2009年8月31日 (月)
実は、28日から来月3日までロシアに滞在している。
ハバロフスク領事館と日本センターの招聘による訪問だ。
ハバロフスクは極東の中心地だが、
戦後多くの日本人が抑留された悲劇の地として印象される。
この地方の人口は約160万人で、ほぼ1/3が市内に住んでいる。
その地名は、アムール川流域を探検したコサック隊長ハバロフに因む。
今回の目的は親善と交流で、
日本領事館や日本センター主催の産業セミナーが中心だ。
私も、幾分話をする機会を与えられている。
それはともかく、ロシアの実情を良く見てきたい。
金融危機前までは、BRICsの一角で気を吐いていた。
だがこのところのロシア経済は、些か苦しい展開を余儀なくされている。
それにロシア人の秩序感覚は特異で、公徳心なぞは露ほども無いらしい。
ルールを自主的に守るなんてのは馬鹿者のすることだといった感覚のようだ。
だから秩序は強権力が作るものだと考えるらしい。
そうした日本人とは違うロシアの秩序感覚を観察してきたい。
ところで、明日と明後日のブログの書き込みが月替わりで出来ません。
残念だけれど、二日間のお休みを頂きます。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月30日 (日)
ロシアと言う国について考えている。
殊に日本とロシアの関係は、屈折した感情なくして語れない。
私達は、幕末以来ずっとロシアの極東進出を意識してきた。
そして遂に、大きな犠牲を払って日露戦争を戦った。
辛うじて勝った事になったが、
仮に負けていればこの列島のあらかたはロシア領だろう。
先の大戦では、満州はロシア軍に散々な目にあわされた。
そして、76万人もの日本人がシベリアに抑留されたのだ。
スターリンは、彼らを十年以上に亘って森林伐採や鉄道建設に酷使した。
日本人奴隷が、全て開放されたのは1956年のことだ。
この間の死者は、5万3千人と推定されている。
実は私は今、その悲劇の策源地ハバロフスクに来ている。
複雑な感情は兎も角、
そのロシア人も、第一次世界大戦から共産主義内戦を経て、
集団農場化の内戦、第二次世界大戦と、
僅か30年間に4回もの大きな戦争を経験している。
そしてまた、スターリンのあの粛清も含めれば、
数千万人の命が無為に犠牲になっている訳で、
共産主義の実験など、余りにも多くの悲劇の連続だったのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月29日 (土)
簡単そうでなかなか難しいのが、この多様性を維持することだ。
色々なところに利害が絡んでくるからだ。
たとえばこの日本は、食料や木材など多くを輸入に頼っている。
これをコンスタントに安く作るには、農薬を使って余分なものを排除する。
当然、単一の産品に限られた植生が出来る。
他の植物は雑草になるし、昆虫や動物・細菌等はすべて病害虫になる。
効率性の追求は、多様性を排除することなのだ。
単一の弱点は、今年のような天候異変に弱いことだ。
私の葡萄も、今年は日照不足で散々な目にあった。
人間だって同じことが言える。
成績の良い子だけを集めて教育した方が効率的だ。
幾つかの階層に分けても、その方が効果的だろう。
だけど、どうだろうか?
