2009年7月31日 (金)
夏休みの孫達を眺めながら思う。
子供の頃の夏休みの一日は、ずいぶんと長かった。
早朝に蝉が鳴き出して、眠たい目をこすりながら起きだす。
それから、ラジオ体操に行った。
それから・・・・・・。
毎日、何をして過ごしたんだろうか?
たぶん宿題もそっちのけで、遊び呆けていたんだろう。
やがて、長かったはずの夏休みもあっけなく終わってしまう。
そして、あれもこれも、やっときゃ良かったと悔いるのだが・・。
或いは人生も、夏休みと同じかも知れない。
人生は、結構長い。
その人生を、ひたすら一生懸命に歩いてきた(はずだ)。
時には、満身創痍になりながらも未だ生きている。
人生は、常に戦いだと思いながら今日に至った。
たった今だって、古臭いゼンマイ仕掛けの時計だけど、螺子を巻いたばかりだ。
それでも何時か、
「この歳になるまで、一体何してたんだろう?」
そう思うのに違いない。
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2009年7月30日 (木)
かつて平安の頃は、「ふつ」は太いことであり、「つか」は束だから、
立派で丈夫なことを「ふつつか」と言ったようだ。
それが中世以降、軽率で不調法と言う反対の意味になってしまう。
つまり不束は、「束ねてない束」の意になった。
農業もコンバインの無かった時代には、稲株を束ねないと処置に困るのだ。
ところで、各党が相次いでマニフェスト(政権公約)を発表している。
いい加減な公約をしていたのが、03年からマニフェストに変わった。
そして今回は、名実共に政権を目指す誓約の束になりつつある。
当然ながら、本当に出来るのかどうかが大きな議論になる。
それだけに、発表して直ぐに慌てて修正したりしているが・・・。
まぁ~ともかく、政党らしくなってきたということだ。
とは言えマニフェストは、国民との「指切りげんまん」だ。
指を切って血判を押すことだし、
ヤクザなら指を詰めて誓約することでもある。
後になって、不束で財源が有りませんでしたでは済まないぞ。
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2009年7月29日 (水)
この社会、正義は何よりも守られなくっちゃいけない。
「だけど」と思うのだ。
天竜林業高校の推薦入試調査書改ざん事件である。
有力父兄に懇請されて、担当教諭に改ざんを指示したとして校長が逮捕された。
被告は指示を否定しているが、それで2名の推薦入学が叶ったと言う。
裁判は、その指示の内容を巡って争われているようだ。
「頼まれて困っている。何とか出来る事があったら配慮を頼む」
とでも、校長は言ったのだろう。
担当教諭は「その発言で、止む無く改ざんした」と言う。
勿論、自分の担任の生徒のことである。
それに教諭と言うものは、校長の発言にそんなに従順なものなのかどうか?
そのことが、今回の事件の争点だ。
既に、この事件は繰り返し過大に報道されている。
元校長は、社会的制裁をもう十分過ぎるほど受けている。
それに被告の退職金も社会的な地位も、全てこの裁判にかかっているのだ。
校長はこの裁判に負ければ、40年近い精勤の全てを失う。
仮に校長がその立場をわきまえなかったにせよ、この代償重過ぎる。
教育熱心な校長だったらしいし、何とかならんのかとも思う。
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2009年7月28日 (火)
マニュフェストとか言う公約のことだが・・・。
未来への希望と言うのは、誰にとっても少しばかり魅惑的なものだ。
何かが変わるかもしれない。
そのことでハッピーなことが有るかも知れない。
そう思うと、その未来を信じてみたくなる。
それが人情と言うものだ。
だけど未来が美しいのは、
自分自身の未来に関する事だけらしい。
目標に向かって、一歩一歩努力を続ける。
そして未来のゴールには、それなりの達成感が待っている。
仮に途中で挫折しても、それはそれで納得できるのだ。
だけどこれを他人に全て期待したとしても、大抵は裏切られるものなのだ。
高速道路も無料だし、ガソリンも半値になる。
農家の所得も保証してくれる。
子供にも沢山の手当てを頂けるようだ。
年金も潤沢に出るらしいぞ。
素晴らしいじゃないか!
