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2009年12月24日 (木)

時代と江川家

戸田村からの帰りに、江川太郎左衛門の屋敷を訪ねた。Cimg9548

プチャーチンの造船等を指揮した、あの坦庵である。

幕末、彼の提言でお台場に砲台を築いたあの江川家である。

江川邸を訪れて先ず驚いたのは、この一族の連綿とした古さであった。Cimg9549

保元の乱(1156)に敗れた先祖が、

この伊豆韮山に定住したのが始まりと伝わる。

そして、7代目治信が、源頼朝の旗揚げ(1180)に参戦し、Cimg9550

鎌倉幕府の御家人になっている。

室町時代には、伊豆の豪族としての地歩を固め、

その後、北条早雲の伊豆進出の際には韮山城の築城に係わる等、Cimg9551

5代に亘って北条氏の幕僚になっている。

豊臣秀吉には攻められたが、28代からは徳川家康に仕えている。

それからの江戸時代の全期を通じて、Cimg9553

幕府直轄領10万石の代官であった。

殊に幕末には、36代の太郎左衛門は開明派知識人として活躍している。

佐久間象山も、彼の江川塾の塾生であった。Cimg9556

彼の書いた富士山の絵に、

「里は未だ夜深し 富士の朝日影」と書かれている。

夜明けを待望する開明家坦庵の心境だったろうか。Cimg9567

ところで、その江川邸は関ヶ原の合戦前後に建てられたものだ。

高さ15mもの小屋組みの大屋根が特徴で、

代官屋敷の姿を今に伝えている。Cimg9554

さらに時代は進んで明治期には、

その子孫が初代韮山県知事を務めている。

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