2009年12月31日 (木)
明けまして、新年おめでとうございます。
今日から7日までが松の内。
今年一年の豊穣を司る歳神様を迎える時ですね。
門松は、その歳神様が降りてくる際の目印、
そして注連飾りは、神様の滞在する神域を現します。
歳神様には鏡餅を供え、おせち料理を頂く。
鏡餅は、その昔ご神体の丸い青銅鏡を祭ったのが起源とか、
大小二つの餅は、福と徳を重ねることを意味します。
おせち料理は、年に五回あったお節句料理が起源とか。
魚は出世魚のブリ、金運上昇を願って金団。
まめまめしく働けるように黒豆、子孫繁栄の数の子などなど。
田作りだって、イワシを肥料にした頃の豊作祈願の名残らしい。
何れも、鎌倉や室町時代から続いている正月の形だ。
とにかく、今日が新しいノートの第一ページだ。
このノートに、素晴らしいドラマを記録していこう。
景気も、威風堂々の虎のような回復を期待しよう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
この一年を回顧してみて、如何だろうか。?
世の中は「変化」の年だったと総括しているようだ。
経済も政治も世界も、確かにそうだったかもしれない。
その幾ばくかの変化の中で、私達の生活はどうか?
あくせくと東奔西走した一年。
シベリアや沖縄、丹後にも行き、富士山にも登った。
紆余曲折、喜怒哀楽、それなりに色々とあったが、
それでも私の葡萄は、芽を出し実を稔らせた。
このブログも、362日書いた。
精一杯の一年ではあったが、それも過ぎて見れはそれだけのものだ。
日露戦争の大立者、
明石元二郎大佐の参謀本部への報告書の表に「落花流水」とあった。
明石大佐は、機密費100万円(今の80億円)を使って謀略活動をした。
ロシア革命を援助し、あちこちで暴動を起こさせた。
結果として、ツァーリーの虎の子師団を、
サンクトペテルスブルクに釘付けにしたのだ。
スパイ映画など、描きようも無い程暗い道を歩いていたのに違いない。
恐らく大山巌や東郷平八郎と並ぶほどの戦果だったろう。
その彼の活動報告か「落花流水」なのだ。
命を賭した祖国のための活動を流水と振り返った。
羨むほどの男の淡々とした風懐である。
とまれ、私はそんなに仕事なんてしてなかったっけ!
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月30日 (水)
今年の流行語の一つだ。
天の声だとも解釈されてきた。
だがこれ、大変危険な要素をはらんでいる。
何故なら、国民意識など世論の操作で如何様にも変える事が出来るからだ。
ルーズベルトの仲介で日露戦争が終結したとき、
その講和の内容を巡って、世論は不満の大合唱になった。
あちこち暴動まで起こった。
全権大使だった小村寿太郎などは、命まで脅かされた。
あんなに犠牲を払ったのに、分捕ったものが少ないと言うのだ。
日露戦争の内実は、やっと負けなかったと言う事だった。
だが、国民はそうは考えなかった。
やがてこの世論が、軍部暴走と言う暗黒の歴史を作ってしまった。
国民目線と言われたあの「仕分け」も相当に怪しいものだった。
シーリングを外して要求させて、
わざと膨らめておいて公開の元でこれを叩く。
しかも、国会議員が公僕の管理を罵倒するのだ。
演出とすれば中々の物だったが、中味は仕組まれた茶番だ。
彼ら仕置き人は、予行演習までして本番に臨んだ。
こんな言葉が独り歩きする時、
この国の未来は危ういと考えた方がよい。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月29日 (火)
便利になるほど人間は横着になる。
否、横着になるしかなくなってしまう。
例えば、食材について考えてみよう。
惣菜産業とか中食の普及で、女房は弁当を作らなくなった。
まず、女が横着になった。
晩飯でさえ、食卓はスーパー産の惣菜が並ぶ。
俄然揚げ物が多くなって、メタボはもう国民病になった。
ところで団子は、私達日本人の大好物だ。
かつては何処の家でも、こしらえたものだ。
だけどこれも、こんな買ってくるようになった。
たまに家で作ろうと思っても、今度は団子用の粉を売っていない。
柏餅も煮豆だってそうだ。
丹波の黒豆を手に入れようと思っても、
通販で買うほかない。
柏餅の葉も手には入らない。
ことほど左様に、家庭の食文化は食品産業に破壊されてしまった。
今時、お袋の味なんてのは絶えて久しいのだ。
便利の片方で人間は退化し、情緒も愛情表現も奪われていく。
人間、不便な方が和気藹々と暮せるのにね。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月28日 (月)
