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2009年9月30日 (水)

防犯の進め

「そんな厳めしいことやるの?」と言う思いもあった。Cimg8971

防犯なんてことは、警察の役割と思っていたからだ。

「安心と空気はタダ」と大抵の人は思っているのではないか。

それか゜「安心と安全は、地域が作り出すもの」らしいのだ。Cimg8786

事実、各自治会には防犯委員を置いているし、

子供会も見守り活動に精を出している。

防犯パトロールや青パト活動もやっている。Cimg8969

でも、事件でも起こらない限りなかなか熱が入らない。

自分達の行動が、防犯環境を作っている意識が乏しいからだ。

そんな中で、「安心作り会議」なるものを組織しようと思っている。Cimg8785

その最大の動機は、

防犯活動が地域の潤滑油になるということだ。

防犯を名目に色々とやるのだが、Cimg8942

そのことでコミュニティーが膨らんでいく。

老若男女、お互いに知り合いだって増えていく。

年配者にとっては、公然とした社会的な仕事が出来る。Cimg8982

毎朝、交差点で旗を振っている御爺ちゃんは人気者だ。

そう、防犯ボランティアは生きがい作りでもある。

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2009年9月29日 (火)

ナナイ族

ナナイ族は、アムール川やウスリー川、それに松花江あたりに住んでいる。Cimg8573

彼らは皮に依存して、鮭や鱒を獲って暮していた。

ツングースの一派なのだが、

中国人は彼らを馬鹿にして、「魚皮韃子」と呼んでいた。Cimg8574

今では、彼らはナナイと呼ばれる。

ナナイとは、彼らの言葉で人と言う意味だ。

先月末に訪れた、そのナナイ族の村を思い出している。Cimg8581

実は、彼らと日本人には浅からぬ縁が有る。

北海道の網走に「モヨロ遺跡」がある。

ここでは多くの竪穴住居や土器が見つかっている。Cimg8582

だが、これが縄文土器とはまるで違っている。

満州などで発掘されるオホーツク土器と瓜二つなのだ。

それにユーラシア大陸とおなじ石刃が北海道の各地で発見されている。Cimg8580

この石刃は、本州では発見されていない。

ナナイ達ツングースは、オホーツク海沿岸を駆け回って漁労していたのだから、

北海道に渡っていたとしても不思議ではない。Cimg8583

それにハバロフスク地方は、間宮海峡から樺太を通じて北海道まで、

かつては陸続きでもあった。

アイヌが北海道に進出するのは鎌倉時代前後の事で、Cimg8578

それ以前は、オホーツク人が住んでいたことになる。

とすると、私達の体にも彼らの血が少し混じっていてもおかしくない。

ナナイ族が、私達に似ているのも当然のことだった。

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2009年9月28日 (月)

生き生きシニア

「こんな筈じゃなかった。」Cimg8986

半身不随になった高齢者が異口同音に発する言葉なのだそうだ。

介護予防のパイオニアである見野孝子さんのお話である。

歳を取ると共にハラハラ・ドキドキが減っていく。Cimg8980

人生の面白みが減るのだ。

人とも顔を合わせることが無くなって、

やがて「出ない、出させない」Cimg8987

「起きない、起きたくない」が始まる。

ところが逆に、良く話し、食べ、笑う人はボケない。

勿論、話すにも笑うのにも相手がいる。Cimg8973

色んなことに係わって無くては、なかなかそうは行かない。

つまり「長寿で元気」のためには、高齢者の社会参加が不可欠なのだ。

花を作ったり子供の世話をしたり、Cimg8988

おはようの挨拶、食事会やボランティアの数々など、

「社会と繫がっている実感」が必要なのだ。

しかし高齢者は、とかく遠慮をしてしまう。Cimg8972

「私などが出張っては・・・」と言う人が多い。

だから地域が、年寄りの出番を作ることだ。

これからの時代は、ドンドン高齢者の割合が増えていく。Cimg8989

このた人達を内向きにさせたら、この国は衰退していく。

高齢者が社会に貢献できる仕組みが肝心なのだ。

寿命の質を高めることで、この国は救われる。

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2009年9月27日 (日)

天竜路の秋

今日は、天竜ウルトラマラニックである。Cimg8991

西鹿島駅から県リン森林公園を突き抜けて、

阿多胡川を遡っていく。

くんま水車の里でお昼になる。Cimg8994

その後は横山に向かって下り、船明ダムの下でゴールだ。

走る距離は48kmでしかないが、

アップダウンが続くから変化に富んでいる。Cimg8995

それに川のせせらぎの音がづっと続いている。

雲一つ無い秋空の下、林間の木漏れ日を走るのだ。

ランナーは良い。Cimg8996

大部分の方が初対面なのだが、共通の話題を持っている。

僅かの間に、肝胆相照らすようになれる。

ダムの下からは、天竜舟くだりとなる。Cimg8997

船頭の喉が良い声を出す。

マラニックは、言うならば大人の遠足だ。

先週の丹後の疲れが、Cimg9000

今日一日で随分癒えた様な気がする。

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2009年9月26日 (土)

