2009年11月30日 (月)
この日本列島に住む人々のことである。
遥か昔、先祖はアフリカで生まれた。
その人の祖先がヒマラヤの南北に分かれて東に向かった。
やがてユーラシア大陸の東端に至るが、
その南方系と北方系の再度出っくわした所が、
どうやら、この日本列島であるらしい。
当然、色々な人種やら言葉が入り混じる。
そうして生まれたのが、私達日本人のようだ。
だから、色々な価値観を許容しなくっちゃ生きられなかった。
だから私達は、欧米人のように自我を主張しないし、
大勢順応の中に身を任せてきた。
神と仏が共存しているし、
宿泊施設だって、旅館にホテルだ。
平仮名とカタカナを平気で使い分けているし、
食い物だって和食に洋食、それに中華だ。
欧米では、モーゼ、イエス、マホメットといずれも強烈な一神教だ。
一方私達は、平安の昔から多様な価値観を許容する
融通無碍な民俗のはずなのだ。
しかるに、どうも最近の浅薄な仕分けとかは頂けない。
本当に、国の予算決定の過程はそれで良いのかどうか?
かつてヒトラーは
「国民の英知を当てにする者は、大衆を捕まえそこなう」と言った。
私達国民は、衆愚だと言うことを忘れてはならない。
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2009年11月29日 (日)
家族は、同居人の集まりではない。
だが戦後の民主教育は、
家族制度ばかりか家族そのものを崩壊させてしまった。
英語のファミリーには、「共に飯を食う人」との意味もある。
しかし今日の家族は、その飯さえバラバラだ。
私の子供の頃は、親父とお袋の苦労を見続けてきた。
しかし今日、サラリーマン化で親父が何処で何をしているかも知らない。
子供達は、消耗しつくして酔っている親父しか見ていないのだ。
おまけに母親は、子供の進学やらに専心して、
夫の面倒などはそっちのけである。
物があふれて、金さえあれば大抵のことが片付くようになった。
俄然、子供は母親の見方である。
もちろん、父親を尊敬しない。
而して家庭は、母親の主導権が絶対になっていく。
社会生活では我侭な自由などあり得ない事を、学校は教えない。
TVゲームや携帯も勝手を助長する。
自由勝手というテーゼが、家庭にも蔓延し家族を崩壊させている。
家族は本来、動物としての自分の巣であるべきだ。
巣では、食べて寝て、家族がお互いに労わり合う場なのだ。
その巣を維持するために、私達は働いているのではないか。
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2009年11月28日 (土)
人は、生まれた時から死に向かって歩み始める。
だから人間の死は、その人生最大の仕事だとも言える。
例外なく死ぬのだから、その事自体の公平さに異論は無い。
しかし、未だこれからと言う人の死は、いかんとも切ない。
近頃、そんな死が私の身の回りにも多い。
八才の子供の小児癌での早世。
熟年者の、くも膜下出血での突然死。
そして又今日は、53歳だった近親者の葬儀だった。
やり切れないのは元よりだが、
人は亡くなっても、何がしかを残していく。
それは単に思い出だけでなく、教訓や元気だったり、
自分の生き方を問い直す契機だったりもする。
「人間五十年 化転のうちに較ぶれば 夢まぼろしのごとくなり
一たび生をうけ 滅せぬもののあるべしや」
生涯は一石の夢なのだ。
死と言うものを常に意識しつつ、
今出来ることに専心することこそ肝心なのだ。
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2009年11月27日 (金)
先夜、音楽好きの友人に誘われて、
静岡市のピアノバー・デュークに出かけた。
ピアノバーとは聞きなれないが、弾き語りの飲み屋だ。
小粋なピアノとボーカルに惹かれて、音楽好きが集まってくる。
この夜は、ボーカルのマリテスのライブを聞きながら飲んだ。
マリテスの歌声を聞くのは、5月のアクト以来二度目だ。
彼女の微妙な音律が良い。
情感と言うものを上手く音に乗せて表現する。
ジャズは、こうでなくっちゃと思わせる。
彼女は、フィリピンのマニラ出身だ。
貧しかった少女時代の話をちょっぴり伺った。
私の子供の頃だって、似たようなものだろう。
でも、そんな貧困時代の経験が、恐らくこの歌声にも入っている。
興に乗って、友人のAさんがフルートを奏でる。
