2010年1月31日 (日)
団塊の世代が、次々と定年退職している。
それがこの不景気と重なって、次の仕事もままならない。
当分様子を見るかと言う雰囲気だ。
かと言って、自由な時間を謳歌するほど安気でもない。
退屈ほど、苦痛なものは無いのだから。
そもそも事業所への勤務は、生活の手段であるべきだった。
だが団塊の世代の多くは、そこに実も心も入れ込んできた。
さて、新しい人生をと言う段になって、その準備が出来ていない。
仕方ないから、あたら油の乗った実年者が余生なんてことを考えてしまう。
余生ではなくて、これからが実年なのだ。
仕事は、楽しく出来るならボランティアだって良い。
あちらこちらにコミュニティーを創る。
少しは、世の為人のために体を動かす。
未知の所や歴史の地にも足を向ける。
これまで出来なかったあれもこれも、もう一度掘り下げてみる。
そう人間は、灰になる直前まで目的に向かって走るべきなのだ。
人生は、まだまだ永いぞ。
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2010年1月30日 (土)
考えてみれば、人は生きていく過程で様々なものを失っていく。
幼くは、あの母親の乳房を取り上げられ、
学校を卒業することで、あの自由な環境を失った。
無限にあった筈の夢も、現実の前に陽炎のように消え去った。
40年余りの間、その大半を注入してきた職場だって、
定年と言うルールの前に粛然として引き下がった。
時とともに、アクティブな体の動きだって鈍っていく。
この間、知己友人の不幸にも何度も遭遇させられた。
確かに、年齢を重ねると言うことは、そういう事だと納得せざるを得ない。
だが私達は、何かを失う度に必ず何かを得てきている。
退職すれば自由な時間を得、新たな自分を開拓できる。
可愛いペットを失ったとしても、又新たな出会いが求められるだろう。
またそれ以上に、様々な思い出や確かな充足を残している。
もう童心には戻れないし、全てを消去させるのはかなり先のことだ。
しかして今は、新たな何事かを創り続けることだ。
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2010年1月29日 (金)
あんまり、ムキになるなよ!
最近、そう思うように努めている。
所詮人生の多くのことは、少しの努力と大部分の偶然の結果なのだ。
例えば夫婦にしてもそうだ。
出会いは、それ程必然であったはずも無い。
それに愛情とやらも、所詮儚いものでしかない。
親が児を愛するのは本能だろうが、
女は男の価値を、金を運んでくる能力でしか認めていない。
仮に妻が尽くしてくれるように見えたとしても、それは人為的擬態に過ぎないのだ。
あまり過大な期待をしなけりゃ、腹も立たないだろう。
そうして、日々楽しむ気分で過ごしたい。
ここの生活の中での「やっさもつさ」は、それこそ余禄なのだ。
夫婦喧嘩の最中でも「おっ、オマエ、そう、来るか!」などと、
感動する余裕が欲しい。
その人生の余禄を楽しむ気分にならないと、恐らく損をする。
人間は、ほどほどに鈍感であるべきなのだ。
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2010年1月28日 (木)
かつて「農学栄えて農業滅ぶ」と揶揄された。
産業が滅びて学問だけ残っても、
それは砂上の楼閣でしかないことは明白だ。
もちろん、農業と言う産業の盛衰には様々な要因がある。
だからその攻めを、ひとり農学に負わせるのは酷なことだ。
ただしかし、農業経営とその経営者を育てる始点が十分だったかどうか?