府八幡宮

JR磐田駅から北に1kmほどの所に、Cimg8911

この府八幡宮が鎮座している。

かつての中泉村と見附宿のちょうど境に位置している。

奈良時代には、遠近江地方を統治する国府が、Cimg8913

今日の磐田市「御殿」にあった。

JR磐田駅の近辺だ。

府八幡宮は、その国府に着任した桜井王によって創建されている。Cimg8912

国府所在地の八幡宮だから、府八幡宮と呼ばれたのだろう。

古代から江戸時代までの東海道は、

この御殿から北に伸びて見附宿に至り、Cimg8783

そこで東に向きを変えて続いていた。

その北に向かう街道の東側にこの府八幡宮が鎮座し、

西側には巨大な国分寺が広がっていた。Cimg8784

街道の左右に、大きな神社と五重塔を配した仏閣があった訳で、

さぞ壮観ではなかったかと思う。

街道をさらに三町ほど進むと、そこには見附宿の木戸口であった。Cimg8782

普段、何気なく通り過ぎてしまう景色なのだが、

往古の風景を想像してみると、

忽ちにして500年位は遡れそうである。Cimg8781

もう直ぐ、この八幡宮のお祭礼である。

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2009年9月25日 (金)

モザイカルチャー

浜松のフラワーパークで、この立体花博が開かれている。Cimg8915

モザイカルチャー博の歴史はまだ浅く、若いジャンルの催しだ。

様々な造形を竜のひげなどの植物で覆って、

あたかも、巨大な植物であるかのような像にするのだ。Cimg8917

植物のアートと言ってよい。

色合いやコントラストは、どんな植物を使うかで決まるし、

造形とのマッチングはアイディア次第と言うことだ。Cimg8918

特に、動物の動きや表情を表現できると、

感動的なものになる。

今回の立体花博の圧巻は、北京市の「燕京鹿鳴」だろうか。Cimg8930

万里の長城と城砦、その下の鹿を精緻に表現している。

モントリオール市の「木を植えた男」も、眺めていて飽きない。

国内外から全部で91の作品が出展されているが、Cimg8931

やはり平面的な作品には人気が無い。

モザイカルチャーは立体でこそ迫力があるのだ。

もともと植物の造形は、Cimg8938

王侯貴族の庭園における遊びである。

柘植や槙などの木を、動物の形に仕立てるアレだ。

東南アジアの王宮の庭園には、Cimg8960

おおきなゾウが作られていたりする。

はてさて、園芸好きな日本である。

今日の給水チューブ技術を使えば管理も容易だ。Cimg8967

となれば、駅前などのディスプレイも良いだろう。

日本の文化として定着するかもしれない。

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2009年9月24日 (木)

網野の宿

京丹後100kmウルトラマラソンでは、何時も定宿に泊まる。Cimg8876

茂左衛門という時代がかった名の民宿だ。

網野は、丹後ちりめんの中心的産地だ。

和服が下火になった今日でも、Cimg8900

あちらこちらからガッチャン・ガッチャンと、

織機の音が聞こえてくる。

この民宿も、元はちりめんの工場だった。Cimg8896

それをご主人が自力で改造して民宿にした。

この民宿に泊まるランナーの顔ぶれも何時も同じだ。

大阪に和歌山、愛知、そして私達だ。Cimg8875

皆さんそれぞれの思いを持って、この大会に参加している。

一年後毎に、その人生を垣間見るのも私の秘めた楽しみだ。

その一人に教師のKさんがいる。Cimg8890

Kさんは、興が向くと蛇味線を弾きながら沖縄民謡を歌う。

私の弾けるのは布団くらいのものだから、

彼のパフォーマンスは殊更に興味深い。Cimg8894

おそらく子供達にも好かれているのに違いない。

それに、宿のご主人が実に面白い方だ。

ユーモラスで、それに付きっ切りで私達を応援する。Cimg8886

宿の近くで私設エイドをしたかと思うと、

100kmの道を車で追いかけながら宿の客を応援する。

もう、夢中なのだ。

そうして夜は、「ハイ、完走賞!」と言ってビールをドンと置く。

しこうして来年も、出かけずばなるまい!

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2009年9月23日 (水)

空虚にしてリアル

虫の声が響いている。Cimg8985

秋の風情が、日ごとに深まっていく。

庭の隅には、蝉の死骸が転がっている。

空高く浮かぶ雲が、北から涼しい風を送り込んでくるかのようだ。Cimg8949

青空の開放感にも拘らず、心なしか物悲しくもある。

今日から、夜の方が長くなる。

この一日を終えて、何をやりおおせたのか? Cimg8941 

一ヶ月が過ぎて、何が出来たのか? 

などと考えてしまうのも、この季節だ。

さりながら現実は、日々平凡な流れの中に深沈している。Cimg8947

その空虚さを打ち破ろうと足掻くのだが、

所詮は知れている。

何しろ、思秋期を迎えた年頃なのだから。Cimg8940

その秋空を映す川面も、たゆたゆと休むことなく流れている。

倦むことなく日々の現実と向き合い、それでもあすなろを思う。

ライフ イズ エンプティCimg8932

バッド ライフ イズ リアルなのだ。

つくつくぼーし 明日なきように 鳴きにけり(子規)

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2009年9月22日 (火)

教育の日

ロシアの9月1日は祝日だ。Cimg8665

通りは、朝から入学式に向かう父兄で賑わっている。

子供の手には、決まって花束が握られている。

何故花束かと思ったら、Cimg8664

担任の先生にプレゼントするのだそうだ。

とすると、多分先生の机は花束の山ができるはずだ。

が、それがこの国の習慣なのだそうだ。Cimg8678

と言う訳で、街のあちこちに花を売るスタンドが出来ていた。

入学式が終わると、親子はレーニン広場などに集まって遊ぶ。

確かに「教育の日」と言う発想は面白い。Cimg8724

それにしても、この国の花の値段は高い。

私達が墓参のために買った菊も、

少し痛んでいたのに、日本円で一本100円だった。Cimg8730

それにこの国では、バラがとても珍重される。

特に3月4日(国際婦人デー)には、

みんな奥さんにバラを贈るのだそうだ。Cimg8644

さすが、100万本のバラの国である。

仮にそのバラを忘れると、それはそれは????