Aさんのフルートは、プロはだしである。
先日も、TVニュースにAOIでの演奏会の様子が放送されていた。
そしてお客は、軽妙な音を楽しみながらグラスを傾けている。
ある意味、心豊かで贅沢な時間だ。
もっとも、布団だけしか弾(引)けない私は肩身が狭い。
ともあれ、Aさんの誘いに感謝しなければなるまい。
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2009年11月26日 (木)
静岡市の日本平の麓に、草薙と言う地がある。
この地名は、県立大学近くの草薙神社に由来する。
この神社は、景行天皇(紀元前13年~)が、
日本武尊を祀るため建立したと伝わる。
景行天皇は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父親である。
古事記の世界だ。
その日本武尊が、蝦夷征伐に出かけるに際して、
叔母の倭姫命から剣と火打石を授けられる。
火打石は、火をおこす最新鋭の道具だったろう。
彼は、その神剣と火打石を駆使して、
恐らく縄文人を制圧して行ったのだろう。
ところがこの日本平に来て、ヤマトタケルは火責めにあう。
大変な窮地に陥るのだが、
草薙の剣を抜き放って、その野火を薙ぎ払い難を逃れたとされる。
日本武尊は、この東国遠征の帰り、鈴鹿で亡くなったことになっている。
その死因は、草薙の剣を宿に置き忘れ、
胆吹山の荒神に祟られたのだ。
草薙神社は、JR草薙駅から2km程の所に鎮座している。
神話の真偽はともかく、
こんなにも身近に、神話の世界の痕跡が残っていることに驚く。
草薙神社には、弓道場もあって学生達が練習にいそしんでいた。
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2009年11月25日 (水)
人は、やたらと寂しがり屋だ。
だから、その孤独を誤魔化しながら生きている。
群れてみたり、意味のないお喋りに興じたり、
ゲームに入り浸ったりしている。
それに、要らざる自己主張をしてみたり、
名誉欲なんてのも孤独と裏腹なんだろうな。
私がこのブログを書いているのだって、その類かもしれない。
私は、祭りの喧騒ってのが、どうも好きになれない。
酒によって練っているのを見ると、こちらまで寂しくなるからだ。
人間の表現は裏腹で、見かけと内面は別物だ。
だけど、孤独ってヤツは結構大切なものなのだ。
本を読んだり、どこかに出かけたりだって、
孤独感が行動させるんじゃないかと思う。
それに孤独は、自分が方向性を持っていない時に顔を出す。
目標を持って歩いている人に孤独は無い。
そう、孤独はこの自分への刺激なのだ。
どうせ死ぬときゃ、一人だからね。
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2009年11月24日 (火)
私は、極めて内気な人間である。
良く言えはシャイ、はっきり言うと愚図である。
恥ずかしがりの引っ込み思案でもある。
自意識過剰な部分をマスクしながら、後生大事に生きてきた。
しかし最近、無駄な恥じらいを捨てることにした。
今更、無能さを隠しても仕方が無い。
あえて自分がたたき台を演じても良いと思っている。
とは言え、習い性となった性分から容易に脱却できない。
ついつい、良い格好をしたくなるのだ。
「失敗したらどうしよう」とドキドキしている。
中々、良い恥がかけないでいるのだ。
特に、受身の場合がいけない。
自分が主体性を持っていないと、とかく腹が据わらない。
と言って、よろず出しゃばる必要も無いが、
臍下丹田に息をためて、恥を腹で受け止めようと思っている。
恥はかくべしなのだ。
何となく生きても、詮無いからね。
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2009年11月23日 (月)
昨日のトレイルランのエイドに、芋があった。
あれは、仲間の一人が差し入れたのだ。
そう、焼芋のうまい季節だ。
その芋は、江戸時代になってこの国に伝わってきた。
原産は、南米のメキシコあたりとされている。
新大陸発見によって、馬鈴薯やトマトなどと共に世界に広まったのだ。
その甘藷が、南太平洋のポリネシアで大昔から作られていた。
ポリネシアは、南米から8,000kmも離れた島国だ。
何故なのだろうか?