そのことは十分反省する余地が有ると思う。
そんな大学のあり方に一石を投じる試みに、一昨年来関っている。
静岡大学の農業ビジネス企業人育成講座だ。
昨日、その第一期生の卒業発表が行われた。
このプロジェクトの一年半の試みには、
農学・工学・理学など大学の知力のみならず、
幾つかの企業の積極的な協力もあった。
目的は、農業をイケてる産業にする、その為の人材を育てることだ。
19名の受講生の皆さんの発表からは、
講座を通じた様々な刺激と新たな跳躍台を得たのが感じられた。
もとより目的を持って講座に臨んだ方々だから、当然かもしれない。
だが彼らの何人かは、既に新しい事業法人を設立し、
次の時代の農業のビジネスモデルを模索しつつある。
そうして彼らは、大学を身近なものにしただけでなく、
その知的資源を活用することも学んだのだ。
同様に大学も、彼らから研究ニーズを含めて多くを学びつつある。
この夜の懇親会の席でも、話題は自然と今後の事業展開へと向かっていく。
今回の講座の波紋は、恐らくこれからの何事かへとつながって行くはずだ。
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2010年1月27日 (水)
週末には、小笠山の尾根道を走っている。
尾根は大小の起伏が続いていて、平らな所など無い。
日常的にそんな道を走っているから、坂道が得意になる。
マラソン大開でも、坂に差し掛かると
次々とランナーを抜き去ることが出来る。
本来苦しいはずの坂道を、快調なペースで走れるからだ。
人生の道行きも、同じようなものではないかと思う。
平々凡々と安楽な道を歩いている人は、
僅かなストレスで落伍してしまう。
あれこれと挑戦しては苦労を重ねていると、そいつが苦労と思わなくなる。
たれに第一、変化の無い道なんてあくびが出るだけだろう。
人生は、次々と現れる難題をクリアーしていくから面白いのだ。
就活であれ婚活であれ、悲観することは何も無い。
恐らくこの時代が、次の世代を鍛錬しているのだと思う。
混沌の中にこそ、次の時代のチャンスがある。
禍福はあざなえる縄の如しだろう。
「可愛い子には旅をさせよ」とは、けだし名言である。
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2010年1月26日 (火)
私のペンネームだ。
8年ほど前、自分の書きとめていた文章を本にしようと思った。
しかしながら、当時の私は公務員であった。
それに立場上、本名で出版するのは何かと憚られた。
それで色々と思案した挙句、山草人を名のることにした。
ともかく、ビクビクしながら印刷したのだ。
やがて、その「知命・男のモノローグ」が書店に平積みされた。
「作家」である私は、恐る恐る店頭を見に行ったのだが、
密かに思慕する人を遠巻きに見るような不思議な感じだった。
本はそれほど売れた訳ではないが、
それまでの心配は杞憂で、予期せぬ好意的な反響が広がった。
仲間が出版記念パーティーを盛大に催してくれたし、
何よりも出版そのものが大きな自信になった。
そんな訳で、それ以後山草人で通している。
「農の風景」や「縄文」等への寄稿も山草人だ。
まぁ~、山に生えるぺんぺん草のように生きられたら本望でもある。
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2010年1月25日 (月)
自分に癖は無い。
大抵の人が、そう思っているようだ。
でも、無くて七癖くらいはあるらしい。
もとより動物は、自分を基準に物事を感じている。
例えば、寒暖は自らの体温よりも熱いか冷たいかだし、
テンポの遅速は脈拍が基礎になっている。
同様に人は、その人生の過程で様々な基準を身につける。
しかもその経験は、人によってそれぞれ皆違うのである。
当然、人と違った習慣の7つ位あって当たり前なのだ。
そう、自分の癖が何時の間にか当たり前になってしまうのだから。
しゃべり癖、買い癖、潔癖症、喫煙や飲酒、神仏依存や怒り癖などなどである。
緊張や苦境に接すると、そんな圧力を緩和する転移活動として、
特にそんな癖が出てくるのだ。
スポーツ選手が、試合の前にくちゃくちゃガムを噛むのと同じだ。
初対面の方と会って、相手が腕組をしている。
そんな時「あっ、この人緊張してるし了見も狭いな」って思ったりする。
人のそんな様々な癖を眺めるのは、それはそれで結構面白い。
とは言え、私にも無くて七癖なんだろうなぁ~。
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2010年1月24日 (日)
仏教画やシルクロードで著名な、あの平山画伯です。