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2009年9月21日 (月)

丹後の100km

今回の丹後100kmウルトラマラソンは、実に苦しCimg8878かった。

と言うのも、何やかやと事前の走行距離も少なくて、

果たして100km走れるのかどうか不安が募っていた。

朝、4時30分、京丹後の網野をスタート。Cimg8882

真っ暗な中を半島の海岸を走っていく。

風が強くて、台風の影響か波音も高い。

それでも薄明るくなった久美浜湾あたりまでは、まあ順調だった。Cimg8885 

ところがその後は、足がパンパンに張ってきて、

「これはいかん」と言う思いが強くなってくる。

何処で止めるかと、考え始めている。Cimg8889

しかし、関門に掛かるまでは走ろうと思い返す。

延々と、その繰り返しになる。

それが励をCimg8888超えた。ましてくれる人があって、

とうとう50km

これはひょっとしたら何とかなる、そう思い始める。

それでも余裕は無い。Cimg8906

常に関門の時間に追われている。Cimg8891

それに控えているのは、難所中の難所の碇高原である。

この関門を15分余裕を残して通過、

その後は一気に斜面を駆け降りた。Cimg8892

あんなに苦しかったのに、私は走り続けてい

そして、ゴールが近ずく。Cimg8909_2

応援の皆さんが、「良く頑張った!」と声をかけてくれる。

その度に、足しの目頭が熱くなる。

多分、泣き顔で走っているのだろう。Cimg8897

18時02分、遂にゴールのテープを切る。

13時間32分走り続けたのだ。

先着の、仲間達が心配して出迎えてくれている。Cimg8910 

今年も完走できた安堵感で満たされていく。

でも、こんなに苦しいことを何故やるのか?

「何故走る 考えながらも 何故走る」(山草人)Cimg8904

自分との戦いだからね!

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2009年9月20日 (日)

時代の坂

「坂の上の雲」で司馬遼太郎は、時代を坂に見立てている。Cimg8542

そう、維新後の明治期は、この国の壮大な上昇の時だった。

人々にとっても、「末は博士か大臣か」と希望にも溢れていた。

戦後の高度経済成長期だって、豊かさと言う上昇気流があった。

この国には、40年の周期が有るらしい。Cimg8543

良く見てみると、これが実に符合していて合点がいく。

40年の周期ではっきりと上昇と下降を繰り返しているからだ。

まず、明治維新から日露戦争(1868~1904)までは上昇期だ。

この間に、産業も軍事も大発展を遂げる。Cimg8765

次の40年は、日露戦争が終わってから終戦(1905~1945)までだ。

戦争の泥沼の中であがき苦しんだ時代だ。

そして、戦後から円高の発端となったプラザ合意(1946~1985)年。

これは、敗戦のどん底から経済復興の40年だった。Cimg8858

問題は、ここからである。

次の40年(1986~2025)は、下り坂と言うことになる。

現実に、円高不況からバブル崩壊、金融危機と成長とは縁遠い昨今だ。

しかも、この40年周期説に立てば、Cimg8857

この下り坂はまだ15年も続くことになる。

今は、やがて来る上り坂を目指して、

「産めよ増やせよ」の時期かも知れない。

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2009年9月19日 (土)

クレオパトラの宮殿

地中海に面した都市、アレクサンドリア。Cimg8793

プトレマイオス朝最後の王、クレオパトラのかつての都である。

その都市が、何時の間にか海底に没していた。

それだけのことでも、神秘的なのだが、Cimg8792

20kmにも広がるその海底の都市から、

ファラオの像や石柱、

アクセサリーやコインが次々と発見されたのだ。Cimg8794

水中にあったからこそ残されたのだろうが、

その沈黙の2000年を考えると、

何とも不可思議な実感がある。Cimg8796

横浜で開催中の「海のエジプト展」を覗いてきた。

海底から発見された490点が展示されている。

象形文字や金貨、小型のスフィンクスの顔が面白い。Cimg8797

折れた石像や柱は、

アレキサンドリアを襲った地震の凄まじさを想起させる。

それにドラマチックなクレオパトラ伝説が、Cimg8799

この水没都市に限りないロマンを醸し出している。

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2009年9月18日 (金)

ハーバ・シティ

1854年、日米和親条約調印、下田・函館への寄港許可。Cimg8790

1858年、日米修好通商条約の締結。

翌年7月、横浜、函館、長崎が開港され、実質的な開国となった。

この年から10年が、明治維新にいたる幕末動乱の時代だ。Cimg8859

そして、その開港から今年で150年になる。

この間に、半農半漁の100戸足らずの寒村が、今日の政令都市になった。

そうしてメリケン波止場は、長い間この国の玄関口であり続けた。Cimg8788 Cimg8873

ビールやハム、パンやアイスクリーム、洋食もこの街から広まったのだ。

常に新しいものを吸収し、その歴史を刻んできた所だと言える。

今横浜では、開国「Y150」を開催中だ。Cimg8789

その会場には、蜘蛛のお化けのようなロボットや、

未来アニメの上映などがある。

だが、そのY150などよりも、「みなと未来」の都市そのものが奇観だ。Cimg8791

交通インフラと住居、人々の動き、上下に広げた空間の使い方。

いずれも世界で最も機能的な空間の集積ではないか?