多様な個性が集まっているから、子供は逞しく育つのではないか。
木を大きくしたければ、二本を並べて植える。
その方が一本だけ植えるよりもはるかに成長が早い。
すべからく相対的なものなのだ。
来年は名古屋市で、生物多様性条約会議(COP10)が開かれる。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月28日 (金)
あの狂乱のバブルが崩壊したのは、平成3年の1月のことだった。
住専やら土地投機やらと、まさに今回のサブプライムの日本版だ。
大手銀行だって、今日の3行に合併を余儀なくされた。
それに当時は、インターネットも携帯電話だって無かった。
それなのに今日の日本のGDPは、あの当時と殆ど同じだ。
と言うことは子に20年間、日本の経済は成長しなかったことになる。
1%強の成長なぞは、今回のマイナスで吹き飛んでしまった。
失われた20年は、今後もさらに続く。
だって、欧米の消費に依存する成長はもう有り得ない。
人口だって、ドンドン減っていくから内需は当てにならない。
ここは、根本的に考え方を変えるべきだ。
この20年やらなかったことをやるべきだ。
それは、年金を始めとした社会保障をちゃんとする。
貯金に励まなくったって、老後は安心というシステムにすることだ。
そうすりゃ金持ちの高齢者は、結構な消費者になる。
けちけちしないから、若者にも評判の良い年寄りになる。
それでこそ、敬老って事になる訳だ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月27日 (木)
人は誰も、孤立とか孤独を避けたいと思っている。
それで、人と群れてワイワイやったり、
誰彼となくメールをしたり、ゲームの世界に入り込んだりしている。
自分の意見はできるだけ言わずに、仮に気に食わなくっても同調に努めてる。
何時も誰かとつるんでないと不安でとしょうがない。
昼飯ですら、誘い合わないと食べに行くこともできない。
そんな過ごし方が、すべからく楽なのだろう。
言うならば、この世はそういう御仁で満ちている。
だがしかしである。
人間は、一人で生まれてきて一人で死ぬのだ。
それぞれの自分の世界を持たずして何とする。
自分の中に深沈する時が必要だ。
それには、敢えて孤独な自分でなくっちゃならない。
TVなぞで紛らわせずに、
秋の夜長は「ただ一人あるのみこそよけれ」だ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月26日 (水)
閉塞間の漂う昨今だが、少しマクロに考えてみたい。
今日の文明に、はたして未来が有るのかということだ。
古代文明は、森林を破壊することで崩壊した。
紀元前のローマや漢のことだ。
彼らは製鉄や燃料のために森林を破壊し尽くして、
その文明の跡には砂漠や荒地が広がった。
当時の人口は、およそ2億人だったと言う。
今日、その人口は62億人になろうとしている。
1900年には16億人だったから、100年で4倍近くになった。
この間私達は、地下から石油や石炭を掘り続けてきた。
それが肥料や住宅などの資材となって、私達人間の増殖に繫がった。
そうして私達は何時の間にか、
有限の資源を浪費し、地球環境を破壊する地球の厄介者になっていた。
200年前、マルサスがその人口論で、
「食料の限度によって、人口増殖は停止せざるを得ない」と指摘した。
だが世界の人口は、途上国の急速な発展によって、
2025年には80億人になると予測されている。
この文明の危機を打開しない限り、閉塞感は何時までも続くだろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月25日 (火)
この二つの言葉も、既に死語の部類になった。
私の子供の頃の田植えは、全て手作業だった。
だから、学校も休みになるほど大変な農繁期だった。
朝暗いうちから苗代に入って苗を取る。
田植には、親類縁者が手間結いで応援に駆けつけた。
一列に並んで、田に早苗を植えていく。
今日では想像も出来ないほどの重労働だった。
自分の村の田植が終わると、今度は他の地区に「ゆい」に出掛けていく。
農業・農村は、そうした助け合いで成り立っていた。
「もやい」は。モヤイ田などと言って協同耕作のことだ。
子供達は、もやいっこと言って茶菓子を分け合ったりした。