昨年亡くなった画伯には、「日本の心を語る」という著作がある。
2005年の出版だから、遺著と言えるんでしょうね。
というより、平山さんの自叙と遺言なんだろうと思います。
瀬戸内海の小島での出生から書き起こし、
旧制中学校時代の原爆体験。
偶然救われた命と自己形成への遍歴。
日本文化の成り立ちを掘り下げることから未来へ。
アジアに立脚した日本のあり方へと続く。
まさに、平山さんが描いてきた世界そのままだね。
実は画伯は、とてつもない天才だろうと思っていた。
でもこの本を読んで、
彼自身が「才能とは継続すること」と言っているように、
極普通の努力人だったことが分かりました。
勿論彼は、ただ漫然と継続したわけじゃない。
だけど、何だかこの方が身近に感じられました。
平山さんは、続けることによって確固たる思想を形成し、
数々の私達の心を揺さぶるような絵を残したのです。
そう、彼の考えたことそれが全て形になって残ったのです。
画家として一人の人間として、
素晴らしい生き方だと改めて思いました。
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2010年1月23日 (土)
馬鹿野郎の野郎ではない。
この野郎は、「いなかもの」と言う意味だ。
中国の漢の時代、西南の辺境の地に夜郎と呼ばれる夷がいた。
隣に漢という強大な国があったのだが、
彼らはそんなことは知らずに、「自分ほど強勢はあらじ」と威張っていた。
それで「自分の力量も知らずに、
内輪で幅を利かす者」を野郎自大と言った。
と、そう辞書にある。
深い井戸の中で、
殿様蛙がそっくり返っているような図を想像すればよい。
何故か最近、この夜郎自大と言う言葉を思い浮かべてしまう。
ところで、話は変わる。
米調査会社のユーラシア・グループが、
世界の注目のリーダーを発表した。
第一位は中国の温家宝首相、二位がオバマ大統領だ。
そうして日本から、第三位にあの小沢一郎氏が上げられている。
疑惑で失脚せねばとの条件付だが、すばらしい快挙だ。
一刻も早く疑惑を晴らし、名実ともに世界の指導者になってほしいものだ。
そんな大切な人を取り締まる、検察をやっつけよう !
アッ! このグループは、
今年の世界のリスクに鳩山政権の退陣も上げてるぞ!
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2010年1月22日 (金)
今年の干支は、虎である。
虎は、その子供をとても大切にするらしい。
それで、自分の大切なものを「虎の子」と言ったりする。
虎の子は、大事に育てていくものだ。
同時に、その大切にすべき虎児を得ようとするなら、
私達は虎穴に入らなければならない。
虎穴は、虎の虎口でもある。
つまり、虎児を得るには大変なリスクが伴うと言うことだ。
それって人生の大事だから、虎の尾を踏まないように深長にやるよね。
ところで、私達の虎の子って一体なんだろうか?
思い当たるとすれば、差し当たりなけなしの貯金だろうかな?
これも低金利で、さっぱり増えないねぇ。
それにしても、自宅の箪笥に7億円も入れて何年もほっとくなんて、
そんな剛毅な気分になってみたいもんだな~。
それにさ、7億円ってどの位の量なのかなァ~。
多分自宅にゃ、相当大きな金庫があるんだろうなァ~!
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2010年1月21日 (木)
乳牛を育てる育成牧場には「まき牛」がいる。
沢山のメスの中に放牧される、ほんの少数の優秀な雄牛のことだ。
普通、一頭の雄が100頭の雌牛に種付けする。
何とも羨ましいような、同情するようなハーレムである。
しかしこれ、優秀な後継牛を残すための合理的な方法なのだ。
自然界にあっても、魚のフナの性比は圧倒的にメスが多い。
場合によっては、オスのいない池もあるそうだ。
それでもフナは、絶えることなく増殖している。
無性生殖なのだが、何のことはない。
ドジョウなどの精子を刺激剤にして、卵のDNAだけで発生しているらしい。
問題なのは、この国の人間である。
普通はオスと雌の比率は1対1のはずだ。
だけど、何故か男の方が多く生まれる。
ところがオスは、生まれても育たないことが多かった。
わたしの子供の頃は、どのクラスも女の数が5~6人は多かった。
だから男には、自然と安心の気持ちがあったようだ。
ところが今日、どの世代も男が女の数を圧倒している。
医療の発達で、夭逝する男子が減ったからだ。
結果として、自然の摂理に反してしまった訳で、
その諦めが、草食系男子の発生へと繫がっているのではないか?