その謎を解き明かした男がいる。
ノルウェーの人類学者で、トール・ヘイエルダールという人だ。
彼は、「ポリネシア人の先祖の一部が、南米から渡ってきたのだ」と
仮説を立てた。
「そんな馬鹿な」と揶揄されたのだが、
彼は、自らそれを実証して見せた。
いかだを組んで帆を張り、
ペルーの海岸から西に向かったのだ。
そして3ヵ月後、無事にポリネシアに漂着したのだ。
もちろん、積荷の甘藷は立派に芽を出していた。
疑問があったら徹底的に究明する。
しかも、彼は体を張ってそれをやって見せた。
ところで八里半とは、まさに焼き芋のことだ。
秋の味覚である栗(九里)と殆ど同じと言うことだ。
古川柳に「野狐や 汝も好きか 八里半」とある。
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2009年11月22日 (日)
心配した雨も降らず、トレイル日和になった。
エコパスタジアム前に集合した面々は、
皆、今日一日を如何に楽しもうかと言う顔だ。
コース説明も、この山の紹介をちょつぴり。
9:30、クラッカーの音と共に山頂に向かって走り始める。
晩秋の緑道には、落葉で適度な日が差し込んでいる。
その落ち葉を踏んで、そま道を軽やかに走る。
たとえ息づかいは苦しくとも、心は軽快なのだ。
とは言え、急坂のウバメガシの林は限りなく続く。
そうして、昼近くになって山頂のエイドに到達。
そこには仲間の手でカレーライスやら、
サツマイモ、柿、それにビールまで準備されている。
そこで缶ビールを頂いた。
もちろん、カレーも美味しく平らげた。
不思議なもので、走っているとビールで酔うことがない。
むしろ足取りが軽くなるのだ。
この中間的からは、若い女性と一緒に走った。
トレイルは初めてということで大変だったかな。
走力にもかなり差があったのだけれど、
それでも立派に最後まで走り切りました。
ゴール後は、例によって大宴会です。
走ると言う共通の話題をベースに、
話はドンドン盛り上がっていくのです。
晩秋の、充実感タップリの一日でした。
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2009年11月21日 (土)
いよいよ明日は、小笠山トレイルランの日だ。
今年で三回目になる。
標高264mの小笠山は、もともとは大井川の扇状地だった。
大昔、北側が大きく隆起して、今日の丘陵になった。
扇状地だったから、丸い礫が積み重なって層を作っている。
だから降った雨は、みんな下層に浸透してしまう。
痩せ尾根の下の川には、大雨でもない限り水は流れない。
裾野部分の開発が進んで、今では6,000ha程になったが、
東海道メガロポリス沿いの貴重な緑のコロニーだ。
サンコウチョウなどの渡り鳥は、この緑の島を目指して渡って来る。
乾燥した尾根には、姥目樫が群生している。
このウバメガシの緑道を走るのが、このトレイルランだ。
私は、この丘陵をこよなく愛している。
この国に、これほど味のある里山は無かろうと思っている。
先日来、仲間達と草を刈り取ったり、ガイド標識をつけたりと、
明日のレースのための準備をしてきた。
今年は、全国から58名のランナーが集まる。
その多くが初参加の皆さんだ。
きっと、この丘陵の変化に富んだ地形と素晴らしさに驚くだろう。
小笠山RC一同、皆さんを歓迎しますよ。
一緒に、この野趣を存分に楽しみましょう。
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2009年11月20日 (金)
先日、マラソンを走りながら考えたことだ。
人生には、上り坂と下り坂の他に真坂が有る。
私の人生の坂は、もう既に下り坂かな?
否、坂は上ったり下ったりで、上りっぱなしなんてのは無い。
下り坂の向こうにはまた別の山があって、その先は分からない。
私も、まだまだ幾つかの山を越えて、旅をしなくっちゃならないだろう。
もとより人生は、成り行きと決断の両方が作用して道が決まっていく。
全てを自分で決めて動いている訳ではない。
上り坂はハァ~ハァ~と息を切らしながら、登らなくっちゃならない。
それはマラソンでも自転車レースでも同じで、
当然苦しいし、途中で歩きたくなったりもする。
だけど人間って、大抵は上り坂で差がつくんだよね。
反面下り坂は、急坂はともかく総じて楽チンだ。
だらだらと、坂に身を任せていれば良い。
とは言え、下り坂だって限りなく続く訳ではない。
真坂が現れる。
希に「まさか」とか「よもや」ってこともあるけれど、
真坂は、現在、目の前の現実のことだ。
こんな坂あんな坂は人生の彩りで、