古くからのこの国の基礎だった「ゆい」や「もやい」は滅びた。
だが、庵原郡の由比や鎌倉の由比ヶ浜の地名に名残を止めている。
恐らくは、桜海老漁などの共同作業が由来だ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月24日 (月)
「正義の仕事なんだよね。農業は」そんな発言に驚いた。
新規就農を目指しているAさんの言だ。
「国民の食糧生産に反対する人は誰もいない。
誇らしく仕事が出来るよ。
これからの農業には、天の利がある。
それに比べると企業活動の多くは、
商品の欠陥を如何に隠して売るかが勝負だ。
セールストークなんてのは、大概そういうものだ。
本来不要なものを、さも大切そうに売ったりもする。
コマーシャルなんかで如何にその気にさせるかが勝負だ。
そいつを正直にやってたら売れっこない。
そうすりゃ、お前の能力が無いからだって叱られる。
地球の環境に良い物なんて先ず無いしね。
つまり、ありゃ~不正義の仕事なんだ。」と続く。
そりゃ~そうかもしれない、と納得である。
その一方で私は、「正義は、普通金にならないね。」と意地が悪い。
すると彼は、「正義を金にするのがこれからの時代の知恵さ。
つまり、天の利だと思う。」と語る。
けだし名言なのだろう。
新進気鋭とは彼のような男を言う。
挫折をさせてはならない。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月23日 (日)
昨夜と同義だが、人生はやはり挑戦である。
自分の能力を開発し引き出すこと。
その限りない達成の過程にこそ、人生の充実が醸し出される。
どうせ後戻りできない一本道が人生ならば、
だらだらとなんて歩いちゃいられない。
目指す山の頂に向かって、せいぜい気張るべきだ。
時には冒険をし、時には茶店で一息つくのも良し。
ただ、無茶をする年齢でもないと言うことだ。
ところで、話が一変する。
最近のマラソン大会には、仮装ランナーが増えた。
東京マラソンの影響が大きいのだが、
この間の大菩薩でも、チアリーダーやら江戸装束やらが目立った。
「せっかく走るなら、目立ってやろう。」
それはそれでも良いだろう。
でも私は、これからは心の化粧に心がけたい。
この方は、なかなか簡単ではなさそうだが・・・・。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月22日 (土)
人は、とかく背伸びをしたがるものだ。
虚勢を張ったって仕方が無いのに、隣の芝生が立派に見えてしまう。
あいつには負けたくない。
何所かにそんな気があって、気負った事だってある。
だけど既に、アラカンである。
マラソンレースだって、一分でも縮めようと気張ってきた。
しかし、気は若くても如何せん、記録は正直なものである。
実は来月中旬には、丹後100kmウルトラマラソンがある。
ここは大和に通じる日本海の玄関で、
マラソンコースは、歴史の舞台と風光明媚な風景が続いている。
よし今年は、観光しながら100kmを制限時間一杯で走ろう。
川柳の一句でもひねりながら、楽しんで走ってみよう。
息せき切ってばかりでは、人生もつまらなかろう。
生活を楽しみレースを堪能する。
これぞ、着々寸進の醍醐味ではなかろうか。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月21日 (金)
幕末の風雲の中で活躍した坂本竜馬の事である。
彼は、脱藩流浪のためか洗濯など殆ど縁がない。
いつも汗と埃まみれの風体だったようだ。
定住の地が無いのだから、当然かもしれない。
だがその一方で、姉の乙女への手紙に、
「姦吏など打ち殺して、日本を今一度、せんたくいたし候」
と、決意を書き送っている。
それに「人間の一生は、合点の行かぬは元よりの事」とも。
要するに彼は、自分の覚悟を伝えたかったのだろう。
自己保身で何も決断できない幕吏では、この国は滅びる。
この国の未来を切り開きたい。
それが俺の正義だ。
竜馬は、身なりは兎も角つねに堂々としていた。
命は天命と、新撰組などから逃げることもしなかった。
その信念こそが、竜馬の人格だったのだろう。
彼は既に、「日本人」を意識していた数少ない一人だった。
歴史的節目にある今、この国の未来を語れるのは誰なのか?