これ、奇説かなァ~。
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2010年1月20日 (水)
昨日まで、駅前で政党のアジ文を読んでた人が代議士になった。
そして政権交代で、大量の議員がにわかに政府要因になった。
そうして、官僚依存を止めると言う。
官僚機構は、そもそも必要から生まれたものだ。
官僚機構がフル回転することで、この国は曲がりなりにも機能してきた。
その回転を、脱官僚と言う言葉とともに止めてしまう。
官僚には、記者会見はおろか、大小を問わず判断させない。
それで行政組織は、指示待ちする他無くなった。
ところが、指示は一向に出てこない。
何故って、判断できる人がいないからだ。
このままでは、この国はやがて機能不全に陥るしかないだろう。
そもそも政治家は、行政運営のプロではない。
そんなことより、票集めの方が大事だったからだ。
官僚は活かして使うべきで、まずその意見をちゃんと聞くべきなのだ。
取り込まれるというのは、その者がだらしない証でしかない。
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2010年1月19日 (火)
最近、エッセーを相当に数多く読んでいる。
楽しいのやら退屈なのやら、軽いのやら色々である。
「・・。つまりあれかい。・・ってことかい? なんつーか、・・・」なんて、
わざと若者言葉で書かれていたりもする。
だが総じて、さらりと読めるのだが何の記憶にも残らない。
多くが週間誌的なのだ。
天丼を食おうと思って、すー丼食わされたような感じだ。
つまり、あれだね。
エッセーで、気に入った文章に遭遇するのは希だ。
私は、根が貧乏性なんだろうなぁ。
「読むからには、何か為にならないとね」と思ってしまう。
このブログも、書きゃ酔いとは思っていない。
何がしかのメッセージを伝えたいと思っている。
そいつを軽妙洒脱に書ければ最高だが、
そんな天分は、何処を探したってありっこない。
そんな訳で、これからも地味にシコシコと書く他ないと思っている。
ともあれこの四年余の間に、15万回のアクセスを頂いた。
その皆さんに感謝しつつ、無駄でも努力を続けようと思う。
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2010年1月18日 (月)
かつて苦楽をともにしてきた諸先輩との再会は、
一種の戦友のような感覚になるのだろう。
一年に一度の再開にも拘らず、
その背景の40年もの歳月を一瞬にして再現してしまう。
話柄もついつい昔の苦労などに向かってしまうが、
退職後の活躍にも話の花が咲く。
矍鑠として第一線で活躍されている方が多いからだ。
そんな皆さんを見るにつけ、60歳までのステージは、
まだまだ助走期間ではなかったかとも思われてくる。
奇術や日本舞踊の道を謳歌している方さえもいる。
何れも自己満足で終わってはいない。
自己完結の人生をひたすら追及しているのだろう。
人間は、伊達に馬齢を重ねてはいない。
そんな多士済々の人々とともに、
何十年も過ごせた自分の幸せを思う。
かつての職域への帰属を誇りに思う。
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2010年1月17日 (日)
今日は一日、葡萄の選定である。
暖冬が続いて、ついこの間まで緑の葉が残っていたが、
この寒さで、やっと眠りについた様子だ。
葡萄は、その年に伸びた新しい枝に実を着ける。
だから、古い枝を取り除いてやらないといけない。
力の有る枝や芽を確認しつつ、今年の枝の配置を考える。
剪定には結構迷いが生じるのだが、こいつには思い切りが必要だ。
迷っていると、短い陽がすぐに暮れてしまう。
剪定した枝の始末も大変だ。
枝の乾燥を見計らって、少しずつ焼却する。
小山ほどもある枝を燃すのに、タップリ一日かかってしまう。
それが全部終わると、今度は堆肥をタップリと運び込む。
葡萄の栽培は、事前の準備だけだって大変なのだ。
それに昨年は、長雨で散々の収穫だった。
今年は、何とか上手く作りたいなぁ~。
と思って、毎年悪戦苦闘わ繰り返している。
でも、やがて芽を出して実を稔らせていく過程は、
私の一年そのものなのだ。
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2010年1月16日 (土)
もはや日本の農業は、高齢者によって辛うじて支えられている。
かつての土地本位の経済や米偏重の価格政策が、
農業経営の成長を妨げてきた結果だろう。
政府は、その米生産に1万5千円/10aを一律支払うらしい。
はたして、それで農業経営が育つのかどうか?