そのために必要な税金は、ドンドン取れば良いのだ。
盛り沢山の未来は、重い負担の裏返しでもある。
未来は「未だ来ず」と書く。
他人の描く未来に、「行く末」の過大な期待はしないでおこう。
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2009年7月27日 (月)
そろそろと言うか、もういい加減、
率直に自分に向き合うべきだと思っている。
人間にはそれぞれ、自分を構成している要素がある。
生まれた環境とか、共に学んだ学校や友人、
どんな仕事をどんな風にやってきたかと言うこと。
趣味への入れ込み具合だってそうだろう。
それに住む町や、遭遇した事件や事故もある。
そうして最も大切なのは、人との巡り会いだろう。
何処でどんな人と係わって、どんな体験をしたかである。
当然ながら、その要素はみんな違っている。
不満なところも、幾ばくの自惚れだって含まれる。
そうして、その要素のひっくるめが今の自分だ。
こいつらを引っさげて、今を生きているのだ。
この夏の夜に、一人そんな事を思っている。
そしてここには、未だ未熟な中高年が彷徨している。
これからだって、新しい要素を探すぞって!
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2009年7月26日 (日)
人間は何時から、火を花にしてしまったんだろうか。
花火大会の季節だが、今年は中止になった所が多い。
お陰で花火の業界まで不況風が吹いている。
とは言え、化学物質の燃焼を一瞬の美に昇華させるのが花火だ。
この儚い滅びの美に、ついつい自らの人生を重ねてみたりする。
それにしても近年の花火は、随分と変化形が多くなった。
色も水色やレモン色が出てきたし、
形の変わったのや動くやつまである。
圧巻は、音楽に合わせてプログラミングされた点火だ。
花火もコンピュータで電動的に点火するのだ。
一瞬の光のショーである。
しかも、一区切りの連続花火に物語があって、
人生の何事かを語っているらしい。
今夜は、親しい友人と花火の下で飲んでいる。
宴はとりとめもない。
浜名湖に浮かぶその火の花は、
湖面に残影を残しつつ消えていく。
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2009年7月25日 (土)
スイカの美味い季節だ。
殊に、山を走った後にかぶりつくスイカが絶妙である。
それも、幾ばくかの塩を振って食べる。
走っている仲間が、スイカを皆で食べるために栽培していて、
良く冷やしたのを山に持ってきてくれる。
そいつを、みんなでかぶりつくのだ。
心底「あぁ~、生き返った!」と言う気持ちになる。
ところでスイカから発見されたアミノ酸に、シトルリンと言うのがある。
肝機能を元気にする成分だそうだ。
それにスイカには、リコピンやビタミンAも多く含まれ、
強い抗酸化作用がある。
味の対比効果を高める塩だって、取り過ぎなどと心配は無用だ。
何故なら、スイカには塩分を排出させるカリウムもたっぷり含まれる。
要するに、汗をかいた後はスイカに限るのだ。
仲間の存在は、この上なくありがたい。
今日も、スイカにありつくことが出来た!
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2009年7月24日 (金)
今日午後も、理事会があった。
ついこの間まで、そんな組織の動きなどに関心は無かった。
多文化共生で総務大臣から表彰されたんだっけ、と言う程度の知識だった。
それが連合会の役員にさせられて、
結構な時間を割かなくっちゃいけなくなった。
私の住む市には、304の自治会がある。
それが31の地区に分けられていて、
それぞれの地区から一名の連合会役員が出ている。
役員には、元○×高校の校長とか、元△○町の助役などと言った人が多く、
私は、恐らく最も若年役員の部類に入る。
それはともかく、そのアクティブな姿勢には頭が下がる。
もとより自治会と言うものが、頼りない存在になっている。
だから連合会が、これを何とかせんといかん、そんな思いでやっている。
この国には、本当の意味での自治意識は、露ほども育っていない。
官僚云々と言いながら、面倒は全て行政に押し付けてきた。
だけど、もう税収が伸びていく時代ではない。
逆に福祉や年金、介護だって負担が増えていく。