日々の真坂こそ虚ろにしちゃいかんぞな。
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2009年11月19日 (木)
私達は、世界経済の枠組みの大きな変化の中にいる。
中国は、瞬く間に世界第2位のGDP国になろうとしていし、
インドやブラジルもその後を追っている。
資源や食料、人口や流通にもかつて無い変化が起こっている。
その激動の中に、一人漂っているのがこの国だ。
この20年間、成長らしい成長もしていない。
だから企業は、活路を求めて次々と脱出している。
当然ながら、高校や大学を卒業しても、
その多くが働く場を得られないでいる。
政権は交代したのだが、
自分の手足である官僚を叩くことに熱中し、
予算を自分で95兆円にも膨らめておいて、
それを面白おかしく劇場化して削りっこをしている。
要するにマスターベーションで、全てが内向き指向だ。
国民を、世界の激変から目させイグアナ化させたいのだろうか。
おまけに約束だった政策も、あらかたは反故になりそうな雲ゆきだ。
そもそも変化に対応できない政府だから、
国民はチェンジを求めたのだ。
変化は、脅威でもあるがチャンスでもある。
変化に対応できない経営は、企業も国家も、
そして政党も衰微するのだ。
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2009年11月18日 (水)
先日、青少年育成大会なるものに行って来た。
指導者や模範的生徒会などが表彰されたのだが、
中には、毎朝欠かさず子供達の交通安全指導をされている方もいた。
その折、記念講演で「ふくだ友子」さんのお話を伺った。
テーマは「魔法の言葉」であった。
小粋な関西弁で、
私も含め聴衆は文字通り魔法の言葉で翻弄されてしまった。
何が魔法かって、「言葉は使いよう」だって事かな。
言葉には温度がある。
そいつを間違って使うと、言葉が言刃になりかねない。
言葉の使い方如何で、
人は生き生きと出来るし人を元気にもする。
愛情の反対語は憎悪ではなくて、無視なのだそうだ。
人生は人と人との関係だ。
それを拒むのが無視。
愛情とは、対極にあるということでしょうね。
ともあれ人生は、山あり谷あり、何でもあり。
だからこそ、言葉を上手に使って楽しくやらにゃあかん。
そんな事を思った。
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2009年11月17日 (火)
昨夜は、市長と語る市政懇談会があった。
前もって地域の課題を提示してあるから、
市側の回答は十分検討されたものだ。
しかし、今年当選したばかりの市長の個性は当然出る。
新市長の口調は、極めて率直で好感が持てる。
奇しくも、市財政も金融危機後の難局にさしかかっている。
市の行政も、これまでの惰性で走ることが出来なくなっている。
その苦境を分かりやすく説明して、市民の理解を求めている。
「雑事は何でも市役所に」というこれまでの風潮を正す良い機会だろう。
もう、何でも市役所がやる時代ではない。
日本の自治意識は、過去の高度成長に甘えた未成熟なままだ。
否、自治なんてものは未だ存在していないとも言える。
お座なりに自治会の役員こそ決めているが,
その意識や如何と思ったりもする。
近頃の事業仕分WGなどは茶番の極みだが、
そうした無関心層には一定の刺激剤になるかも知れない。
つまり、行政機関の仕事を減らすのも自分達だと言う意識だ。
本来「地域のことは地域で」やるべきなのだ。
今日言われる「無駄」は、正にそれなのだ。
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2009年11月16日 (月)
先月、ロシア極東部のある日本領事館の領事が襲われた。
殴打強盗の被害にあったらしい。
私がハバロフスクを訪れた9月にも、治安の悪さには驚いた。
朝、歩道に鮮血が流れていたりするのだ。
そもそも共産主義時代のロシアは、警察国家だった。
権力によって、全てに人が押さえつけられていた。
だから人々は、権力に服従することで生きてきた。
その体制が変わって、警察の重圧が無くなった
すると、途端に犯罪が増えだした。
おまけに金融危機の影響で、失業者が激増した。
特に若い人に仕事が無い。
高齢者も、僅かな年金で生活が苦しい。
それに住民自身が、他人のことに全く無関心だ。
過去の圧制時代の反動なのだが、
犯罪は自分達とは関係ないと思っているらしい。
だからやりたい放題で、当然ながら犯罪は増える。
この日本ではどうか?