今、各地に地産地消のファーマーズマーケットが出来ている。
その生産者だって、多くが生き甲斐生産だ。
マーケットは増えたが、生産者は一向増える兆しは無い。
先日、我が家の大根をファーマーズに出荷した。
寒風の中で水洗いして、袋に入れて値段をつける。
20本の大根は重い。
それを車で運んで、一本100円で売った。
初日に12本ほど売れて、手数料を引いて900円が手に入った。
これ! 良かったと喜べるだろうか?
出荷者の多くはその僅かな収入に甘んじている。
八百屋さんごっこは楽しめる。
しかし、これでは限界がある。
おりから中国の農産物価格が高騰している。
上海万博を控えて、玉葱やゴボウなどは前年の倍の価格になっている。
途上国の食糧需給は、その経済とともに拡大しているのだ。
私達は、何時まで食料を買い続けられるだろうか。
「狼少年」と言われようが、あえて言い続けなくてはならない。
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2010年1月15日 (金)
人間は、忘れることによって救われる。
認知症だって、死を過剰に意識させないための神の仕業だ。
例えば、メンタルなスポーツと言われるゴルフである。
その前のホールの失敗を気にしていると、次々とミスを重ねることになる。
筋肉もドンドン萎縮していく。
そこはおおらかに、カラリと忘れるのが肝心なのだ。
諸事同じことで、心のダメージは自分で傷口を広げてしまう。
何故なんだろう?
ああではないか?
多分嫌われたんじゃないかなどと際限もない。
特に対人関係においては、修復が容易でなかったりもする。
それに辛いこと苦しいこと、悲しいことの方が、喜びよりも鮮烈に残る。
人生の達人は、おおらかな人なのだろう。
おおらかで有るにゃぁ、忘れることが肝心だ。
過ぎ去った過去に拘泥するなぞは、愚の骨頂である。
向後の人生は、忘却の達人でありたいと思っている。
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2010年1月14日 (木)
もう、二十年になるだろうか。
小笠山山頂付近の尾根道を走り続けてきた。
四季折々に、花が咲き紅葉があり、茸が顔を出す。
自分の体を、その自然に同化させてきた年月である。
しかしながら、この厳寒期には殊更寒風が強く吹き付ける。
西風が麓から谷沿いに吹き上がってくるからだ。
その寒さの中で着替え、走り始めて2kmも行けば、
手足も体もポカポカと、汗すらもかいている。
走り終わると、仲間が集まって日向ぼっこをする。
崖の東側に風を避けると、そこは陽だまりである。
四方山話に花が咲くのだが、
日頃の職業会話から脱して、極自然な談笑になる。
勿論、何の屈託も無い。
人は本来、こんな微風を求めているのかもしれない。
陽だまりは、人々の心をも温かくする。
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2010年1月13日 (水)
今時、宴席に芸者を呼ぶなんて事は絶えて久しい。
特別な場合でも、コンパニオンがせいぜいだろう。
お客が無ければ、芸妓も枯渇していく。
京都の舞妓さんは、例外なんだろうなぁ。
機会があって、静岡市内で芸妓の名残に接することが出来た。
三味線に日本舞踊である。
もちろん、それなりにお年を召した方々なのだが、
その舞のシナをつくる所作がキリッと美しい。
そもそも日本舞踊は、人間の動作を美しく極めたところにある。
恐らくは、長い歴史の中で磨かれてきた結晶なんだろう。
うっとりと眺めながら、竹下夢路の画を思い出した。
「そうだ。夢路はこんな風情を切り取ったのだ」と。
それにしても、古き美しき風情が滅びていく。
経済社会の変化とは言え、残念なことである。
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2010年1月12日 (火)
人は本来か細い存在だから、
神の加護は無いより有った方が良い。
それに神社仏閣は、人々の営みの歴史でもあり、
その前に詣でるだけで敬虔な気持ちになる。