私のような田舎者では、帰宅のルートを探すのがやっとだ。Cimg8860

横浜は、グローバルな風によって、巨大な都市に変貌を遂げた。

そうして、これほど集積が必要だったのかどうか? 

これからの時代に、何処に向かっていくのか? 

そうした疑問は、残念ながらY150からは聞こえてこない。

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2009年9月17日 (木)

初めての敬老祭

敬老会と言うのは、役所の仕事だと思っていた。Cimg8862

それが、この四月から「これからは地元でおやりなさい」となった。

それから、実行委員会を作ってあれこれとやってきて、

遂に当日を迎えたのだ。Cimg8863

最初、スローガンを作った。

「長寿・元気は地域の文化!」と言うものだ。

人はみんな歳を重ねていく。Cimg8864

元気で長寿を全うするのが大切だ。

でもそのためには、お互いにそれなりの努力が大切だ。

地域のみんなが、老若男女そのことを考える日にしようと思ったのだ。Cimg8865

だから、幼稚園児や小学生にも参加してもらった。

もちろん、自薦他薦の芸達者にもその技を披露してもらうことにした。

結果は、21名の実行委員の絶妙なチームワークも含めて、Cimg8867

大成功ではなかったかと思う。

あらかた初対面の人間が集まって、Cimg8871

一つのことをやり遂げた。Cimg8868

そのことだけでも、満足しなきゃならんだろう。

反省点は、高齢者の主体的な参加だ。

当然、往年の芸達者も大いに違いない。Cimg8869 Cimg8870

その人達を客にしてしまった。

来年は、地域みんなで参加する敬老祭にしたいな!。

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2009年9月16日 (水)

民主主義のコスト

選挙が終わって秋の風。Cimg8638

新しさ故の高揚感が漂っている。

ロシアに出向いている間に、すっかり景色が変わってしまった。

ともかくも、着実な新しい国づくりを期待したい。Cimg8639

ところで、民主主義と言うものは大変にコストの掛かるものだ。

明治維新では、徳川幕府が倒れて太政官政府が出来た。

その首班を担った大久保利通は、明らかに強権政治を目指した。Cimg8777

優れた指導者が明確なビジョンの元で国を引っ張っていく。

それが、最も効率的な近代国家への近道だと考えていた。

だから板垣退助らの自由民権運動に対して、Cimg8787

「そりゃ~、もっと先の話だ。」とかわした。

国会を作って、右往左往していたら国が潰れると考えていたのだ。

事実,不平士族の反乱が相次いで起こっていたし、

物納から金納に変わった農家の不満など、果てしない混乱が続いていた。

今日のアフガンやイラクのようなものだろうか。

結果として、維新後の混乱を離陸して今日に至ったのだから、

恐らく大久保の選択は正しかったと言うべきだろう。

その維新から150年近くになる。

閉塞感が蔓延しているとは言え、この国はまだ余力を残している。

その今日ならば、多少の試行錯誤のコストは十分払うことが出来る。

ここは腰を落として、「国民」というものを育てる時だ。

その結果、この国の成熟が10年遅れたとしても、

そのコストは止む無いことなのだろう。

この国の変化、殊に閉塞感の打破への国民の期待は大きい。

何も変わらなければ、今度はこの裏返しが来るのは必定だ。

そいつには、更なるコストがかさむのだ。

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2009年9月15日 (火)

ウラジオへ

午前9時、列車はウラジオストクに着いた。Cimg8754

北緯34度だから、フランスのニースや米国のニューヨークに相当する。

駅舎は、古風なネオ・ロシア様式の建物だ。

ウラジオストク、これがあのバルチック艦隊のロジェストウェンスキー提督が, Cimg8756

「ウラジオへ」とCimg8770夢にまで見た港なのだ。

彼にとって、この要塞に囲まれた港に入ることが勝利だった。

だが1904年、彼らは日本の連合艦隊に阻まれ、Cimg8758

遂に日本海の藻屑となって一艦として帰着できなかったのだ。

そもそもこのウラジオストクは、

アヘン戦争仲介の代償として、Cimg8763

ロシアが清朝から強引に手に入れた地だ。

そんな訳で、ウラジオストクとはロシア語で、

東方を征服せよ(ウラジ・ボストーク)と言う意味である。Cimg8769

ロシアの数少ない不凍港であり、

長い間機密の軍港だった。

そして1992年、ゴルバチョフの登場でやっと外国人に開放された。Cimg8762

今私達は、その軍港を見下ろす丘に立っている。

勿論かつては、地上も地下も堅牢な要塞だったところだ。

その丘の上に、今は大学が出来ていた。Cimg8761

ぐるっとこの街をめぐった。

しかし、どうも見るべきものは無さそうである。

強いて言えば要塞博物館や潜水艦だろうか。

市当局にしてみれば、Cimg8760

海を生かしたリゾートにしたいのだろうが、

観光都市を目指すには道は未だ遠そうである。

アムールの虎が、幾ばくか寂しそうにも見えた。

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2009年9月14日 (月)