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月20日 (木)
裏切りは、世の常だという。
かつての明治維新では、尊皇攘夷派が革命を成功させた。
だがその明治政府は、その成立草々に開国してしまった。
明らかな背信だが、実は薩摩も長州も攘夷など無理だと承知の上だった。
要するに、倒幕の方便に過ぎなかった。
かつて米国のクリントンは、減税を公約にして大統領になった。
ところが当選すると一転、増税を始めたのだ。
その言「あまりに財政赤字が巨大だ」と。
そんなの、誰でも分かってた事だ。
国民は結局、甘んじてその言を受け入れざるを得なかった。
果てさて、今回の各党のマニフェストである。
美味しそうな言葉が並んでいる。
或いは、国民を如何に騙すかを競っているのかも知れない。
それは、げすの勘ぐりなら良いのだが・・・。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月19日 (水)
非凡は、時勢が産み出すものだと思う。
幕末の明治維新前後には、英傑が綺羅星の如く登場した。
明治以降の「末は博士か大臣か」と言った時代もあった。
高度経済成長期は、立身出世志向の時代だった。
その歩みは、NHKの「地上の星」のごとくだろう。
だが閉塞感の漂う今日、なかなか非凡な目標を見つけにくい。
だから当今、大部分の人が平凡に生きている。
聖人君子であるかのように、冒険もせずにつましく暮している。
企業の部長でございと言ったところで、所詮はお釈迦様の手の平の上だ。
地位や金にしがみついたとて詮無い。
ならば、小さな目標を一つずつこなしていく。
その達成感の上に新たな目標を築く。
そんな心がけで、
精一杯の平凡な生き方をしてみようと思っている。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月18日 (火)
「どっちが、と~くだ!」と各党が競っている。
あの手当てこの補償、ガソリンも安くと口当たりよい。
だけど、よぉ~く考えてみたい。
既に日本の人口は、2008年から減少を始めている。
田舎だけじゃない。
関西の中心大阪だって、九州経済の要の福岡だって減り始めた。
2010年には、毎年50万人は減るようになる。
大きな都市が、毎年消失するのと同じだ。
当然のことながら、この国の経済は縮小していく。
それに政府の負債総額は、もう既に1,000兆円になろうとしている。
なんとGDPの二倍だ。
2009年の国家予算104兆円のうち、税収は44兆円に過ぎない。
60兆円は借金なのだ。
それに1,000兆円の累積債務で、家計なら年収の20年分の借金か!
そうした現実の上に、なお今回のバラマキ選挙だ。
「財源は、無駄をなくして」などと言ってる段階ではないのだ。
当然ながらこれからは、自治体の破産が頻発するようになるだろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月17日 (月)
江戸を去ること二十数理、甲州裏街道にその峠はある。
中里介山の長編小説の書き出しはそんなだったろうか・・・。
その標高1,897mの大菩薩峠まで、一気に1,250mを駆け抜ける。
それがこの大会で、既に今回で45回を迎えている。
甲州市の主催だが、消防団がエイドを担当していたり、
桃が食べ放題だったりと、ローカルな味わい深い大会だ。
その事とは別に、この歴史のそま道の登りは中々きつい。
特に「孫子の旗」や最古の「日の丸御旗」で知られる雲峰寺から先は、
息せき切って登らなくっちゃいけない。
それで、福ちゃん荘あたりから上は随分と涼しくなる。
今年は天気が良くて、大菩薩嶺(2,056m)まで登ってきた。
山塊の向こうには富士山が対座していて、
眼下には甲府盆地が一望の下に広がっている。
絶景である。
昔の人々は、こんな山稜を荷物を背負って通ったのだろうか?
ともあれこのレースも、少しずつ雰囲気が変わってきているようだ。
特に年配のランナーが多くを占めるようになった。
若い人には、こんな苦しいレースは敬遠されるのだろう。
私とて、峠までの急登坂が年々苦しくなっている。
思えば、変わりつつあるのは私の方かもしれない。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月16日 (日)
詩人の北原白秋ではない。
中国の五行説で言う白秋だ。
曰く。
人の一生は、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」なり。
人の一生は、春夏秋冬、
色なら青から朱、白、黒への経過をたどると言う。
さしずめ今日の団塊の世代は、白秋であろうか。
あの烈火の様な夏を通り越して、心身ともに稔りの秋を迎えている。
子育ても住宅ローンもあらかた片付いて、
さてこの秋を如何に過ごすか。
日長こそ短くなるが、一生で一番過ごしやすい季節かもしれない。
そしてそこには、真っ白なキャンバスが有る。
何事にも達観する玄冬には未だ随分間がある。
拘束されない白の明るさの中に、