嫉妬の力は、破壊的にも発展的にも働く。
米国で数多くの産業を興したカーネギーの墓には、
「己の周りに、己より優れし人物を集めたる者、ここに眠る」と刻まれている。
つまり、カーネギーは自分の嫉妬心をコントロールできたが故に、
鉄鋼業や金融業など幅広く活動できたと自負しているのだ。
嫉妬心は、私達の最大の感情かもしれない。
子供の頃の親の愛情の奪い合いに始まって、
学校での競い合いも嫉妬心の故だろう。
嫁姑の諍いは、嫉妬の性ゆえのものだ。
企業社会には、出世競争が待っている。
敗者になりたくないから、俄然競争相手を過剰に意識するようになる。
相手が一年先に係長になっただけで、
「何故あいつが?」と妬む。
これが戦国時代の武将なら、
自分の器量に勝るヤツは抹殺してしまった。
誰もが持っているこの嫉妬心をコントロールできるか否か。
それが企業組織における重大事なのだ。
上手くやれば競争心を高めて、業績も大きく伸びるだろう。
だがこいつをしくじると、組織は内部崩壊を起こす。
私達一人ひとりも、この制御は容易ではない。
自分というものの確立が無くては、嫉妬の虜になってしまう。
嫉妬心を自立心に転換するのが肝要だ。
とは言え、小心者の私なぞ中々・・・・。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月27日 (日)
丑から寅への橋渡しが近づいている。
たかだか、太陽の周りを一周しただけなのだが、
この節目が、私達には結構大切なものだ。
そもそも人間は、ものぐさに出来ている。
締め切りも乗り越えるべき壁も無ければ、
自分の年齢さえ定かではなくなってしまうだろう。
ともかく、年の瀬を越えなくてはならない。
昨年のリーマンショック以降、
経済も暮らしも文字通り牛歩を続けてきた。
失業者も依然として増え続けている。
政変のあったこの国だけが、景気の立ち直りを見せていない。
寅年の始めは、二番底に入るやも知れず、
はてさて、瀬の向こうには別の瀬がありそうな。
しかし、竹に節が無ければとてもあんなには育たない。
同様に私達も、年輪を一つ重ねることで心境も変えていく。
来年は、大きく景気が好転する年であって欲しいな。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月26日 (土)
タバコ税の1本5円の値上げが決まった。
タバコを燻らす一時のくつろぎ、それは絵になる。
若い頃「タバコは気分転換に最適」などと理屈付けて吸っていた。
だが忽ちにして鼻炎を起こして、それを機に禁煙した。
かっこつけのためにタバコを吸う自分が、
嫌になったのも事実だ。
以来私は、嫌煙家一人だ。
スポーツマンに喫煙者はいない。
以前、ゴルフのジャンボ尾崎がラウンド中にタバコを吸っていた。
それを見て、ゴルフを舐めているのかとも思った。
アスリートが肺を大切にするのは当然のことで、
それも出来ない競技者など駄目だと思ったのだ。
このタバコの原産地は、南米ボリビアからアルゼンチン北部の高地だ。
これがスペイン人によって、世界中に広まる。
この国には、天正年間(16世紀後半)に南蛮人が持ち込んだ。
栽培は、関ヶ原の合戦あたりかららしいが、
喫煙者が忽ちにして増えたようだ。
戦乱の治まりとも関係していたかもしれない。
しかし幕府は、江戸城内での喫煙は厳禁にした。
火事の心配と、万事に慎重な家康がタバコを嫌ったかららしい。
家康ならずとも、出来ればタバコは止めた方がよい。
そんな意味で、一箱千円位にするなら、
新政権の善政として大いに賛成するのだが・・・。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月25日 (金)
冬は、殊更に雪化粧の富士が美しい。
その富士を眺めつつ、伊豆西海岸を巡った。
駿河湾からの寒風の吹きつける音を除けば、
西伊豆の暮れは実に静かだ。
伊豆には温泉がそこここに涌いているし、
明媚な風情も良い。
それに富士山を眺める絶景が幾つもある。
だが、望むらくは物語の印象が薄い。
悲恋であれ友情であれ、
富士山に因む神話だって無数に有るはずだ。
その事どもが、かつての温泉ブームにかき消されてしまったままだ。
温泉だけで、人がドンドンやってくる時代があった。
然るに今日、人々は温泉だけでは動かなくなっている。
まあ~それはともかく、富士は戸田湾から見るのと、
大瀬崎から眺めるのが秀逸だ。
それに加えるなら、駿河湾フェリーから見る富士かな。
この日、頂上付近の雲がずっと動かずに居座っていた。
この雲の悪戯を恨みつつも、広々とした気持ちになった。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月24日 (木)