シベリア鉄道

  1. モスクワからウラジオストクまで、9,288kmの長大な鉄道だ。Cimg8621

全線を通して乗るなら、8昼夜ほどもかかるだろう。

私達が乗ったのは、ハバロフスクからウラジオストクまでの800kmだ。

ハバロフスクの駅前には、エロフェイ・ハバロフの大きな銅像が立つ。Cimg8742

駅舎は白いネオ・ロシア様式の時代がかった建物だ。

20時30分、その駅から領事館の皆さんに見送られて出発した。

私達のコンパートメントは2人用で、比較的ゆったりとしている。Cimg8744

やがて太った女の車掌がやってきて、黙ったままキップをチェックし、

TVのスイッチを入れていってしまった。

とにかく、この国には愛想と言うものがない。Cimg8745

外には、広大な大地にシラカバの林が続いている。

タタン、タタンという規則正しい車輪の音が響く。

やがてその音に誘われ、何時の間にか寝入っていた。Cimg8746

翌朝、時差の関係でこの地の朝7時はまだ暗い。

が、窓の外に海が見え始めた。

ウラジオストクが近いのだ。Cimg8749

ちなみに、シベリア鉄道全線で海の見えるのはここだけである。

1891年5月、皇太子だったニコライ二世は、

日本訪問の帰りに、ウラジオストクで、Cimg8751

この鉄道の東側からの起工式を行っている。

その礎石を置き、軍事的要請の元で敷設に拍車をかけたのは彼だ。

そして重く暗い流刑と悲劇の地だったシベリアは、

この鉄道によって拓かれていったのだ。

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2009年9月13日 (日)

ロシアの四方山

ハバロフスクの経度は、日本の明石と同じだ。Cimg8739

ならば、グリニッジ標準で日本と時差は無くても良いはずだ。

だが現実には、2時間(冬は1時間)も早くなっている。

だから、日没は午後8時過ぎである。Cimg8737

太陽に恵まれない所だから、

仕事の後はタップリ日光浴と言うことだろうか。

ご多分にもれず、アムールの畔では露出度の高い人達を見かける。Cimg8717

街を走っている車は、大抵が日本の中古車だ。

書かれた文字もそのままで、オャッと驚かされる。

街にはバス、トロリーバス、それに路面電車が走っている。Cimg8718

だがその車両は、いずれも年代物。

バスなどのおんぼろ加減は半端ではない。

おんぼろバスコンクールでもやれば、Cimg8719

間違いなくこの街は優勝するだろう。

その運賃は12ルーブルだが、ちゃあ~んと車掌が乗っている。

金融危機後の経済の落ち込みは、Cimg8736

この地域にも深刻な影響を及ぼしていた。

航空便もダリアビア航空が破綻して、ウラジオストク航空一社になった。

だから当然サービスは低下、航空機はただの「空と飛ぶ箱」になった。Cimg8713

飛行機が動き出すまでは、エアコンすら入れないのだ。

街中には、工事の止まったままのビルが目立つ。

クレーンも錆付きかけていた。Cimg8595

そして、滞在中に訪れたレストランも、どこも客が少ない。

外食など、できないご時勢なのだろう。

しかし、そこで食へたボルヒチの味は美味かった。Cimg8597

ビートで味を出すのだと言う。

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2009年9月12日 (土)

ロシア人の親切?

ロシア人は、親しい間柄以外は総じて無愛想で暗い。Cimg8619

路上にたむろする野犬まで、愛嬌が無い。

それに、所詮彼らに親切を期待するのは無理のようだ。

私達の泊まったホテルから領事館まで、徒歩て10分である。Cimg8720

それで、車に乗れなかった3人が歩いていくことになった。

地図をもらってその場所に向かった。

ところが、領事館らしき建物が見当たらない。Cimg8604

それでコンビにやら道路掃除人に、手当たり次第地図を見せて訪ねた。

「アムールがここで、○○通りがここ、それで日本の・・・?」

だが、いずこでも「ニエット」であった。Cimg8710

ほとほと困って、一つのビルに入ってそこの管理人に電話を頼んだ。

果たして、電話は通じた。(あったり前か!)

それで領事館は何と、そのビルの二つ隣のビルだったのだ。Cimg8709

二階が領事館のエントランスになっていて、

それで分からなかったのだ。

「スパシーバ」と言って、そのビルを出ようとすると、Cimg8677

管理人が、カネを要求している。

電話代には多すぎるかと思いながら50ルーブルを渡した。

すると、まだ少ないと言う。Cimg8634

止む無く、150ルーブルを払う羽目になった。

日本人なら、困ってる外国人を助けて金を取るだろうか? 

しかも、目的地は一つ隣のビルだぞ!!

実はロシア人は、地図を見る能力が無いないのだそうだ???