と言う次第で、賎機山の麓にある静岡浅間神社に詣でた。
実は静岡浅間神社は、神部神社、浅間神社及び大歳祖神社の総称である。
来歴は千古の昔、登呂遺跡の時代にも遡ると言われ、
駿河国総社として広く信仰を集めている。
殊に徳川氏はこの社に重きをおいてきた。
現在の社殿群の多くは、
1804年から60年を費やして造営されたものだ。
左甚五郎の龍や叶馬の彫り物なども含め、
日光東照宮を髣髴とさせる佇まいである。
恐らくはその昔、徳川家康が何度もこの社に詣でたのではないか。
裏手の百段を登って、2kmほどで賎機山の山頂に至る。
この賎機山からの眺望は、静岡清水を一望に出来るし、
西側の安部川の流れも俯瞰できる。
実はこの山、静岡県の名の起こりでもある。
維新直後、この駿河を賎機県と名づけようとした。
が、賎の字に謀反の意味が含まれるとかで、
静岡と読み替えたと伝わる。
山頂からの眺めは、まさに静かな岡を見晴るかす雰囲気である。
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2010年1月11日 (月)
町の成人式に出席して、色々と昔を思い出した。
私の成人式の日は、何十年ぶりかの雪の日で、
随分寒かった思いがある。
学生の私は、前夜静岡に泊まって式典に直行した。
公民館は、同窓生で溢れかえっていた。
色々と不安はあったけど、時代は高度成長の初口だ。
私達団塊の世代は、時代の波に乗ることが出来た。
でも、今年のこの町の新成人は207人しかいない。
私達の時代の半分だ。
それに男の数が圧倒的に多くて、・・・・・・。
平成に入って誕生した成人は、彼らが初めてだ。
127万人だと言う。
彼らは、ずっとバブル崩壊以降の時代を生きてきた。
そして時代は、彼らに決して好意的ではない。
恐らく、これからもそうした時代が続く。
新成人が、不安の中に見出す夢が欲しい。
彼らの生きる甲斐を、私達は提供すべきなのだ。
今日の哲学の無い政治は、残念ながら彼らに何も提案していない。
さすれば、知識人こそ彼らに道標を示すべきなのだ。
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2010年1月10日 (日)
JR伊東駅の前に、カナリーヤシが寄り添って立っている。
ヤシは雌雄異株だが、その雌雄が1938年の伊東線開通記念に植えられた。
既に70年以上が経過している訳で、高さも8mはある。
幹の部分が重なり合って、殊更仲良く見える。
故に、夫婦ヤシと呼ばれているらしい。
雌雄の仲がよければ、必然として種が出来る。
そしてその実が、縁結びの縁起物になっている。
観光協会が収穫して、どんぐり大の実を配布しているのだ。
只それだけのことだが、何ともほんのり感がある。
植えられたのは戦時中のことでもある。
アフリカ西海岸原産の別名フェニックスと呼ばれるこのヤシは、
当時としては珍しい植物だったはずで、
どうして記念樹種に選ばれたのだろうか?
その後の時代は「伊東温泉に行く」は憧れであった。
実に多くの人々が、このヤシの下を通って温泉に向かった。
そして今、伊東は静かな保養地になっている。
そんな時代の流れを、このヤシはジッと見続けてきたのだ。
夫婦ヤシの実は、今度はどこに根付くのだろうか?
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2010年1月 9日 (土)
伊豆半島の左肩の部分、
駿河湾の一部を小さく抱き込むように砂州が伸びている。
それが大瀬崎で、駿河湾越しに富士を眺める絶景の地だ。
かつて夏には、沼津港から船が出ていて、
水のきれいな海水浴場として全国に知られていた。
その大瀬崎が、今では年中賑わっている。
目的は、スキューバダイビングだ。
透明度の高い水が、何にも代え難い財産だったのだ。
それに岬の外側は外洋だし、湾内は静かな内海だ。
初心者にもアクティブダイバーにも楽しめる。
この真冬にも、ダイバーがやってきていた。
浜辺に風呂桶を置いて、冷えた体を温めたり、
インストラクターが付きっ切りでコーチしたりしていた。
多分、海の中は別世界なんだろうな~!
