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2009年10月17日 (土)

江川太郎左衛門

幕末には、多くの優れた人材がくもの如く現れている。Cimg9109

それは、一にかかって外圧の影響だった。

殊に1840年のアヘン戦争は、国内の知識人に大きな影響を与えた。

欧州各国に植民地にされてしまうという危機感だ。Cimg9114

伊豆代官だった江川も、国防の重要性を幕府に建議した一人だ。

長崎の砲術家、高島秋帆に砲術を学び、

渡辺崋山らの影響も受けている。Cimg9113

そして1849年には、自宅の庭に小反射炉を築造している。

幕府が彼に本格的な反射炉の築造を命じたのは、1853年のことだ。

幕府は、3,700両の資金を彼に与えている。Cimg9112

やがて彼は、1855年品川台場の砲台築造を命じられる。

が、その年彼は没し、その事業は子供の英敏に引き継がれる。

いずれにしても、ぺりー来航に備えた大砲は、Cimg9111

24ポンドカノン砲など、数百がこの反射炉で鋳造された。

当時は、鋳造後に砲身をくりぬく工法だった。

それで、大砲を水車で回転させ、中を削ったのだと言う。Cimg9110

江川が残したものが、もう一つあった。

彼は1842年(天保12年)、兵糧用に小麦粉でパンを製造している。

これがこの国で、初めての本格的なパン製造となった。Cimg9127

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