日本の冠たる警察が、防犯活動が出来なくなっている。
それは刑法犯の訴訟事務に、超大な労力を要すようになったからだ。
人権擁護が強調されて、容易に犯人を起訴できないのだ。
お巡りさんの巡回なんてのも絶えて久しい。
要するに、地域の安全は住民自身が創る時代になった。
先日も私の地域で、防犯講座を開いたのだが、
地域住民の関心は必ずしも高くない。
生活に精一杯で、地域や他人事には無関心だ。
このままだと、ロシアのことをとやかく言えなくなるかもね。
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2009年11月15日 (日)
土地には、その地域独特の格がある。
歴史が醸し出す風格と言っても良い。
例えば、英国の田園は感動的に美しい。
同じ島国だが、英国には山が殆ど無い。
寒冷な気候と生産力の低い石灰岩大地に覆われている。
だから牧草や生垣を大切に自然を育ててきた。
そうして田園風景も、百年一日の如く創り上げられてきた。
これに比して、日本の八割は急峻な山だ。
少ない耕地を耕して、そこに街も工場も住居も作った。
だから、かつて美しかったはずの農村は雑縛とした景観になった。
風格を著しく損なってきたと言える。
京都は、唐の街づくりを昇華させて、この国の古都であり続けている。
東京は、欧米の都市の粋を結集して、未来都市を作ってしまった。
両都は、借り物を日本化させることで風格を備えた。
しかして日本各地の町や農村は、没個性のごった煮になった。
英国の農村やヨーロッパの小都市のような風格が無いのは、
これまでの私達の生き方に何かが欠けているからだ。
それは、経済に偏した生活と仕組みの故ではなかろうか?
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2009年11月14日 (土)
自分の人生が濃いのか淡いのか。
そんな事を考えるようになった。
戦国時代のような乱世には、生も死も至る所に転がっていて、
誰だって波乱万丈の一生になる。
仮に短命だったとしても、悲喜劇のドラマの連続だし、
秀吉のような英雄豪傑だって生まれる。
美濃の斉藤道三のように何人分も生きた男だっている。
つまり、自ずと濃い人生になるだろう。
幸か不幸か、私達は太平の世に生きている。
イラクとかアフガン、北朝鮮も在るけれど、
他人事のように生きることも出来る。
太平楽とは言わないまでも、
人生の波風の振幅は、自ずと滑らかである。
しかし、そんな太平の世に生きながらも、
過去11年間も3万人余の自殺者が続いている。
精神疾患の患者だって増える一方だ。
つまり人生は、そのドラマの濃淡では計れないということか。
だけどどうせ同じ一生なら、波乱万丈も結構。
この世を去る時には「ああ~、面白かった」と、
嘘でも言ってみたいよね。
それに、何がしかの「生のしるし」も見つけておきたいな。
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2009年11月13日 (金)
母は毎朝、「雑仕番頼むね」と言って野良に出かけていった。
それは、私が小学3年の時だった。
学校で担任の先生が、
「昨日、学校から帰ってやったこと」をみんなに答えさせた。
私の番になって、その答を聞いた先生が突然怒り出した。
「嘘をつくな」と言う叱責であった。
たかが小学三年生だった私は、何故叱られるのか分からなかった。
だから、ひたすら俯いて黙っていた。
ただ、猛烈な悔しさと恥ずかしさが残った。
正確な記憶は無いが「ご飯を炊いて、味噌汁を作りました」と答えたのだろう。
当時は、電気釜もガスも水道も無かった。
勿論、ヘッツイに釜をかけて、稲藁を燃料にくべた。
妹二人の守をしながら炊事をし、田圃から暗くなって帰る父母を待っていた。
まるでTVドラマの「おしん」のようだが、
それが終戦直後の田舎の暮らしではなかったか。
小学校は、職布業の盛んな町場にあった。
そこまで田舎道を片道3km歩いて通っていた。
その某先生は、そんな田舎の生活が信じられなかったのだろう。
そして、間違いなく嘘をついていると断じたのだ。
50年以上も前のことなのに、あの時の悔しさを時々思い出す。
ところで「雑仕」を広辞苑で引くと、雑役としか出てこない。
風呂にバケツで水を運んで沸かしていたから、
やはり雑仕番だったのかな。
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2009年11月12日 (木)
いやぁ~、面白い。
無責任な岡目八目が面白い。
例の、行政刷新会議である。
元来、行政機関の予算や決算の審査は議会がやってきた。
その為に、私達は議員を選んで来たはずだ。
それを差し置いて、構造日本なる何の責任も無い連中が主導している。
素人感覚で衆人監視の中でやるから意味が有るとされる。
快刀乱麻で、見ている分には確かに面白い。
政治を劇場化する。
それは、かつて小泉元首相が始めたことだ。
現政権は、そいつを組織化してやることに意を砕いている。
もちろん、行政刷新会議には権限も決定権も無い。
それを決するのは、政府だし議会だと言うことになっている。
だが、無責任が一人歩きしてよいものかどうか?