地域で出来ることは、みんなでやんなくっちゃって時代だ。
先ずは、そのことを知ってもらうことから始めようと思っている。
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2009年7月23日 (木)
思えば私など、これまでずぅ~っと他人本位で生きてきた。
学校では先生や同級生を慮って、ずっと良い子で過ごした。
当然職場では、上司の顔色を伺いながら、
言いたいことも半分以下に抑えてきた。
家の中だって、山の神の天下である。
その意向に逆らうなんて、恐ろしくて考えもしなかった。
要するに根のない浮き草のように、
他人本位に徹して、集団エクスタシーに浸っている方が楽だったのだ。
それが市余生の要諦だとも思っていた。
しかしだ。
もう還暦も過ぎて、権威も権力もその程を知った。
人の尻馬も、それほど乗り心地の良いものではない。
そろそろ、浮き草に根くらい生やしても良かろう。
別に、個人主義になろうってんじゃない。
これが本当の俺だよって、言いたいだけなんだ。
そう言えば、このブログもその一つだね。
ちなみに三菱を創設した岩崎弥太郎は、
徹頭徹尾、自分主義を貫いた男だ。
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2009年7月22日 (水)
農業も産業である。
誰がどのような形で営農しようと、それは自由であるべきだ。
大手スーパーや外食チェーンの農業参入はこれまでもあった。
が、いずれも生産物を自社で加工・販売する形だった。
だけど今回、豊田グループの豊田通商が、
宮城県でパプリカの生産と販売を始めた。
自ら生産し、スーパーやコンビニチェーンに本格的に流通させる形だ。
計画では、年商100億円の売上げを目指している。
総投資額は30億円近い。
当然ながら、就業の場も生まれる。
問題は、これが上手く回転していくのかどうかだ。
出来るとなると、既存の農業に大きな波紋を広げるだろう。
トヨタ程の大手企業なら、その信用力は農家とは比べ物にならない。
農地法の改正で、企業の農業参入がグンと容易になった。
農業者としては、内心複雑な思いである。
はて、落下傘を奇禍とすべきか否か。
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2009年7月21日 (火)
人生とは、生まれて、生きて、死ぬことだ。
ただ、生まれる事と死ぬ事は、思うに任されない。
自分の意志で生まれることは出来ないし、
認知症や事故で死ぬかも知れないからだ。
だけど生きることに関しては、自分の裁量が大きい。
自分の思いを貫くことが出来れば、それは素晴らしい人生だろう。
問題はその思いだ。
安易なことばかりを指向していたら、それだけの人生になってしまう。
時には思い切って冒険することが必要だ。
坂本竜馬は、法螺吹きと言われていた。
「ああいう黒船を何艘も率いて、日本の世直しをやっちゃる」とか、
「ご政道を京都様に献上する」などと公言していたからだ。
それも磐石な幕藩体制化で和船しかない時代にである。
人が「法螺吹き」と思うのが当然だった。
だがその思いが、大きく歴史を動かしていったのだ。
私など小心者で、もとより坂本竜馬の足元にも及ばないが、
少しくらい法螺を吹いて挑戦する人生の方が楽しいね。
それから「おまえはひよこ」にならないことが肝心だ。
それは、愚かな人、間抜けな人、エゴの人、恥ずかしい人、卑怯な人、
それに幼稚な人、滑稽な人だ。
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2009年7月20日 (月)
人の一生は、終わってみなくっちゃ分からない。
と言って、無為に過ごしたって結果は見えている。
が、結果など気にもせずに、一生懸命に生きる。
その方が、きっと「生きたね!」って人生
になる。
葬儀に会葬するたびに、故人との諸々を邂逅する。
あの時の一言が、蘇ってくるのだ。
私の叔父も、余りにも人間くさい人だった。
晩年は8年間も施設で過ごすことになったのだが、
元気な頃のあれこれを思い出していた。
人は、何時かは死ななければならない。
だけど、その死ぬことを考えて行動してるやつなんていやしない。
それで良いのだ。
今を精一杯生きることが出来れば、
結果など本当はどうでも良いのだ。