はてさて何を描こうか・・・・・・。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月15日 (土)
子供の頃、大正時代などというものは大層もない昔だと思っていた。
それが、昭和も64年間が激動のうちに過ぎ去った。
戦前を別格にして、戦後の昭和も相当に変化の時代だった。
戦後は何も無いところから始まった。
それがやがて農耕用の牛がテーラーになり、
耕運機からトラクターになった。
東京タワーが出来て、ラジオがテレビになった。
原付自転車やカーパーカブが何時の間にか四輪車になった。
東名高速も出来て、大阪万博に月の石を見に行ったっけ。
所得倍増計画なんてのがあって、
私の初任給33,150円が数年で3倍になった。
そう!そんな夢を追い求めた時代だったな。
その昭和がバブル経済と共に終わって、平成になった。
その平成が、もう21年だ。
昭和は、遠くなりにけりである。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月14日 (金)
とどのつまり、人生はどんな人に巡り会ったかで決まる。
もっと言うと、どんな人との縁を大切にしたかと言うことでもある。
人には誰だって、自分のお手本になる水先案内人がいたはずだ。
意識して無くても、それは親だったり先輩だったり。
それに、友人やライバル、異性だってその部類だ。
そういう沢山の人々に影響されながら、私達は歩いている。
人の一生は結構長いが、過ぎてしまえばアッという間の出来事になる。
その刹那に、人と人の充実した係わりを持つこと。
心身が豊かに若返るような出会いを持つこと。
一緒にやってやり遂げた充実感を共に味わうこと。
そいつが人生の醍醐味だ。
若い時は、自分を中心に地球が回っている気でいたりする。
若気の至りで、貴重な出会いを見失ったりもする。
かく言う私も、人とお付き合いする自信が無くて、
その為に多くのチャンスを失ってきたようだ。
時には反面教師だったにしても、優れた先達と触れ合うことだ。
そこには、儀容宿された生き様がある。
「先達はあらまほしき事」なのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月13日 (木)
夏は蝉の声と共にやってくる。
ミンミンゼミやクマゼミが競い合って鳴く。
庭の潅木の幹に、心なしか儚さを漂わせ、
蝉の抜け殻がしがみついている。
空蝉を脱ぎ捨てた蝉には、もう幾ばくの命もない。
ひたすら鳴いて、その生を終える。
そんな凝縮された何かを、空蝉は想起させるのだろう。
ところで、蝉の世界にも政権交代がある。
近年、小笠山にヒグラシの進出が著しい。
小笠山丘陵を覆い始めていると
言ってよい。
数年前まで、ミンミンゼミばかりであった。
ところが今では、あちこちでカナカナカナと大分雰囲気が違ってきた。
ヒグラシの声は、一抹の寂しさを感じさせる。
それに、鳴き声ばかりで未だにその姿も空蝉すらも見ない。
山に棲んで人里近くに来ないヒグラシならではだろう。
勢力範囲の変化の意味するものは、如何なるものならん。
今度、ヒグラシの空蝉を探してみようと思っている。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月12日 (水)
「いよいよ 来たっ!」瞬間そう思った。
「何時起きてもおかしくない」と言われてきた東海地震である。
午前五時七分、いつもの私の起床時間だ。
ビシッと軋む二階から駆け下りて、玄関に向かっていた。
とっさに瓦の落下を心配した。
要するに、自分が逃げ出すのに精一杯であった。
それで、私の所の震度は5だと言う。
発災直後に携帯メールも入っていたし、
TVも地震を報道中だった。
だけど、そんなもの何の役に立った訳でもない。
知りたかったのは、震源地の位置位のものだった。
駿府城の100年来の石垣が二箇所も崩れたし、
東名高速の崩落もあった。
怪我人も出たけれど、予行演習と思えばまあこの程度で良かった。
だけど、通勤には難渋した。
新幹線は兎も角、東海道線は殆ど一日麻痺である。
それにしても、これでM6.5である。
想定される東海地震はM8、この200倍の威力だ。
「本番」は観念して待つ他あるまい。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月11日 (火)
定年退職リタイア組を言う。
あの団塊の世代が、そいつに相当するのだそうだ。
私達の子供の頃は、何処の家もそりゃぁ貧しかった。
履く靴の無かった子もいたし、給食費を収められない家もあった。
でもみんな、一生懸命に働く親の背中を見ながら育った。
だから「大きくなったら、両親に楽をさせたい」って思っていた。
子供心の出発点は「喰うに困らない」ことだった。
そのために一生懸命働いた。
それが信じられないほどのスピードで、経済を成長させた。
確かにこの国には物が溢れるほどになった。
その挙句が、あのバブル崩壊である。
私達は、今度はリストラの渦中に踊らされた。
その団塊の世代が、経済不況の中で定年を迎えた。
再就職先も無くて、それで黄昏世代???