WGには、予算削減の強いバイアスが掛かっている。
俄然、短時間に極論を導くことになる。
その結論は、当然ながら行政組織にも大きな「影響」を与える。
右往左往も含めて、長大な労力と時間が費やされる。
マスコミにとっては、面白い記事が出来て好ましいだろう。
当然、世論を煽り立てていくことになる。
この市民目線、本当に私達の為になるのかどうか?
というより、これって「無駄」そのものじゃない!
やがて目が覚めた時、郵政の民営化と同じだったとしたら・・・。
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2009年11月11日 (水)
私の住んでいる所は、かつては入海だったようだ。
それで地盤が著しく悪い。
想定される東海地震の震度も、最大の7とされている。
この8月11日の早朝、ちょつと大きな地震があった。
震源地近くでは震度6弱で、14秒間の揺れに過ぎなかった。
私の所では震度5 だったが、
それでもベッドから飛び起きて、脱兎の如く外に出た。
その折、何所かに足をぶっつけて痛めてしまった。
スワッ、東海地震という思いがそうさせたようだ。
しかし、震度5でこれでは先が思いやられる。
エネルギーの規模は、8月の地震の180倍。
それに揺れだって、120秒は続くのだそうだ。
私の地区の被害想定は、住宅の大破11.5%、
中破24.8%、一部損壊22.1%とされている。
地震で、少なくとも35%の住宅は住めなくなる。
県の地震防災センターで、震度7を体験した。
あれじゃ、丈夫に作ったはずの俺の家ももたないな~。
地震の無いことを祈るばかりだが、・・・・。
12月6日の防災訓練は、いよいよ避難所運営の訓練だな。
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2009年11月10日 (火)
私の子供の頃には、何処の家にも井戸があった。
そこから水を汲んで、煮炊きやら洗濯、風呂に使った。
ある時、我が家の掘り抜き井戸が突然枯れてしまった。
さあ大変である。
突然、生活に必要な水が無くなったのだ。
私が小学生だったろうか、幸い、隣の家ではまだ水が出ていた。
それで「貰い水」の当番が私になった。
新しい井戸を掘るまでの間、毎日バケツで水を運んだ。
が、その井戸も間もなく塩水化が顕著になった。
原因は、3kmほど上流に工場ができて、大量に水をくみ上げたからだった。
程なく水道が引かれて、私も重労働から解放されたのだが・・・。
ともかく生き物は、水が無くては生活できない。
だから、水の得られる所に住んだのだ。
しかして今日、水は上流のダムから供給される。
水は何の不思議もなく、蛇口から自然に出るものになった。
「井戸は車にて 綱の長さは十二尋」
樋口一葉の文章である。
つるべ井戸が無くなった今日、その意味は不明となった。
やがて「井戸」と言う言葉すら無くなるだろう。
ダムでさえ、無駄とされる今日なのだから。
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2009年11月 9日 (月)
節約指向結果だろうか。
それに生活スタイルの簡便化も大きな要因だ。
つまり、ペットボトルのお茶への依存だ。
結果として、茶の価格が、
生産原価を割り込むほど低迷を続けている。
最大の茶産地静岡でも、
生産者の悲鳴が聞こえてくる。
そんな危機感の中で、
お茶の魅力を創造する試みがあちこちで始まっている。
茶の大産地である掛川でも、
11月8日を期して「お茶のまち掛川」を宣言した。
「いい葉」の産まれる掛川から、お茶再発見を市民運動にしようという。
まずは個性のある「さえみどり」「つゆひかり」を新銘茶にすること。
それに、お茶のある生活を街ぐるみで楽しもうと言うことだ。
掛川市は、生涯学習発祥の地だし、スローライフのメッカでもある。
市街地を一歩離れれば、そこはもう一面の茶畑だ。
要するに、材料はふんだんに有る。
商店街との連携も面白い。
各店の前に椅子とテーブルをおいて、お茶を提供するのだ。
市民のコミュニティーも含めて、一杯のお茶の縁を育てればよい。
松井三郎市長も熱心だ。
市役所の会議には、急須のお茶を出すのだそうだ。
水分補給の茶ではなく、雰囲気や味わいの文化を育てたい。
それでないと、折角のお茶が勿体なかろう。
記念シンポでは、相川香さんや金沢ゆうさんも、
掛川市にエールを送っていた。
それに、あの「さえみどり」は濃厚で美味しいお茶だね。
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2009年11月 8日 (日)
かつて、文化鍋とか文化包丁なんてのがあった。
当時の生活水準を高める品と言う意味だったかどうか?
