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2010年5月31日 (月)

人生の帳尻

金勘定のことじゃない。

それに、人生の来し方をカネに換算するなんざぁ無理なことだ。

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しかしながら、世の中は上手くできていて、

人それぞれに、それなりの帳尻が合っているらしいのだ。

人生あざなえる縄の如しという次第だ。

とは言え、その縄目を数えて永く生きたところで詮も無い。

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例えば、幕末の歴史の立役者を考えたい。

長州の高杉晋作の寿命は27歳と8ヶ月でしかなかった。

その先生の吉田松陰も29歳と短命を余儀なくされた。

あの坂本龍馬だって、32年の生涯だった。

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その彼らの情熱が風を呼び、時代を変える大きな力になった。

短いながらも燃えるように春夏秋冬を生きたのだ。

がともあれ、愚昧凡人の我が身を振り返ると、

何事も成していないことに愕然とする。

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駄飯を喰らって馬齢を重ねたに過ぎないではないか。

時間つぶしで生きてきた訳でもないが、結果はそんなもんだ。

まあ~かなり割り引くとしても、帳尻は合わせとかにゃなるまい。

せめて自分の納得は必要だな。

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「何の用があって、この世に来たのか」ってね。

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2010年5月30日 (日)

カレッジ・ライフ

学生時代のあの自由な気分は、思うだに懐かしい。

再びそんな境遇が得られると期待してかどうか、

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中高年になってから、改めて大学に学ぼうという人も多いようだ。

或いは、熟年の経験を踏まえてのことだから、

本当の学問が出来るかもしれない。

ともあれ、大学が今「人材育成」に本気になっている。

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トコロテン方式の教育でなく、産業教育に本気になっている。

それは大学の法人化とも大きな関わりがある。

文科省からの補助金は年々減らされるから、

自前で稼ぎ出す必要があるのだ。

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実はその試みに私も幾分関っている。

先日、その講座の開校式があった。

32名の方々が、本格的に企業的な農業経営を学ぼうと集まった。

勿論、農業者だけでなく企業からの派遣者や脱サラ組もいる。

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それぞれ思いも様々なんだろう。

だが、業としての農業は誰もが出来るものではない。

しかも、旧弊を打破して新しい農業を切り開こうと言うのだから、

相当な資質が無ければ学んでも無駄だ。

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とは言え、様々な人士との交わりの中から生まれるものもある。

それが大学と言う独特の風土でもある。

立場の違いが思いがけないヒントや成果を惹起させるのだ。

32人の皆さんに、そんなカレッジ・ライフを期待している。

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2010年5月29日 (土)

鴨南蛮

藪の筍が、美味な季節を迎えている。

筍といえば、京都産の趣は格別だろう。

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京都には竹林が多くて、その竹林が観光に活かされていたりする。

実は京都のあの竹林は、その多くが畑なのだ。

堆肥をやって耕したりして、筍を栽培している。

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京の筍は、やはり嵯峨野あたりが良いだろう。

さぞ大昔からの竹林かと思ったら、意外と新しい。

あの孟宗竹というのは、江戸時代の中頃に中国から入ってきた。

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それを京都の嵯峨野で栽培し始めたらしいのだ。

日本古来の竹は「真竹」だから、

孟宗竹が入ってくる以前の筍は、我が家の裏藪のものと同じだ。

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さように農産物の産地と言うのは、それぞれに由緒がある。

例えば、食堂で「鴨南蛮」を注文したとする。

出された丼を見て「鴨はあるが、南蛮って何に・・」と思ったことがないだろうか。

南蛮とは、スペインとかポルトガルのことだ。

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それがウドンの場合、大阪の難波のことになる。

かつて、難波はネギの一大産地だった。

その難波が南蛮となまって、ネギの隠語になったのだそうだ。

そう言われれば、確かにウドンにネギが乗っていた。

同様に、京都の賀茂川近辺はナスの産地だった。

それで今日でも賀茂ナスは珍重される。

大阪の守口大根、新撰組の駐屯した壬生は壬生菜、

聖護院大根と言った具合だ。

今朝、裏の竹薮を眺めて、鴨南蛮に思いが至ったという次第だ。

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2010年5月28日 (金)

