滝口までの生
人は、精神的には何歳になっても若い気でいる。
実感年齢が、かなり若い所で止まっているからだ。
そうして大抵は、晩年になって初めて人生の短さに気付く。
毎日毎日、つまらない雑事であくせくと過ごし、
些細なことに拘っては、人生を短くすることに夢中になっている。
そんなある瞬間、時間が止まったような空虚に遭遇する。
そんな折、自分の馬齢に驚くのだ。
やおら、後々の持てる時間を思い、何が出来ようかと考えてしまう。
やはり、倦むことのない活動に向かおうとしているのだ。
歌人で評論家だった上田三四二は、
「死はある。しかし死後は無い。
死の滝口が、水流を滝下に落とすかに見えた所で、
神隠しのように水は消え、滝壷も枯れている。
それが死というもののありようだ」と書いている。
そう、神隠しのように生は突然失われるのだ。
さすれば、そこまでの生を如何せん!
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