どうでも良いが、驚きの親切に私達は遭遇したのだ。

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2009年9月11日 (金)

未開のマーケット

  1. ロシアには、ジェトロの外務省版のようなセンターが置かれている。Cimg8698

そのハバロフスク日本センターも、私達のティーセミナーの会場であった。

この最後のセミナーには、時間前から熱心な人々が押しかけていた。

会場には、熱気が溢れていた。Cimg8700

日本センターは交易関係の振興を担当しているので、

自ずとそんな通商面で感度の高い人々が集まったのかも知れない。

結果、セミナーは上々の成功ではなかったか。Cimg8701

ところで、日本センターの黒坂昭一所長から、

ロシア極東部についてのレクチャーを受けた。

「今日のロシアは、物流も含めて全てがモスクワの支配下で動いている。Cimg8702

物資も地球を半周して届く。

結果として極東部は、ロシアの僻地になってしまっている。

ソ連時代に比べれば、物資は格段に豊富になった。Cimg8699

しかし、品質的には満足できる状態には無い。

この点、日本とは指呼の間にある。

静岡からなら、ミカンや模型が是非欲しい。Cimg8740

ロシアも少しずつ豊かになって、購買力は随分増してきている。

ただ、極東部の人口は少ない。

ハバロフスクとウラジオストクが60万人で、Cimg8714

後は30万の街が10程度だ。

当然、大手企業は見向きもしない。

だがその気になれば、マーケットとして十分魅力がある。」Cimg8715

と、大筋そう黒坂さんはおっしゃるのである。

そう言えば、鳥取県がウラジオストクに梨を売り込んでいる。

高い関税で一個400円にもなるが、良く売れていると言う。Cimg8716

富山県も、国際婦人デー向けにバラを持ち込んで好評だったらしい。

ここは、カントリーリスクとニーズ総量の見極めだろう。

それに、土地は無限にあるのだから、

いっそロシアで生産するのも面白いのではないだろうか?

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2009年9月10日 (木)

8万の英霊

ロシア政府が、やっと抑留者の名簿(カード)を公表するらしい。Cimg8679

そのカードの数は、76万枚だそうだ。

それほどの人々を10年近くも捕虜として使役したのだ。

そしてナホトカから帰還させる際には、Cimg8683

民主教育と称して、徹底的な洗脳をした。

従わなければ、人民裁判という名のリンチにかけた。

抑留者のうち死者の数は、8万人以上と見られている。Cimg8685

ソ連は、抑留者が死にそうになると北朝鮮の元山に送った。

北朝鮮に抑留した元気な者と入れ替えたのだ。

だから、北朝鮮での死者もその一部だろう。Cimg8686

その墓は、シベリアの各地に無数に散らばっている。

しかも大抵は、土饅頭も痕跡を止めないと言う。

白樺林の下に苔むしているだけなのだろう。Cimg8687

私達は、ハバロフスクの二箇所の墓地を訪れた。

そこはロシア人墓地の一角で、まがりなりにも墓標がある。

極めて恵まれた墓地だと言える。Cimg8689

その墓標の前に、火を吸い付けたタバコと花を供えた。

タバコの白い煙が流れていく。

同行した興禅寺住職の松本さんの読経が、Cimg8690

静かにシベリアの土地に染み入っていく。

その読経に刺激されたのか、私の目頭がにわかに熱くなる。

そして、その墓地にたたずむ私達を襲ったのは、Cimg8688

おびただしい蚊の群れだった。

車の中だろうが、どこまでも追いかけてくる。

実は、抑留者を苦しめた悪魔は、このしつこい蚊でもあったのだ。

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2009年9月 9日 (水)

ダーチャ

自留地、言うならばロシアの市民農園である。Cimg8625

ソ連時代には、このダーチャの生産力がソホーズなどを凌駕した。

この国では、土地は有り余るほどある。

それで、郊外にそれぞれ小屋つきの10a位の土地があって、Cimg8626

そこで野菜を作ったりしている。

ドイツではクラインガルデンと呼ばれ、余暇を過ごす場で、

重要な市民のコミュニティーになっている。Cimg8627

ところがこの国では、

かつてはこのダーチャが市民の暮らしを支えていた。

今でも市の郊外には、あちこちにこのダーチャが広がっている。Cimg8628

収穫物も、道端で売られていたりする。

その一つ、ナナイ族のイーラさんのダーチャを訪ねることができた。

が、先ずはその粗放さに驚いた。Cimg8629

有機農法といえば聞こえは良いが、

とにかく草ばかりで、作物はその下でやせ細っていた。

周りのダーチャもCimg8630似たようなものである。

ロシアになって、物資も豊かになった。

その影響なのか、

国を支えた市民農業はかつてのものになりつつあるようだCimg8632

しかし、毎朝、アムール河の船着場に大勢の人々が集まってくる。

何かと思ったら、船で中瀬にあるダーチャに行くのだと言う。

帰りには、バケツに茄子やトマトを一杯にして帰ってくる。Cimg8600

年金生活者たちの日課らしいのだ。

ロシアになってから支給される年金は、

なんと月に400ルーブルに過ぎない。Cimg8721

一人が生活する最低必要額の三分の一に満たないのだ。

ハバロフスクでも、高齢者の物乞いを散見した。

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2009年9月 8日 (火)