人生に地図

マラニックなどでは、スタート時に一枚の地図が渡される。

こことここを通って、この寺までは何キロ、それから・・・

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ゴールには何時までに到着すること。・・ってな具合だ。

つまり、ゴールまでの道程がちゃんと書かれている。

その地図を頼りに夜中の道を走ったりするのだが・・・。

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かつてのシルクロードの砂漠を行く隊商にだって、

オアシスや目印の星など、大まかな地図があった。

人生にも、自分の現在位置を示す地図があれば安心この上ない。

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終着点(ゴール)は、時期は別にして決まっている。

だが、そこに至る正しい道筋が見えていない。

どの山を越え、何処の谷を渡るべきかを知りたい。

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宗教が、その正しい地図になるという人もいる。

しかし、迷い多い私がそんな地図を信じられるかどうか。

実際私達は、経験という羅針盤で迷いを払いながら、

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自分の道を選択しつつ歩いている。

でも時には迷うこともあるし、思いもかけない景色に遭遇したりもする。

はたせぬかな、人生に地図など有りはしないのだ。

人生の地図は、多分自分で切り開いていくものなのだろう。

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2010年5月27日 (木)

鉛筆書き

大分認知症の気があるのか、最近では手帳が手放せない。

備忘録としてはもとより、スケジュール管理にも不可欠になった。

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それで決定済みスケジュールはボールペン書きする。

それから未確定なことは鉛筆で書いておく。

こいつは何時でも消せるという訳だ。

それが、消せるのを良いことにやたら書くもんだから、

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どれが本物か分からなくなることがある。

それで常に消しゴムを用意して置くようにしている。

私の場合には、それで大局に何の影響も無いのだが・・・。

どうも某党のマニフェストも大半が鉛筆書きだったらしい。

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いやいやそれだけじゃない。

その党首の発言も、書いては消し書いては消しの鉛筆多用らしい。

聞かされている方はもう何が何だか、「どうせ又消すんでしょ」になった。

要するに、鉛筆書きに慣らされちゃった。

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ペンシル・スケジュールと言うそうだが、

これじゃ、他の国にも国民にも信用されないよね。

これでもなお「どうか トラスト ミー」って言うのかな。

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2010年5月26日 (水)

夜警

17世紀のオランダの画家レンブラントは、

「夜警」と題した有名な絵を残している。

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八百屋や大工さんなど地域の人々の防犯活動がテーマだ。

当時のオランダがそんなに危険だった訳じゃない。

だけど自治とは、そうした防犯などの活動が基礎なのだ。

地域のことは地域で可能な限り完結する。

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今日の日本人は、全て他人任せの無責任を決め込んでいる。

政治も身近な自治さえも他人事だと思ってる。

ところで私達の地域では、自治会活動の一環で防犯パトロールをしている。

地区内を皆で歩くことで、日頃気付かなかった事が見えてくる。

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こんな所にビルが有ったんだとか、ここは暗いな、この道は危ないなと。

永年住んではいても、案外自分の身近なところも知らないものだ。

昔と違って、共同体社会に依存することが少なくなっているからだ。

それで、自分の家の他は眼中に無い。

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しかし、時に不審者情報があったり、犯罪のニースを聞くと不安だ。

防犯パトロールで実現できることは限られている。

だけど、地域への所属と防犯意識を少しは涵養できるだろう。

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2010年5月25日 (火)

楽しさは何処に

私達が「楽しい」って思うのは、どんな時だろうか。

大抵は何かに夢中になっている時、

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それに、仲間と談笑している時だろうか。

その楽しさの中味をよくよく考えると、

「他に親しむ」ことから、その楽しさが生まれるように思う。

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人と人が知り合うこと、未知の体験をすること。

美しい景色や稔りを得ること、旧交を温めること。

それにスポーツや芸術・音楽だって、

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み~んな他に親しむことだ。

それなら、人生を楽しむためには「他に親しみ」さえすりゃあ良い。

いろんなサロンに参加したり、本を読んだり、植物を育てたり、

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はたまた非日常的な空間に我が身を置いてみるのだ。

とは言え、親しめないような「他」だってある。

事件や事故、腹立たしい怒りの場面などとの遭遇はご免だ。

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そいつを避けながら歩むのが人生の知恵かな。

心の震えるような楽しさとの遭遇。

それが人生の醍醐味だよね。

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2010年5月24日 (月)

人間の知恵

昔から、浅はかなのが人間の知恵と決まっている。

戦争したり原爆を山ほど作ったり、地球の環境を破壊したり、

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些細な利害で殺しあったり、時に犬畜生にも劣る行動をする。

タイの騒乱だって、不満を煽った挙句馬鹿な結果を生み出した。

ああいう馬鹿な争いは、大抵は小さな不平不満から始まる。

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政治は時に、その不満を煽ることで支持を集めようとする。

そして、結果として国の道を誤らせてしまう。

例えば、昨今の公務員を悪者にする政策がそうだ。

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先ずは国民の不満の矛先を官僚に向けた。

超エリートの事務次官などの一部を取り上げて、

肩たたきで中途退職させられた官僚の全てが超高給だと印象させる。

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実際の公務員は、人事院勧告があって総じて安月給に甘んじている。