戸田村からの帰りに、江川太郎左衛門の屋敷を訪ねた。
プチャーチンの造船等を指揮した、あの坦庵である。
幕末、彼の提言でお台場に砲台を築いたあの江川家である。
江川邸を訪れて先ず驚いたのは、この一族の連綿とした古さであった。
保元の乱(1156)に敗れた先祖が、
この伊豆韮山に定住したのが始まりと伝わる。
そして、7代目治信が、源頼朝の旗揚げ(1180)に参戦し、
鎌倉幕府の御家人になっている。
室町時代には、伊豆の豪族としての地歩を固め、
その後、北条早雲の伊豆進出の際には韮山城の築城に係わる等、
5代に亘って北条氏の幕僚になっている。
豊臣秀吉には攻められたが、28代からは徳川家康に仕えている。
それからの江戸時代の全期を通じて、
幕府直轄領10万石の代官であった。
殊に幕末には、36代の太郎左衛門は開明派知識人として活躍している。
佐久間象山も、彼の江川塾の塾生であった。
彼の書いた富士山の絵に、
「里は未だ夜深し 富士の朝日影」と書かれている。
夜明けを待望する開明家坦庵の心境だったろうか。
ところで、その江川邸は関ヶ原の合戦前後に建てられたものだ。
高さ15mもの小屋組みの大屋根が特徴で、
代官屋敷の姿を今に伝えている。
さらに時代は進んで明治期には、
その子孫が初代韮山県知事を務めている。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月23日 (水)
ハバロフスクでお世話になった、あの佐藤副領事が来静した。
それで伊豆に行くことになり、
ロシアに縁の有る戸田の造船博物館を訪ねた。
この戸田は、日本で始めて本格的な大型帆船が造られた所だ。
1854年、ニコライ一世の命でプチャーチンが下田にやってきた。
幕府との日露和親条約の締結交渉のためであった。
その交渉が始まって間もなく、安政の大地震が起こった。
そして、津波で乗艦のディアナ号が大破してしまう。
この修理に戸田へ向かうのだが、これが風で流されて富士沖で沈没。
助けられたロシア人586名は、戸田の寺で暮すことを余儀なくされる。
幕府は、止む無く「大船建造禁止令」を解禁し、
この地で彼らの帰還用の船をつくることにした。
それで地元の船大工とロシア人が協力し、
100tのスクーナー船が造られたのだ。
1855年には、日露和親条約の締結にこぎつけ、
プチャーチンは、この戸田号でアムール川を遡って帰国した。
実は、この造船などを指揮したのが、
韮山代官の江川太郎左衛門だった。
プチャーチン提督は、1853年9月に長崎に到着していた。
ペリーの来航が6月だから三ヶ月遅れだ。
彼は、大西洋を南下して喜望峰を回り、半年掛かりでやってきたのだ。
後のバルチック艦隊の航路と同じだ。
長崎では交渉を拒否され、一旦沿海州に帰って、
再び下田にやって来てこの災難にあったのだ。
結果として彼らは、
洋式帆船の建造技術をこの国に残すことになったのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月22日 (火)
伊豆には、あちこちに金鉱山があった。
中でも土肥の金山は、天承5年(1577)の発見以来、
昭和36年まで採掘が続いたらしい。
最盛期は、金山奉行大久保石見守支配の慶長年間だ。
今日では「日本の産業遺産」にも指定されていて、
構内に奥まで入ることが出来る。
鉱脈を追って金槌とタガネで100mも岩山が掘られていて、
人間の金への執念の凄さと言うものを感じる。
私が見せていただいたのは、ガン附天正金鉱で、
津波で埋もれてしまっていた鉱山だ。
この鉱山の昭和30年代の発掘の際、「釜屋敷」跡が見つかった。
岩山の山麓に炉が作られていて、ここでアマルガム精錬が行われていた。
燃料には、松脂なんかが使われたらしい。
地金になった金は、
この土肥港から対岸の清水港に千石船で運ばれた。
もちろん駿府と江戸の金座に送られたのだ。
ところで、この坑道の最深部に「山の神」が祭られている。
構内の空気が薄くなって休山に際し、祠を作ったのだと言われる。
金鉱脈は、岩の割れ目に沿って白く続いている。
この割れ目を「山の神」として祭ったもので、
これを龍が合うと書いてガンと読ませている。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月21日 (月)
いゃ~、こりゃマッチョ同士の激突だね。
プロレスラーのような体形でなくっちゃ、
このゲームは無理だ。
初めてラクビーを観戦した率直な感想である。
ジュビロ対サングリラ(サントリー)の戦いである。
両チームとも、厳つい外国人を4人ずつ入れている。
ラクビーは、日本人の体じゃ無理だな・・・・?