ともかく、生活のありようそのものが文化だと思うのだが、
その辺が文化の難しいところだ。
例えば、現在開催中の国民文化祭である。
舞踊や演劇、演奏やら創作など多くの試みが繰り広げられている。
だけど、そいつが日常の何処とつながるのか・・・・?
先日、ツインメッセで開かれた生活と文化展を覗いてみた。
茶席や活花、着物や香道、囲碁将棋などなどだ。
茶席は流派も競い合って、お道具だって選び抜かれている。
活花もアット驚くような趣向が並んでいる。
いずれも、崇高な趣味であり数奇の世界なのだ。
私達は戦後、随分と生活の水準を上げてきた。
だけと一方、この会場に広がっているような文化とは、
和服や工芸も含めて、随分距離を置くような生活になった。
伝統「文化」なぞを嗜む余裕を無くしてきたと言える。
その一方で、便利こそが文化だと考えてきたのではないか。
結果として私達は、安上がりな文化鍋化してしまったのではないか。
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2009年11月 7日 (土)
物事は、見ようによっては様々な見方が出来る。
立場を変えてみれば、正反対の結論に帰結する事だってある。
行政刷新会議のWGも、あるいはそうなのだろう。
WGが職業能力開発大学校を視察して、
「職業訓練指導員」への就職が、
卒業生の4割に満たないことを糾弾していた。
それなら入学定員を4割に減らせと言うのだ。
それだけ「無駄」が減ると言う論法だ。
しかしである。
共産主義にでもしない限り、、これは難しかろう。
就職するほうにも採用側にも都合ってものがある
採算を言うなら、僻地教育なんてのは最たるものだね。
生徒5人に10人の先生なんて小学校はいくらもある。
これを極論しちゃうと、義務教育制度そのものが「無駄」と言うことになる。
要するに、マニフェストのための財源捻出に汲々としているのだが、
ここは腰を落として、社会のあるべき姿をじっくり考えた方が良い。
このままだと、ファシズムになっちゃう。
室町時代の話である。
近江の草津から大津に抜けるには、琵琶湖を船で渡ったほうが速い。
しかし、当時の船には色々と事故も多かった。
それで、室町の連歌師の宋長は、
「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の唐橋」と詠んだ。
急がば回れの語源である。
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2009年11月 6日 (金)
人間の脳は、未知との遭遇のためにあるらしい。
だから同じ事を繰り返していると、脳は働いてくれない。
自分の出番がなくなって、退屈してしまうのだ。
大人になるに従って、時間の経過速度が速くなるのもその為らしい。
見知らぬ土地に行って、行きと帰りとでは行きの方が長く感じる。
帰りには、脳があんまり働かないかららしい。
だから、いつもルーチンで暮していると、脳はだんだんぼけていく。
ボケさせない為には、適度なストレスや感動が必要になる。
人とのおしゃべりや旅行、読書やゲームも大切だ。
女性が男よりも長生きするのも、毎日料理を作るからかもしれない。
献立を考えて材料を調達する。
それも何処が安いかなどと工夫しつつ調理する。
それ自体が、脳を退屈させない作業だろう。
私はもともと、ボケーッと出来ない性分らしい。
いつもせかせかと歩き回っている。
その分、脳もそれなりに忙しい。
考えてみれば、衣食住のすべてに新規性を探せばよい。
今日は、これを着ようとか、違った道を歩いてみよう、
あの店で食べて見ようなどなどだ。
人生を面白くするには、自分の脳を感動させることだ。
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2009年11月 5日 (木)
天竜川を遡って中山間に入ろうかと言う所に、
そのミュージアムはある。
旧豊岡村の旧家を改装した私設の展示館だ。
シルクロード・ミュージアムと表示がある。
「何故、こんな所にシルクロード?」と思った。
訪ねてみると、古民家の佇まいにも増して貴重なコレクションが揃っている。
この天竜地区出身のとある学者の収集物だという。
イランやアフガン由来の工芸、仏教に因む品々が多い。
シルクロードは、人と物の辿った道だ。
私達日本人の祖先も、この南と北のシルクロードを通って、
この日本列島に到達したはずである。
だから民族も文化も、この道とどこかで繫がっている。
今日では全く交流の無いカザフ地方の人々なども、
民族的には私達にかなり近いと言われる。
「経済や政情も定かならぬこの地域と、私達は繫がっている。」
そんな事を思いながら、この里山で彼の地の文物を眺める。
すると、何やら不可思議な空間に迷い込んだような気になる。
シルクロードの遥かかなたに、昨日まであった品々と向き合っている。
しかもここは、とある日本の山里なのだ。