それは、ネット検索で誰でも確認できる。

インドの民話に不平家の話がある。

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大きな胡桃の木の下で上を見上げると、小さな実が沢山なっている。

その隣の畑にはカボチャの株がある。

それを見てこの不平家は、「何と馬鹿なことか。」

「大きな木に小さな実をつけて、

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小さなカボチャにはあんな大きな実を付けている。」

「こんな不公平なことがあるか」と憤懣やるかたない。

その時、この男の頭の上にポツンと胡桃の実が落ちてきた。

この男、さすがに慌てて訂正したそうだ。

「胡桃が小さくて助かりました。もしこれがカボチャだったら・・・」と。

不満を煽る政治は、必ずどこかで行き詰まる。

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2010年5月23日 (日)

一日の終りに

明るくなるのを待つように起きて、まずは2時間ほど葡萄の世話をする。

私の葡萄は今、花が終わって実を次第に膨らめ始めている。

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それが一段落すると、あたふたと出勤の支度を済ませ、

交通安全の旗を持って交差点に立つ。

集団登校の新6年生リーダー達も、もうすっかり様になった。

その小学生の最後のグループを見送って、

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そのまま電車で職場に向かう。

勤務を終えれば帰宅してと、一日そのものは至極平凡なものである。

その平凡な毎日の積み重ねが、私の人生なのだ。

その平凡な中にも、時には少しばかりの彩が加わる。

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誕生日や小旅行、それにマラソンや諸々の会合などだ。

だがそれも、私にとっては日常に過ぎない。

ともあれ私の一日の終りは、このブログを書くことだ。

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肝心なのはその書くことで、それは考えることでもある。

書くことで、平凡な私の一日に句読点を打つことが出来るのだ。

それは密やかな一日の味わいである。

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2010年5月22日 (土)

電話の思い出

私の学生時代には、呼び出し電話ってのがあった。

学生寮の赤電話に入電すると、

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「○×さん、電話だよ !」って大きな声で呼んでくれる。

何処の家にも電話が有った訳じゃないから、

自分の家に連絡するのも大変だった。

「カネ、オクレ」と電報を打つか、

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いよいよとなると自宅近所のお宅に電話して取り次いでもらった。

テレビにしても電話にしても、余裕の有る家にしかなかった。

それでも、あの頃はちゃんと呼び出してくれたんだな。

携帯電話の普及した今日、そんな悠長な話は昔話になった。

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そして、人も世知辛くなった。

およそ、他人の世話など無関心になった。

文明の利器は、便利と一緒に何かを無くしていく。

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それにしても、あの頃の電話機はピカピカで黒い宝石みたいだった。

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2010年5月21日 (金)

食卓の風景

家族が家族であるためには、食卓は最も大切な場所だ。

しかし、その風景は昭和50年当たりから激変してきた。

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家族がバラバラになり、食べるものさえ別々も珍しくない。

コンビニや中食・外食産業、それに食品産業がそれに拍車をかけた。

つまり食材産業に操られた食卓になったのだ。

そんな中で、米を中心とした和食は年々肩身が狭くなった。

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一方、飽食やメタボなどと生活習慣病が蔓延するようになった。

コマーシャルに乗る食材は、大方が海外から輸入されてくる。

地球の裏側で採れた小麦やトウモロコシなどだ。

当然ながら、この国の食料自給率は41%にまで低くなった。

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まともな国では、信じられないほどの低さだ。

政府は、10年後には50%にすると口先で言っている。

間違いなく成る筈がない。

何故なら、国内農業は疲弊してしまっているし、

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国民に自給意識がからっきし無いからだ。

自給率を上げるなら、乱れた食生活を和食中心に正せばよい。

国民こぞって、有り余っている米を食べればよいのだ。

どうしてもパンだと言うなら、米粉パンで十分だろう。

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食の字は人を良くすると書くのだし、先ずは食卓を変えることだ。

それだけで、自給率は15%程度上がるはずだ。

まあ~、放漫経営のこの国じゃ、いずれ小麦も買えなくなるだろう。

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2010年5月20日 (木)

歴史を生きる

誰もが歴史と共に生きている。

只、その歴史の起伏に大小があるだけだ。

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平成も20年余を経過するが、

昭和の63年間は実に際立った時代だった。

亡き父のことを考えている。

父は兄の戦死で、農蚕学校を中退して農家の本人棒になった。

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母親は既に死に、家には父親と二人の弟がいた。

だがそれも束の間で、間もなく召集令状が来る。

中部シナを転戦していたが、敗戦でシベリア送りを辛うじて逃れ復員した。

その息子の復員で安心したのか、父親が直ぐに死んでしまう。

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家は、若い夫婦二人の農業で支える他なかった。

貧しさに追われながら、父も母も懸命に働いた。

私だって、小学校の三年生から炊事をした。

電化製品が有る訳はなく、ご飯もワラを燃やして炊いた。

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裏の井戸から水を運んで風呂を沸かし、暗くなって帰る両親を待った。