赤軍博物館

極東美術館の向かい側に、赤軍博物館がある。Cimg8676

これもスターリン時代の厳めしい赤煉瓦の建物だ。

当然ながら、共産主義革命時代の武器や人物が展示されている。

そして、圧巻は詳細な戦闘場面のパノラマである。Cimg8666

生々しいジオラマなのだが、これの写真が撮れなかった。

私を胡散臭いと睨んだ館員が、

ずっと私の後を着いてきて離れなかったからだ。Cimg8668

この地域の戦闘は、大抵が日本軍を相手にしたものだった。

隅っこには、古さびた日章旗が展示されていた。

恐らく、田舎で召集された戦死者の持っていたものだろう。Cimg8670

小学生達が、先生に連れられて銃器を見物していた。

戦争と言うもの、そして外国の脅威を教えているのだ。

そう、この国では戦争こそが歴史なのだ。Cimg8671

1917年10月、社会主義ロシア革命が起こる。

同時に欧米日の革命への干渉が始まった。

日本の援護の元でセミョーノフらの反革命も起こる。Cimg8672

そしてこの街では、

5年間に亘って、干渉軍及び反革命軍との戦闘が続いたのだ。

中庭に出ると、そこにはかつての軍事機密が広がっていた。Cimg8673

歴代の戦車、軍用列車、機関砲などを所狭しと並べてある。

子供達が、その戦車に飛び乗ってはしゃいでいた。

この博物館は、「ソ連が悪(日本)を懲らしめた」のだと教えている。Cimg8674

だが、仮に日本軍の進出が無かったなら、

満州も朝鮮半島も、間違いなくロシア領になっていただろう。

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2009年9月 7日 (月)

極東美術館にて

大層な名前を冠しているが、普通の美術館である。Cimg8667

アムールの畔に立つ歴史を感じさせる荘厳な建物だ。

その美術館に地方政府高官等を招待して、

やはりティーセミナーを開催した。Cimg8653

ここではDVDの映像なども使って、

かなり落ち着いた会ができた。

佐藤副領事も和服に着替えて頑張ってくれたし、Cimg8654

その和服姿もなかなか様になっていた。

招待者には茶道を体験している人もいたし、

集まった皆さんは、Cimg8659

総じて日本に強い関心を持っていた。

セミナーが終わっても、

記念撮影を求めたりして帰ろうとしない。Cimg8656 Cimg8655

ロシア人は、中・韓国を見下しているけれど、

こと日本の文物への評価はかなり高い。

車だけでなく、Cimg8658

農産物に関しても信頼度は抜群のようだ。

セミナーの後、美術館の職員が館内を案内してくれた。

意外にコレクションが豊富で、Cimg8650  

イタリアのメディチ美術館のミニ版を思わせる。

特徴は、イコン(ロシア正教の聖人画)とレーピンなどのロシア絵画だ。

窓の外には、Cimg8694

アムールの川面が黒く広がっていた。

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2009年9月 6日 (日)

ティーセミナー

今回の訪ロは、ハバロフスク領事館の草の根交流で、Cimg8606

日本茶をこの地に伝えることが目的だ。

それで私達は、合わせて5回のティーセミナーを開催した。

その内の3回は、領事館での開催である。Cimg8611

最初のセミナーは、親日団体のすずらんの会のメンバーが対象だ。

私達は最初で緊張したが、結果としてアットホームな会になった。

ホッと一息ついたのだが、その後が大変なことになった。Cimg8612

びっくりする程の人々が、領事館に押しかけたのだ。

今回の企画の推進者は、佐藤亜希子副領事である。

それで彼女は、街の広告塔にポスターを貼ったりしてPRに努めたのだ。Cimg8613

その結果が少し出過ぎたのかもしれない。

座る椅子もないのだが、それでも皆さん熱心に聴いている。

約1時間半のセミナーが終わると、Cimg8601

お茶と健康などについて続々と質問がつづく。

ロシア人の日常は、砂糖の入ったコーヒーか紅茶を飲む。

勿論、緑茶など口にしたことの無い人が多い。Cimg8614

それに耐寒のためか、油分の多い食事が常だ。

とにかく年配になるほど、肥満体になってしまう。

「その対策には緑茶」と言う訳である。Cimg8615

セミナーは、煎茶やほうじ茶の試飲、茶道の披露、

茶そばや茶クレイプの試食と続く。

そのクレイプも、実は私達が佐藤副領事の自宅に押しかけて焼いたものだ。Cimg8617

中には分厚くなってホットケーキ状のものもあったが、

皆さん完食である。

お茶を食べることにも、全く抵抗は無い。Cimg8618

ロシア人は、緑茶を必要としている。

手応えは十分だと感じた。

私は、静岡の産業、そして来年の「世界お茶祭り」を紹介させてもらった。Cimg8691

翌日の地元TVでは、私達のセミナーの様子を詳しく報道していた。

ロシア極東部でのこの種の催事は初めてなのだ。Cimg8645

お陰で私達は、終始汗だくでその対応に追われ続けた。

持参した多くの資料もすべて払底してしまった。

貝谷領事は、そんな私達を領事公邸での昼食に招いてくれて、Cimg8648

茶通の奥様や領事館の皆さんとの和やかな一時になった。

ロシア極東部の実情やら国民性、

今後の日本との関係など話題は尽きない。Cimg8649

それにしても、異国でこんな会を経験できたのは良かった。

それに、色々と考えさせられることも多かったな。

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2009年9月 5日 (土)