私の叔父も、きっと黄泉の国で微笑んでいるような気がする。
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2009年7月19日 (日)
沖縄では、うふやーと読む。
シーサーと赤瓦の家屋が、最も沖縄らしい風景だろう。
いずれも、中国や東南アジアの影響が色濃い。
地区100年にはなろうかと言う大家は、まさにそれである。
名護の山間にあるレストランだ。
裏山からは水が流れ落ちて、
南国の暑さが少しも気にならない。
風が山裾を伝って、開放的な屋敷に流れ込む。
やはり南国と納得する工夫に感心する。
食わせるのは質素な郷土料理だが、やはり土産土方である。
その土地の物を、その土地の方法で調理していただく。
空気も水もご馳走なのだ。
沖縄は、本島の他にも島々が幾つもある。
来年早々にも、石垣島あたりに出かけてみたい。
勿論、静岡空港のお陰だ。
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2009年7月18日 (土)
オクラの成長力は素晴らしいものだ。
それに気づいてから、かれこれもう10年にもなる。
以来毎年、オクラを栽培してきた。
今年も、500株ほどを育てている。
そして私が朝起きて一番先にするのが、
このオクラの収穫である。
オクラは、アフリカ原産のアオイ科の植物だ。
同じアオイ科のハイビスカスと同様、結構豪華な花を咲かせる。
中が濃紫色で花弁はクリーム色だ。
花びらが五枚あって、それぞれに雌しべが一本ずつくっついている。
花は咲いてすぐ散る。
たった半日のはかない恋なのだ。
それから5日もすると、断面が五角形のオクラの実iなる。
熱ければ暑いほど成長は早い。
収穫が一日遅れただけで、化け物のように大きくなってしまう。
実はこのオクラ、嫌地性なのだ。
同じ土地で三年も作っていると、極端に成長が悪くなる。
人間同様、マンネリズムが活力を奪うのだ。
それで数年おきに、新天地を準備する。
今年は、かなりご機嫌が良さそうである。
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2009年7月17日 (金)
およそ今の私には、ストレスらしきものが無い。
勿論、苦労も不満もあるのだが、そいつぁ~ストレスじゃない。
かつて40歳くらいまでは、逆にストレスの塊だった。
緊張と物事への過剰な対応が常だったのだ。
人と合わせようと、もがいていた事だってある。
だけと、40歳を過ぎたあたりから変わった。
どんなことにも、解決の糸口があることを悟った。
その契機が、汗をかいて走ることだった。
走っていると、思いもかけない解決の端緒が見えてくる。
以来20年、山の中を走り続けている。
それに、ブドウ作りに熱中するようになった。
その間は、仕事のことなんて考えない。
夢中になって、ブドウを労わっている。
彼らと接する時間は、私だけのものだ。
それに彼らは、私にとって貴重な話し相手でもある。
もう一つは、人と接することだ。
出来るだけ色々な方々との会話を楽しむ。
世の中には、様々な人がいることに驚く。
そんな訳で、私はストレスから開放されている。
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2009年7月16日 (木)
自分の色を押し殺してきたのが、団塊の世代だ。
つくづく、そう思う。
しぶとく従順であることが、680万人の競争に生き残る術だったからだ。
それで大学紛争や石油ショック、バブルの崩壊などの波乱もあったけど、
この間に世界第二位の経済大国にまでなった。
その経済の拡大に助けられて、
団塊の世代はそれなりの豊かさを享受できた。
その世代が、次々と職場から解き放たれて、
時間も思想についても、本当の自由を手にし始めている。
だが一面、自由と言うものほど厄介なものはない。
如何なる価値を創造すべきか、そのモデルが無いからだ。
世は、長寿高齢化という「成熟」を求めている。
もはや、経済成長という直線的な社会ではない。
むしろ、成熟の中に醸される「豊かさ」の再発見なのだろう。
そこでは物の量などは何の意味も持たない。
人と人とが、自分の色を評価しあう時なのだ。
同世代の諸君。
もう、遠慮することはない。
新たな可能性に向かって、少しばかり出過ぎてみようよ。
あなたは、どんな色をしてるんでしょうか?