確かに肩書きも収入もあらかたなくなったけど、
どっこい団塊は、人生を楽しむことにかけちゃ生涯現役だぞ!
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月10日 (月)
ただの駄犬である。
でも、我が家の一員となってもう13年ほどになる。
だから、相当な老犬だ。
その老犬の散歩が、80歳を超えた私の母親の日課である。
朝「コロ、行くよ!」と母が玄関から出てくると、
老犬はおもむろに起きだして来る。
その風情が「まぁ~、付き合ってやるか」と言った感じで、
犬の歳の功と言うか風格すら匂わせる。
それに散歩に出ても、ダックラな走り方をしなくなった。
老婆に歩調を合わせているのである。
そんな折、孫娘が犬を連れ出すようになった。
見ていると、犬も孫娘も結構軽快に走っている。
当然、年寄りはついて行けない。
ひ孫が老犬を連れて、その後を老婆が追う。
田舎道に、何だかほのかな香りが漂う。
連綿とした命の営みなのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 9日 (日)
ヒトのルーツは、アフリカ東部なのだそうだ。
そこで600万年前、チンパンジーの仲間から枝分かれした。
ホモ・サピエンスが誕生したのは、ようやく10万年前らしい。
そのヒトが6万年前、何らかの理由で移動を始める。
中近東を経て西に移動した連中が白人の祖先になり、
東に移動したグループがモンゴロイドの祖先になった。
アフリカに留まったのが黒人だ。
モンゴロイドは、ヒマラヤ山脈で北と南に別れていく。
南回りでインドシナ半島に至ったのが5万年前のこと。
北周りでは、3万年前になってシベリアにいたる。
当時のインドシナは、日本列島からシベリアまで陸続きだった。
そして、インドシナから北上したのが縄文人の祖先になった。
その縄文人の地に、2300年前、朝鮮半島経由で大量の移民が起こる。
縄文末期から古墳時代にかけてのことだ。
水田稲作技術や鉄器を携えた彼らは、九州北部や中国地方から、
縄文人を次第に圧倒しつつ各地に広がっていく。
この渡来系弥生人の移入で、8万人程度の列島の人口が60万人になった。
次々と日本列島に渡ってきた渡来人の混血が私達だ。
縄文人とも多少混血するが、圧倒的に渡来系弥生人の血が濃い。
とは言え、源流は一つ。
世界は一つなのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 8日 (土)
最近、伝記を結構読んでいる。
伝記を残すような方々だから、勿論多くの業績を残している。
それはそれなりに教えられるのだが、
何故か私自身に釈然としないものが残る。
昔と違うのだ。
そして、その訳にようやく思い至った。
私は恐らく、人生の半分以上を既に生きてしまっている。
「そいつが今更、他人の伝記を読んでどうしよってんだ!」
と言うリアクションが何所かにあるのだろう。
「伝記を読んで、溜め息ついてたってしゃぁないやろ!」ってことだ。
俺だって、結果はともかく精一杯生きてきたつもりだ。
今更、背伸びしてみたって仕様が無い。
それにこれからだって、当たり前にしか生きられないだろう。
当たり前じゃ伝記にならないしね。
ところで言うまでもないが、至極当然なことを「当たり前」と言う。
江戸時代には、当然を当前とも書いた。
訓読みすればアタリマエである。
それに、収穫物を分配する際の分け前を当たり前とも言った。
私の分け前は、身の丈にあった生き方をすることかな!
