竜川の河口付近に巨大な風車が出来ている。
5機の風車は新しい景色になっていて、
海洋公園の諸々とも結構なじんで見える。
とかく人間は保守的なもので、
新しい事象には拒否反応を示すものだ。
明治初期の大くの混乱だって、
不平士族の乱として片付けられているが、
実態は一気に西欧の文物や仕組みを導入しようとしたことに原因があった。
風力発電にも、景観はかいだとか音害だとか反対意見もある。
だが場所を選べは、この景色も様になる。
それに無尽蔵な風力を、エネルギーとして使わないのはおかしい。
既に私達は、地下の石化エネルギーに依存できなくなっている。
車だって、やがて電気自動車の時代になるはずだ。
新しい時代の景色と言うものを、創造していくことこそ大切だと思う。
そうして、エコを日本の文化にしなきゃね。
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