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2009年7月15日 (水)
こりゃぁ~、日本最大の水族館だろう。
特に7,500㎥もの大水槽は、只々感心するほか無い。
巨大魚を見上げる様は、異次元の空間である。
ここには、何時までも立ち止まっていたいと思ってしまう。
ここは昭和50年に開催された沖縄海洋博覧会の目玉だった。
当然今でも、沖縄観光の中心になっている。
思えば沖縄列島は、
黒潮とさんご礁そして深海に囲まれている。
その海の多様さは、そのまま生息種の豊かさでもある。
巨大なジンベイやマンタばかりでなく、
さんご礁に住む巨大な海老にも驚いて
しまう。
イルカのショウだって中々のものだ。
そのダイナミックな動きは、一見の価値ありである。
沖縄に行ったら、立ち寄る
ほか無いな。
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2009年7月14日 (火)
もし、狩野川に合流していなかったら、
日本で最も短い川だろう。
川幅は30~50mもあるのに、延長は1,200mしかない。
三島市の隣、清水町の国道一号線南側から柿田川は始まっている。
富士山から伏流した水は、
約40km離れたここから湧き出している。
その量も一日あたり約100万トンと言うからすごい。
湧き水の量は、正に東洋一だ。
水質だって、日本の名水百選に選ばれている。
そして、県がこの水を一日に30万トン取水していて、
近在の35万人の飲料水と工業用水に利用している。
すべからく富士山の恵みである。
そう思うと、富士山というものの巨大さを思わざるをえない。
市街地の中に忽然と湧く水。
柿田川公園とされた一角だけが、緑のコロニーになっている。
奇観といって良いだろう。
戦後、荒れ果てていたこの地を整備したのはボランティア達だった。
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2009年7月13日 (月)
伊豆修善寺のシンボルは、修禅寺と指月殿ではなかろうか。
修善寺には、鎌倉時代の影の部分が未だに漂っている。
言うまでもなく、頼朝の弟の範頼が梶原景時にここで討たれ、
鎌倉幕府の第二代将軍頼家も、
ここに幽閉されて湯殿で殺されている。
その時、23歳でしかなかった。
彼は、頼朝の長男だが才がありすぎた。
当然、北条氏の意のままになることを嫌った。
それで、北条氏によって抹殺されることになる。
息子の悲劇をはかなんだ北条政子は、頼家の墓の隣に経堂を建立した。
それが指月殿だ。
伊豆に現存する木造建築では最古のものだ。
その800年前の経堂には、蓮を手にした釈迦如来像が安置されている。
先年、この釈迦如来像の体内から毛髪が発見された。
頼家のものとも政子のものとも言われている。
修善寺の悲劇は、
源氏が単なる権力の看板に過ぎなかった証だ。
指月殿は、そのことを今に伝えているのだ。
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2009年7月12日 (日)
JR島田駅から4kmも北上すると、
そこはもう山間になってしまう。
その山の入り口あたりから、丁仏参道が始まっている。
急なそま道の一町(100m)毎に、お地蔵さんが祭られている。
お地蔵さんは30基も続くだろうか。
それが千葉山智満寺の長い参道なのだ。
「千葉山を巡るトレイルコースを創ろう」
そんな話があって、仲間と共に試走をしたのだ。
智満寺の創建は771年と随分古い。
現在の塔頭は、1598年に徳川家康が寄進したものだという。
本尊は弥勒菩薩で、武運長久を祈願したのだそうだ。
茅葺の屋根には草木が繁茂していて、
その豪壮なつくりは山中の寺とは思えないものだ。
だが圧巻は、その裏山にあった。
標高498mの山中にある10本杉だ。
その巨大な古木には、それぞれ名前が付けられていて、
樹齢はそれぞれ800年から1200年である。
肌には青々と苔が光るように広がって、
生きてきた風雪の長さを印象させる。
杉は杉でも、これ程に長く生きているともう別物に見える。
生命と言うものの、不可思議を思いながらしばしたたずんだ。
ともあれ私達は、どうだん平を経て千葉山の山中を駆け下りた。
目的地は、伊太和里の湯である。
この山中の温泉がゴールなのだ。
走行距離そのものは二十数キロなのだが、
思いのほか汗をかいてしまった。
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2009年7月11日 (土)
いつも「お忙しいところを・・・」と、それが慣用句だった。
この半世紀、私達は働き過ぎてしまったのではないか。
結果として、溢れるほどの物の中で生活している。
だけどこの国には、自殺者が一年に3万人もある。
「誰でも良かった」殺人だって次々と起こっている。
カネカネで、カネ尺ばかりで豊かさを計ってきた。
忙しく稼いで、分け合うことなんて忘れていた。
落ちこぼれは自己責任と、突き放してきた。
豊かさは金だと思ってきたからだろう。
だけど、豊かさってのは「間」ではないか。
豊かな時間、豊かな人間関係、心が広くなる空間、
そしてそれらを醸し出すヒマ(間)なのだ。
少しくらい貧しくても良い。
金も仕事も分け合おう。
そうして、みんなの豊かなヒマを増やそう。
暇人が増えれば、世の中のギスギスはなくなるぞ。
そんなヒマ尺を、みんなが持ちたい。
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2009年7月10日 (金)