しかし、敏捷な格闘技とチームワーク、
これは素晴らしい。
果敢なタックルにも、思わず力が入ってしまう。
結果は、サングリアスの圧勝に終わったのだが、
結構な見ごたえであった。
それにしても、たかがボール一つをゴールさせるのに、
これほどのエネルギーを炸裂させないと駄目なんだね~!
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月20日 (日)
昭和の終わり頃、バブル経済も最終章に入った頃のことだ。
ジェトロの主催で、英国の企業誘致フェアーがあった。
当時英国の担当者は、「英国の賃金は、日本人の半分になりました」
「日本企業の英国への進出を大歓迎します」と述べていた。
そこには、かつて7つの海を支配した大英帝国のプライドなんて、
微塵も感じられなかった。
働く場を如何に確保するか、それだけだった。
この日本では、デフレが続いている。
売れないから、絵数理競争ばかり加熱していく。
一速10円のソックスに行列ができる。
失業率も5.7%を記録して、なお拡大傾向にある。
学校を卒業しても、就職するところが無い。
賃金だって、十年前と比べたって随分下がっている。
はてさて、かつての英国に次第に近づいていくようだ。
しかし、資源の無い国でありながら、
経済甦生の方途すら示されていない。
経済が縮小しては、マニフェストも糞もなかろうに。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月19日 (土)
知人のNさんが、浜松にうたごえ喫茶を開設している。
で今夜は、そのCafe Triangleに出かけてきた。
うたごえ喫茶は、昭和40年代が全盛だった。
学生の頃、東京の喫茶に足を踏み入れて驚嘆した。
数百人の客が、声の限りにアコーディオンに合わせて歌っていた。
そのむんむんしたエネルギーを今でも忘れない。
そんな郷愁からか、彼女のCafeを訪れたのだ。
この喫茶が、アットホームで中々くつろげる。
歌は、「焚き火」「ふるさと」「千の風」と続いて、
コンドルは飛んでいく、ナダソウソウなどと限りない。
今日のゲストがオカリナの遠士朗さんで、これが又良かった。
イタリア生まれのオカリナは、日本で改良されて、
音域の広いオリエントな雰囲気の楽器になった。
そのオカリナが、今日の曲にぴったり合っていたのだ。
それに、サンシンやドラムも登場して、
昔のうたごえ喫茶よりも、楽しい一晩になった。
こんなのも良いね!
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月18日 (金)
私は、政治家ほど胡散臭いものは無いと思っている。
自分が当選するためには、どんな甘い飴でも振り撒くし、
かと言って、それを実現する手立てを用意している訳でもない。
その傍らで、将来の言い訳は十分準備している。
それに彼らは、この国のことなんてそんなに真剣に考えちゃいない。
戦後のこの国が、曲がりなりにも法治国家足りえたのは、
官僚の法制・統治能力の故ではなかったか。
政治家の都合しだいの、いい加減を阻止してきたからだ。
列島改造以降バブル崩壊までを考えたって、
政治家の利権に強引に引きずられた結果ではなかったか。
その結果、多くの国民が犠牲をこうむり、そのリスクを負担してきた。
「そりゃあ、自分達が選んだ政治だ」と言ってしまえばそれまでだが、
少なくとも政治家の暴走の歯止めが必要だ。
「官僚に発言させない」という勢力の横行は、
この国をかつて戦争に向かわせた軍部の時代と同じだ。
政治家が何故、天皇を政治に使っていけないのか。
そのことも同じ意味合いがある。
宮内庁長官の辞任要求など言語同断だ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月17日 (木)