ところで、岬の先端に神池と呼ばれる泉がある。
幅50mほどの岬の突先だから、真水なのが不思議である。
かつて、その泉に大鯰が沢山いた。
ところが今は、一匹もいなくて鯉ばかりになっていた。
伊東沖にでも引っ越して、先般の地震でも起こしたのかしらん?
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2010年1月 8日 (金)
静岡市の「る・く・る」で、ロボットの企画展が開かれている。
手塚治のアニメ世界以来、ロボットは私達の夢だった。
それが頭脳(コンピュータ)の登場で、一気に現実のものになった。
製造業の世界では産業ロボットは当たり前だし、
癒しや介護の分野でも現実のものになりつつある。
それに最近では、玩具にその機能が組み込まれて、
子供達にも結構親しい存在になっている。
中でも、ミニロボットが素晴らしい動きを見せる。
激しいダンスを踊ったり、綱を登ったり、
自転車に乗ったり、24時間耐久レースを走ったりもする。
そして、そんなロボットが電池性能のPRにも使われる時代だ。
エボルタやバロ、エルボタカーやワカマルなどは、既に著名ロボだ。
ロボットクリエータの高橋智隆さんは、
そんなミニロボットの開発を職業にしている。
ともかく私も興味深々で、孫をだしにして覗いてみた。
小さな子供にはちょつと難しかったが、
でもロボットは、まだまだ夢の有る産業を生み出すのではないか。
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2010年1月 7日 (木)
久しぶりの東京で、八重洲口を見上げながら思った。
私達は、歴史の上を歩いている。
そうして、歴史は人が創ってきたのだと。
八重洲と言う地名の由来である。
この国に、初めてやってきたオランダ船がデ・リーフデ号だった。
九州の豊後に漂着した。
時は、関ヶ原戦の直前である。
1598年6月にオランダを出帆した時の乗員が110人だった。
だが、漂着した時には24人になっていた。
大航海時代の先駆けとは言え、大変な冒険航海だったのだ。
大阪城にいた家康が、彼らの冒険の航海に興味を持った。
彼ら乗組員を大阪城に呼び、後に彼らを幕臣にすることを考えた。
そうして航海長だったウイリアム・アダムスは、
三浦半島に領地を貰い、三浦按針と名乗って帰化した。
同じように航海士だったヤン・ヨースチンも、
江戸の海岸べりに屋敷を拝領して、ヤヨス殿と呼ばれた。
これが、東京八重洲の地名の起こりだ。
思うだに、歴史と言うものは面白いものだ。
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2010年1月 6日 (水)
お客の来ない店舗ほど寂しいものは無い。
今、国内の観光地は、何れも閑散としている。
観光ニーズの変化に不況に輪をかけているからだ。
それでも、昭和年代まではかなりの賑わいがあった。
それが殊に、伊豆や紀伊半島に向かう人が減っている。
観光と言うのは装置産業で、小回りが利かない。
客が来なければどうしようもないのだ。
観光のニーズも、海外や体験型に変わったりして、
昔からの温泉型観光地の苦戦が続いている。
それに加えて、観光地を支える人材の高齢化も進んでいる。
だから地場の産業も一緒に沈んでいく。
はて、この大きな流れを止める手立てが有りや無しや。
政府は観光立国などといっているが、一朝にして成るものでもない。
観光地は、歴史の積み重ねと人々の営みの上に生まれる。
観光立国が都市だけのものであってはならない。
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2010年1月 5日 (火)
「屋敷に南天を植えると家が栄える」と言われる。
それはナン(難)をテン(転)汁からだと言う。
その程度の語呂合わせに過ぎないのだが、
そこは人間の弱さで大抵の家に植えられている。
我が家の庭にもあって、これが繁茂して困ったことがある。
子供の頃、この南天で箸を作った。
南天を見るたびにそんな事を思い出す。
正月の鉢植えには必ず南天が植わっている。
話は変わって、茗荷の由来について。
茗荷は、春と秋にあの香り高い花芽をつける。
中国由来の生姜科の宿根草である。
この茗荷、何故か鈍根草などと言われて、
「食べ過ぎるとバカになる」などとされる。