思春期の対極にあるのが思秋期だ。
別の表現で、更年期とも言う。
長寿化のために、この思秋期が随分長くなっている。
仕事は一線を退いたのだが、老年にはまだ早い。
果てさて、何を成すべきなのか。
仮に、恋に目覚め一人悩むのが思春期ならば、
思秋期には人生の酸いも甘いも知り尽くしている。
一体全体、人生の秋を如何様に思えばよいのか。
五木寛之の本に「大人の時間」なんてのがある。
遮二無二生きてきて、フッと自分を振り返る時間が出来る。
そうすると、無性に自分の「生」を考えてしまう。
自分の生きた証を探したくなるのだ。
過去のあれこれを、ひたすら邂逅する様になる。
自分の人生を疑いだすのだ。
それが思秋期なんだろう。
しかし私は、「いや、人生はこれからだ」と思っている。
思春期のような若やいだ気持ちだって有る。
空元気が過ぎるのかな~。
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2009年7月 9日 (木)
人間には、生まれながらのタイプがあるらしい。
血液型に象徴される遺伝形質なのか、
生活のありようによるものか、その理由は分からない。
そうして、色々なタイプの人々が巧く組み合わさって、
この社会が出来ていくものなのだ。
だから個性豊かな人士が多ければ、世の中はより面白くなる。
ところが近世の教育の眼目は、この個性を殺すことだった。
スピードと生産性が社会の価値であり、
そのために必要な、画一化され管理される人間が珍重されたからだ。
だから私達は「早くしなさい。頑張れ。しっかり。
あの子のようにやりなさい。」と言われて育てられた。
そいつは近代工業社会の必要とするものだったが、
私達の人間性にとって良かったかどうかは疑問だ。
何故なら、引っかかりの無い人間ばっかりで、
皆が個々ばらばらに孤独だからだ。
ビー玉社会と言うコップの中では、お互いにくっついていられる。
しかし退職してコップが無くなったとたん、バラバラに転がり出るより他ない。
ビー玉通しが結びつきたくても、その手(個性)が無いのだ。
ビー玉を結び付ける磁石は無い。
せめてサロンでも何でも、手頃なザルを作ることが必要だ。
ビー玉だってザルに盛れば、それなりに美しく輝くだろう。
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2009年7月 8日 (水)
地域も家族も、かつては強い絆で結ばれていた。
地域と家庭は、生産の場であり、
労働と同時に消費する場でもあったからだ。
それが自営業も農業も無くなって、
みい~んな、遠く離れた所に通勤するようになった。
地域や家は、寝に帰るだけの場所になって、
地域の行事や活動は億劫なだけになった。
そうして、本当は助け合って生活すべきなのに、
プライバシーを必要以上に強調するようになった。
「共助」なんて言葉は、死語になったと言ってよい。
こんな風になったのは、団塊の世代以降のことだ。
集団就職やら転勤やら、住宅だってアパート化した。
核家族化やサラリーマン化が一気に進んだ世代だ。
その世代が還暦を通過しつつある。
しかし、彼らが地域や家庭に帰っても、
そんなに温かなコミュニティーがある訳がない。
ひょつとしたら、話し相手も無い毎日が待っているのかもしれない。
コミュニティは、共通の関心から始まる。
自治会の役員を引き受けて、
防犯・防災であれ、福祉であれ何であれ、
無くしてしまった共通関心を再生しなくてはならない。
そう、思い始めている。
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2009年7月 7日 (火)
志摩半島は、陸地の沈み込んだリアス海岸が顕著だ。
山が多くて平地が少なく、この日本列島の縮図のようだ。
入り組んだ打ち海の英虞湾では、真珠の養殖が盛んだ。
朝早くから、養殖筏に舟が通っていく。
養殖貝の世話かと伺ってみると、
最近では海ブドウを栽培しているのだと言う。
伊勢・志摩は、古代史の舞台だ。
そして伊勢神宮の式年遷宮は、古をたどる遥かなる歴史の営みだ。
だが、出雲の神々との関係など、
その古代における真相は必ずしも鮮明ではない。
古事記の世界は、良く分からないように創られている。
その重要な舞台の天の岩戸が、
志摩市磯部町の山中にある。
石灰岩洞窟で、この中に天照大神が隠れたと伝わる。
スサノオノミコトの悪事を戒めるためだったらしいが、
お陰でこの世の中は真っ暗闇になったと言う。
神話とは言え、なぜ志摩の山中が舞台なのだろうか。
不明なればこそ、神秘は募るのだろう。
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2009年7月 6日 (月)
この世の変化は、大体50年くらいの周期で変わっている。
しかも、過去が形を変えてやってくる。
高度経済成長期のような右肩上がりの時代には、
押せ押せどんどんと直線的に将来を見通すことが出来た。
だが今は経済も低調だし、明らかに時代の転換点にある。
つまり、パラダイムがどんどん変わる時代なのだ。
静岡県知事に、川勝平太さんが当選した。
彼の造語に「富国有徳」と言うのがある。
明治初期の富国強兵をもじったものだ。
国政もいよいよもって、平成の大政奉還のような雲行きである。
新しいパラダイムは、何を生み出すのだろうか。
リニア(直線)時代を生きてきた団塊の世代(アラカン)よりも、
この点では、80歳代の人々の方が役立つ過去を持っている。