植物は、年々歳々花を咲かせ実を稔らせる。
四季と共に生きているのだ。
私の育てているホウレンソーは、
播種から50日で収穫期を迎える。
30日過ぎたあたりから、毎日目に見えるほど成長する。
一日を過ぎれば、その一日が実績として確認できるのだ。
葡萄は、最後の落葉を始めている。
もうそろそろ、来年に備えて剪定を始めずばなるまい。
彼らは既に、新芽のための蓄積を成し終えているのだ。
問題は、彼ら植物に寄生している人間どもだ。
彼らの律儀さを良いことに、如何ほどの蓄積を成し得ているだろうか。
この一年も暮れようとしているのに、
その実績を見つけあぐねているのが現実ではなかろうか。
植物は、その生命そのものが既に実績だ。
しかして私達は、この一年何を生み出しただろうか。
それに、明日に芽吹く支度が出来ているだろうか。
つくづく、植物は偉いと思うのだ。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月16日 (水)
人間は、実に移り気な生き物だ。
つまらぬ事で仲たがいしたり、進む方向すらも変えてしまう。
大切な志だって、都合しだいで塩のように溶かしてしまう。
そんな移り気を、曲がりなりにも縛っているのが、
見栄や恥ずかしさ、幾ばくかの誇りだろうか。
私のこれまでの人生だって、紆余曲折の連続だ。
ああ思ったり、こう思ったり、
所詮ままならぬ人生と悩んだり苦しんだりもした。
だか知命の頃になると、短期は損気、
物事は時間が解決してくれると思うようになった。
それに、そんなに夢中にならなくなった。
そうして、歴史はゆるやかに今日へと続く。
そう、自分と言うのは過去の経験によって出来ている。
だから、いつも通りの毎日であったとしても、
その中にどんな経験を盛り込むかが大切なのだろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月15日 (火)
京都は、歴史が詰め込まれている所だ。
史上の権力交代は、
すべからくこの地の関りのもとで行われた。
そうしてそこには、
かつて存在した何万と言う人々の生き様が詰まっている。
勤皇の志士たちや新撰組、龍馬や慎太郎、信長や秀吉、尊氏や正成、
清盛や義経、秦氏や和上、そして歴世の天皇と際限がなかろう。
彼らの時暦を意識下において、私達は経の街を歩いている。
そして古刹の崩れた壁にさえ、何がしかの物語を感じてしまうのだ。
古都と言うものには、それ程私達に語りかける力がある。
先日の東山三十六峰マラソンだって、
そんな王城の地を眼下に走るから、一層感慨深いのだ。
人間と言うのは、もろもろの関係の中に存在する。
そしてそれには、歴史と言う関係性が濃厚に含まれている。
そう、本当に京都があって良かったと思う。
何にも代え難い、この国の財産だろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月14日 (月)
私は自分を、道楽者だと思っている。
と言うより、道楽者で無ければならないと思っている。
道楽とは、その道を楽しむことだ。
すべからく、嫌々することは惨めだ。
例えば、マラソンにしてもそうだろう。
それを楽しみとしない限り、苦行の限りになってしまう。
ところが自分の道楽と思えば、あちこちのレースが楽しみになる。
今度は何処を走ろうかと計画に余念が無い。
昨日の京都東山だって、大変にハードな苦しいレースだ。
でもそれは、変化に富んだ限りなく楽しいイベントなのだ。
冬季には、私は毎年ホウレンソウを栽培することにしている。
週末の早朝、寒い中で収穫してファーマーズにだす。
一袋100円である。
20袋売れて、2千円で手数料が二割掛かる。
これを計算すると、一時間の手間賃が17円である。
10時間働いて、パンが二つほど買える。
こんな採算に合わないことを何故するのか?