そう!、昭和の人間は自分の体を動かして、懸命に働いたのだ。

そんな何百万の一生懸命が、

やがて今日の経済発展への奇跡となったのだ。

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大正生まれの彼らは、既に老人になりやがてこの世を去っていく。

それが歴史を生きるということなのだが、

今日の私達はどれ程一生懸命なのだろうか。

はてさて、中空のようなこの平成の世は何だか頼りなげだ。

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2010年5月19日 (水)

100kmを走る人々

今年の野辺山には、1700人余のウルトラランナーが集まった。

前夜には、カーボローディングを兼ねたパーティーが開かれる。

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デカフォレストのパネルトークや、

山梨学院大チアリーダーの演技など、

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翌日のガイダンスと共にウルトラレースを盛り上げる。

デカフォレストとは、

このレースを10回以上完走したランナーの称号だ。

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一般のランナーとはゼッケンも違うし、

特別の控え室まで準備されている。

勿論私は、このデカフォレストでゼッケンは13番である。

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ところで今回、女性で初めてデカフォレストにリーチをかけた人がいる。

今回のレースを完走すれば、女性初のデカフォレスト誕生となる。

その女性が、私達小笠山RCのメンバーなのである。

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と言う訳で彼女は、レース説明会でのパネラーや

選手宣誓などと引っ張りだこになった。

このレースは今年で16回目だが、デカフォレストは59人しかいない。

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人それぞれ、永い間には体調不良や家庭事情など色々なことがある。

そいつを押しのけて、このタフなトライアルを10回もクリアーするには、

よほど心身ともにタフで諸条件に恵まれなければならない。

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当然ながら、ウルトラランナーの一種の憧れなのだ。

だからレースの途中では、色んな方が話しかけてくる。

とは言え、初心者だろうがベテランだろうが、苦しいことに変わりは無い。

ただ、苦しさに耐えて、それを乗り越える術を知っているだけだ。

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ともあれ、今回の彼女の挑戦である。

結果は残念ながら、途中で足に痙攣を起こし93kmで潰えてしまった。

それでも93kmまで走り続けた気力を大いに讃えたい。

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2010年5月18日 (火)

八ヶ岳の麓

昨夜の続きである。

松原湖畔の宿は、いつも私達で貸切である。

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前夜の完走を誓い合う夕食は、いささか弾んでいる。

自信たっぷりな人に不安な人、寡黙に明日を念じる人。

それぞれが幾ばくかの緊張と不安の中にいる。

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そしてみんな、ビールをコップ二杯も飲むと、早々に布団にもぐり込む。

明朝は3時起床、4時にはスタート地点に出発である。

五時、野辺山駅前をスタートするのだが、今回のスターターは荒川静香さん。

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昨夜の山梨学院大のチアリーダー達も駆けつけてくれる。

やることは全てやってきた。

もうスタートの合図を待つだけである。

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ピストルの響きと共に雄たけびが上がり、

70kmの部と併せ2,500人もの群れが動き出す。

みんな、ウルトラマラソンの挑戦者なのだ。

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そして、みんな考えていることは同じだ。

「何とかゴールまで・・・」なのだ。

八ヶ岳は、そんな私達をずっと見下ろしている。

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しかし、果てしなく上り坂が続き、

ランナーの表情は次第に険しくなっていく。

そうして刻々とタイムアウトの19時が近づいてくる。

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日も沈んで薄暗くなる頃、ゴールするランナーが最も多くなる。

涙のゴールやら達成感の笑顔やら、とにかく疲れ果てている。

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遅くなって宿に帰っても、晩飯もそこそこに布団に倒れこむ。

そして、直ちに前後不覚に眠り込んでいく。

そんな人間どもの限界への挑戦を、

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八ヶ岳は今年も見守っていた。

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2010年5月17日 (月)

100km遠足の旅

16回目の八ヶ岳・野辺山100kmマラソンの朝だ。

今年も、元気でこのスタートラインに立つことが出来た。

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この日本一過酷なウルトラマラソンを、既に14回完走している。