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 7日 (金)
暦の上では、もう秋なのだそうだ。
未だに梅雨が続いているような感じで、とんと実感がわかない。
しかしながら、少しばかり日暮れが早くなっている。
その黄昏時、防犯パトロールで地域を回った。
自治会役員がパトロールするのだが、
回っている方は、その効果を実感できている訳ではない。
本音は「パトロールしたって・・・」と思っている。
だが世の中は、次第にたそがれつつある。
衣食足りて礼節を知るのだが、衣食足りない人々が増えている。
言葉の通じない人も多いし、ここは抑止効果を期待したい。
それに、たそがれは暫く続きそうだ。
日が暮れて薄暗くなって誰彼の区別がつき難くなって、
そんな時「誰ぞ彼は」と尋ねる。
それで「タソガレ」と言う言葉が生まれたと言う。
ともあれ秋の黄昏なのだし、その語感は実に寂しい。
殊に人生の黄昏ともなれば、最晩年を意味する。
せめて色っぽく「たそがれに ほのぼの見つる 花の夕顔」でありたい。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 6日 (木)
私のブドウハウスに、毎年幼稚園児や小学生がやってくる。
今年も、みんな手を繋いでやってきた。
ハウスに入ると、一斉に「ワァー」と歓声を上げる。
ひとしきり説明すると、
「葡萄は、何故色が着くんですか?」などと、
フェイントのような質問が飛んでくる。
まぁ~、楽しいものである。
それから、食べ頃の葡萄を試食となるのだが、
今年は思うに任せない。
実は、今年の葡萄は壊滅的な失敗と言ってよい。
原因は、人為と天候、それに鳥獣・病虫害だ。
今年は何故か、葡萄の花が少なくて開花がばらついた。
それで、保険のつもりで例年よりも房の数を多くした。
それが失敗の主因だが、ずっと雨が続いたのも痛かった。
連日の雨で、葡萄の粒が破裂しだした。
割れた葡萄は、直ぐに腐敗を始める。
それを鳥やら虫が襲う。
無農薬故に、スリップスにも葉をかじられた。
てな訳で、未だにまともな収穫が出来ないのだ。
子供達には、そんな言い訳は出来ない。
で、「ゴメンね。もう少しで食べられるんだけど・・・」
みんな、けちな親父だと思ってるだろうなァ~。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 5日 (水)
人間が家畜を飼う様になったのは、約一万年ほど前のことだそうだ。
何を持って家畜と定義するかと言うと、
それは「人が、その生殖を管理する動物」なのか否かなのだ。
牛も豚も生殖どころか、今ではその精子まで管理されている。
だから、他所で勝手に孕んでくる猫や犬は論外である。
ともあれ、問題は人間世界だ。
今日のこの国では、極端な生殖管理がされてしまっている。
結果としての、合計特殊出生率1.29の超少子化である。
親の過保護と、その保護を巧みに利用する子供の自立回避。
ロープで結ばれている訳でもないのに、
その群れを離れようとはしない。
まさに、餌付けされた猿のようである。
それに生殖どころか、冒険と言う人生の挑戦をしなくなった。
結婚もせずに、ペットに甘んじようとしている輩が多いのだ。
人間は家畜ではない。
だが現実は、自己家畜化して生殖管理されているに等しい。
成人を18歳からにするのは良いけれど、
この過保護からの開放こそ肝要ではないのか。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 4日 (火)
今日は、オバマ大統領の誕生日だそうだ。
それに8月4日は、「箸の日」でもある。
それで福井県小浜市では、
大統領に地域特産の「塗りはし」を贈ったそうだ。
そして、オバマ大統領は明確な環境政策を打ち出している。
それで時代は、数年前と様変わりを始めた。
車はハイブリッド化し、やがて電気自動車になるだろう。
かつて馬鹿にしていた風力や太陽光発電が大きな産業になり、
関連の技術開発が急ピッチで進んでいる。
ほんの昨日までは、グローバリズムに金融工学、限りない効率性追求の時代。
今日は、グローカリズムにエコロジー、質実剛健への感がある。
不思議なもので、私達は何時の間にかその時代の感覚に染まっていく。
熱狂したはずの小泉内閣の改革だって、
何時の間にか過去のものになった。
規制緩和だったはずが、今回のマニフェストでは規制強化に変わった。
これを衆愚と言うべきか、賢明というべきか。
とまれ、サスティナブル(持続可能)こそは、不変の価値だろう。
企業だって、成長よりも千年続く方が大切な時代だ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 3日 (月)