それは、植物が育つのが面白いからだ。
殊にブドウ栽培に関しては、作業が繊細で大変なだけ面白い。
採算を度外視して、道楽を楽しんでいる。
はたまた、このブログも道楽かな。
とにかく人生は、道楽の多寡こそ肝心だと思っている。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月13日 (日)
京都の東山、
その峰と尾根を走るマウンテンマラソンに行って来ました。
コースは、まず駅伝でなじみの宝ヶ池を一周してスタート。
叡山の東麓から登り始める。
千人余と多くの参加者で狭い道は、渋滞の連続になった。
朝鮮学校に抜け、銀閣寺の裏側から大文字山に登る。
その頃からは急坂に苦しさも倍増してくる。
でも大文字の山頂からの眺望は、いつも素晴らしい。
今日は幾分霞んでいたが、「大」の字の上で、
ボランティアの汁粉を楽しむことが出来た。
そこからは、金色の落ち葉の絨毯の上を、
ランナーの列が、そま道を長蛇の如く続いていく。
やがて日向神社の裏山に抜ける。
清水寺をかすめつつ清閑寺を横手に、阿弥陀ヶ峰に登って行く。
将軍塚を抜けると、今度は泉湧寺だ。
そこからはもう、5kmほど山道を辿れば伏見稲荷の裏山に出る。
暑くも寒くも無く、走り易い一日であった。
ただしかし、人間の実力は練磨よって発現される。
しこうして私の場合は、練習不足であった。
残念ながら、30kmの走破に4時間超を要した。
まあ~しかし、良かろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月12日 (土)
体温と脈拍で、病気か否かを見分ける。
だが、それだけではない。
物事を感じたり、判断する基準も実は体温や脈拍なのだ。
暑さ寒さ早い遅いの判断も、この体温と脈拍に比してのことだ。
同様に過去の経験や生活が、思考の体温になっていく。
その思考の体温が、
最近ではどんどん家族や利己に限定されるようになった。
自分の家族や自分の利益しか、眼中に無い人が増えているのだ。
つまり損か得か最大の価値で、社会性がドンドン薄くなっている。
当然ながら日本人の関心は、天下国家のありようには無い。
損か得かの進退しか出来ない。
そんな住民のわがままに、
税収の減っていく自治体が対応できるはずも無い。
あれもやれこれもやれと言っておきながら、
公務員の給料を減らせ、「無駄」を削除しろだ。
「これからは防犯活動も、自分ちがやんなくっちゃならない。」
と言うと、それまた勝手な利己主張が始まる。
自分のことは棚に上げておいて、主張だけはする。
それが、民主主義だと思ってる。
師曰く「利によって行えば 怨み多し」と。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月11日 (金)
同人誌「農の風景」が、遂に100号になった。
二ヶ月毎の発行を始めてから、17年を経過している。
未熟ながらも私が今日あるのは、
実はこの「風景」を書いてきたお陰である。
「風景」は、私を僅かずつながら成長させてくれたようだ。
若輩の公務員が、自説を書き物として公表するには、
かなりの勇気が必要だった。
それに自分の考えとて、確たるものであったかどうか。
だが仲間とともに、おっかなびっくり書き始めた。
非難や中傷もあったけど、好意的な励ましの方が多かった。
それでこの同人誌は続いた。
書くためには、そのための行動を必要とする。
だから、体験し考え、常にアンテナを高くするようになった。
漫然としていては、「何を書く?」と立ち往生してしまうからだ。
続けると言うことは、そういうことなのだ。
それに、書くことで思考もどとんどん練磨されていく。
何時の間にか、講演に招かれたりもするようになった。
この間、稚拙ながら二冊の本も世に出すことができた。
ともあれ今夜、同人の仲間が集まって内輪のお祝いがあった。
改めて、継続の力を感じている。
このブログも書き始めてから、もう1,300日余になる。
この間の14万余のアクセスに励まされ、
性懲りも無く書き続けている。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月10日 (木)
人には、それぞれ持ち時間というものがある。
人間80年生きるとすれば、29,200日である。
時間にすれば、70万時間と言うことになる。
さして長い時間とも思われない。
だが私はその内、既に53万時間を費消している。
と言うことは、残された持ち時間は17万時間位だろうか。
一日8時間の睡眠とすると、活動できるのは11万時間だ。
私がこれまで、勤務と言う形で働いてきたのが約9万時間でしかない。
そうしてみると、40年近くの勤務時間よりも、
かなり多くの自由時間が残されていることになる。
とは言え、この持ち時間を何に使うかが最大の課題だ。
単なる時間の浪費では、
「わが色は移りにけりな・・ながめせしまに・・」
なんて事になってしまう。
これからの長寿成熟社会は、この余生パワーこそが求められる。
何とか、活かさずばなるまい。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 9日 (水)
玉には、目玉焼きにお年玉、玉杯に玉石、
それにお目玉とかやり玉なんてのもある。
要するに玉と言うのは、大切なものなんだな。
話は、新政権の目玉政策のことだ。
華々しく掲げたその目玉が、予想にたがわず何れも怪しくなっている。
農家の戸別所得補償の迷走で、あの省は予算が組めるのかどうか?
暫定税率廃止は、そっくり「環境税」に衣替え。
高速道路無料化は、北海道に限定?