私は、このマラソンの常連でもあるのだ。

野辺山の朝五時は、霧が立ち込め今年はかなり暖かい。

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その高原の冷気の中を八ヶ岳に向かって登っていく。

朝の早い鳥達が賑やかにさえずり、

この異様な人間の群れを見送っている。

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今年は100kmの部だけでも1700人余なのだ。

「ワァー、今朝は一体なんだい?」とでも言い合っているかのようだ。

ともあれ100kmの道程は淡々と走るだけだが、

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それでも山あり谷あり、追い抜いたり抜かれたり、

途中リタイアだってある。

それに、意識だって時と共に紆余曲折していく。

そう、100kmには様々なドラマがあるのだ。

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スタートして暫くは、仲間や練習のことなどを思ったりする。

しかし60kmを過ぎる頃には、もうひたすら足を前に出すだけになる。

実に苦しい旅なのだ。

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それでも、何故か毎年この大会にやってくる。

それは私自身、何かを確かめるための業のような気もする。

それに100kmマラソンは、それだけで一つの旅なのだ。

大袈裟に表現すれば、

このレースを走るたびに一つの人生を経験するとも言えるのだ。

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2010年5月16日 (日)

松原湖の家族

昨日から八ヶ岳を望む松原湖畔に来ている。

松原湖は、かつてスケート場として知られた所だ。

でも近年は温暖化のため、

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この近くに水田を転用したスケート場が作られている。

そのスケートリンクで、あのイナバウアーの荒川静香も練習した。

その荒川さんが、今この野辺山に来ている。

今回の八ヶ岳・野辺山100kmマラソンのスターターを努めるのだ。

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ともあれ私達の泊る民宿「鷹野」は、このレースの際の定宿だ。

もう16年間もお世話になっているから、親戚の家以上である。

この15年の間に、この家の爺ちゃんも婆ちゃんも亡くなった。

ご主人は定年退職して民宿専念になったし、

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幼かった息子が今では本人棒で働くようになった。

つまり、私達が100kmを走り続けたこの16年間に、

それだけ家族が時を刻んで変わったという事だ。

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なまじ年に一度訪れるから、その変遷が鮮烈に印象される。

「今日は、今年もお世話になります」と玄関を入るたびに、

「ああ、家族って日々変わっていくんだな~」と感慨深くなる。

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勿論、私だって変わっているはずだけど、

何故か自分の変わり様は見えてはいない。

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2010年5月15日 (土)

小笠山と水

私が週末を過ごす小笠山は、巨大な三角州が隆起して出来た。

かつては大井川の河口部だったのだ。

だから、全体が河原の礫で出来ている。

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標高は264mもあるのだが、

礫だから降った雨がほとんど地下に浸み込んでしまう。

幾つか川があるのだが、水が流れるのは希でしかない。

だから山には、乾燥に耐えられるウバメガシが純林をなしている。

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あの備長炭の原料になる大変硬い木だ。

ウバメガシの群生は珍しくて、それだけでも独特の風情がある。

ともあれ小笠山に浸み込んだ水は、裾野で湧出する。

その水と山の薪で、かつては酒蔵や醤油製造業が栄えた。

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湧き水は、水田を潤し人々の生活用水にもなってきたのだ。

小笠山は、水が森から生まれることを分かり易く教えてくれている。

この山の地下は、大きな水を貯めるダムなのだ。

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近頃、この里山を歩く人が増えている。

でも、この山のことを知って歩けば、もっと楽しくなるだろう。

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2010年5月14日 (金)

自分を育てる

寒暖や遅速を感じるもとは、自分の体温や脈拍だ。

同様に、その時点の自分が物事の判断基準だ。

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その感じ方や判断は、成長と共に協調や妥協を膨らませていく。

子供のような人とは、それが出来ない人のことだ。

だから子育ては、そんな判断基準を教えることでもある。

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子育てはともかく、実は自分を育てるのが一番難しい。

自分で自分を育てなきゃならないからだ。

花に例えるとすれば、この人生にどんな花を咲かせたいのか?

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バラとか桜とか、それとも名も無い小さな草花だってある。

私は、出来れば吾亦紅が良いと思っている。

ワレモコウは、バラ科の多年草で暗紅色の地味な花をつける。

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一つ一つは小さくて控えめでさりげない。

だけど根っ子にゃタンニンとかサポニンを多量に含んでる。

「吾も亦 紅なりと ひそやかに(虚子)」

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そんな自分に育てたいと念じている。

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2010年5月13日 (木)