アムールの夕日

訪問から3日目にして、やっと晴れた。Cimg8598_3

雲ひとつ無い晴天で、気温も15度位まで上がっている。

早速私は、暗いうちからホテルを走り出た。

もちろん、アムール河の畔を走るのである。Cimg8599

実は、それが今回の訪問の私の密やかな目的でもある。

この町の河沿いには、「レーニン文化と憩いの公園」があって、

河沿いに2km程の格好のランニングコースがある。Cimg8590

周りには、ムラビィヨフ・アムールスキーの像や、聖母昇天協会、

極東美術館や赤軍博物館などが集中している。

アムールと文化施設の集積で、街一番の美観地区なのだ。Cimg8559

だから休日には、新婚さんが写真撮影でここに集まってくる。

敬虔なロシア清教徒が増え、イコンの美しいここの教会も賑わっている。Cimg8591

と言う訳で、毎朝この近辺を走り続けたのだ。Cimg8586

とは言うものの、このところ外国人を狙った殴打強盗が続いていて、

私も随分告忠されたのだが、

ランパン一枚で走る訳で、盗られる物は命の他ない。Cimg8588

命なら、抑留死亡者7万余の亡霊が溢れている。

仕事が無い若者が、あちこちにたむろしているが、

なにくそという気持ちである。Cimg8585

が、レーニン記念公園は、毎朝兵隊が掃除をしている。

どうと言うことはない。

ところでこの河は、冬季には厚さ2mもの氷で覆われる。Cimg8708

だからかつては、トラックが物資を積んで対岸の中国と行き来していた。

川幅はおおよそ1kmだから、泳力があれば泳いで渡れる。

シベリア抑留者の脱走も相次いだが、殆どが餓死したし、生き残っても殺された。Cimg8732

しかし、このアムールを泳ぎきって生き残った人も僅かにいたらしい。

土色の水がとうとうと流れ、河畔は波打ち際の様でもある。

澄むことのない河だから、中国側ではこの河を黒竜江と呼ぶ。Cimg8643

この街から15kmほどの所に、シベリア鉄道の鉄橋が掛かっている。

そこまで走ろうと試みた。

しかしさすがの私も、心細くなって引き上げざるを得なかった。Cimg8635

古ぼけたアパートや工場、愛想の無いロシア人、

私をじろじろ眺める視線に耐えられなくなったのだ。

夕方、対岸の中国に夕日が沈んでいく。Cimg8636

その黒竜江に沈む夕日を眺めつつ、

ただ何時までも河畔にたたずんでいた。

詩心が多少ともあるのなら、この運命の河を何と表現するのだろうか・・・。

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2009年9月 4日 (金)

川の民

やはり朝から雨で、気温も低い。Cimg8562

その寒さの中、ハバロフスクから北東に70km離れたナナイ族の村を訪ねた。

ナナイ族の人口は1万人程らしいが、その半数がこの地域に住んでいて、Cimg8563

その拠点が、アムール河沿いのシカチャラン村である。

そこのアムールの中洲に多くの岩絵が残っている。

しかしこれは1万2千年も前のものだから、ナナイ族のものかどうか?Cimg8564

ともあれ彼らは、私達日本人にも良く似ている。

近所の叔母さんと会った様な、そんな感じもする。

彼らはモンゴロイドで、アムールの南からやってきた。Cimg8566

そしてここで、鮭などアムールの幸に依拠して暮してきた。

鮭の皮をなめして衣服や靴をつくつたりして生活していたのだ。Cimg8569_2

体も小ぶりで、未だに水道も無い。Cimg8568

井戸水にたよって、つましい暮らしをしている様子だ。

とは言え、今日のアムール河は工場廃液で汚染され、

川の民の暮らしは既に破壊されてしまっている。Cimg8571

民芸品を作ったりレストランで働いたりと言ったところだろうか。

ナナイ族の子供達が、素朴な遊戯を見せてくれた。

三っの太陽を一つにしたと言う伝承や、ナナイの生活を擬した踊りだ。Cimg8575

鮭を突く動作もふんだんに登場する。

かつて鮭の大量に遡上したアムールだが、今は河に人影すら見られない。

河越しに冷たい風が吹きつけていた。Cimg8578 Cimg8572

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2009年9月 3日 (木)

ハバロフに

16;00ハバロフスク空港に到着。新潟から2時間弱である。Cimg8555

寒い! 強い風と雨。 日本の12月の気候だ。

第一感、「大変な所に来た」である。

カール・マルクス通りからレーニン広場を経て、Cimg8557

ムラビィオフォングス通りへ、そしてアムール近くのホテルへ。

ムラビィオフと言うのは、1858年清朝を脅かしてアイグン条約を締結した提督だ。

この条約によって、それまで清朝領土だったこの地を、Cimg8558

アムール河以東をロシア領としたのだ。

空港からホテルまでの地名は、正にこの地の歴史なのだ。

そしてアムールは、このハバロフスクでウスリー河と合流し、Cimg8587

その後は北に向かって流れオホーツクに注ぐ。

だから対岸は、中国の黒龍江省だ。

ムラビィオフの像は、丘の上から対岸を睨んで建っている。

1945年8月、ロシア軍はこのアムールを越えて満州になだれ込んだ。Cimg8560

そして、70万人余の40歳以下の日本人男子をこの地に抑留した。

鉄道建設と森林伐採に使役するためだった。

彼らは、日本に返すと騙されて連れてこられた。Cimg8561

が、彼らに待っていたのは、過酷な労働と飢え、

零下30度にもなる寒さとの戦い。彼らは夏服なのだ。

それに猛烈なシベリア蚊とダニに耐えつつ死んでいった。Cimg8602

未だにその名前さえも、全ては明らかにされていない。

ラーゲリ(強制収容所)の隅に死体置き場があって、

凍った死体が積み重ねられていったと言う。

8月にして、この寒さである。アァ~シベリアなのだ。

スターリンの社会主義とは、そんなものだったのだ。

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