普天間は、混乱を拡大しただけで元の木阿弥。
大目玉の子供手当てだが、半額支給でも扶養控除の廃止やら、
地方・企業の負担が無いと難しくなった。
国債発行は44兆円以下にすると何度も聞かされたが、
税収が減ったんで増やすしかない・・と言い出した。
既に09年度は、税収37兆円に対し53兆円も国債依存だ。
後期高齢者医療制度の廃止も、棚上げしたままになりそうだ。
無駄を省きゃ、できるんじゃなかったの?
その「無駄」だって、新技術研究費の削減、漢方薬の保険適用廃止、
農地の集積対策廃止、子供の読書奨励廃止などなど、
本当はこれから必要な目玉だったんじゃないの。
はてさて人間は、河童に尻小玉を抜かれると腑抜けになるそうな。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 8日 (火)
「インフルで サンタ来れぬと 子を諭し」
オリックスのマネー川柳の一つだ。
「無駄排除」とやらで、不況の中で公共事業縮減やら事業仕分けやら、
政府がデフレを煽って来たきらいがある。
私達のボーナスも大幅ダウン。
支出を切り詰めるしかない。
商社は、売れないから安売りに走る。
物かがこの先下がるなら、買い物は先送りが得だ。
だから、実需が減るのが当たり前だ。
世の中どんどんデフレになっていく。
それに、アレだね。
「小遣いも 妻の基準で 仕分けされ」(同上)が困るね。
私は、あの事業仕分けの茶番がどうも腹立たしく思える。
喜んだのは、覗き見趣味のマスコミだけだね。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 7日 (月)
いよいよ今日から、コペンハーゲンで本番が始まる。
2013年以降の温暖化ガス削減目標を決める会議だ。
日本は早々と、25%削減を打ち出しはした。
だが条件があった。
皆がやったら、私もやりますって言うものだった。
その問題の米国と中国が目標数字を出してきた。
米国は90年比3%減、中国は経済成長率より低い数字だ。
日本の25%は、宙に浮いてしまった。
意味の無い宣言だったことになる。
もつとも、この国に具体的な削減の手立でがあった訳でもない。
要するに、はったりで言って見ただけなのだ。
とは言え、地球温暖化は困る。
もともと、地下から石油や石炭を「掘り出して」燃やしてることが原因だ。
それを使い尽くせば、この地球は60億年前の環境に戻るはずだ。
人間なんて、とても住める所ではなくなるだろう。
早いとこ、自然エネルギーの循環に移行すべきなのだ。
皆わかっちゃいても、全ては経済に支配されている。
技術革新と政治こそが頼りなのだ。
これが経済を凌駕出来ない限り、
この会議は対立の連続で終わってしまう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 6日 (日)
東海地震は、何時かきっとこの地域を襲うだろう。
その規模は、今年8月11日の地震の180倍だと言う。
8/11の震度6弱(この地区では震度5)でも、
私は慌てて逃げ出しただけだった。
しかもこの時の揺れは14秒間に過ぎなかった。
だが東海地震では、120秒間の揺れが想定される。
恐らく、永遠に揺れていると思うほどの時間だろう。
地盤の弱い私の地区では、1/3の家屋は大破若しくは中破だ。
余震も続くだろうし、壊れかかった家には住めない。
それで今日の訓練では、避難所運営もそのメニューに加えた。
それぞれ居住区を想定して、炊き出しや救護訓練をしたのだが、
この夏の地震の記憶が新しく、結構真剣な訓練になった。
まぁ~、訓練は訓練だが、
安全は常日頃からの心がけ次第だろう。
自主防災会の皆さんご苦労様でした。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 5日 (土)
久しぶりに・「メダカの学校」に出席した。
学校は浜松の山間部にあって、年に4回開かれる。
面白人立だけあって、それぞれユニークな人士が遠くから集まってくる。
学校だから、勉強の時間がある。
教師は、そのつど指名されたメダカが勤める。
まぁ~、言うならば私設の社会学級のようなものだ。
今回のテーマは「い・い・加減」なのだが、
どうして、中味は濃い。
毎度「この人はこんな人だったのか」と再発見させられる。
人は、見かけによらない様々な側面を持っているのだ。
そして、この学校で肝心なのは給食の時間だ。
4語が許されて、グループごとの交流が出来る。
人生遍歴の違う人の交流からは、意外な発見が続く。
自分の日常にとって、そいつが貴重なものかもしれない。
人は群れてこそ、何かを生み出すのだ。