名乗り

名は体を表すという。

だけど、自分で付ける訳では無いし、いささか酷な話した。

私の安っぽい名前は、祖父が付けたらしい。

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その名前で、子供の頃は苛められたりもした。

江戸時代までは、元服すると自分で名前を付けた。

それが「名乗り」と呼ばれた。

坂本龍馬の実名(名乗り)は、坂本直柔らしい。

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同様に大久保一蔵は、あの大久保利通だ。

だけど普通は、龍馬のように親の付けた幼名で通してしまった。

日本人の大方の苗字は、明治3年の太政官令以降につけられた。

平民も西洋と同様に苗字をつけろとのお達しがあってからだ。

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それで地名を苗字したり、誰かにあやかったり、

当時の有力者に付けてもらったりした。

大層な苗字も、元をたどれば大方がそんなところから始まっている。

女性の名には流行がある。

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今では○×子が少なくなったが、かつては軒並みだった。

大昔は蘇我馬子などと豪族の名だったりしたが、

その後は公家の女性の名に子が使われた。

何々さんというニュアンスで子の字を付けたらしい。

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そうした貴族の風習が、明治後に一般化したのだ。

名前も世につれ変わるということだ。

ともあれ、自分の名前はその人が創り上げるものだね。

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2010年5月12日 (水)

一日のステージ

一日のうちに、幾つのステージを作れるだろうか。

つまり、自分の立位置が幾つ変わるかと言うことだ。

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私の場合、夜が明けるのを待って葡萄のハウスに入る。

今の時期は、花房整理とジベ処理に忙しい。

これを2時間くらいで切り上げて、朝食に出勤準備。

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それから約20分間は交差点に立つ。

小学生の登校を見送ってから、新幹線で職場に急ぐ。

この通勤時の読書が殊更貴重なステージでもある。

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忽ちにして、本の中の世界に飛んで行くことが出来るからだ。

仕事を終えて帰宅してからは、自治会関係等の会合やら資料作りだ。

それが無い時は、ジョギングである。

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そうして、このブログを書いてから就寝となる。

とにかく、一日の生活に変化をつけて楽しんでいる。

中でも、今年2月から始めた毎朝の立哨はステージとして気に入っている。

70人余の子供達の顔も少しずつ覚えてきたし、

彼らの「お早うございます。ありがとう。」も良い。

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私自身「今日も元気でやるぞっ!」と元気を貰う。

と言う訳で、新しいステージの開拓が楽しみである。

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2010年5月11日 (火)

政治主導って!

田植の真っ最中だが、今年から戸別所得補償制度が始まった。

米の生産者に定額助成と価格補填して、

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農家の所得を上げるのだそうだ。

もちろん、零細な兼業農家でも対象になる。

米を作る農家なら、政府がお金を出してくれる。

生産性など何の関係も無い。

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まあ~、農村票目当てのバラマキなのだ。

そしてその財源は、

農地や水路を整備する土地改良費を60%もカットして調達した。

土地改良は農業の生産性を上げる為のものだが、

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これは「コンクリート」だから駄目という次第らしい。

確かに日本の食料自給率は41%と、先進国で際立って低い。

だけどそれは、生産性が低いから衰退しているのだ。

それを改善しないで、下駄を履かせれば良いという判断だ。

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恐らく大冷害でもない限り、米の価格は一層下がるだろう。

財政支出も当然拡大する。

はてさて、この制度を何時まで続けられるのやら。

それに加えて、これで農業衰退に拍車がかかりゃしないか。

政治主導ってヤツは、どうも高くつくなぁ~。

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2010年5月10日 (月)

豆が欲しいか・・

今日から、愛鳥週間である。

山では野鳥の営巣が始まっていて、それはそれは賑やかだ。

ウグイスやメジロに混じって、名も知らぬ鳴き声も聞こえる。

だが、スズメやカラスには毎年のようにひどい目にあう。

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私の葡萄が、あの嘴で機銃掃射を受けるのだ。

鳥はいなくちゃいけないが、ひどい悪さは困る。

それに最近では、サギとかウソとか言う鳥がTVに登場する。

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この鳥は、外国ではアホウドリとかチキンと呼ばれるらしい。

何故って、借金で何とか手当てを振り撒いているだけじゃない。

自分も12億円もの餌を、税金なしで母鳥からもらっていた。

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「五月までに、最低でも県外移設」とか鳴いてたけど、

最近じゃ、あれはウグイスの七変化で公約じゃなかったとさえずりだした。

口から出るのは、すべて豆鉄砲なのだ。

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「豆が欲しいか、そらやるぞ」も、どうやらウソ豆らしい。

この鳥、少し前まで鳩と呼ばれたらしいが、

実は正体不明の「謎の鳥」なのだ。

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2010年5月 9日 (日)

子供達の未来

今の子供達は、画用紙に未来をどの様に描くだろうか。

私達の頃は、飛行機とか高層ビルなどを描いた。

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食べる物も着る物も粗末だったけど、未来は明るいって思ってた。

事実、日進月歩でどんどん物が増えていった。

人間が月にさえ行ったし、発明や発見だって日常茶飯だった。

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手塚治のアニメは、正にその夢の未来だった。

それに王とか長島も憧れだった。

そうして、次々と物を追っかけているうちに、

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何時の間にか叔父さん叔母さんになっちゃった。

それと歩調を合わせて、国そのものも老年期に入り始めているし、

無能な政治が限りなく続いている。

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子供達の未来に夢を与えられない私達は、

「子供手当て上げるから、ごめんね」って言うだけなのかな?