私達は、もっと年配者に学ぶべきかもしれない。
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2009年7月 5日 (日)
三重県津市の青山高原に、本州最大の風力発電施設がある。
現在の風車が32基、しばらくすると91基になる計画だ。
石油の枯渇が近づいて、俄然自然エネルギーが注目されている。
議論は、そのコストパフォーマンスになる。
32基のうち4基は、津市の直営施設だ。
そのコストを例に考えてみよう。
4基の設置経費は、940百万円だった。
これに国庫補助金が415百万円ついた。
それで平成11年から運転している。
売電価格は、年間9500万円から7700万円だ。
今の所、補助金を別にすれば、6年でペイできる計算になる。
それ自体、決して法外な話ではない。
と言う訳で、米国やドイツでは急速に広がっている。
この日本の風力発電は、むドイツの1/13でしかない。
中国と比べても、1/10なのだ。
ああでも無いこうでもないと、日本人は何も出来なくなっている。
コストが掛かりすぎる。
騒音が大変だぞ。
景色が壊れる。
評論は誠に盛んだ。
だが、それでこの国のエネルギーはどうするのか。
当然ながら、高くなる一方の油を買わざるを得ない。
遺伝子組み換えのトウモロコシを禁止しているのと同じだ。
この国の国民は、本当にバカになってしまったんだろうか?
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2009年7月 4日 (土)
関宿は、平成の合併で亀山市になっている。
東海道の宿場で、往時を最も残しているのが関だ。
古くから伊勢街道の要衝だったし、伊勢参りでも賑わった。
その宿場が、明治33年の関西鉄道の開通と共に一気に寂れる。
その後東海道のパイバスが出来て、関宿は無用の長物になった。
が、関は残った。
何がその往時のままに残らせたのかは分からない。
だが、その住みにくい町並みが残った。
昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区になった。
今度は、残さざるをえなくなった。
古いものを古いままに残すことほど大変なことはない。
今そこに、全国から多くの人々が押しかけてくる。
往時の関は殷賑を極めた。
狭い街道一杯に山車が並び人々が押しかけた。
狭い町並みに、「もう駄目、精一杯」と言うほどのことだった。
人々は、そいつを「関の山」と呼んだのだ。
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2009年7月 3日 (金)
伊豆半島には、いたるところに温泉がある。
その中で開湯1200年と、最も古い温泉が修善寺だ。
そしてその名の由来である「修禅寺」は、その温泉街の中ほどにある。
807年に弘法大師が真言宗の寺として開山したと伝わる。
鎌倉期には臨済宗の寺だったが、何故かこの寺は悲劇の舞台となった。
その最初は、義経と共に戦った頼朝の弟の範頼である。
彼は義経追討を渋ったことから疑われ、この修禅寺に幽閉される。
そして間もなく、梶原景時の手勢に攻められて自刃している。
その次が、鎌倉幕府第二代将軍頼家である。
彼は頼朝の長男だが、才がありすぎた。
北条氏の意のままになることを嫌い、
やはりこの修禅寺に幽閉されて殺される。
その後、この寺は寂れ果てていた。
そしてこの寺を曹洞宗の寺として再興したのが、北条早雲である。
早雲は、伊豆公方を滅ぼすに際、この修禅寺を使ったのだ。
この古びた温泉場が、この国の歴史の中心と係わったのは偶然なのかどうか。
岡本綺堂はその悲劇を題材に、新歌舞伎「修禅寺物語」を書いた。
1911年、二世市川左団次の初演である。
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2009年7月 2日 (木)
一般的に、空港は巨大なものというイメージがある。
だけど静岡空港は、拍子抜けするほどコンパクトで機能的な空港だ。
旅客ターミナルだって、鉄筋3F建で11,000㎡しかない。
この程度の空港を作るのに、22年も要したのだ。
その時間の空費の方が莫大だと思う。
静岡県は人口380万人で、財政力だってタイ一国ほどの規模を持っている。
難航した一番の原因は、県民に僻地感覚が無いからだろう。
江戸の昔から、静岡の地は常に東西の回廊であり続けた。
黙っていても、東名も新幹線も最初にここを通ったのだ。
そしてそのおこぼれは、常に莫大なものがあった。
この交通利便の故に、企業も人もここに集まったのだ。
だが今や、リニアものぞみも静岡には縁がない。
港湾だって、やがて日本海側が中心になりそうだ。
それに世の中はグローバルに広がり続けている。
かつての江戸時代の宿場のように、
アッという間に世界の僻地になりかねない時代だ。
ともあれ沖縄便に乗ってみた。
自宅から空港まで約一時間、車を乗り捨てて直ぐに搭乗。
二時間のフライトであった。
自宅を出て4時間後には、那覇の町を車で走っていた。
お陰で、少しばかりの親孝行も出来た。
そしてこの8月27日から、2,500mの滑走路で完全開港する。
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2009年7月 1日 (水)
民主主義は、良く出来た制度だ。
人類が産み出した英知の結晶でもある。
だが、その象徴でもある代議員に問題がある。
彼らに問いたい。
あなた達は、何のための議員なのかと。
理念も公約もみんな建前なの?