時間的距離は、遥かな空想へと広がっていく。
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2009年11月 4日 (水)
日本の街は、明治以降すさまじい変化を続けてきた。
特に、車の普及と経済の高度成長が変貌に拍車をかけた。
都市の機能を何度か入れ替えたような、
そんな変わり方だろうか。
ところが欧州の古い都市は、驚くほど変わっていない。
例えばウイーンの街などは、銀行もカフェも、
郵便局もアイスクリーム屋も、
30年ほど前と比べても寸分も違わないそうだ。
同じ景色で同じ雰囲気、その隣にはドナウが雄大に流れている。
もちろんコンビニなんてのも無い。
恐らく100年前と比べても、そんなに変わっちゃいないだろう。
日本の街は、何故激しく変わってしまうのか。
流行遅れを嫌って、新しさを求めるからだ。
それに、大切にすべき古いものに価値を認めてこなかったからだ。
言うならば、モンスーンの風土に帰結するかもしれない。
例外は京都だ。
京都の凄さは、古いものを支えられるところだろう。
私達が、故郷としてどちらを選ぶかは明らかだ。
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2009年11月 3日 (火)
天竜川と二俣川の合流する所に、二俣城址がある。
永禄から天正にかけて、
信玄と家康が攻防を繰り返した城だ。
城のすぐ下が天竜川の渕で、
城から直接水を汲み上げることが出来た。
要するにろう城が容易だった訳だが、
その水を汲む櫓が、信玄側に壊されて落城の憂き目を見た。
この城は、家康の嫡男の信康が腹を切った所だ。
母親の築山の武田との内通を信長に疑われた。
家康がそれ程に抵抗せずに腹を切らせたのだから、
信康にもそれなりの非が明らかだったのかも知れない。
いずれにしても、戦国の悲劇のドラマの城である。
その城址に、突然城郭が登場した。
地元の建設組合などが協力して、この半月だけの城を作った。
3~400万円位は掛かったのだろうが、
この15日には解体の予定だそうだ。
国民文化祭に併せて、長篠の鉄砲隊の実演やら、
武者行列や遠州大念仏などの繰り広げられている。
それにしても、歴史は物語を残す。
物語は、私達を簡単に数百年も前に連れて行ってくれる。
さても、私達は歴史の上に暮しているのだ。
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2009年11月 2日 (月)
大道芸は、昔からの生活の術だった。
僅かばかりの投げ銭を求めての、
必死のパフォーマンスだった。
だが、近世ではこいつが文化になった。
自己実現する場になって、
大道芸が町のアートになった。
20年ほど前のこと、ドイツのミュンヘンでのことだ。
薄暗い通りの路地には、
ギターを抱えた若者が何組もいた。
その一人に「ビートルズ プリーズ」とリクエストして、
一緒に歌い始めると、
直ぐに7~8人の輪が出来た。
その時の自然さに「ヨーロッパは凄い」と思った。
今、この静岡市がその大道芸のメッカになっている。
今年も23カ国から183人もの大道芸人が集まってきた。
まちのあちこちで、その鍛えた技を披露している。
そのことで人々が沸き、笑顔が広がる。
街には、全国から人々が見物に集まってくる。
芸人だけでなく、街自体も自己実現しているのかもしれない。
平和の象徴
でもある。
こんなことがアフガンのカブールやバクダッドで適う筈もない。
人口の集
積している街にアートが集まれば、街は劇場になる。
大道芸W杯の15年は、静岡の街を少しずつ面白くしてきたようだ。
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2009年11月 1日 (日)
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
橋が無くて難渋した明治以前のことだ。
今、明治12年に牧の原開墾のために造られた橋が、残っている。
全長897mの蓬莱橋だ。
世界一長い木造歩道橋としてギネスにも登録されている。
今日は、その橋の下を走るのだ。
この島田には色々と名物が有る。
髷祭りや帯まつり、大井川鉄道のSLやお茶の博物館だ。
それに大井川の渡し場だった宿場も残っている。
そうしてもう一つが、リバティだ。
日本で初のマラソン専用コースだ。
大井川の河川敷を延々と18kmも続いている。
だから今日の大会も、制限時間は何んと7時間である。
と言う訳で、私も初心者のつもりでゆっくりと走った。
このレース、静岡空港開港記念で始まったのだが、
市長は毎年開催すると意気込んでいる。
初回から7,000人も集まったのだから当然だね。
ともあれ、雰囲気もリバティーもなかなか良いね。
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