その手当てだって借金だから、詐欺みたいなもんだね。

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その借金は、子供達自身が返すんだから。

夢が無いねぇ~。

しかしまあ、アンパンマンで育つ子供の未来は、

ジャムおじさんが、新しい顔を作ってくれるのかな。

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2010年5月 8日 (土)

長寿と年金

大丈夫?と思うのがこのことだ。

江戸時代には、人生50年と言われた。

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そんな昔でなくても、20年ほど前までは定年が55歳だった。

56歳から年金が支給されたのだ。

寿命が今よりも短くて、定年から10年位で大抵が亡くなった。

だから年金制度も問題なく機能していた。

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だけど今、65歳からの年金でも85歳位までは生きる。

かつての平均寿命に即した年金制度が、

国家財政と相俟って些か心配になる。

そもそも動物の命は、生涯の心拍数と細胞分裂の回数で決まる。

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だから、心臓の鼓動が早いネズミとかリスは短命だ。

それに比べると、象とか亀はゆっくりだから長命だ。

長生きするには、心拍を少なく巣りゃ良いことになる。

ちなみに私は、スポーツ心臓で普通の人より三割は少ない。

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それにもう一つ、生殖活動の継続が肝心らしい。

老いと言うのは、生殖活動を止める事から始まるらしいのだ。

それには何と言っても栄養状態の維持かな。

もつとも、年金制度も財政破綻でギリシャみたいになったら、

心拍数が増えて、私達の寿命も短くなるのかな?

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2010年5月 7日 (金)

幸せは脳で作る

痩せ我慢じゃないが、仮に財産があったってあの世じゃ使えまい。

金で地位とか名誉とかが買えるかもしれない。

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だけどそれだって、現世のものでしかない。

死んで10年もすりゃ、誰も覚えちゃいない。

酒池肉林の世界に暮したとて、所詮その人間が駄目になるだけだ。

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人はそれなりに努力して、苦労を乗り越えてこそ幸福を感じる。

幸福は、人の苦労を吸って育つのだ。

楽して幸せなぞ得られる訳は無い。

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それに、どうもヒトの一生の快楽の分量は決まっているらしい。

何故ってそれは、快楽は脳が作り出すものだからだ。

快楽の素はドーパミンだが、四六時中それが出続けるはずが無い。

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やっぱり、そういう場面を作っていくしかないのだ。

人間は、そのためにこそ頭を使うべきなのだ。

ゆっくり着実に、回り道だってして、

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時には火中の栗だって拾ってみる。

そうして、限り有る幸福を精一杯味わうのだ。

あなたは、その幸福を使い残していない?

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2010年5月 6日 (木)

食の土着化

食と言うのは、まっこと不思議なものだ。

その民俗が何を食ってきたか考えたって、

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それはそれで面白いテーマになる。

例えば私達日本人の米だって、

縄文末期に大陸から持ち込まれたものだ。

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それまでこの列島の住人は、粟とか自然薯なんかを食ってたんだろう。

ドイツ人のジャガイモにしても、

イタリア人のトマトも南米のアンデスから伝わったものだ。

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韓国人のキムチだって、

メキシコあたりから唐辛子が伝わってからのことだ。

でも私達は、その食文化が大昔からずっと続いていると思っている。

だけど大抵は、この500年も遡ることはできない。

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それに最近では、この地球の物流が一つになってしまった。

適当な食材があるとなるとそいつをどんどん買いあさる。

例えば日本人の食う蕎麦の大半は中国で生産してるし、

世界中のマグロを買い漁っているのもそうかな。

とにかく美味しいものは誰だって欲しいんだ。

発展途上国の経済成長で食も奪い合いになる。

食は、可能な限り身近な所で作って、土着化をさせるべきだな。

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2010年5月 5日 (水)

ホームタウン

久しぶりに、ジュビロが勝利 !