メダカの学校は、人生の道場でもある。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 4日 (金)
街に、クリスマス飾りやイルミネーションが輝く。
景気二番底の巷の声にも拘らず、
時は確実に流れていく。
私達の日常も、明日に向かう歩みを止める訳には行かない。
先日は、恒例の走友会の忘年会があった。
無用な気遣いの必要ない仲間の会である。
忘年とは言え、一年の区切りの飲み会だ。
楽しくやるのにこしたことはない。
この一年の大会のあれこれや苦労話に花が咲く。
そう、そうした今年の結果を踏まえ、また来年があるのだ。
この地球が太陽を一周しただけなのだが、
私達の心情は少しずつ変わっていく。
ボーナスも減って、例の事業仕分けの故か、
今年の師走の街は幾分寂しげである。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 3日 (木)
鯨から搾った油のことだ。
かつてこの鯨油が、この日本の歴史を大転換させている。
ことは19世紀中頃に遡る。
この時期のアメリカでは、灯火にもっぱら鯨油を使っていて、
鯨油を確保するため捕鯨が盛んに行われていた。
それも、今日の反捕鯨運動が皮肉だが、
油を搾った後の鯨は廃棄していたのだ。
ともあれアメリカの捕鯨船団は、日本近海までやってくる。
ところが、日本は鎖国をしていて、台風に遭遇しても避難も拒否している。
それどころか、沿岸に近づいただけで威嚇射撃すらする。
俄然、アメリカの捕鯨業界は「日本を開国させよ」との声を起こす。
そうして1853年、艦隊を引き連れたペリー大佐の来航になるのだ。
ペリーは、幕府を脅迫して開国を迫る。
ここから、この国の幕末の騒乱が始まるのだ。
仮にアメリカで菜種が栽培され、これが灯火に使われていたら、
ペリーの来航する必要が無かった訳である。
徳川幕府は、その後も十分に安眠を貪り得た筈で、
少なくともロシアが朝鮮半島を領有する頃までは大丈夫だったろう。
とすれば、日清戦争も日露戦争も無かったのではないか?
とにかくも、鯨油が日本の歴史を変えたことは間違いなかろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 2日 (水)
缶入り緑茶が発売されたのは、1985年だった。
「お茶の缶詰なんて・・」と、揶揄されつつも消費を伸ばした。
そして昨年は、236万キロリットル、販売額で4000億円超となった。
一人当たり500mlのボトルを37本も飲んだことになる。
会合でも、昔ながらの急須で注ぐあのお茶の方が希になった。
いわんや茶道も、花嫁の必須アイテムではなくなった。
総じて、かつて家族のお茶の風景が希薄化してしまった。
それで、荒茶価格が長期低迷傾向にある。
お茶の生産者は、苦境に耐えつつ頑張っているのが現実だ。
低迷の原因は、ペットボトルだけではない。
経済の不調と消費低迷、家族の崩壊、贈答需要の減少、
生活習慣の変化、それにコールドドリンク化現象がある。
熱いお茶よりも、冷たい飲料を求める傾向だ。
家屋の構造やエアコンがそれを助長している。
お茶を啜りながらの家族団らんも絶えて久しい。
とは言え、お茶は極めて優れた健康飲料だ。
機能性成分や効能を上げれば際限ないほどだ。
世界中が、この緑茶の機能に注目してもいる。
私達は、日本茶とその文化をもっと大切にすべきだろう。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
2009年12月 1日 (火)
私達は、それぞれたった一つしかない人生を生きている。
たった一つしか生きられないから、
小説やドラマの世界に魅せられたりする。
自分に叶わないことが、ドラマの主人公を通して疑似体験できるからだ。
人生航路は、偶然と決断によって決まっていく。
偶然知り合った人や情報があったとしても、
何気なく遣り過ごせばそれだけで終わる。
そこに自分の思いや決断が入ることで、航路が修正されていく。
又そこに、幾ばくかの運不運が付きまとう。
同じことをやっても、時利せずと言うこともあるし、
より一層、時宜にかなった偶然を引き寄せることもある。
自分の来し方を考えている。
これまでの半生で、正しい選択と決断ができていたのだろうか。
総じて言えば、大きな不運が無い分、まあ正しかったのだろう。
禍福はあざなえる縄の如し。
人生、もとより不満を言えば際限が無い。
人生の持ち時間こそが、最大の財産なのだ。
元気で前向きに生きられる。
これ、最高の運気ではなかろうか。
| 固定リンク
|
| トラックバック (0)
|
最近のコメント