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2009年9月 3日 (木)

ハバロフに

16;00ハバロフスク空港に到着。新潟から2時間弱である。Cimg8555

寒い! 強い風と雨。 日本の12月の気候だ。

第一感、「大変な所に来た」である。

カール・マルクス通りからレーニン広場を経て、Cimg8557

ムラビィオフォングス通りへ、そしてアムール近くのホテルへ。

ムラビィオフと言うのは、1858年清朝を脅かしてアイグン条約を締結した提督だ。

この条約によって、それまで清朝領土だったこの地を、Cimg8558

アムール河以東をロシア領としたのだ。

空港からホテルまでの地名は、正にこの地の歴史なのだ。

そしてアムールは、このハバロフスクでウスリー河と合流し、Cimg8587

その後は北に向かって流れオホーツクに注ぐ。

だから対岸は、中国の黒龍江省だ。

ムラビィオフの像は、丘の上から対岸を睨んで建っている。

1945年8月、ロシア軍はこのアムールを越えて満州になだれ込んだ。Cimg8560

そして、70万人余の40歳以下の日本人男子をこの地に抑留した。

鉄道建設と森林伐採に使役するためだった。

彼らは、日本に返すと騙されて連れてこられた。Cimg8561

が、彼らに待っていたのは、過酷な労働と飢え、

零下30度にもなる寒さとの戦い。彼らは夏服なのだ。

それに猛烈なシベリア蚊とダニに耐えつつ死んでいった。Cimg8602

未だにその名前さえも、全ては明らかにされていない。

ラーゲリ(強制収容所)の隅に死体置き場があって、

凍った死体が積み重ねられていったと言う。

8月にして、この寒さである。アァ~シベリアなのだ。

スターリンの社会主義とは、そんなものだったのだ。

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