「君達は強い」との原点復帰をスローガンに、

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今シーズン5位以内を目指している。

確かにゴンの若い頃は強かった。

だが、Jリーグも実力が拮抗してきたというべきだろう。

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とは言え、ホームチームが強いにこしたことは無い。

と言う訳で、あの手この手でチームを盛り上げる活動が進んでいる。

サックスブルーのフラッグを掲揚する運動もその一つだ。

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商工会議所に行けば無料で配布している。

試合の有る日には、街一杯にこのフラッグがはためくと言う次第だ。

それに子供向けのサッカー教室も盛んだ。

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それにしても、サッカーのサポーターは選手同様汗をかく。

あの全身運動の応援じゃ、相当に疲れるだろうな。

それに今日はサンフレッチェ戦だから、

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広島からも大勢繰り込んでいる。

馬鹿馬鹿しいと言えばそれまでだが、

何にでも入れ込んでみないことには面白くならない。

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磐田の街を揚げて応援するその単純さが大切なのだ。

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2010年5月 4日 (火)

退屈との格闘

この連休は、如何お過ごしでしょうか?

退職後の年金生活になると、

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毎日こんな具合に長大な時間が手に入るのです。

こいつを羨ましいと考えるのか否か。

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多分に、人生観によって見解が分かれるのかな?

ところで最近では、公共施設が結構賑わっているらしい。

図書館とか市民体育館のジム、それに水泳場などだ。

つまり、朝から図書館に出かけてそこで雑誌を読む。

弁当を食べたら体育館かプールで汗を流し、

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そいつに飽いたら温泉風呂だ。

風呂から出ると頃合の時間になる。

仲間を誘って、近所の居酒屋に繰り込む。

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まあ~、そんな具合の毎日だと言う。

なんと羨ましいことと思うのだが、

しかしこれが退屈との格闘らしいのだ。

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かく言う私はどうかって?

それが、午前中は朝飯もそこそこに山に走りに出かける。

帰宅すると昼飯のいとまも無く、

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葡萄の誘引・摘房作業である。

足は棒のようになるし、アッと言う間に外が暗くなる。

そうして、風呂から出ると布団に倒れこむように眠りにつく。

どっちも、似たようなもんかな・・・。

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2010年5月 3日 (月)

日々是禁酒

酒は、たまに飲んでこそ価値が有る。

そう思って、日常的に酒を飲むのを止めにした。

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折りしも国連の機関が、

タバコと同様にアルコールを規制すべきと言い出した。

国連が音頭を取る必要があるかは別として、

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確かに、酒は自分を誤魔化してしまうようだ。

古来酒は、悟りに導く知恵の薬(般若湯)とされてきた?のだが、

どうであろうか、私なぞ失敗ばかりではなかったか。

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百薬の長とも言われるのは、それは毒としての意味らしい。

そもそも、人間は毒と共に生きている。

薬はもちろん毒だし、

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予防接種だって、病気の素を体に注入して抗体を作らせる。

塩も必要不可欠な毒だ。

毒の塊のようなタバコだって、かつてドミニカでは先住民の薬だった。

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酒も同様な薬だとすれば、常用するのは変だと言うべきだ。

ともあれ、そんな屁理屈で禁酒である。

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2010年5月 2日 (日)

言霊

言葉は、意思を表すための符丁に過ぎない。

だけど、その思いが伝わる言葉とそうでない言葉がある。

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その違いは、言霊が入ってるか否かだ。

かつて文章を書き始めた頃、それを表に出すのが殊更怖かった。

おっかなびっくり、手加減しつつ書いていた。

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「こんなこと書いて、心中を見透かされやしないか」とか、

「中傷の的になるんじゃないか」と心配だったからだ。

それ程、喋るのと書くのとでは重みが違う。

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自分の喋ったことを文章にしてみると、

けっこう矛盾のあることに気付かされる。

どこかに論理の飛躍があったりするのだ。

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語りは、気分が先行するからだろうか。

「言霊」は、気分だけでは駄目で、

言いたい事を意志にまで煮詰めねばならない。

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心底がなかったら、意志は表現できない。

そうして書くことは、自分の意志を形成していくことでもある。

「百言は、吟味された書にしかず」だろう。

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2010年5月 1日 (土)

有限の生

ああ生きてもこう生きても、一生は一生だ。

それに大切なのは、人生は有限だってことだ。

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馬齢を重ねても、その事を得心していない。

人生は分岐点の連続だし、舞台は次々と変わっていく。

意気揚々の日があったかと思えば、

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時に、雨の日の捨て犬のようにショボクレていたりもする。

日々の舞台を努めるのが精一杯なのだ。

やがてドラマは、主役の交代の時期を迎える。

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そのうち、フィルムも残り少なくなるだろう。

思いは無限なのだが、生命の原理はそうはなっていない。

あれもこれもは所詮無理な話なのだ。

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それよりも、何が出来たかではなく、

何処に向かって生きたかが大切なのだ。

そして、分岐点の全てで自分がその道を選んだのだ。

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そう、「俺は俺でよし」なのだ。

有限の人生を、反芻しながら歩かなくっちゃね。

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