そりゃ~、まったく根拠の無い話だ。
だけど、その話の由来はあった。
お釈迦様の弟子に物忘れの激しい人がいた。
自分の名前さえ忘れてしまうのだ。
それで茶の木で作った名札を、いつもぶら下げていた。
茶の木のことをかつては「茗」と書いた。
それで彼のことを茗荷と呼んだそうな。
お釈迦様の弟子のあだ名とミョウガが結びついて、
バカになると言われるようになった次第らしい。
何とも、これはミョウガには可愛そうな話しだ。
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2010年1月 4日 (月)
人は、何がしかを頼りに生きている。
それは仕事てあったり、趣味や家族だったりする。
子供の成長が後生大事の人もいるし、
仕事だけが生きがいと言う方もいる。
要するに、何かに支えられている実感が必要なんだ。
ところが、その実感が得られなくなると、
途端に不安定な精神状態に陥る。
そうして代わりになるものを探して逃げようとする。
タバコや覚醒剤、パチンコやギャンブル、アルコールもその対象だ。
気晴らしに酒を飲んでるつもりで、何時の間にか中毒になったりもする。
酒に依存する人生になっちゃうんだね。
あの酒井紀子は、その依存先が覚醒剤だったんだろうか。
人間は、決して強くはないんだよね。
だから携帯電話やゲーム、ペットにも依存するようになる。
依存は、生きてる目的を見失うことから始まる。
だから些細な目的地でも、そいつに向かって歩けば迷いは無くなる。
人は、目的地に向かって歩き、そして走り続けることが肝要だ。
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2010年1月 3日 (日)
例年のように、小笠山RC揃っての初詣である。
小笠山山頂近くに集合、山中を縫って麓の法多山尊永寺に参る。
8kmほど山を下ると、眼下に人波が見えてくる。
一日に10万人ほども参拝者があるから、
もちろんその人波に続いて健康祈願。
それん健脚祈願。
長引く不況の故か、今年は参拝時間が心なしか長い。
困った時は、みんな神頼みと言うことか。
ともかく私達は、その人垣を掻き分けながら走っていく。
着膨れた参拝者からすれば、超薄着の私達は奇異に見えるだろう。
心なしか怒らし差を胸に、健康を感謝する。
法多山と言えば、名物の厄除け団子だ。
それで、五体満足の五本の団子を頂く。
それから、山頂に向けて再びダッシュである。
汗をタップリかいた後は、今年の抱負に花が咲く。
よし、今年も元気で走り続けるぞ。
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2010年1月 2日 (土)
袋井市の可睡山と油山寺、そして法多山を遠州三山と呼ぶ。
その三山を巡って走るのが今日のマラニックだ。
JR袋井駅を9時にスタート、
道連れは8名の仲間である。
総延長で28km程度であろうか、
でも渋滞知らずである。
否、法多山の延々とした渋滞を尻目に悠々と走る。
可睡山は、家康ゆかりの寺で三つ葉葵の紋を伝えている。
油山寺は、異国情緒タップリの寺で、
目の神様と言うことになっている。
それに「知足」が寺の教えだとか。
参拝客もそんなに多くなくて、敬虔な新年を賀するには気持ちがよい。
神社仏閣には、独特の雰囲気があって、
あんまり人が多いと、その人いきれに飲まれてしまう。
その点、この二山は是非新年の参拝には打ってつけだろう。
最後に、法多山に向かう。
法多山尊栄寺は人人人であった。
今年は昨日の寒さの故か、大変な人出である。
その法多山から和らぎの湯へ。
皆で汗を流して、それから新年会である。
気の会う仲間とともに、今年も元気で走ろうと乾杯。
快晴の青空の下、三山を巡って、
きつと今年は良い事が沢山あるぞ!
新年早々、嬉しい一日だったな!
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2010年1月 1日 (金)
いよいよ、2010年代がスタートです。
張り切っていきましょう!
チョット張り切りすぎて、「松の内」の書き込みが
31日と1日の境になっちゃいました。
そちらを・・・・。
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