「高齢者は、働くしか能がない」とは、麻生首相の言である。
話の脈絡を無視した揚げ足取りだが、一面の真実だ。
二昔前までは、寿命は今よりも短かったけど、
働いていなくたって、高齢と言うだけで尊敬された。
それが、人口ピラミッドが逆三角形になって、
若い人達の年金負担が重くなってくる。
「働きもせず年金もらって、朝からゲートボール?」
「それじゃ、尊敬したくたって・・無理だよな」と言うのが本音になった。
殊に私達団塊の世代は、人数が多いだけに深刻だ。
おいそれと若い者のお荷物になっている訳にはいかない。
ピンピンコロリ、死ぬまで働に如かずである。
ところで今年から、私の地区で敬老会をやることになった。
市主催の行事は止めて、地区ごとにおやんなさいと言うことになったのだ。
で私の所も、実行委員会を作って準備を進めている。
私の地区には、75歳以上の方が168人住んでいる。
出来れば、幼稚園児から高齢者まで、
地域を挙げて祝う会にしたい。
そして「健康・長寿は地域の文化」をスローガンにしたい。
私達団塊の世代が75歳になる頃まで、
敬老会の祭りが続くように予防線を張っておくつもりなのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 2日 (日)
やはり富士山は、只の山ではなかった。
富士山頂往復マラニックは、昨日の18時、田子の浦港をスタート。
富士山頂に向けて、多くの仲間と共に順調なすべり出しであった。
珍しく雨も無くて、月の明かりが暗い走路を照らしたりしていた。
ヘッドランプの光は、路肩の白線をひたすら辿っていく。
標高2000mには、零時50分頃だったろうか。
そこには、今回はエイドに回ったA譲さんが待っていた。
お粥やら熱い麦茶、ビールに梅干と至れり尽くせりだ。
空には星が輝いている。
フッと見上げると、闇の中に登山者の光が陸続と続いている。
天気は良いぞ!
そんな声に励まされたのだが、
山頂付近に傘雲が白く光っているのが気になる。
例年になく温かで、南風の吹き込みを思った。
五合目には、3:35に到着した。
登山に切り替えて1時間、宝永山越しにご来光が光り始めた。
だが、頭のライトを消して30分もすると、一面にガスが立ち込めてきた。
やがてパラパラと、雨粒が横から吹きつけ始める。
「なぁ~に、通り雨さ」と高をくくって登り続けた。
しかし、雨脚は強くなるばかりだ。
それに冷たい。雨風が体を刺すようである。
手は痺れ、合羽を突き通してその冷雨が肌を流れる。
登山者が次々と震えながら下山を始めている。
7.5合目、遂に私も「北海道の中高年登山者遭難」を想起し始めた。
6:00、やっと5合目に降りて、体を温めた。
と言っても、ランニングの最小限の装備で、着替えも無い。
ぬれた着物を搾って、着なおしただけだ。
体の震えは、依然として続いている。
外の雨は強まる一方である。
遂に、パスでの下山を決意した。
下界を遥かに見下ろしながら見得を切るのは、来年まわしになった。
人生には、色んなことがあって当然なのだ。
改めて、貴重なその1ページになった。
A嬢は、その雨の中、依然として私設エイドを山中に開設していた。
ともかく、呼びかけ人の萩田さんやA嬢に深く感謝である。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年8月 1日 (土)
「人生は一場の芝居だ」と言ったのは、司馬さんだったか。
そんな名前の演歌もあったっけ。
芝居には芝居だけど、その舞台は自分でコツコツと創るしかない。
実は私達は、その舞台を創るために生きているようなものだ。
名演技を見せたくても、舞台が無くっちゃ演じようがない。
仮にその舞台が、場末のにわか造りの小屋だったら、
芝居だってそれなりのものになっちまう。
だから、如何なる舞台を創り得るか、
そして、そこでどんな芝居を演じるのかが肝心なのだ。
それに、演じるのは自分自身でしかない。
私達の舞台は、家庭であったり仕事であったりする。
これまでにだって波乱万丈、色々な場面があった。
たけどはたして、そこで大見得を切り得たかどうか?
イョ~ォと、威勢よく見得を切った記憶が有るだろうか。
実は今夜、性懲りもなく小さな舞台を創りつつある。
田子の浦港から富士山頂に向かって、歩みを進めている。
これから、真っ暗な樹海を抜けて山頂まで走り続ける。
はて、明日の明け方にはどんな舞台が広がっているのやら。
ともかく、あかつきの舞台は私の新しい人生劇場の一部にもなるのだ。
山頂で、大きな見得を切ってやるぞ!
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
最近のコメント