票集めるためには、どんな厚顔無恥な事だってできてしまう。
その為の甘言だって、当選するまでのことだ。
本当の理念や気骨の有る人は、彼らの欺瞞の前で失望するだけだ。
選挙民は、彼らの甘い言葉に惑わされ、
たわいなく全権委任してしまう。
彼らにとって議員とは、そも職業なのだ。
その職業を得る為にはなんでもする。
だがこの国の事なんざ、然したる事ではないのだ。
議員の質なのか、それとも選挙民が馬鹿なのか。
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「人生は一場の芝居だ」と言ったのは、司馬さんだったか。
そんな名の演歌もあったっけ。
芝居には芝居だけど、その舞台は自分でコツコツと創るしかない。
実は私達は、その舞台を造るために生きているようなものだ。
名演技を見せたくったって、舞台が無くっちゃ演じようがない。
それが場末のにわか造りの小屋だったら、
芝居の内容だって、それなりのものになっちまう。
だから、如何なる舞台を創り上げて、
そこでどんな芝居を演じるのかが肝心なのだ。
それに、演じるのは自分自身でしかない。
私達の舞台は、家庭であったり、仕事であったりする。
それぞれ様々な場面に遭遇する。
はたしてそこで、大向うをうならせる大見得を切りえたのかどうか?
イョ~ォと言う見得など、そんなに有るもんじゃない。
実は今夜、性懲りもなく小さな舞台を創りつつある。
田子の浦港から富士山頂に向かって、歩みを進めている。
これから、真っ暗な樹海を抜けて走り続ける。
はて、明日の明け方にはどんな舞台が広がっているだろうか。
ともかく、あかつきの舞台は私の人生劇場の一部にもなるのだ。
今回は、山頂で大見得を切ってやろう。
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郵政をめぐって、まったく不毛な争いが続いている。
だが今夜は、郵便制度の基礎を作った前島密について書きたい。
実は前島密は、私の住むこの街に若干の縁がある。
明治2年からの半年間、彼は旧中泉の最後の奉行だったのだ。
彼は、天保六年に越後で生まれている。
才があって、13歳の時に江戸に出て蘭学や軍学を学ぶ。
22歳の時には、幕府の軍艦操練所に入っている。
その後、蝦夷地の測量に従事したりするが、
やがて婿入りして幕臣になる。
しかし明治維新で幕府が瓦解し、慶喜公と共に駿府に移り住む。
そこで中泉の奉行になったという次第である。
明治政府の形が整うと共に、彼は太政官政府に迎えられ、
明治3年には英国の派遣されて郵便制度を視察している。
大久保利通は彼の能力を高く評価し、
彼も文明開化の一翼を担って多面的な活躍をしている。
その代表的なものが逓信事業だった。
明治10年の西南の役でも、電信の整備が政府軍の勝利を決定付けた
東京の大手町に、逓信博物館がある。
逓信とは、今日の郵便・電信電話・放送の全てを包含している。
パソコンネットや携帯電話だって、その範疇だから一大産業だ。
140年前の電信が、今日の私達の生活を創っている。
郵政民営化の見直しなどと、郵政を政争の具にするのはおよそ愚かだ。
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